第八話 五年の歳月
もうすぐで八月も終わってしまう。いつもの公園で僕はトレーニングを終えた。
今はコンビニにアイスを買いに行く途中だ。セミが鳴く晩夏の夜道の中、雪音を後ろに乗せて自転車を漕いでいる。雪音は僕の肩に手を乗せて、後ろのハブステップの上に立っている。
生温い湿った空気を僕達はゆっくりと切り裂いていく。車が時折、僕達をライトで照らして通り過ぎていく。街灯のつく電柱を僕達は一本一本ゆっくりと通過していく。
僕と雪音はコンビニに着き中に入った。すると、二人の中学生くらいの少年が雑誌を引っ張り合っている。
「このななみーのグラビアは僕の物だ!」
「いや、これは俺のもんだ!」
眼鏡を掛けた少年は雑誌を引っ張り、相手の少年もやり返した。
どうやら、二人は七海ちゃんのグラビアが載っている雑誌を奪い合っている様子だ。壮絶な引っ張り合いの末、その雑誌は破れてしまう。二人は店長さんに謝る。その後、割り勘で弁償して許してもらう。
僕と雪音はアイスを買い終えコンビニの外に出た。すると、さっきの二人の少年がお互いに何か言いたそうにしている。僕と雪音はアイスを食べながら二人の様子を窺う。
「なあ、村田。お前はななみーに何を求めている?」
さっきのやり返していた少年が聞いた。
どうやら、眼鏡を掛けた少年の方は「村田」という名字らしい。
「ななみーと結婚できたら死んでもいい」
村田くんはそう答えた。
「なにー!? お前もか!? 俺も同じだぜー!?」
「尾崎もか?」
さっきのやり返していた少年の方は「尾崎」という名字らしい。
「当ったりめーだろ! ななみーと結婚、いや、ななみーの母体に子供を宿せたら、俺も死んでもいいぜ! 日本全国の男の夢は、ななみーと結婚して、子供を宿すことだー!」
「僕も同じだよ……。尾崎……お前……うっうっうっ……」
尾崎くんがさらに興奮してそう言うと、村田くんは半べそをかいた。
「そうだったのか……。村田……。俺、お前とは今後仲良くなれそうだ」
「ああ。僕もだよ。尾崎、お前今日うちに泊まりに来いよ」
「いいのか?」
「もちろんだよ。僕達はもう友達だろ」
「友達か……。ああ。そうだな。友達だ。村田、これからよろしくな」
尾崎くんと村田くんは握手をする。その後、二人とも自転車で仲良く一緒に行ってしまう。
僕の目からは自然と涙が流れてくる。泣こうと思っているわけではない。さっきの二人の少年のやり取りが、僕と勇斗が友達になるきっかけとまるで同じだったからだ。あれから約五年が経った。そして、時代は桃山里英から七海ちゃんへと変わっていたのだ。僕の中学時代、全国の男達が結婚したい女性は桃山里英だった。だが、今の時代は七海ちゃんがそういう対象なのだ。
「ったく、男の友情ってのはどうなってたんだ? ななみーと結婚するだの、子供を宿すだの、ななみーで何考えてんだよ。結局男ってのは、エロいことばっかり考えてんだろ? まあ……ウチは一成になら……エロいこと考えられたいけどな……」
二人のやり取りを見て、雪音は呆れながらも少し照れながらそう言った。
僕の頭の中には思い出が走馬灯のように過る。涙が止まらない。
「うっうっうっ……。勇斗……。あれからもう五年だな……」
僕は時の流れに感無量になり思わず呟いた。
「なあ、一成。どうして泣いてんだ……?」
「……。……あ……すまない……雪音……。なんだか、昔のことを思い出したんだ……」
コンビニの外でアイスを食べた後、僕と雪音は公園に帰るためまた自転車に二人乗りして走り出す。
「なあ、一成? どうしたら一成の世界一の女になれるんだ? ウチはやっぱりななみーには勝てないのか? ウチは一成の世界一の女になりたいんだ。教えてくれよ」
後ろから雪音が僕に聞いた。
「えー!? もしかして琴音ちゃん、雪音に喋ったのか?」
「あ、ああ。あんときさ、琴音の奴、強敵がいるって言ってただろ? 何日か経った後、無理矢理に吐かせてやったんだ。そしたら、観念してななみーって吐きやがった。あいつ、あったま来るバカ妹だぜー。お姉ちゃんは二番にはなれても、一番にはなれないよ、みたいなむかつくこと言いやがってさー。じゃあ、お前は何番なんだよ?って聞いたら、今は五番だけど、将来は全員やっつけて一番になる、って言いやがった。ほんとにクソ生意気なガキンチョだっつーの」
