第十話 二人の溝
現在、十二月の中旬。もうすぐ西洋大学の編入学試験の合否発表が通知される頃。僕は十二月の上旬に西洋大学の編入学試験を終えた。試験では小論文の後に面接が行われた。小論文では僕にとっての「経営学を学ぶ意義」を論じた。つまり、僕の経営学を学ぶ動機を上手くまとめたのだ。
将来自分の道場を持つ夢。それから、親を亡くした子供達や恵まれない子供達のために武道施設の充実した養護施設を設立する夢。そのために経営学を学ぶ必要があることを論述した。面接でも経営学を学ぶ動機や将来のビジョンをアピールした。これもつまり、小論文で書いたことと同じ内容を一貫してアピールしたのだ。ただ、本音を言うと僕が西洋大学へ編入したい一番の理由は、七海ちゃんと一緒にいたいからだ。
後日の午後、僕は短大から家に帰った。にこにこした嬉しそうな顔で母さんが僕を玄関で迎える。
「一成、おめでとう。合格よ。お母さん、待ちきれず先に、西洋大学からの通知を見ちゃったのよ。嬉しいわ。一成が合格してくれて。今日はハンバーグ作っておくから、道場の練習といつものトレーニングが終わったら、レンジでチンして食べなさい」
玄関で母さんは嬉しそうに言った。
「ありがとう、母さん。まあ、多分合格してるだろうなとは思っていたんだ。小論文でも面接でも、自分の伝えたいことはしっかり伝えられたしね」
良かった。僕は来年の春から西洋大学の三年生になるんだ。新しい学生生活を送ることになったんだ。ただ、大学は都内だからもうこの家からは通えない。僕は佐野本市を離れなければならない……。父さん、母さん、雪音、琴音ちゃんとお別れになる……。それから、山岸さん、西田さん、横光会長、横光道場のみんなとも……。
ちなみに雪音は病院の栄養士となることが決まった。佐野本市内にある病院へと勤務することが決まっているのだ。雪音は佐野本市に残る。一方、僕は都内へ行くことになる。
僕は新しい世界へ向かうわくわく感を感じているところだ。同時に、雪音に会えなくなるなんとも言えない寂しさも感じている……。
時は流れ僕は短大を卒業した。もうすぐ西洋大学の三年生になる。新しい学生生活を送るのだ。もう都内への引っ越しの準備は住んでいる。新しい住居は大学がある区内の駐車場付きマンション。八階建てのマンションで部屋は六○三号室。
僕は横光道場のみんなにはそれらのことを伝えてある。だが、雪音と琴音ちゃんにはどうしても伝えられなかった。ただ、雪音と琴音ちゃんのお父さんとお母さんには伝えてあるのだ。そして、二人とお別れになることを最後まで言わないでほしいと頼んでいる。僕は雪音と琴音ちゃんの二人とはずっと自然に接している。クリスマスは三人で一緒に過ごした。
大晦日には僕は鉄神に出場した。雪音と琴音ちゃんだけでなく、前回と同じく七海ちゃんと咲良ちゃん。さらになんと、竜二と姫華も応援しに来てくれた。大会の会場はもちろん格闘技の聖地、埼玉ハイパーアリーナ。
僕の対戦相手はアメリカ人選手、カミール・ピーターソン選手。世界最強とも言われるアメリカ最強の総合格闘技団体。ヘブンリー・ファイティング・チャンピオンシップ。通称HFC。そのHFCの元ライト級チャンピオン。二ラウンド目に僕は右パンチのフェイントからのタックルでピーターソン選手をテイクダウンした。続けて運良くサイドポジションを取ることに成功した。最後はピーターソン選手に袈裟固めで一本勝ちを納めたのだ。
同じく、山岸さんも鉄神の試合に出場した。山岸さんの対戦相手はダンクラスの現ウェルター級チャンピオン、大木ジェイソン選手。結果はマウントポジションからのパウンドで山岸さんのKO勝ち。僕と山岸さんは師弟揃って勝利を上げることに成功したのだ。
僕と山岸さんのセコンドには西田さんと横光会長。それから、横光道場の副会長の凱さんが付いてくれた。元々、僕が山岸さんのセコンドに付く前は凱さんが山岸さんのセコンドに付いていたのだ。西田さんと凱さんはリングの外から大きな声で指示をくれた。
大会終了後は前回と同じくファミレスで打ち上げをした。また横光会長の奢り。打ち上げには、横光道場のみんな、雪音、琴音ちゃん、七海ちゃん、咲良ちゃん。それから、竜二と姫華も参加した。
僕は打ち上げの時感じていた。七海ちゃんと雪音の間に明らかに溝があるのを。僕が七海ちゃんと話をしていると雪音は悲し気な表情を。逆に、僕が雪音と話をしていると七海ちゃんも悲し気な表情をしていた。七海ちゃんと雪音の二人が目を合わせたり会話したりすることは一度も無かった。それどころか近付くことすらなかったのだ。
