第一章 「想定外を肯定(韻を踏みたかった)」
くどいようだが、僕は現代物理学大好き人間だ。
スマホのロック画面にヴェルナー・ハイゼンベルク博士、
ホーム画面にエルヴィン・シュレディンガー博士を設定する位には好きなんだ。
「ヴィルお坊っちゃま? どうかなさいましたか?」
イギリスのSF作家、アーサー・C・クラーク氏はこう残している。
「高名で年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている。」
「む、相変わらず無表情ですね…… 何を考えているのでしょう」
彼が言うには、科学に不可能など存在しないらしい。
自分も両の足を地につけていた時代にならこれを是としたかも知れない。
自分の信奉する学問をもって不可能とやらを一蹴したかも知れない。
「まさかこの可愛い専属メイドを呼ぶためだけにお声を上げたと言うのですか? お坊っちゃまに懐かれすぎて困っちゃいます……へへ……」
とは言え、何事にも想定外は付き物だ。
現代物理学の父と名高いアルベルト・アインシュタイン博士でさえ、
量子力学の不確定性を「神は賽を振らない」と言って批判したんだ。
彼にとって量子力学の著しい発展は想定外だったに違いない。
「いけないいけない、そろそろご飯の時間です。 お母様をお呼びするので少々お待ち下さい」
あの天才にも想定外は有ったんだ。
ならば僕も、目の前のこの想定外を肯定しようじゃないか。
ーーどうやら僕は転生したらしい。
◇
2度目の生を受けて7年が経過した。
現代日本とは遠くかけ離れたこの世界も、1年は365日のようだ。
7年の間に得た情報を紹介しておこう。
僕につけられた名前はヴィルハルト・フォン・ハプスブルク。
紫色の眼にハプスブルク家特有の黒い髪を持つイカした少年だ。
自分で言うのはどうかと思う隙が無い程度にはイカしてる。
前世の僕……スマンな……。
そして
ーーそう、あのハプスブルクである。
もちろん前の世界のハプスブルク家とは異なるが、公爵家という点は一致している。
僕は王位継承権を持つ皇太子……ではなく側室から生まれた七男。
この爵位も一代限りの物だろう。
文明レベルは17世紀のヨーロッパといった所だろうか。
メイドに聞く限りでは皇帝をトップに据えつつも議会が開かれる、
いわゆる帝国議会が存在するらしい。
ここまで聞くと神聖ヨーロッパ帝国そのままである。
前世で「世界史が出来るクズ」に教わったから間違いない。
しかし、一つ決定的に異なる部分が存在する。
魔術の存在だ。
窓の外で兄貴、姉貴達が手から炎を出したり暴風を起こしたりしているんだ。
科学原理主義者だからといってファンタジーに憧れた時代が無かったとは言えない訳で、
その時は妙に興奮したのを覚えている。
なにせ未知の現象が目の前に降ってきたんだ。
猫にCiaoちゅ〜るとはこの事だ。
科学的解明を急がねばならない。
勘違いしている人が多いのだが、物理は公式を絶対として現象を記述する学問ではない。
ma=Fだから、これだけの大きさの力を与えるとこの物体はこれくらいの加速度で運動する、
ではないのだ。
これだけの大きさの力をこの物体に与えたらこれくらいの加速度で運動した、
からma=Fなのである。
ごめん、分かりにくいな。
簡単に言うと、重要な物理学の公式のほとんどは人間が立てた仮説と自然現象を照らし合わせて作られる、「予想」に過ぎないという事だ。
つまり目の前に立ちはだかるのがたとえ魔法であったとしても、
僕の仮説を通して「対話」すれば良いだけの話なのだ。
「話し相手」が空から降ってきたのだ。
こんな面白い事を放っておくわけには行かないな。
「ハッ、ヴィル様が笑っていらっしゃる!?」
「……まるで僕がいつも無表情みたいな言い方じゃないか」
「まさか自覚が無いとは思いませんでした……」
後ろを歩いているのは専属メイドのアメリア。
ゆるりと纏め上げられた長い黒髪と優しげな碧眼が特徴の彼女は、今年で20歳になる。
メイドとはいうものの市井の出ではなくハプスブルク家の分家出身らしく、
立ち振る舞い、容姿から貴族の雰囲気が滲み出ている。
僕が出会った中で一番天窓から注ぐ光が似合う女性だ。
多忙な母に代わって生まれた時から世話をしてくれている大事な人だが、
どうにも彼女は僕の表情を見分けることが出来ないらしい。
心外だよ、まったく。
「それで、僕の師とやらはもう来てるの?」
「はい。 応接間にいらっしゃいます」
そうそう、実は今日僕にとって一大イベントがあるんだ。
「お待たせしました。ヴィルハルト様が到着なさいました」
初の魔法授業である。