「……。なあ、雪音はなんで僕が好きなんだ? それに、他に好きな女性がいるっていうのに怒らないのか?」
「一成には一目惚れしたんだよ。高校時代、一成がうちのクラスに編入して来た時に、一目惚れしたんだ。それにウチ、一成の内面も好きなんだ。一成って世界チャンピオンなのに、自慢したり天狗にもならないで、ずっと変わらないだろ。ウチは一成のそういうとこが大好きなんだよ。あと、自分の彼氏に他に好きな女がいるってのは、正直気分わりーけど、ウチはチャンスがある限り、一番狙うつもりだぜ。だから教えてくれよ。どうしたら一成の世界一の女になれるんだ? ウチもななみーみたいに、女らしくお淑やかになればいいのか?」
「変わる必要は無いよ。そのままの雪音でいいと思う。七海さんには七海さんのいいところ、雪音には雪音のいいところがあるさ。僕が世界一好きな女性は七海さん、でもいつも僕の側にいて、世界一僕を見てくれている女性は雪音だよ」
「なんだよ、それ。世界一でも、そういう世界一はいらねーっつーのー」
僕がそう言うと雪音は呆れたように言った。
「あはは。でも、世界一は世界一だろ?」
「世界一は世界一でも、そんなの地味なんだよー。ウチが欲しいのはななみーのポジションだっつーの」
時は流れ、僕はすっかり短大生活に戻っていた。今はすでに十月の下旬。僕は自分のゼミの授業後、そのゼミの担当教授の奥山教授に、次の時限空いている場合は是非研究室に一緒に来てほしいと言われる。僕は次の時限に履修科目が無い。奥山教授と一緒に研究室へ向かう。
僕と奥山教授は研究室に入る。研究室にはたくさんの書籍が本棚に並べられている。栄養学関係の書籍。植物関係の書籍。他にも、生物工学や遺伝子工学といったバイオテクノロジー関係の書籍が目に付く。実は以前にも何度か研究室には入ったことがあった。相変わらず様々なジャンルの書籍があるようだ。
「すまないね、梅宮くん。急に一緒に来てもらってしまって。まあ、気楽にそこに座ってくれたまえ。お茶を入れるから、ちょっと待っていてくれるかな?」
研究室に入ると奥山教授が言った。
僕は真ん中の長机の椅子に座る。すると奥山教授は僕にお茶を出す。
「実は進路のことで、少し話があってね」
続けて、奥山教授は向かい側の椅子に座ってそう切り出した。
「し、進路ですか? 先生、僕は卒業後もプロの格闘家としてやっていくつもりです」
「あ、まあ、そのことなんだけどね。今年は就職希望者が多くて、大学編入の指定校推薦希望者が、今のところ一人もいなくて、対象者を探しているんだ。そのリストに書いてある通り、指定校推薦で何校か募集が来ているんだが、梅宮くん、どうかな?」
僕がそう言うと、奥山教授は何か文字が印刷された一枚の紙を僕に渡して言った。
「僕が……大学へ……ですか?」
「君はどの授業でも、本当に真面目に勉強しているようで、私はとても感心している。君の本校での成績はとても優秀で、すでに総合格闘技でも、二つの団体でグランプリチャンピオンに輝いている。正に文武両道のお手本と言える存在だ。私としては、君ならば自信を持ってどこの大学にも送り出せる。どこの大学も、君のような人物は喉から手が出るほど欲しがるだろうし、間違いなく受かるだろうね」
僕はリストに目を通す。するとある大学を発見する。それは七海ちゃんと咲良ちゃんの通う西洋大学だ。学部は経営学部。募集人数は一名となっている。経営学部は七海ちゃんと同じ学部だ。
「先生、西洋大学って……本当ですか……?」
僕は聞いた。
「梅宮くん、西洋大学の経営学部に興味があるのかい? 西洋大学は都内の伝統ある大学で、学部も学生数も、日本でトップクラスと言えるほど多い、有名大学の一つだ。君が希望するのなら、私は喜んで内申書を書くよ。もちろん、返事はすぐでなくてもいい。ただ、十一月の上旬には、どこの大学も願書の受付を開始するからね。十一月の頭くらいまでには、返事をくれるかな? ……と、まあ、話はこんなところだよ」
「……。はい。分かりました」
「先生、今日はありがとうございました。今回の話、前向きに考えさせてください」
続けて、僕はそう言うと退室するドアの前で一礼した。
「うむ。良い返事を期待しているよ。梅宮くん」
第九話 見学 へ続く……