年が明け二月には、僕と雪音と琴音ちゃんの三人は僕の車でハンターマウンテンにスノーボードをしに行った。バレンタインデーには僕は雪音と琴音ちゃんの二人にバレンタインチョコを貰った。もちろんホワイトデーにはお返しをした。今年は直接二人の家へロールケーキを持っていったのだ。二人には毎年貰っている。だから毎年お返しをしている。
僕は雪音と琴音ちゃんの二人とは最後のお別れまで自然なままでいようと思っている。そうでないと、僕は二人とお別れになる寂しさで自我を保てなくなりそうだからだ。
明日は都内へ旅立つ日。僕はもう横光道場のみんなにはお別れを告げ、先日付けで横光道場を辞めている。横光道場のみんなは先週近くの宴会場で僕のために送別会をしてくれた。だが、僕はその後もぎりぎりまで横光道場の門下生として練習を続けていた。昨日の練習終わりにはみんなが書いてくれた寄せ書きを凱さんから貰ったのだ。
夕焼け空の下、僕はウエストバッグを付けて歩く。歩いてすぐ近くの雪音の家へ向かう。ウエストバッグの中には雪音のために買った指輪。それから、それを入れてある外側がピンク色で中が白い丸いリングケースが入っている。雪音とのお別れの日のために二月中に都内で購入した物。指輪のサイズは9号。七海ちゃんと同じく中指にはめることを想定したのだ。
雪音とはかれこれ二年以上一緒にいる。指のサイズもおおよその見当がついていた。七海ちゃんと同じくらいだと。実際、車の横で雪音が寝ている時こっそりビニールメジャーで計ったことがあった。ブランドはジュディスというブランドで価格は十万円弱。細いピンクゴールドのリングに小さなダイヤモンドが一周散りばめられている指輪だ。
明日、僕は旅立つ。だがそんな中、雪音に誘われて今日は雪音の家に泊まる予定だ。僕は雪音が寝ている間に指輪を嵌めて、置き手紙を置きこっそりと雪音の家を出て自分の家から車で出発しようと思っている。
僕は夕飯を食べさせてもらった後、風呂に入れさせてもらった。今は雪音の部屋で琴音ちゃんと一緒にくつろいでいる。雪音の部屋の机の上には僕と雪音のツーショット写真。それから、琴音ちゃんも加えた三人の写真が立てられている。僕が風呂へ入った後、琴音ちゃんが風呂に入った。もうすぐ雪音が風呂から出る頃だ。
雪音が風呂から出て部屋に戻ってくる。
「一成、これ一緒に飲まないか?」
部屋に入ると、雪音が缶カクテルを二本持って僕にそう聞いた。
「ああ。せっかくだから、飲ませてもらうよ」
「お姉ちゃん、ウチのは? 美味しそう。ウチも飲みたい」
「あのなー、これはカクテルっていって、ジュースじゃねーんだぞ。酒なんだよ。酒。琴音が飲んだら毒なんだよ。未成年は飲んじゃダメなんだ」
琴音ちゃんがそう言うと雪音は仕付けるように言った。
「だって、美味しそうなんだもーん。お姉ちゃーん、一口だけでいいからー、開けたらウチにも飲ませてよー」
琴音ちゃんが駄々っ子のように言った。
「いいかー? 琴音。未成年のウチからこんなの飲んだら、脳味噌が育たなくなって、勉強だってできなくなって、成績がどんどん落っこっちゃうんだ。だから琴音は飲んじゃダメなんだよ。分かっただろ」
「脳味噌~? ほんとー?」
「まあ、そうだね。アルコールは脳を萎縮させるんだ。だから琴音ちゃんには毒だよ。だけど琴音ちゃん。二十歳になったら飲めるから、それまではしっかり勉強頑張るんだよ」
僕は諭すように言った。
「うん。分かった」
「ったく、お前はなんで一成の言うことは聞くのに、お姉ちゃんの言うことは聞かないんだよ?」
琴音ちゃんがそう返事をすると雪音は呆れたように言った。
「だって一成さんのこと好きなんだもん」
「じゃあお前はお姉ちゃんのこと嫌いなのか?」
「うーん……。好きだけど……お姉ちゃんより一成さんの方が優しいんだもん」
「あはは……」
僕は苦笑いした。
「ったく、しょうがねー奴だなー。琴音にはリンゴジュース持ってきてやるから、ちょっと待ってろ」
雪音が呆れたように言った。
「じゃあ、みんなで乾杯しようぜ」
続けて、琴音ちゃんにリンゴの缶ジュースを渡すと雪音が言った。
「ああ、三人で乾杯だ」
僕はそう言うと缶カクテルの蓋を開けた。
雪音も缶カクテルの蓋を開ける。
「指が痛いー。これ、固くて開けられないよー」
「はい、琴音ちゃん」
琴音ちゃんが缶の蓋を開けられずそう言うと、僕は代わりに缶の蓋を開けて渡した。
「ありがとー、一成さん」
「よし、じゃあ行くぞ」
雪音が言った。
「せーの」
続けて雪音は掛け声を掛けた。
「かんぱーい!」
僕達は声を揃えて元気良く乾杯した。
第十一話 バカヤロー へ続く……




