第一話 一か八か
準決勝。先に青コーナーの僕が入場。次に赤コーナーのロシア人選手のニコライ・ベリエフ選手が入場した。今大会は高い所からエレベーター式の乗り物で下へ下りてから入場花道を歩く入場形式。そのため、セコンドも選手と同時に入場し一緒にエレベーター式の乗り物に乗らなくてはならない。入場口から出た時、スタジアムの空いた天井の先に広がっていたのは、初戦とは違い星の無い夜空。入場ゲートの近くの演出の炎からは仄かだが肌に熱を感じた。
僕とベリエフ選手は金網の中で遠くからお互いを確認する。ベリエフ選手は短パンサイズの青い無地のぴっちりとしたファイトショーツを穿いている。ちなみに僕はモスクワで買った例のファイトショーツ。ベリエフ選手は情報によると身長は一七八センチ。若干僕よりもリーチがある。サンビストなので打撃はもちろんだが、サンボ特有のサブミッションにも僕は気を付けなければならない。オッズは二番人気の五・七倍。間違いなく実力者だろう。
レフェリーは僕達を中央に寄せた。寄せると、英語でルール確認をする。最後にシェイクハンドの合図を出す。僕とベリエフ選手は目は合わせず、お腹の辺りで下から両拳を軽く合わせる。
準決勝試合開始のゴングが鳴り響く。ここを勝てば次は決勝。まずは僕とベリエフ選手は軽い左ジャブで距離を探り合う。お互いに未知の相手だけに、なかなか踏み込んでいくことができない。
しばらく続いている……探り合いが……。
「いっせー! ガード上げろー!」
金網の外から山岸さんの声が聞こえた。
すると、ベリエフ選手は肩がしなるような右のロシアンフックを僕の顔面に放つ。僕は左腕でこれをガードした。直後、透かさず右のフックをベリエフ選手のテンプルへ目掛け放つ。ベリエフ選手もこれを左腕でガードした。この攻防を機にスタンドの打撃戦が激しくなっていく。パンチだけでなく、お互いにローキックやミドルキックやハイキックを出し合ってはガードをする。今のところお互いにガードが固く決定打が無い。しかし、間違いなく二人の戦いにはエンジンが掛かってきたと感じる。
打ち合いの中、僕は隙を見てタックルを狙う。ベリエフ選手はがぶりこれを切る。反応が早くタックルも効かないらしい……。今度はベリエフ選手が右のパンチを繰り出す。パンチの際に一気に距離を縮める。そのまま僕の脇を差して組み付く。どうやら足を使ってのテイクダウン狙いのようだ。
「残り二分だ! 踏ん張れー! 倒されるなよー!」
金網の外から西田さんがの声が聞こえた。
僕は足腰に重心を落とす。踏ん張りながら金網へと体重を預ける。金網を背にくっ付けると、そこから両手のプッシングでベリエフ選手を突き離す。直後、左のミドルキックを放つ。すると、ベリエフ選手は僕の左のミドルキックを脇腹に受けながらも右腕で掴む。掴むと、カウンターで左のロシアンフックを僕の顔面に放つ。僕はこれを右腕でガードする。だが、左脚を掴まれているのでバランスを崩してしまう。僕は後ろに倒れ込みながらも、咄嗟にベリエフ選手の腹部へ両脚を巻き付けた。テイクダウンされたがガードポジション。
僕はベリエフ選手の腕を握ったり脇で挟んだりする。下のポジションで必死に凌ぐ。お互いに強いパンチは出せていない。サブミッションも出せていない。
しばらく続いている……この状態が……。
ベリエフ選手は上体を起こす。続けて、右の強烈なロシアンフックを僕の顔面に放とうとする。僕はこの隙を利用し瞬時に両足でベリエフ選手を蹴り上げる。蹴り上げて思い切り突き放す。
またスタンドからの仕切り直し。レフェリーは再開の合図を出す。直後、僕はすぐにタックルのフェイントを見せた。これをがぶろうとするベリエフ選手。
この瞬間、僕はチャンスと言わんばかりに右ハイキックを放つ。だが、ベリエフ選手はとてつもない反応速度のスウェーでこれを交わす。その直後、第一ラウンド終了のゴングが鳴り響く。
ラウンドインターバルへ。凄く強い選手だ……。あんなに強いなんて……。特に脅威は見え難い視界から飛んでくる強烈なロシアンフック。それとあのとてつもない反射神経。
セコンドのみんなが金網の中に入る。山岸さんは椅子とタオルを。西田さんは水の入ったドリンクボトルとアイシングバッグを。横光会長はバケツをみんなそれぞれに持って金網の中に入る。そして僕は椅子に座る。西田さんは僕の首の後ろにアイシングバッグを当て、水の入ったドリンクボトルを渡す。山岸さんは僕の体を拭く。
「1ラウンド目はテイクダウンして上になった分、ベリエフの方が優勢に見えたぞ。次のラウンド、何がなんでも絶対倒せ。判定まで行ったら、正直お前は不利だ」
山岸さんが僕に言った。
