第二話 勇斗の言葉
ラウンドインターバルへ。濃密な一ラウンドだった……。疲労困憊のため僕は肩で呼吸をしている。与えられている休息時間は一分。この間に少しでも多く体を休ませないといけない。リングインできるセコンドは一名のみ。
椅子とタオルを持って山岸さんがリングインした。リングインすると僕を椅子に座らせる。西田さんが水の入ったドリンクボトルとアイシングバッグを。横光会長がバケツを。それぞれに必需品を持って、二人ともリングのすぐ外の僕の側に立つ。西田さんがドリンクボトルのキャップを開け、僕にそれを渡す。続けて、僕の首の後ろにアイシングバッグを当てた。
僕は口にドリンクボトルの水を含む。横光会長が持っているバケツへ水を吐き出す。吐き出した水には血が混じっている……。当然だ。準決勝とこの決勝戦、顔面にかなりパンチを食らってしまっている……。三角絞めも物凄く苦しかった……。なんとなく意識も朦朧とする感じだ……。
「さっきはよく持ち上げて三角外したな。お前の武器はあの馬鹿力だ。けどサンターナの野郎も、マジで相当つえーぜ」
僕の全身をタオルで拭きながら山岸さんが言った。
「ごくっごくっ……。強いですね……。でも、次のラウンドで勝てるかも知れません」
「なにっ、それマジか?」
西田さんが聞いた。
「ええ。考えがあるんです。次のラウンド、しっかり見ていてください。皆さん。相手の武器は同時に弱点ですから」
「おうよ。期待してるぜ。一成」
山岸さんが僕にそう期待を寄せた。
「相手の武器は同時に弱点でもあるんだ。相手に合わせて臨機応変に戦え」
ラウンドインターバルを終えると、僕は心の中でそう言葉を響かせた。
(これは勇斗が言っていた言葉なんだ……。僕は決して忘れてはいないよ……。勇斗の言葉を……)
そして第二ラウンド開始のゴングが鳴り響く。
開始早々、サンターナ選手はすぐ僕に抱き付いてきた。両脚を僕の腹部に巻き付けてまたグラウンドに誘い込む。僕はこれを待っていた。僕の狙いは、ガードポジションで下になっているサンターナ選手の僕の腹部に巻き付けている脚。つまり、あえて相手の武器のサブミッションで勝負するつもりなのだ。
僕とサンターナ選手は、グラウンドの状態でお互いにこつこつと顔面にパンチを浴びせていく。第一ラウンドのようにならないように、僕はサンターナ選手のサブミッションに細心の注意を払う。アームロックと三角絞めを先読みしすぐに解除する。決定打が無いながらも、僕とサンターナ選手はパンチをお互い浴びせ続ける。
しばらく続いている……この状態が……。
僕は上体を半分起こす。続けて、一発一発に力を込めたストレートのパンチを織り交ぜる。負けじと、サンターナ選手は下からパンチを返してくる。だが、次第に顔面のガードを中央に寄せるようになっているようだ。
しばらく続いている……この状態が……。
サンターナ選手のガードの意識が顔面に向いている今がチャンス。
「格闘技は騙し合いだ。騙した奴が一番つえーんだ」
今、僕の頭を過ったのは、勇斗が僕に残した最高のアドバイスだ。
僕は右の拳を引いて、ストレートを打つフェイントを見せた。サンターナ選手は顔面にガードを寄せようとしている。両脚のクロスガードも緩くなっている。
今だ。僕は瞬時にサンターナ選手の左足を自分の右脇に挟み、アキレス腱固めを仕掛けた。狙っていたのはこの足関節技。
リングの外から大きな声が聞こえる。
「いっせー! そのまま行けー!」
西田さんの声だ。
「絶対に離すなー! もう一度お前の馬鹿力見せてやれー!」
山岸さんの声だ。
完全に極まっている。サンターナ選手は苦しそうな表情を浮かべているがタップしない。アキレス腱を極められながらも、グラウンド状態で僕の顔面や腕にキックや踵落としを放つ。
