プロローグ
プロローグはちょっと説明のための文章が並びますが飽きないでください。
「ん………」
目を覚ますと、そこは見渡す限りの真っ白な空間だった。
上も下も右も左も、どこを見ても真っ白。
浮いてるんだか立っているんだかも分からないようなやけにふわふわした状態で、私ーー咲雪は何故か、本当に不思議と、やけにストンと理解した。
「ああ……私、死んだんだ……」
思い出されるのは、1人の少女として生きた記憶。
ひどくぼんやりとしていて上手くは思い返せないけれど、それなりに楽しい人生だったように思う。
「でもなんで死んだんだっけ…」
そう口に出してみても、死ぬ間際の記憶はない。
曖昧にぼやけた思い出が、霞がかった意識の中で揺れるだけだ。
何故思い出せないのだろう。
ーー『それは、貴方の死が運命によってではなく、歪みによってもたらされたものだから』
ふと、どこからともなく声がした。
鈴を転がしたように繊細なような、低く唸るようにザラついたような、不思議な響きが混じり合う声だった。
「だれ?」
ーー『私は生と死の管理人、セズ。常に生と死と共に在り、それを統べる者』
男か女か、大人か子供かも分からない、言いようのない声色が、直接頭に流れ込んでくる。
ーー『本来であれば、貴方の魂はまだこちら側へ来るべきでは無かった。しかし運命は捻じ曲げられ、神の賽は投げられた。もはや後戻りはできない』
「なに……を、言って…」
その瞬間、膨大な情報体が脳内に流れ込んでくるのを感じた。
視認できるものでも何かが聞こえる訳でもない、ただかつて体験したことがあるかのように、知らないはずの情報が体に馴染んでいく。
セズ、と名乗った声の言うことは意味がわからないはずなのに、流れ込んできた情報によって、咲雪は全てを理解した。
それはまるで、水が上から下に流れるように。
葉に落ちた雫が、茎を伝って土に染みていくように。
じんわりと、ゆっくりと、けれど確実に。
そういうものなのだと、理解した。
この世界は、運命と理によって巡っている。
誰が決めたものでもない、ただそうあらんとする理が、運命を運命たらしめるのだ。
だから人が産まれるのも、生きるのも、そして死ぬのも、誰の意思でも采配でもない。
ただそこにそう在って、そう成ったもの。
ーーー本来であれば。
セズが生と死を統べる者であるように、時を統べる者、スノルシュという存在があった。
それーーセズやスノルシュという存在には、男女の概念は存在しないから「彼女」や「彼」という呼称は正しくないーーは、時を司り、時の番人として存在するべき者。
しかしそれはある時、その存在を脅かすほどの大罪を犯した。
愛した人間が老いることに耐えられず、その人間に流れる時を遡らせてしまったのだ。
人に流れる時というものは、運命であり、決して抗ってはならないもの。
ただそこにそう在り、決定づけられるもの。
それを侵すことは誰にも許されない。
それはそう、時を統べる者であっても。
かくしてスノルシュは、時を統べる者でありながら時の理を侵した者として、この世から存在を消された。
生と死を統べる者、セズの手によって。
ーー『説明は長くなりそうだったので直接貴方の中に送った。理解しただろうか』
「……え、ええ……」
理解した、というのは正しくないだろう。
正確に言うなら、まるで初めから知っていたかのように、咲雪の中にあるのだから。
スノルシュが時の理を侵してまで愛した人間もまた、セズの手によってこの世から消えた。
運命に逆らった存在は、運命を狂わせるから。
しかしそれではもう遅かった。
1人の人間に流れるはずだった時が遡ったことで、運命の歯車に歪みが生じたのだ。
運命とは、歪みが生じれば軌道修正をはかろうとするもの。
その歪みは巡り巡って、本来死ぬ予定など無かった咲雪の魂に流れる時間を早めてしまったのだ。
まあ早い話、スノルシュが若返らせた人間の代償として、咲雪の魂の時間は早く流れ、死んでしまったというわけだ。
ーー『貴方に死の記憶が無いのは当然のこと。本来あるはずの貴方の生の過程ーーつまり人生を省略して魂が死へと帰結してしまったのだから』
「……なんとも…笑えない話ね」
こんなことを知っても不気味なくらい心が穏やかなのは、そういうものなのだという情報が頭に存在してしまったからだろう。
取り乱すことも泣き喚くこともなく、咲雪はどこか他人事のように呟いた。
運命の歯車の軌道修正によって弾き出された咲雪は、言わば運命の計算の中には無かった存在。
特に、生と死を司るセズにとっては持て余す存在だ。
何故ならセズの予定する死の中に、咲雪は本来いないから。
生から弾き出され、しかし死にも含められない咲雪が行き着く所はーー。
ーー『貴方にはこれから、別の魂に転生し、本来流れるはずだった残りの時間を生きてもらう』
「転生…」
頭の中に在る情報だとしても、実感は湧かない。
ーー『運命が歪まないようにするため、元の世界には戻せないし同じ人としての生も与えられない。だが貴方に残った時間の分、別の世界で生きると良い』
もう説明は終わりだ、とでも言いたげに、セズの声が遠くなっていく。
「え、ちょっと…そんなこと言われても…」
人ですらなくなった上に、別の世界で生きろと言われて戸惑う咲雪に、セズは辟易したように言った。
ーー『必要な知識とちょっとした力は与えておこう。巻き込んでしまったことへの、ほんの罪滅ぼしだ』
「そ、そういうことじゃなくてええええ!!!」
かくして、咲雪は転生した。
真っ白な毛並みの、猫の姿の魔獣として。