六話.母親を思う
後半部分、少し加筆しました。
五
大井元治が開設しているホームページは、『美辞麗句探偵事務所』とは比べ物にならない位の人気があった。その証拠に、アクセスカウンタは数百万を超え、半年前から、寄せられたコメントに返事が書かれていなかった。あるいは書く余裕がなくなっていた。しかし、更新される日記には絶え間なくコメントが寄せられている。彼の素顔が載った写真があろうものなら、さらに増えている。劇場公開後の日記がピークだった。
作り自体はポップであり、日記の内容はポジティブ、なんで同じ大学のマイナーサークルに属しているのかさえあやふやになった。
映画一本分見終わる時間を掛け、『美辞麗句探偵事務所』のホームページをリューアルした義高は、それらを呆然と眺めていた。
「またネットサーフィンしてんの?」
昨晩、朝帰りした亜紀が言ってきた。クシャクシャの髪の毛であっても、美貌を保てる様子に、大人しく否定した。
「諦めなよ。有名人にならないと、アクセスなんて増えないんだから」
と言う亜紀だが、ネットのことは全く知らない。のは熟知していた義高は、
「依頼だって二割がネットからの応募でしょ」
と経験則を棚に上げた。
「パソコンばかりやっているとさ」
言葉を切って、大きな欠伸を手で隠した。
「精神衛生上、悪いし。たまには外に出てさ」
「今度、菅野達とツアーに出かけるんだ」
「ツアー?」
わかっている限りの内容を伝えた。最初は真面目に聞いていた彼女も、途中から眠たそうな顔になり、金、V系、事件には全く関係ないのだと知ってからシャワーを浴びに行った。
「興味がないことぐらい、知ってたっつうの」
シャワーの流れる音に向けて悪態をついた。
画面は川村信二のホームページにシフトした。彼の性格をそのまま示している感じ、それが義高の受けた印象である。ベースが黒い画面であり、プロフィールには小説家志願とだけ書かれていた。しかし、それはまだましな方で、自作小説が掲載されているページは、自分の知識を披露したいのか、漢字の羅列だった。極小フォントが字間を支配し、数行読んでは目頭を揉んでやらないと先に進めない。内容的に時代小説かと思えば、舞台は彼の少年期の時代だったりした。
義高は第二話に進む前にディスプレイから離れ、今日明日の予定を確認した後、探偵事務所を出た。
駅前の繁華街通りには、風俗店が点在していた。休日の昼下がり、顔を隠すようにファッションヘルスに入店する男が視線の先にあった。義高は足早になって店前にたどり着く。看板には時間によって値段が変化するシステムが書かれている。
「良い子が揃っていますよ」
慌てて振り返った。黒服は歩いてきた男に声掛けをしていた。安堵した義高は、そそくさと離れた。
――玄人童貞
決して珍しいことではない。むしろ付き合う子に風俗通いをしていた過去を自慢気に話す奴の感覚の方がどうかしている。ただ、性欲に実直な男への憧れもあった。コンビニで立ち読みしている雑誌には、アイドル化した風俗嬢が表紙を飾っていたりする。かわいい子から美人まで、生活のために身売りする時代ではない。悶々とした日にラーメン屋に入る感覚でヌキに行く。彼の周りでも確かに存在していて、その場は毛嫌いするのだが、こうして色恋の気配なく街を漂っている時、ふと彼らへの嫉妬が湧いてきた。
住宅地の袋小路に辿り着くまで歩き、犬の鳴き声を合図に引き返した。
「どこをほっつき歩いているんだ」
携帯購入時の付属品ストラップが耳に当たった。
「ちょっと、土地勘を鍛えようと歩いてまして」
「そうか」
意外にも、ケンジは納得したようだ。――なんだかこわい。
「客に出す調査報告書」
ぶっきらぼうに言ったケンジの言葉、義高が理解するのには充分だった。
「明日の納期だったはずですが」
「催促が来ているんだ。早く出せ」
急かすのに定評のある客からの要求、ちょっと前にケンジが別れさせ屋を演じ、最近になって完了した案件だった。
事務所に戻って話を聞いているうち、案の定、依頼者である女性が、ただケンジと会話をしたくて連絡してきたという理由だった。反論できずに作成していく様を、ケンジはDVDを見ながら観察していた。
「相手の男性から恨まれたりしないんですかね?」
プリントされた調査報告書をケンジに手渡してから言った。
「馬鹿か」
見るなり、紅い斜線が刻まれてゆく。――自分で書けよ。
「男に未練を与える余地があるから恨まれるんだ。こいつだったら仕様がないと思わせる。恨む気にもならない位の行動に出れば終わりだ」
「ケンジさんはカッコイイからですよ」
最後に派手なペン捌きをし、修正個所だらけの報告書を付きつけられ、義高に裁きを与えた。
「外見は関係ねえ」
と言われても、説得力がない。ケンジは続けた。
「心を読む力が発動しなくとも、表情、動作、言動で大体はわかる。相手を知ろうと思えば簡単なことだ」
「努力はしていますが」
義高は先程のホームページ検索を思い浮かべていた。
「なら、全然足りていないな。試しに、俺が喜ばせてみろ」
考えた末に言った。
「僕はアルバイトとして働くようになってから、ケンジさんを尊敬しています。一緒に行動し、沢山のことを学ばせてもらいました。感謝しています」
テーブルに乗っかっていた足が床に移動した。
「全然ダメだ」
「なぜですか?」
「沢山のことを学ばせてもらったなら、なぜ行動に移さないんだ」
「それは……」
「色恋沙汰も一人で解決できないようじゃ、俺をただ尊敬しているだけに過ぎない」
「任せてくれないからです」
義高は珍しく反論した。が、ケンジに火を付ける結果となった。
「わかった。じゃあ、今度殺人事件が起きた場合、お前自身で解決してみろ」
「マジ……ですか?」
マジである。ケンジが一度言った発言を撤回した過去も、真顔で冗談を言った過去も、ない。
母親に会いたい。
なぜか切実に思った。
携帯電話を握ったまま、母親の番号を見つめていた。かじかんだ手に白い息を吹きかける。実家のある奥多摩の気温はこの場所よりも二、三度は低い。
電話に出たとして、何をしゃべればいいのか?
義高のその悩みは、部屋の戻って温まった後になっても変わらなかった。電気ストーブのオレンジ色が映る曇ったガラス窓、見慣れた外の景色である。高校を卒業してすぐに引っ越してきた時も、何もない部屋でこんなふうに外を眺めていたのを思い出した。
あれから四年もの間、母親に会っていない。コミュニケーションは電話で数度、ひどく事務的な会話をしただけである。
通話ボタンを押した。携帯電話に当たった耳の脈道が聞こえ、通話音になる。
「もしもし」
義高は自分の名前を名乗った。