でも、僕には容赦するつもりは微塵も無い。横光道場のみんなのために、そして誰より勇斗の夢のために絶対にチャンピオンベルトを持ち帰るのだから。タップしないなら、タップするまでこのアキレス腱固めに込める力をとことん増やすまでだ。絶対に離すつもりは無い。
まだサンターナ選手は僕を攻撃している……足で懸命に……。
やっとだ。サンターナ選手は痛みに長時間耐えたものの、限界に達したのか右手でマットをポンポンと叩いている。ここでレフェリーが試合終了の合図を出す。僕の一本勝ちが決まり、大歓声が巻き起こる。トーナメント優勝だ。
「うおー!」
大歓声の中、僕は興奮のあまり雄叫びを上げた。
セコンドのみんなが僕の所に駆け付けてくる。
「やったなー! いっせー! お前の優勝だー!」
「うわー! いっせー! お前は横光道場の誇りだー!」
山岸さんが大声でそう言うと、西田さんも泣きながら大声で言った。
「うっうっうっ……。良くやってくれた……一成……。私はもう言葉が出ないぞ……。うっうっうっ……」
横光会長も泣きながら言った。
英語の場内アナウンスによると、試合決着時間は二ラウンド三分五十二秒。アキレス腱固めで僕の一本勝ち。
その後、僕は優勝トロフィーが手渡される。続けて、日本円換算で約一千万円相当の優勝賞金五百万ルーブルの贈呈。そして、Mー0グローバルの代表からチャンピオンベルトが腰に巻かれる。チャンピオンベルトの真ん中は黄金の装飾だ。
(僕はついにチャンピオンベルトを手に入れたよ。けど、これはお前の物だ、勇斗。いつかまた、別のチャンピオンベルトも取ってみせるからな)
大会終了後、現地のマスコミの人達から僕へのインタビューが殺到した。また、日本やアメリカから来たマスコミの人達からも。中でも日本のマスコミの人達に聞かれるのは、僕の今までの格闘技のバックボーンや経歴に関すること。空手、キックボクシング、柔道、相撲などといった日本発祥の格闘技は実はたくさんある。だから、日本のマスコミの人達にはどうしてもそういった要素が気になるのだろう。
「僕にはそういったものは一つもありません」
カメラのフラッシュを浴びながら、僕ははっきりと答えた。
僕は確かに相撲は強かった。だが、バックボーンになる格闘技や輝かしいキャリアも正直言って何一つ無かった。
「でも、格闘技のバックボーンや経歴が真っ白だからこそ、臨機応変に戦うことができて、優勝できたんだと思います。それから僕が戦ってる時、負傷で出場できなくなった、僕の師匠の山岸さんと、同門の先輩である西田さん、そのセコンドのお二方が、一生懸命に大きな声で指示をくれました。僕にとってそのお二方は、とても尊敬している先輩達でもあり、とても大切なチームメイトです」
カシャッ、カシャッ、というカメラのシャッター音が鳴り響く。フラッシュが眩しい……。
「それから、こんな僕を道場に温かく迎え入れてくれた横光会長には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。通訳者として同行してくれた田中さんも、僕達に付きっ切りで、生活面でのサポートをしてくれました。そして、会場ではたくさんのロシア人のお客さんが、僕を凄く応援してくれました」
カシャッ、カシャッ、というカメラのシャッター音がまたも鳴り響く。やはりフラッシュが眩しい……。
「僕一人の力ではなく、応援してくれた皆さんの力で勝ち取った優勝です」
止まらない……。シャッター音とフラッシュの嵐が……。眩しい……。
僕はインタビューのスピーチを終えた。終えると、山岸さんと西田さんと横光会長はどうやら涙ぐんでいる様子だ。
「うっうっうっ……。私はこの仕事をしてきて、お役に立つことができて本当に良かったです……。うっうっうっ……」
通訳者の田中さんに至っては号泣だ。
第三話 帰国と再会 へ続く……




