第四話 スーパースター
ラウンドインターバルへ。
完璧なタイミングだったのに……。ソ連十字がすぐ抜かれてしまった……。さすがに柔術の黒帯保持者だ……。次のラウンドはあれしかない……。
凱さんが椅子とタオルを。西田さんが水の入ったドリンクボトルとアイシングバッグを。横光会長がバケツを、それぞれに持って金網の中に入る。僕が椅子に座ると、西田さんは僕の首の後ろにアイシングバッグを当てる。続けて僕にドリンクボトルを渡す。僕はドリンクボトルの水を軽く飲む。
「惜しかったぞ。さっきの十字が極まっていればな……」
「でも、誰がどう見ても、一成くんのラウンドだったよ」
横光会長がそう言うと、僕の全身をタオルで拭きながら凱さんは言った。
「ただ、厄介な奴だな。尻餅攻撃にあのグラウンドテクニックだ」
「ええ。でも、まだ作戦はあります」
西田さんが困ったようにそう言うと、僕は冷静に言った。
「そうか。真のチャンピオンの力、見せてやれ」
「はい。任せてください」
第二ラウンド開始のゴングが鳴り響く。早速、ゴームズ選手はマットに尻餅と手を付きながら今度はトリッキーな蹴りを放つ。マットに尻餅と手を付きながらのローキックやサイドキックやハイキックに加え、バックスピンキックも放ってくる。だが、僕はよく見て冷静にこれらをガードする。狙いは定まった。
僕の狙いはゴームズ選手の脚だ。僕はサイドキックを放つゴームズ選手の右足首を左手でがっちりと掴む。すると、ゴームズ選手は僕に左のミドルキックを放ってくる。
今だ。僕はゴームズ選手の左のミドルキックを脇腹と腕に挟む。直後、即座に体を左へ反転させて逆エビ固めに移行する。移行する瞬間に左足の方もしっかり自分の左脇に挟んだ。大歓声の中、セコンドの声が聞こえる。
「行けー! 一成くーん!」
凱さんの声だ。
「おらー! プロレス技見せてやれー!」
西田さんの声だ。
僕は渾身の力を込めて、ゴームズ選手の両足を脇に挟み背中に乗った。完全に極まっている。すぐにレフェリーが慌てて止めに入り、僕の勝利が決まる。最後は体勢的にタップしたのが分からなかった。でも多分すぐにタップしたのだろう。
英語の場内アナウンスによると、試合決着時間は二ラウンド一分四十七秒。逆エビ固めで僕の一本勝ち。それにしても凄い歓声だ……。当然と言えば当然か……。まさかプロレス技で勝負が決まるなんて、誰も想像していなかったのだろうから……。
さあ、選手退場だ。
「勝ったよ……。七海ちゃん……」
「良かった……。一成くん……最後……凄くかっこ良かったよ……」
僕がVIP席の七海ちゃんにそう声を掛けると、七海ちゃんは涙ぐみながら言った。
「ありがとう……。七海ちゃん……。今日は、七海ちゃんが応援に来てくれたから勝てたんだよ……。まだ、山岸さんの試合もあるから、是非応援してあげて。相手があの的場選手じゃ、きっと今日は、山岸さんがヒールにされちゃうと思うんだ……」
「うん。分かった。応援するよ。私達にとっては、的場選手の方がヒールだね……」
「あはは……。本当にそうだよ……」
ついに山岸さんの試合が始まる。僕は前列の選手用特別席での観戦。先に青コーナーの山岸さんが入場し、次に赤コーナーの的場選手がお面を被って入場する。的場選手は誰もが知るスーパースターなだけに入場から物凄い歓声だ。お面を外し観客席にそれを投げ入れるとさらなる大歓声が飛ぶ。入場を終えた後の選手コールでも的場選手には大歓声だ。
山岸さんと的場選手は金網の中、レフェリーの前で向かい合う。マウロー戦以来、山岸さんは完全に柔道着を脱ぎ捨てている。あれからずっと、左側に横光道場と白い文字で縦に書かれた短パンサイズの黒いファイトショーツ。一方、的場選手はKとMという大きな白い文字が後ろに書かれた短パンサイズの黄色のファイトショーツ。自分のイニシャルが書かれたファンにもお馴染みのファイトショーツだ。髪は真っ赤な色。どうやら、黒かった髪を若かりし頃のように赤く染めたようだ。
驚くべきはその肉体。負け込んでいた頃の年齢を感じさせるような肉体とは違う。完全に作り上げてきたと言わんばかりの、張りのある肉体を取り戻している。明らかに五十代の肉体ではない……。全盛期の頃のような肉体だ……。しかも当時よりシェイプされている……。一体どんなトレーニングを積んできたのだろう……?
的場選手は身長が一八○センチちょうど。昔、ヘビー級の外国人選手とも同等に渡り合っていた選手。山岸さんの強さは僕が一番知っている。だが、今日の的場選手の肉体の仕上がりを見ると今回は嫌な予感がする……。
試合結果は僕が感じた嫌な予感通りに。第三ラウンドの中盤で的場選手の一本勝ちとなった。
第一ラウンドと第二ラウンド、サウスポースタイルの的場選手のトリッキーな動きに翻弄された山岸さん。それでも、山岸さんは前に出てアグレッシブに打撃をヒットさせたり足払いでテイクダウンに成功した。一方、山岸さんにテイクダウンされた後、高いグラウンドテクニックで山岸さんの打撃やサブミッションを封じた的場選手。的場選手はトリッキーな動きから急に繰り出す高速タックルで、逆に山岸さんをテイクダウンするシーンも見せた。それから、山岸さんをテイクダウンすると上からモンゴリアンチョップやパウンドを放った。
そして第三ラウンド、山岸さんが的場選手からバックを取ってその体を両腕でがっちりと捕まえた時。的場選手は後ろから手を回す山岸さんの左手首を右手で掴んだ。的場選手はその左腕にアームロックを仕掛けた。仕掛けると、山岸さんの左腕を捻りながらマットに投げ付けたのだ。その際に山岸さんは左肘を脱臼した。即座にレフェリーが試合を止め、的場選手の勝利が決まった。
僕は気付いていた。的場選手が山岸さんにバックを取らせるようにわざと背中を向けたことを。相手にバックを取らせてからのアームロックは的場選手の得意技。実は以前、僕は勇斗に見せてもらった的場選手の試合の映像や動画で何度かそれを見ていた。悔しい……。僕が山岸さんにあの技に気を付けるように、一言言っておけばこんなことには……。山岸さんに初黒星を付けてしまったのは僕の責任だ……。
勝負は残酷だ……。スーパースターの勝利に会場内は大歓声に包まれている。やはり的場選手の人気は圧巻だ。恐らく、山岸さんが勝っていたら会場はここまで大歓声に包まれなかっただろう。
第五話 的場和輝ラストマッチ へ続く……




