理系魔王は質量保存の法則について語るそうです
愛用のマントは穴だらけで、焼け落ちた部分や切り裂かれた跡も所々に見られ、面積で考えれば半分も残っていないだろう。
実用性度外視で作られた見た目重視のこの鎧も、無駄な角とか突起が折られ、ただの黒い鎧に。
魔王の威厳を司る小道具が耐えきれなかったことを考えれば、如何にこの戦いが激しいものかわかるはずだ。
「フハハハ! ここまで我を追い詰めたのは貴様で1024人目だ。やったな、キリ番だぞ!」
「微妙に多いな! てか24人オーバーしているのに、どこがキリ番なんだよ!?」
十八番である理系ジョーク(本人は至って真面目)を飛ばしつつ、俺はどうやってこの戦いを終わらせるか考えていた。
ここまでの戦いが互角だった以上、なんの兆候もなくいきなり強くなるのは、手を抜いて戦っていたことがバレそうで不味い。
だから何らかの演出をして『第二形態!』と叫べば、事はまるく収まるのではないのだろうか?
問題はその演出なのだが……
「フハハハハッゲホッごはっ、ん゛。こうなってしまっては仕方がない。我も久しく使っていなかったが『アレ』を使わねばなるまいな」
「なッッ!? 『アレ』ってなんだ!」
「アレはあれだ」
「……いや、アレって結局なんだよ」
あ、やべぇ。魔王の威厳が急速に亡くなっていく気配が。
「フッ、そうか、貴様は知らないらしいな」
「何がだよ」
「そう、アレは我とて思い出すのに苦労するほど昔に使っただけだ。人間共の言い伝えにも、流石にアレはなかったのであろう」
「そ、そんな。……結局アレっt」
「貴様は最近の勇者にしては骨のあるやつだった。……見せてやろう、我の第二形態を!!」
やべぇ、まじでやべぇ。
魔王の威厳を守らなきゃ、と勢いで『第二形態』って叫んじゃったけど、言っただけで何も起こらないのは絶対におかしいよな。
うーん、苦しいが最初に思いついた演出でいこう。
「なっ、床が動いている。地震か」
「貴様はなぜ我が城から出ないか知っているか?」
「それは異世界だから……いや、よく考えたらおかしいだろ。どうしてお前自身が動かない?」
「そうだな、いくつか理由はあるが、これがその一つだ」
「魔王城の壁や天井、いや床までもが、まるで魔王に取り込まれるように移動しているっ!」
「この魔王城は我自身、つまり我は魔王城そのものに、力を封印していたと言っても過言ではない」
まるっきり嘘だけど。
「ほれほれ、早く逃げないと城の崩壊に巻き込まれるぞ」
「クソッ」
逃げていく勇者をそっと追いかけながら、俺は彼のいる場所に合わせて幻覚魔法を変化させる。
自分がやっておいて何だが、何もないところで『天井が落ちてきた!』と叫びながら飛び退くのは、コントを見ているみたいで笑いそうになる。
「はぁ、早く俺も幻覚魔法以外を使えるようにならなきゃなぁ」
そうすれば、勇者にも恥をかかさずに済むだろう。……多分。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「はぁ、はぁ」
「よく逃げ切ったな、勇者。瓦礫に潰されて死ぬような間抜けでなくて安心したぞ」
実際は幻覚だとバレないように、勇者が瓦礫に当たらないようにしたけど。
すべての感覚を幻覚魔法によって操っていたが、ないものに触れようとすれば、現実の身体の位置と幻覚に誤差が出て気づかれてしまう。
魔王が幻覚魔法しか使えないとか、あまりにもかっこ悪すぎる。隠し通さなければ。
「魔王城が……」
勇者には『魔王城のかけらが魔王に取り込み尽くされ、ただ岩の地面のみが続く大地』が見えているはずだ。
ついでに自分の見た目も一新。と言っても、黒いオーラが見えるようになるだけだ。意味はない。
幻覚魔法を使いつつ、魔王城に近寄らせないように戦うのは、かなりのハンデになるだろう。
それでも部下たちと『念話囲碁』をしながら戦うよりは、いくぶんか真面目だ。
