第九話 見学
夜、僕は暗闇の中ベッドの上で眠れずに昔のことを思い出す。僕、七海ちゃん、勇斗、咲良ちゃんの四人で将来の夢を語り合った夜のことを。元々、僕はCGデザイナーになるのが夢だった。でも僕は自分の夢を捨てた。そして勇斗の夢を継いだ。自分をほぼ死んだことにし本当の自分を捨てたのだ。そのことで実の家族や七海ちゃんや咲良ちゃんを悲しませたと思う。また、クラスのみんなや半田先生を悲しませたと思う。
結果的に僕は格闘家として成功した。二つのチャンピオンベルトを獲得し、地位と名誉も手に入れたと思う。お金も信じられないくらいに手に入れた。戦績も七戦七勝の判定決着無し。未だに無敗を誇っている。しかし、自分の選択が正しかったかどうかは分からない。正しかったと言い切れないのは、失ったものも得たものも両方あったからだ。
「人生は難しいもんだ。正しい選択もねーけど、間違ってる選択もねー」
暗闇の中、山岸さんの言葉が僕の頭を過った。
一つ言えるのはもう後戻りはできないということ。そうだ。僕が継いだ勇斗の夢はまだ終わっていない。勇斗の夢には続きがあるんだ。
それは自分の道場を持つこと。それから、親を亡くした子供達や恵まれない子供達のために、武道施設の充実した養護施設を設立するということ。勇斗はいずれ経営する立場になりたかったんだ。だから大学で経営学を学ぶ予定だったんだ。
僕は暗闇の中ベッドの上でスマートフォンの液晶の光で照らし、指定校推薦編入生募集要項の一枚の大学リストを眺めた。僕は自然と目を当ててしまう。西洋大学の経営学部に。
(栄養学の他に、僕にはまだ勉強しなきゃいけないことがあるんだ。今度は西洋大学で経営学を学びたい。それに何よりも七海ちゃんと一緒にいたい)
後日、僕は奥山教授に自分の意向を伝える。続けて内申書を書いてもらう。そして、西洋大学の経営学部経営学科に編入学試験の出願をする。試験の内容は「経営学を学ぶ意義」についての小論文。それから、志望動機や将来のビジョンを説明する面接。
出願をしてから少し時が経ち、今は十一月の下旬。僕は試験日まであと二週間を切っている。小論文も面接もすでに対策はばっちりだ。あとは是非、一度キャンパスを見ておこうと思っている。明日は平日だが短大では僕が履修している科目が無い。朝から車で西洋大学に行ってキャンパスを見る予定だ。
翌日、僕は午前中に西洋大学へ着く。着くと、僕は早速キャンパス内を歩いてみる。キャンパス内は学生が歩いている。だが、今のところそこまで数は多くない。多分、今は多くの学生が講義を受けているのだろう。さすがに西洋大学は都内の大きな大学だ。ビル型の校舎が建ち並ぶ。
気になるのは学食。僕はスマホのマップで学食の位置を調べる。調べると、今いる場所から一番近い地下の学食に入ってみる。今は多くの学生が講義を受けているからだろう。運良く比較的空いているようだ。
それにしてもとても広い。ざっと千人以上は座れそうな感じだ。部屋の両外側には大人数が座れるような長いテーブルと椅子が。中央には少人数で座るための、四角いテーブルと椅子がそれぞれ並んでいる。
今日は学食を味わうために、何も食べていないのでお腹がぺこぺこだ。早速、僕はとろーり半熟オムライスを注文し食べてみることにした。僕は部屋の奥から二番目の長いテーブルに着きそこで食べる。美味しい。なんとも言えないほっとする味だ。うっかり僕はがつがつと一気に平らげてしまう。つい美味しくて早食いしてしまった……。もっと味わって食べようと思っていたのだが……。
食べっぷりはともかく、あまり騒ぎにならないように僕の正体は隠さないといけない。今日はただの見物。学食が比較的空いているとは言え、行動は慎重に行おう。いずれにせよ、僕は今日はキャップを被るだけでなく学生っぽく黒縁の伊達眼鏡を掛けている。僕はもう誰が見てもここの学生にしか見えないはず。ただ、マスクもしている。変質者だとも思われるかも知れない。とりあえず、風邪を引いたということでたまに咳払いでもしておこう。
すぐ右斜め前の席に、三人の女子学生が学食を持ってやって来た。彼女は……? 間違いない……。一人は七海ちゃんだ……。なぜ、わざわざ彼女達は下手したら変質者にも見える僕の近くに座ろうとしているのだろう……? 奥から二番目という絶妙な位置だからだろうか……? 単に気にしていないだけだろうか……? だが、僕はとりあえず風邪を引いていることになっている。
「ごほっ……ごほっ……」
僕は軽く咳払いをした。
