セラルドという人
「うわあああ!? やめ、ラング!! 助けてくれ!!」
「だーいじょうぶだって!」
呆れたように笑うラングは、もうすっかりユキを信用したらしい。
せっかくこの世界で猫として生きていくなら、みんなに怖がられたり嫌われたりするのは悲しい。
ならば、いくら貴重で強力な魔獣だろうと、何もしなければ可愛い猫なのだと認識してもらうまでだ。
「みゃあ」
ユキは兵に向かってことさら可愛らしく、文字通り猫なで声で鳴いて顔を擦り付けた。
「うあああああ………あ…え、ら、ラング…」
兵は困惑したように、ギギっと固まったままラングに助けを求める。
「甘えてるんだよ。ふわふわで柔らかくて可愛いじゃねえか」
「で、でも…」
最後のひと押し、とばかりに、兵の頬をペロッと舐めてみる。
「うわあっ!?」
驚く顔を間近で覗き込み、大きなまん丸の瞳で敵意は無いですよ〜と訴えかける。
「可愛いだろ?」
「………………………た、……確かに……」
(ふふん、勝ったわ!)
兵が恐る恐る手を伸ばし、肩の上のユキをふわふわと撫でる。
勝手にゴロゴロと鳴る喉と細まる目でユキがリラックスしていると判断したのか、兵の体からふっと力が抜けたのが分かった。
2人の様子を見ていて害がないと分かったのか、周りにいた複数の兵たちも怖々とユキに近付いてくる。
「本当にただの猫みてえだな…」
「ああ、俺たちが怖がってるの分かって、敵意が無いって知らせたみてえだ」
「そこはやっぱただの動物と違ぇってことか」
皆が口々に褒め始め、代わる代わる頭や背中を撫でてくれるのをユキは気持ちよさそうに受け入れていた。
やっぱり可愛いは正義なのだ。
いかに屈強な兵たちと言えど、可愛いの前には無力も同然。
そこまで思ったところで、ユキはある考えにたどり着いた。
(いくら動物嫌いで猫嫌いでも、どうにか直せる方法があるじゃないかしら?)
魔法が存在するこの世界でも、普通の動物は魔獣と違って人間の言葉を理解できないし、当然話すことはできない。
時間をかけて信頼関係を築けばある程度の意思疎通は可能だろうが、そもそもこの世界には動物を愛でるために飼う、という習慣もないのだ。
家畜を世話することはあれど、犬や猫をペットとして可愛がる風習は無く、動物は自然界で勝手に生きているもの、というのがこの世界の常識だ。(もちろんこれはセズから与えられていた知識によって知っているのだが)
であれば、何を考えているか分からない動物という存在を毛嫌いする人間がいるのも頷ける。
だが、ユキは魔獣である。
人の言葉を理解することができるし、使い魔となれば言葉を交わすことだって可能だ。
そしてその魔力で役に立つこともできる。
普通の動物が無理な人間だって、意思疎通がはかれて役立つユキなら、多少心を許す可能性は十分あるのでは無いだろうか。
(いけるっ…いけるわこの作戦!!)
ユキが考えたのは、名付けて「あざとさ全開!セラルドに気に入られよう作戦」である。
その名の通り、とことん甘えてこの可愛さでセラルドを猫好きにしてしまうのだ。
そうすればユキに優しくなって、ユキの心もセラルドの契約魔法を受け入れられるに違いない。
(かんっぺきな作戦よ!)
そこまで考えたユキが、さあ兵たちで練習してやろうと愛嬌ポーズを取ろうとしたその時ーー
「何をしている」
底冷えのするような低い声がかけられ、兵たちが半ば条件反射のようにびくりと立ち上がる。
皆一斉に踵を揃え敬礼をする先にいたのは、相変わらずの仏頂面でじろりと睨みつけるセラルドだった。
「待機の命はどうした」
「…も、申し訳ございません!」
兵の中の代表らしい男が、震える声で謝罪した。
それほどセラルドが切り裂くような恐ろしい空気をまとっていたのだから、仕方ないと言える。
セラルドは地面に座っているユキをじろりと一瞥すると、さらに眉をしかめた。
「何をしている」
「……みゃう」
先程までの作戦はどこへやら、睨みつけられて身が縮こまったユキは、弱々しく耳を垂れさせた。
(そ…そんなに怒らなくても良いじゃないのよぉ…)
確かに勝手に出たのは悪いかもしれないが、何も説明しないで突然いなくなったセラルドも悪い。
………とは言え、そんな反論を言えるわけもなく。
緊張した空気が張り詰めていた所に、幼い子供が駆け寄ってきた。
「きしさまぁ、つぎいつくるのー?」
つぎはぎだらけの服を着て、粗末な靴を履いた5つになるかならないかくらいの少女が、どこからかおぼつかない足取りで現れ、セラルドの服を引っ張った。
(ちょ、なにしてんのー!殺されるわよー!)
いかに非情なセラルドと言えど年端もいかぬ少女を殺すわけはないが、ユキは心の中で少女に叫んだ。
ぐいぐいと袖を引っ張る少女に、セラルドがいつじろりと睨みつけて「失せろ」などと口にするかと冷や冷やしていた。
しかしそんなユキの心配とは裏腹に、セラルドはゆっくりとしゃがんで少女に目線を合わせると、幾分か柔らかい口調で口を開いた。
「近いうちにまた来る。それまで大人しく待っていろ」
「ほんと? いつ? あした? あしたのつぎ?」
「明日と明日の次は無理だが……そうだな、お前があと10回ほど寝たら来るかもしれん」
「じゅっかい? わかった! じゃあいっぱい寝るね!」
「ああ」
(え、え、ええええええええ……!?!?)
目の前で繰り広げられる信じられない光景に、ユキはあんぐりと口を開けた。
あの仏頂面のセラルドが。
口を開けばユキを貶すことしかしないセラルドが。
少女と楽しく会話しているではないか。
相変わらずの仏頂面ではあるし口調もクソ真面目ではあるが、そこにいつもの冷たい態度は無い。
(ど、どういうこと? っていうかあの子誰よ?)
事情を教えろとラングの肩によじ登ると、察したのかラングが小声で教えてくれた。
「…気になるのか? あれはここの孤児院の子供だよ。団長がここの院長と昔馴染みらしくて、時々こうして様子を見に来てる。
食糧や服なんかも、団長が自費で援助してるんだ」
(……な、なによそれ……)
ユキの胸中に、モヤモヤとしたものがわだかまる。
ユキにとってのセラルドは、冷酷で、非情で、動物嫌いの最悪な男だった。
好きか嫌いかで言えばもちろん嫌いだし、みんなも恐れているからそういうやつなのだと思っていた。
それなのに。
「おいリタ! 騎士様が困るだろ!」
「やだー! りた、もっときしさまとおはなしする!」
「わがまま言わないの! ほら、私と絵本読みましょ。騎士様、また早く来てくださいね!」
少女を追ってきたのだろう、まだ幼い子供たちが次々と現れて、セラルドに群がる。
だが子供たちは皆一様に笑顔で、セラルドをとても慕っているように見えた。
ユキの中で、セラルドという人間が一気にわからなくなってしまった。
「……厳しい方だけど、俺、やっぱり団長を尊敬してるよ」
子供たちに囲まれるセラルドを何とも言えない気持ちで見ていたユキの隣で、そう、ラングがポツリと呟いた。
それは誰に向けたものでも無かったように聞こえたが、強いて言うなら自分自身に向けたように聞こえた。
だからユキはそれに返事をせず、ただラングの頬に微かに身体を擦り寄せたのだった。