「これで魔王城は再び我のエネルギーとなった」
「ば、バカな」
「どうだ、恐れを抱いたか? 小うさぎのごとく怖がるか? それとも――」
「質量保存の法則に反している」
「……」
は? 何を言っているんだ、こいつ。
「質量保存の法則? 何やら聞き間違いをしたらしいが、貴様、さっきはなんと言った」
「あの魔王城を取り込んでスムーズに動けるなんて、バカげている。質量保存の法則から考えれば、今の魔王には城一つ分の体重はずだ。だって質量保存の法則は絶対なのだから!」
「お前、わざと地雷を踏み抜きに来た訳じゃないよな?」
わかってて言っているのでは? と思うほど的確に間違った発言をしてくれる勇者(馬鹿)。
馬鹿は嫌いじゃない、嫌いじゃないが理系の用語を使うとなれば、話は別だ。
「……愚かな貴様に、二つ、講義をしてやろう」
「講義?」
「ああ、講義だ」
今にも『何言ってんだ、こいつ』と言い出しそうな目で俺を見る勇者。
俺にとっては勇者こそ「何言ってんだ、こいつ」な訳だが。
「貴様、理科の教科書はきちんと読んだのか?」
「理科の教科書って、理科があるのは中学校までだろ。一応俺は高校生だ、理科の授業なんて存在しないな。引きこもってたけど……」
「フン、まるで貴様は『中学校までの範囲は完璧だ』とでも言いたげではないか」
「ああ、当然だ。むしろ中学校の理科がわからないなんて、バカだけだろ」
「貴様がその馬鹿なんだよ!」
ソフトに勇者を蹴り飛ばす。殺したら教会に戻ってしまうからな、言いたいこと言い終わるまでは帰さん。
「ぐはっ」
地面に倒れた勇者に近づき、講義を続ける。
「質量保存の法則の説明にあっただろう。『化学変化の前後では』という一文が」
「……? あったか?」
「あるわ! なかったら出版社にクレーム入れるわ!」
「どっちでも良い」
「良くねぇよ」
「例えそうだとしても、化学変化で質量が変わらないのなら、質量が変わることなんてありえないだろ」
これだから馬鹿は。
いいや、馬鹿と一括にするのは良くない。
馬鹿は馬鹿でも、自分が馬鹿だと理解している馬鹿を被った賢者と、自分が馬鹿だと認識していない真正の馬鹿がいる。
後者からもさらに二種類に分類できる。馬鹿ではあるがうざくないやつと、うざいやつ。
こいつは後者の後者。救いようのないうざい馬鹿だ。
「E=mc²の式は知っているだろう」
「いーいこーるえむしーにじょう、ってなんだ? 美味しいのか?」
「やっぱり黙れ、ニー転移者が!」
「ニー転移者って何!?」
まさかE=mc²すら知らないとは。
ソフトキックで勇者を飛ばし、俺もジャンプして勇者に近づく。
「原子力発電、もしくは原子爆弾なら流石に知っているだろう。いや知らないとは言わせない」
「お、おう」
「あれは質量保存の法則をもろ無視した物だぞ」
「嘘だ」
「嘘なわけあるか。じゃあどうして、あれだけの大きなエネルギーを取り出せたと思っている」
「そりゃー、燃やして?」
「やっぱりニートはニートか」
「に、ニートニート言うな!」
「ただ燃やしているだけならわざわざ『原子力発電』などと呼ばなくとも、火力発電の亜種でも構わないではないか」
「あ……」
ただでさえ魔王の目の前で倒れているのに、唖然とした顔が加われば情けないことこの上ない。
容赦するつもりはないけど。
「あれは物体の質量を熱エネルギーしている。学校の授業で習った広島や長崎の原爆でも、小数点第一位を四捨五入して1グラムほどの質量欠損が起きていた、と推測されている」
「1円玉1枚分軽くなったのか」
「そうだ。E=mc²のEはエネルギー、mは質量、cは光速……まぁ、とてつもなく大きい数字と思えばいい。それらがイコールで結ばれているということは、質量はエネルギーに変換できるということだ!」
ここまで話して、ようやくこの勇者も理解したようだ。
「同様に考えれば良い。核反応がなぜ化学反応と呼ばれないか、それは化学反応とは別の反応であるからだ」
