十二話.白装束の集団と謎の言葉
十
地元を離れた土地での年越しになった。山々の中に申し訳ないといった感じで存在する山村の旅館、内部には地酒を取り扱っている居酒屋や、卓球台のあるプレイルームもあり、それなりに充実している。義高達はその一室でくつろいでいた。
「さっき、ロビーにいた夫婦っぽい人達も、ツアーに参加するらしいぞ」
菅野が言いだした話は、川村と二人で旅館を探索していた時に、たまたま聞いた会話を辿っていた。
「夫婦じゃないでしょ。会話が妙にそよそよしかったし。お互いを新庄さん、加藤さん、って呼んでいたぜ」川村が素っ気ない態度に、菅野は顎をしゃくった。
「不倫かな。お互いの家族に内緒の旅行だったりして」
「かもな。明日聞いてみよ」
眠そうな半目で茫然としていた義高は、目を大きくさせ、
「直接聞いたらまずいよ」
旅路の間、先輩後輩の垣根は消えていた。川村が敬語を使うなと言いだしたのだ。しかし、大井に限っては先輩にため口は出来ないと、態度は変えなかったが。
「知っているって。不倫してますなんて公表する奴は、まずいないからな。遠まわしに探っていくんだよ」
「失礼のないようにな」菅野が注意する。
信用されていないのに苛立った川村は、「当たり前だろ」と、眉間に皺を寄せた。
「だって、大井に内緒で馬場さんに連絡した前科があるし」
菅野は疑いの眼差しを向けた。それは数日前、馬場紀子の連絡先をこっそり覚えていた川村が連絡していたのだ。自分が親友であり、今回のツアーに大井も参加するから、来ないかと誘っていた。駅で待ち合わせしてから初めて知った大井の顔は困惑し、とても気まずそうだった。その他の三人は大人の女性を目の当たりにして唾を飲んだ。生き生きしていたのは紀子だけだった。
「わかってないな。男同士の旅なんてむさくるしいだろ」
それについては言い返せなかった。
「あの二人、遅くない?」
大井は紀子に散歩しようと誘われてから二時間が経過している。
「心配するなって」
妙に大人びた態度で、川村は隣の部屋を指さした。紀子のために急きょ予約を入れた部屋だ。
「イイ感じになっているんだろう。作戦は成功しているはずだ」
恋のキューピットになりきった彼の顔は、日本酒で真っ赤になっていた。
「ならいいけど」
「ひがむなよ」と、川村がからかってくる。
「ひがんでないから」
「ほんとかよ?」
義高は表情を曇らせた。
「空しくなってきた」言って、立ち上がった。
「うーん。コンパニオンぐらい呼んでおくべきだったな」
確かに、部屋に置いてあるチラシには、一人、○千円でコンパニオン派遣と書かれている。余分なお金を持ってきていかなった学生達は、一斉に口を噤んだ。
窓に映った自分の顔の向こうを見た。漆黒の闇に、うっすら木々を包み込んでいるような山の輪郭がある。
「ほんと、周りが寂しいよな」川村は呆れる。彼は人目を盗んで、義高達に何度も吹聴していた。
不便を訴える川村とは別に、駅から送迎バスに乗ってきた景色は、彼らの住んでいる地元と重なる部分がなかった。自然に生かされている、或いは機嫌を伺うっているかのように存在する昆虫や、魚、その他の生物と同列に位置している住人達、もちろん観光客も例外ではない。それを自ずと教えてくれるのだ。
「ずっと考えていたんだけど」義高は呟いた。
「えっ?」
聞き返してきたのは菅野だ。
「奥多摩に似ている」と、懐かしんだ。
菅野は大きなゲップを吐いた。自意識を捨てている。酔っ払っている証拠だった。
「あ、そういえば実家、奥多摩だっけ?」
「そう。最近帰ってさ。前とまったく変わってなくて、安心した」
「マジで。俺なんか四年ぐらい親の顔みてないんだけど」
川村は自慢気味だ。すぐさま、菅野が突っ込みを入れた。
「どんだけ親不幸なんだよ?」
「知るか。大学に入りたての頃、小説家を目指しているって言ったら、滅茶苦茶怒られたんだぞ。反対どころか、子供として見ていないんだ」語尾に力が籠っていた。
「まあ……」
菅野は何かを言い淀んだ。恐らく就職活動もせずに、のうのうと生きている子供に嫌気がさしている。それを言いたかったのだろうと、勝手に解釈した。
「会わないのが、親孝行になるんだ」
と自嘲し、「その方が、お互い平和だ」
「違うんじゃない?」
義高は、久しぶりに会った母親の顔を思い浮かべた。
「ちゃんと話せばわかってくれるよ」
「無理だな」
「どうして?」
「両親は、俺に輪をかけて頑固だから。父親は特にな。固物過ぎてびっくりする。言い出したら絶対に曲げない、典型的なB型」
