八話.小説家志願の病
七
ホームページを見ての感想をメールで送った後、大井からはお礼のメールが、川村からは電話が来た。
「さっき電話中だったけど」
「実家に連絡していたんですよ」
実家に月一ペースで戻っている彼にとって、大学に入学してから一度も実家に戻っていなかった義高に心底驚いた。明後日には母親と会う約束をしているのだが、こうして彼と話をしていてもそれが気になって仕方がない。
「いろいろとありまして」
「わかった。聞いてやろう」
頼んでもいないのに、相談に乗ろうとする川村の誘いを断れず、外に繰り出した。サラリーマンの帰宅姿が目立った通りを抜け、隠れ家的な居酒屋に案内された。
「これなら話しやすいだろ?」
控え目に肯定した。ビールで乾杯すると、彼のホームページに掲載されている小説の創作秘話を語りだした。全編にわたって退廃的であり、荒野を目指そうとする男が主人公の物語は、確かに義高の心を打ったのは間違いないが、彼と話をしていくうちに、半自伝的小説なのではないかと思わされた。特に小説中の地の文書に掲載される言葉が、アルコールも手伝ってそのまま出てきたりする。義高はいつものペースより早く煙草を消費し、どうでも良い話をやり過ごす。彼は感想メールが嬉しくて仕方なかったのだ。
「才能はお金で買えない」
と言ったのは、川村がそう簡単には小説家になれないと切り出し、義高が書店に売っているような作家になるマニュアルで勉強すればいいのではと助言した後だった。
「小説の書き方やエンターテイメントのパターンは知っているのだし、どのマニュアルを見ても書いてある内容は同じだ」
川村は高校生の時から小説を書き溜めていた。既に小学校の頃から世界文学全集の読破を目指していたぐらいなので、文学エリートである。義高は江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを一夏かけて読破した経験を思い出す。文学エリートの前でとても言える話ではなかった。
「例えば?」
「いくら勉強を積み重ねても、確実になる方法はない。小説家になるには才能と運が絶対値を閉めている」
「才能、なら高校生から約五年は経っているわけですが、才能があるかどうか自分ではどう思っていますか?」
遠まわしにあげ足を取ってみた。
「運がないんだよ」
予想通りの返しだったので、閉口した。このナルシストぶりというか、負けず嫌いぶりを緩和して、読者のことを考えればもっと面白い小説を書けるのではないか? と漠然と思った義高に、彼は説得していた。
「他人の粗を探すのは簡単なんだ」
「ええ」
「書評レビューとか見ると反吐が出るね。書いたこともないくせに誹謗中傷の嵐だ。作家人生を壊そうとする族だっている」
どうやら、過去にボロクソな感想を言われたらしかった。
「ネットですし、気にしないことですよ」
確かに苦労して書いた自分の作品は褒めてもらいたいだろう。が、現実は作者ではなく読者の反応ですと言った義高は背筋を伸ばした。顔をしかめて聞いていた川村は、長い手をセーターの中に入れ、胸をかいた。
「それに、本をまったく読んでない奴が小説家志願だったりすると、恥を知れって思うね」
川村はブランデーをグイグイと飲み干した。ひそかに話の内容が飛んでいるのだが、神経をアルコールが侵略してきた状態では気にしなかった。
「読まないで書ける人は凄いですけどね。才能じゃないんですか?」
「違うんだ!」
グラスを勢い良くテーブルに叩きつけた。溶けきっていない氷が宙に浮く。義高は、目の前の長身が殴りかかってくるのではと思い、肝を冷やした。
「出版不況と言われている昨今、人々が本を読まなくなり、買わなくなったら出版社はどうすると思う?」
口調に高圧的なものが混じった。
「まあ、本を出せなくなりますよね」
「そうだ。人気作家の本だけを出すようになる。おのずと新人賞の類も減っていく。つまりは小説家になる道が狭くなっていく。そんなことも知らず、お金が稼げそうだから、小説家を目指している奴がいるんだ。自分が良ければすべて良しとしか考えられないね」
「そうですね」
――自分が良ければ……ぶっちゃけ、あんたの作風も同じですよ……
無言のまま、飲むだけの空気が流れた。個室でも近くからの声は聞こえて来る。女性同士の恋愛話が妙に甘酸っぱく、二人の年齢のわりには捩じれた思考が浄化されてゆくようだった。
「すまんな、俺だけしゃばってて」
「いえいえ、興味ありましたから楽しかったですよ」
義高は人の話を聞くのが好きだし、心の中で突っ込みを入れるのは趣味の域に達していた。問題なのは、楽しそうな感じが相手に伝わらないことだった。
「実家に帰れない理由があったんでしょ?」
それを正確に語るのであれば、読心能力による家庭崩壊から話を始めなければならない。とてもそんな気にはなれず、帰ったら甘えてしまうし、タイミングを逃したんですよと曖昧にした。
もっと深刻な理由がほしかったのか、肩すかしをくらった彼は、大井が女性にナンパされたのにも関わらず、連絡もしてない話を切り出してきた。その話しには大いに賛成だった。風俗店をみて、入ってみたい衝動に駆られていたばかりであり、異性の体に触れたのはいつごろだったかと聞かれると、直ぐに答える自信がなった。義高が胸の内を語ると、彼は握手を求めてきた。
「だろ? 菅野も普通はやらないってほざいていたし」
「うーん、菅野は格好付けているだけだと思いますよ」
盛り上がりは絶頂を極めた。下ネタで初めて意気投合した二人の会話を聞いたせいで、女性の客は退出の準備をした。会計を取りに来た店員の声が聞こえ、足音が遠くへ消えてゆく。耳を澄ましていた義高の顔に暗雲が立ち込め、川村は上半身を横にし、頬杖を付いた。この少ない時間での落差は、マスターベーションをし終わった後の虚脱感に似ていた。
「本当は下ネタも好きな癖によ」
去っていった女性に悪態である。最初の内は同意見だったものの、長くなりそうだったので話題を世の中のニュースへとシフトさせた。
世の中の制度を、いちいちケチ付けた。
彼の口から、ポジティブな発言はなかった。
義高は達観した。
自分と同類。
川村は病んでいる。と