これなら変質者だとは思われないはず。それから、スマートフォンを弄っていれば多分自然に見えるだろう。僕はスマートフォンを弄る。
三人は横一列に席に座る様子だ。座ると、学食を食べながら元気良く話をし始めた。僕から見て一番左に座るのが七海ちゃん。真ん中に座るのがショートヘアの女子学生。一番右に座るのがパーマヘアの女子学生。よりによって七海ちゃんが一番近いなんて……。いくらなんでも偶然にもがある……。学食が比較的空いているためか、彼女達の話し声がよく聞こえる。
「ねえ。七海って今、彼氏いるの? その指輪、彼氏に貰ったの? モデルって有名人と出会う機会あるんでしょ?」
「私も知りたーい。ちょー気になるー。七海、教えてー」
ショートヘアの女子学生がそう聞くと、パーマヘアの女子学生も興味津々に聞いた。
「うーん、彼氏? 好きな人なら……いるよ……。あと、この指輪は大切な人に貰った物で……高校時代からのお守りだから……外せないの……」
七海ちゃんがそう答えた。
「えー? 好きな人って誰~? ねえ、やっぱり有名人? それに大切な人って誰~? 教えてー」
「えへへ……。ゆか、それは秘密だよ……」
パーマヘアの女子学生がさらにそう聞くと、七海ちゃんは苦笑いした。
どうやらパーマヘアの女子学生は「ゆか」と呼ばれているらしい。
「七海、誰にも言わないから教えてー。お願い」
ショートヘアの女子学生が子供のように言った。
すると、ショートヘアの女子学生はテーブルに置いてある七海ちゃんのスマートフォンを奪い、それを覗く。
「あー、ちょっと、りん。見ちゃ嫌だよー」
七海ちゃんが困ったように言った。
どうやらショートヘアの女子学生は「りん」と呼ばれているらしい。
「ねえねえ、これって七海の高校時代の写真? ちょー可愛いじゃん。七海って高校の時からこんなに可愛かったんだー。あれー? なんか男の人も写ってるよー」
りんさんはうきうきして聞いた。
「うん。大切な思い出だから、新しいスマホ買っても、ちゃんと転送してあるの。男の人って言っても、高校時代のクラスメイトの男子だよ」
「わー、このイケメン誰~? 元カレー? ちょーイケメンだよー。ちょーかっこいー。何~? これ誰~? 七海~、眼鏡掛けた太っちょの人とも付き合ってたのー?」
「ほんとだー。こっちの元カレ、ちょーイケメン。えー!? でもこっちの元カレはあり得ないよー、七海~」
りんさんが七海ちゃんにそう聞くと、ゆかさんは驚いた様子で言った。
僕にはすぐ分かった。ちょーイケメンの元カレにされてしまった方は、高校時代の勇斗だということが……。一方、眼鏡掛けた太っちょのあり得ない元カレにされてしまった方は、高校時代の僕だということが……。
「ねえ、このちょっとダンディーな筋肉凄い人は? なんか明らかに強そー。年上の元カレ?」
「わーお。この人、ちょーマッスル元カレだねー」
間髪入れずりんさんが七海ちゃんにそう聞くと、ゆかさんはまた驚いた様子で言った。
「あー、このちょーかっこいい人、総合格闘技の世界チャンピオンの梅宮一成さんでしょー? 梅宮さんて私達とタメなんだよねー。ほんとちょーかっこいいよねー。お金持ちだし。しかも夜に桜の下でツーショットなんて、ちょー羨ましー。もしかして、七海と梅宮さんて付き合ってるのー?」
また間髪入れずりんさんが聞いた。
僕にはすぐ分かった。梅宮一成の方は確実に僕だが、ちょっとダンディーな筋肉凄い明らかに強そうな、年上のちょーマッスル元カレにされてしまった方は、僕の師匠の山岸さんだということが……。
(あのー、山岸さん結婚してるし、子供いるんですけど……。しかも僕達、全員元カレにされちゃってますね……)
「え? 梅宮さん? 付き合ってるとかそういうのじゃないけど……」
七海ちゃんが恥ずかしそうに答えた。
「七海~、赤くなってるよー。ちょー分かりやすーい。好きなんだー」
「ねえ、片思い? それとも両思い?」
ゆかさんがそう茶化すと、りんさんは七海ちゃんに聞いた。
「うーん、一応、脈ありだと思うけど……。彼女いるし、凄くモテる人だから……」
七海ちゃんがまた恥ずかしそうに答えた。
「でもいいなー。好きな人がいるって羨ましー。私も早く好きな人できないかなー?」
「なかなかいないよねー。梅宮さんみたいな人って。てゆーか、私とゆかって理想高過ぎかも。だから彼氏できないんだよー」
羨ましそうなゆかさんに対し、りんさんは自虐的に言った。
「やばーい。ぐさって感じー。でも、りん。それほんと言えてるかもー」
第十話 二人の溝 へ続く……