他の家族であれ、悪口を聞いて気分を害した。義高は自分の家庭環境しゃべろうとして、結局やめた。
「恵まれているのかもしれない」菅野は誰に言うともなく、
「うちはさ、不況で就職口が見つからなくても、うるさくないし。就職活動がんばっている風に見せていて、実際は違うし。負い目を感じて来たよ」と、後頭部に両手を置いた。
「いいな。羨ましい」
「でもさ、流石にこのままだと、穏やかな両親だって黙っていないだろうしな」
湿っぽい空気に、地方の番組から洩れてくる音声が流れた。初詣の映像に切り替わった頃、大井と紀子が戻ってきた。
「お邪魔します。と言いたいところだけど、明日早いから寝るね」
つやつやした唇が動いた。
「あ、はい、おやすみなさい」
一オクターブ高音の声で川村が見送る。
「じゃあ、また明日ね」
紀子は大井に言った。「うん、おやすみ」
隣の部屋から、ドアを閉める音がした。大井の肩に腕をからませた川村は声を潜めた。
「なあ、どこいっていたんだよ?」
「いや、一階の居酒屋で飲んでいただけです」
「また~」
「ほんとですって。明日、紀子さんにも聞いてみてくださいよ」
「そんなの信用できるわけないだろ。二人で打ち合わせしているかもしれないし。告白されたんじゃないの?」
「友達ですよ。友達」
「あ~あ~、今の発言、加藤さん悲しむぞ」
日が登る前に、目覚まし時計が鳴った。結局、殆ど睡眠時間が取れなかった四人は青白い顔で身支度を初め、ロビーに集合した。既に四人がいた。
「ごめんなさい。待たせちゃったかしら」
小奇麗な服を着ていた昨日とは打って変わって、紀子は登山用の服装で現れた。メイクも抑え目である。
「いえ、大丈夫です」
「そう、良かった」
と言い、大井の傍らに腰を下ろした。
入口に、送迎バスが到着した。全部で十名ほどが乗り、出発する。
螺鬼山のふもとまでは、常に山道の走行であり、到着するのに五十分は掛った。男女寄り添って座っていた二人以外は寝て過ごし、到着する前に起きた。
朝焼けになっている駐車所には、二台のバスが停留していて、運転手以外は車内で待機していた。
「そろそろ集合時間ですので、場所はあちら」
送迎バスの運転手は、全員に見える位置から指をさした。そこは、シャッターの閉まった店がある広場だった。
運転手を筆頭に、バスを降り始めると、もう一台のバスからもツアー参加者らしき人々がぞろぞろ降りてきた。
「合計で二十人ぐらいか」
川村がポツンと言った。
「いや、あっちのバスからはまだ……」菅野が見たバス、そこからは顔まで白装束に身を包んだ集団が降りてきた。良く見ると、目の部分は薄い生地になっている。義高は目を凝らして数える。八名いた。
――なんだ? ――怪しくね? ――儀式をやる集団かな? ――きっとそうだ。
ツアー参加客は声を潜め、いろんな意見が飛び交った。白装束の集団は一列に並び、そんな様子を気にとめず、淡々と歩を進めていった。やがて登山道に入り、集合者からは見えなくなる。
「え~。寒い中参加して頂き、あ~、まことにありがとうございます」
名札を付けたツアーコンダクターの名は、成宮、七三分けの、気弱なおじさんだ。
「え~鴈道教の皆さまは先に入山して頂いておりまして」
まだ、話が続きそうな気配がした。寒さを隠しきれず、ツアー参加客の視線は厳しい。
「あちらの蕎麦屋さんで、え~朝食を取ってもらう予定でしたが」
――予定変更なのは、見ればわかるだろ。
「あ~ご主人が急病を患いまして。煩悩寺に到着するまでは我慢してもらう形になるわけですが。その~了承ください」
抗議する者はいない。早く出発したいからだ。
「では、参りましょう」
歩き始めた。アスファルトは登山道の入り口までだった。義高と菅野は並んで最後尾になり、細い登山道に足を踏み入れた。土から霜が顔を出し、ザクリと複数の足音が聞こえて来る。
ふと、林の間から、冷たい風が吹き、
――ヒャッキヤギョウハ……
耳に入った。
「今なにか聞こえなかった?」
菅野は首を横に振る。とてもだるそうに。
「寝不足で疲れているんじゃないの。いきなり大丈夫かよ?」
川村が後ろを振り返った。
「なら、良いんだ」
空耳か。忘れようと思った。
しかし、忘れようと試みるたび、余計に……
――ヒャッキヤギョウハ……
という言葉が、心を支配していく。
五歳の時に開眼した読心能力とは別の、直接語りかけてきた何か。義高は身を震わせた。