化学反応の前後では、という一文はこのためにあったのだ、と心の中で呟く。
「どうだ、核爆弾でも1グラムしか減らなかった質量が、我は城をまるごとエネルギーに変換している。畏怖するが良い」
「お、おう。何かすげえな」
完全には理解していなかったか。まぁ、何となくでも凄さがわかればいい。そもそもそんなことしていないし。
「ちなみにだが、太陽も同じで質量を失い続けているぞ」
「え? それじゃあ、いつの日か太陽がなくなってしまうじゃないか」
「そうだぞ。尤も、太陽の質量に比べれば減っている重さなど微々たるものだ。太陽の死よりも種族の死のほうが先に訪れるであろう」
剣を振り上げ、俺は勇者に狙いをつける。
「質量保存の法則が絶対でないとわかっただろう。次に二つ目の講義だ。魔法使ってんのに科学法則が当てはまるかけないだろがぁ、ボケェ!!」
振り下ろした剣は勇者の首を切り裂く。その瞬間勇者の体、武器や防具は光を放ち消えた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「魔王様、それ、ロンです」
下家、つまり右隣にいた四天王の一人、フォンゼに振り込んでしまったようだ。
「くっそー、わかってたけど、リーチしたら逃げられないんだよ」
「魔王様はリーチに頼り過ぎです」
背後から聞こえたセリナの指摘に対し、思わず俺は愚痴ってしまう。
「それもそうだけど、四天王がボードゲームに強いんじゃないのか? 将棋もチェスも、囲碁もオセロも、何一つとして勝てた覚えがないぞ」
しかも全員未経験者だ。俺も未経験者の一人なので、急速に成長する四天王と互角に戦えるのは、1回目の最初だけだった。2回目以降は人を変えても、前の戦いから学んでいるので歯が立たない。
不完全情報ゲームならワンチャン、とも思ったが、結果はこの有様。
参謀も務めてしまうほど賢いセリナと交代してもらって、四天王ではボードゲームが弱いほうの3人とやったが、それでも勝てる気さえしない。
「ここまで来れば奥の手だ。次はすごろくで勝負だ!」
運ゲーなら馬鹿な俺でもワンチャン――
「魔王様」
「なんだ、セリナ?」
回転しない椅子に座っているので体の向きは変えられないが、顔だけは振り向いてセリナを見る。
魔王だ魔族だと言われているが、基本的な構造は人間と同じ。セリナも美形であることと、四天王と魔王しか持たない黒髪であることを除けば、どこにでもいる人間にしか見えない。
前世基準ならばこのままでも十分普通だ。
その顔には苦悩が伺えた。
「……もし今の状況が苦痛であれば」
「あぁ、そういうのはいいよ」
「ですが、魔王様は人間でした。謂れのない罪で勇者などという輩に責められるのは、肉体的に強い魔王様でも負担となるはずです」
「うーん、否定はできないけど、セリナだけじゃなくてみんなも、状況としては似たりよったりなものでしょ。俺だけ楽するってのはちょっとなぁ」
「しかし」
「ペーシャ、ここはフニャっと言ってやれ」
向かいにいる少女、ペーシャに援護を頼む。
「そうだよ、セリナは難しく考えすぎー」
「そうだぞ、セリナ。俺はこんなやつに、ポーンだけでチェックメイトされる馬鹿だ。悩みなんてあるわけ無いだろ」
……あの舐めプは許せなかったけど、ポーンが俺の駒を喰いながら集まっていく様は、今思い出しても恐ろしい。
ペーシャに再戦するときはポーンを外してもらおう。というかクイーンとキングだけで良い気がする。
「先日の勇者には腹を立てていた様子でしたが」
「あれは別だ。勇者とか魔王とか、そういう関係抜きに嫌いなタイプだっただけだ」
「そうですか……」
「鎧とかマントの修理もしてくれているし、感謝こそすれ、恨みをぶつけることは一生ないよ」
できるだけ不安をかけないように、満面の笑みを浮かべて言い切る。
そう、来る時に人類が生き残れるのなら、俺は……