一話.モラトリアム
一
モラトリアム最後の冬を迎えていた。就職氷河期とされる時期であるが、実際の就職口は開きっぱなしで、学歴なんてものは不必要だった。卒業研究も佳境を迎えている。就職活動を済ませた研究室の生徒が冗談半分で就職先の陰口を披露していた。
「やべえ、社会人になったら、もう遊べないな」
ふざけてみせるツイストパーマ歴三カ月の南条は、後三カ月後にはもとに戻る予定だった。
「んなわけないっしょ。オフィスラブがあるじゃん」
相手したユルカジの北野でさえ、時にはタイトスーツで実験をこなす。現実に沿ってカメレオンになれない人間は、鈍くさいレッテルを貼られたようなものだった。
着実に発表論文の項目は埋まっていく。要領の良い南条と北野は、残りの三人の分まで請け負っていた。
お前たちには期待していないからな。
たまには仕切ってくれよ、無理だろうけどさ。
椅子に仰け反った北野の態度がそう訴えかけてくる。見下すことに慣れていないから、なおさら透けて見えるのだ。高校デビューならぬ、大学デビュー、不良性のかけらもない。それでも就職の決まった残り二人は肩身の狭い思いをしていた。一人は背の高いネット好き、もう一人は純粋なぼっちゃん風の生徒。
就職浪人確定の京理義高は上の空である。アルバイトの話になれば、探偵ではなくスーパーの品出しだとぼやかしていた。
お前には、話してもわからないだろうからな。
何体もの死体を見た話をしたら、泣いちゃうんじゃないの。
自信過剰な態度を取られた瞬間にそう思っていた。精神安定でもあった。
美辞麗句探偵事務所でようやく給料を貰えるようになって二年目となる。派手な事件は頻繁に起こるわけでもなく、地道な作業が着実に世間との繋がりを示し、依頼人から感謝の言葉をもらった瞬間は生まれてきた意味をも発起させてくれた。京理義高の無意識下で芽生えていたかすかな水脈であった。頻繁に任されていた業務は飼っていた犬の捜索であり、時には雑草の茂る公園で、数日の間滞在し、監視する役目を引き受けた。地方自治団体からは要注意人物として警戒され、主婦の井戸端会議のネタにもなった。地元を巡回していた警察に逮捕される寸前で、顔見知りの根本に助けられ、五十日余りの拘束を免れたこともある。居たたまれなくなった義高は、人の役に立ちそうな仕事を要求していた。案の定、金髪の美形探偵ケンジに背延びした業務をこなせる自信はあるのかと問われ、心折れていた。