「ごくっごくっ……。はい。絶対に倒します」
あれしかない……。一か八か、狙ってみよう……。あれを……。
「一成、お前はM-0グローバルのグランプリチャンピオンだ。それを忘れるなよ」
「お前は負けない。さあ一成、お前の強さを見せてやるんだ」
西田さんが僕を鼓舞すると横光会長も僕を鼓舞した。
「はい!」
ラストラウンド開始のゴングが鳴り響く。開始早々から激しい打撃戦になる。だがお互いにガードが固い。第一ラウンドと同様に致命打はお互いに無い。
しばらく続いている……激しい打撃戦が……。
勝負を決めるにはもうこのラウンドしかない……。そろそろ勝負を決めに行かないと……。
「いっせー! グラウンドに持っていけー!」
金網の外から西田さんの声が聞こえた。
「意地でも一本取れー!」
続けて山岸さんの声も聞こえた。
僕は左右のパンチを連打していく。連打しながら一気に距離を詰め、ベリエフ選手に脇を差して組み付く。組み付くと、飛び付き腹部に脚を巻き付ける。こうして自分が下の状態でグラウンドに誘い込む。ガードポジションだ。キーになるのはここからの戦い方。
僕は第一ラウンドのようにグラウンドでの防御はしない。ベリエフ選手にあえてパウンドを打たせる。左右の雨霰のようなロシアンフックが僕の顔面を襲う。ガードの上からでもとても重いパンチだ……。次は右のロシアンフックが飛んでくるようだ。
今だ。この瞬間に狙い済まし、僕は顔面に放たれた右のロシアンフックを両手で掴む。掴むと、瞬時に右脚をベリエフ選手の首を覆うように巻き付け、左膝の裏で右足首をがっちり固定した。狙っていたのはこの腕ひしぎ三角絞め。僕は渾身の力を込めて脚でベリエフ選手の頸動脈を圧迫し、右腕を伸ばす。首も右肘も完全に極まっている。ベリエフ選手はさすがに耐えきれず左手でタップしている。レフェリーが止めに入った。僕は勝利が決まる。
英語の場内アナウンスによると、試合決着時間は二ラウンド二分五十五秒。腕ひしぎ三角絞めで僕の一本勝ち。とても強い選手だった……。顔面はガードでほとんど守ったものの、ガードの上から打撃をかなり受けてしまった。腕や脚や体中のあちこちが痛む。決勝戦が思いやられる……。
だが、僕は勇斗のために必ずベルトを取ると決心している。体がぼろぼろになっても乗り切らなくてはいけないんだ。
僕は試合後のドクターチェックを済ませた。控え室で体のあちこちをアイシングする。アイシングしながらもモニターで次の準決勝を観戦する。この試合の勝者が僕と決勝戦で当たることになるのだ。チーム横光道場のみんなはモニターに集中している。
次の準決勝は「ヤン・カッファン選手」対「エディ・サンターナ選手」だ。二人とも僕が戦ったことのある相手だ。赤コーナーがカッファン選手。青コーナーがサンターナ選手。カッファン選手のオッズが七番人気で三九・二倍。サンターナ選手のオッズが一番人気で四・一倍、となっている。
終わってみれば二人の試合結果は驚くべきものに。カッファン選手のKO勝ち。サンターナ選手はカッファン選手の長いリーチに苦戦した。カッファン選手はたくさんの前蹴りや横蹴りをサンターナ選手に浴びせた。カッファン選手はサンターナ選手がタックルしようとする瞬間にも前蹴りや横蹴りを合わせた。サンターナ選手は満足にタックルもさせてもらえなかったのだ。
サンターナ選手は蹴りをキャッチしてのテイクダウンも狙った。だが、カッファン選手はキャッチしようとするとすぐに脚を抜いた。テコンドーのズボンなら掴みやすいが、今日のカッファン選手は短パンサイズのファイトショーツ。脚を掴まれてのテイクダウン対策だろう。サンターナ選手がなんとか蹴りのキャッチに成功しても、柔軟性のある脚と強い腰でカッファン選手に粘られてしまった。逆にその際に、高身長を活かした上から打ち落とすようなカッファン選手の強烈なパンチを、サンターナ選手はたくさん浴びてしまったのだ。
結局、サンターナ選手は一度もテイクダウンすらできなかった。そして第二ラウンドの中盤で、カッファン選手はサンターナ選手のタックルにカウンターの強烈な右の中段蹴りを顔面に合わせた。この強烈なカウンターの蹴りでサンターナ選手は失神。サンターナ選手がサブミッションで勝つのではないかと思っていた僕の予想は、見事に外れてしまった。
僕達は初戦もカッファン選手が左の上段後ろ回し蹴りで相手選手をKOしたのをモニターで確認していた。前回戦った時よりも格段に強くなっているのは間違いない。テコンドーの足技を総合格闘技で十分に生かすスタイルが完全に確立させたと言っても過言ではないだろう。恐らく、決勝戦は間違いなく厳しい試合になる。
第二話 絶対絶命 へ続く……




