いない
先程までガタガタと暴れていたロッカーが、しんとなった。
その中を開けてみればモップ、塵取り、バケツなどの掃除用具が入っている。
「メモが落ちてる」
バケツの手前にはメモ、厳密には四角い付箋の様なものが不自然に落ちている。
しかし、先ほどまで動いていたロッカーに不用意に近づくほど私も馬鹿ではない、フワリンにモップと、そしてそのメモを取るように指示をした。
「モップ?なんでー?」
「何だっていいでしょ、早くして」
いつまた怪異が現れるか分からない、そんな恐怖が私を付きまとい、そして異様に急かした。
そして、メモとモップを受け取った私は、罠がないか注意深くメモを調べる。
懐中電灯でメモを照らし裏、表と調べる。メッセージは表にしかない、そして私はそれを声に出して読んでみる。
「旧校舎の3ーC」
そう呟くと、突然メモは朱の色に染まり、でろでろとした生暖かい血となり、私の腕から溢れて、そして肘に伝ってポツン、ポツンと一滴づつ溢れた。そして慌ててモップをガタンと落とした。
「──!?」
「血が!どういうことー」
その異常な光景に全身が凍ったかのような寒気に襲われる。
これは、血じゃない──冷静を装うために、取り乱さないために私はそう自分に言い聞かせるしかなかった。
じゃあ何?なんなのこの液体、妙に黒ずんでいて、そしてツンと鼻を通る鉄の匂い。
「うぇ……なんなの、気味が悪い!」
旧校舎、行かなきゃダメなの?なんで、私が?
行くしかないの……。
吐き気に襲われる、でも進まないと状況はきっと打開できない。
これは保身だ、早くこの事態を解決することは自分が危機にさらされる時間も当然少なくなるという訳だ。
そう自分にまるで洗脳するかのように言い聞かせ、私は教室から出る。
「発光」
この懐中電灯が複数持てないか試すと、私の予想通り二つに増えた。
もう一回発光を使うと、片方の、最初に使っていた懐中電灯がパッと消え、置き換わった。
最大二つまで懐中電灯を出現させることができるらしい、どういった意図なのかはわからないがそういうものだと受け取るしかないだろう。
「フワリンも持って、しっかり照らして」
「わ、わかったー」
これで光が多くなる、後ろは任せて私は前を見てればいい。
そうして確かな足取りで、心臓の音をバクバクさせながら私は旧校舎へと向かう渡り廊下を通る。
気味の悪い月の光が私たちを照らし陰を作りだす。
自分の影を見て不気味に思う、まるでもう一人の自分、心の奥底にいる自分が嘲笑っているかのように思えて仕方がなかった。
1分も経たないくらいの時間で、私は旧校舎前に到着した。
旧校舎に入るためのドアにはなぜか木の板が釘で打ち付けられており、私だけの力ではどうにもなりそうにない。
警備さんを呼びに行けばなんとかなるかな──
「ドウシタノ?」
「ひゃああぁぁぁぁっ!?」
すぐさま後ろを振り向く、そこに立っていたのは……。
「け、警備のおじさんですか、びっくりさせないで下さい!」
「ご、ごめんよ!教室の解放が終わったから。それでこんなところで何していたの?」
「いえ、旧校舎に行けってメッセージが。なので中に入ろうとしたんですけど──」
そう言うと、警備さんは、扉の前に立つ。
ふーむ、と色々な場所を調べている様だ。
「別の出入り口はないかな」
「あぁ、確かに。でも」
私はチラリと外の方を見た。
不思議な力が邪魔をして渡り廊下よりは外に出られなかったのだ。
でももしかしたら中庭に続く方の道には行こうとしてなかった事を思い出し、試しに手を突き出してみる。
何かに当たる感触はない、そのまま歩を進めてみた。
「え……いけ、た?」
「これは進展だね!」
結界のようなものに阻まれることがなく、私はすんなりと中庭に足を踏み入れたのであった。
中庭には、沢山の植木鉢、花壇。ホースなどの園芸の道具があった。そこで私はモップを置いて来たことに気づく、武器にならないかと考えていたのだけど──多分ならないと思うしもういいか。
ざっ、ざっと砂利の混じった土を踏みながら、中庭を進んでいく。
辺りを見回すと、旧校舎の窓が見える、後ろには校舎の窓が。
窓を一つ一つ注意深く観察していくが、特に何もない。いや、何かあった方が嫌なのだけど。
そのまま進むと、旧校舎の裏に辿り着いた。
「あっ、あった!」
「扉だー」
因みにフワリンは、私以外に人が居ると急に無口になるようだ。
声は他の人に聞こえてしまうのか?──え?
「そんな」
私はぐるりと周囲を四望した。
嘘だ、そんな筈──警備さんが居ない。
さっきまで一緒にいたのに!
「なんで、なんでいないの?おかしいよ、さっきまでいたのに!」
「え?ずっと一人だったよー」
信じられないような言葉がフワリンから紡がれる。
ずっと、一人だった?それじゃ、さっきのは一体。
一体なんなの?ねぇ、さっきまで確かにいたはず!え?わからない。ワカラナイ。最初からもしかして居なかったの?全部私の妄想だったの?いや、そんな筈がない!なんで?しっかり、触ったし声も聞いているはずだ。
もう訳がわからない、なんなのここ。
なんなの………
「あは、ははははっ!はははははっ」
「アンナ!?」
「もういいよっ、行こう!何が何だか分からなくなっちゃった」
わからない、わからない。でも進むしかない。
私は、旧校舎裏にある引き戸に手を掛け、ガラリと開けた。
中は当然暗い。
私は懐中電灯で中を照らした。
「3ーCだったはず、そこに行かないと、行かないと……」
まるで悪い何かに取り憑かれたように私は進んだ。
階段を登り、また登る。カツカツと音を立てて、昇っていく。
ははは、なんだか楽しくなってきたかも。
「待ってよ!行っちゃダメだよー!」
「え?」
後ろを振り返る──待って、私は今何をしようとしてたの?階段を登って、そのまま……。
フワリンの奥を見る。それに対し、私はありえない、という恐怖を感じた。
この階段の先は──と考えると全身が凍ったような感覚に囚われる。
「この先は……5階」
私の目の先には、4と記された数字。
上を見ると、階段はまだ続いている。屋上に行く気配もない。
もう、いったいこの学校は……何なの。
何が起きてるの、怪異?もう許してよ、やめて。私に関わらないで!
心が、理性が崩壊しそうになるのを耐える。
ああ、私は。
もう逃げられないんだ。