第八話 師匠
時が流れるのは速い。もう年明けして一月の中旬を迎えようとしている。
今では僕と雪音は毎日一緒に登下校をしていて、毎日教室でも話している。しばしばお互いの家へも行っているのだ。ただそれだけの関係だ……。男女的な関係は一切無い……。だが、雪音は毎日公園での僕のトレーニングを見守ってくれている。雨の日も風の日も。
雪音の家は自動車整備工場を経営している。それから、雪音には琴音ちゃんという小学三年生の妹がいるのだ。琴音ちゃんは僕のことを「一成さん」と呼んでくれていて、僕のことをとても好いてくれている。琴音ちゃんは雪音と同じく自分のことを「ウチ」と言う。「ウチ」とは言うものの、喋り方自体は雪音とは違う。普通の女の子の喋り方だ。
雪音が僕の家に遊びに来る時は、琴音ちゃんもよく一緒に来るのだ。僕が公園でのトレーニングする時もたまに一緒に来る。雪音と琴音ちゃんは僕が養子だと言うことを知っているが、僕達梅宮一家に全く偏見なく接してくれる。二人が初めて僕の家に来た時には、博樹さんに線香をあげてくれた。父さんと母さんはとても喜んでくれた。
僕と雪音は学校ではすでにカップルであるかのように見られている。僕はそんなつもりは無い。ただ、そんな僕にはお構いなし。雪音は僕のことを周りに彼氏だと言っている。
今では雪音は白い肌になった。髪も伸び、また髪色も暗くなった。最初に会った時のギャルな感じではない。元々が可愛い顔してるだけはある。ナチュラルになれば綺麗になる、と思っていた僕の予想は的中した。はっきり言うと、雪音はとても綺麗で可愛い女性だ。両耳のシルバーのピアスもセクシーだ。しかもとても似合っている。
ちなみに雪音という名前だけある。冬生まれで誕生日は一月十三日だという。血液型はB型、とのこと。相変わらず喋り方が男っぽい。けれどもそれはもう癖だ。多分直らないだろう。
そう言えば、もうすぐ雪音の誕生日……。後で何か言われるのは嫌なものだ。ケーキくらいは買ってあげようと思う。
現在、僕は横光道場という道場に通っている。
横光道場は、総合格闘技、キックボクシング、レスリングの道場だ。道場と言っても実際はジムと言ってだろう。子供から大人までほぼ年齢性別問わず、様々な人に門戸を開放している。フィジカルを鍛える器材もたくさん揃っている。ランニングマシーン、エアロバイク、筋力トレーニングの器材など様々。時間も基本的には各人の自由。道場と名乗るジムは実際多い。近年の傾向なのだと思う。
そんな横光道場の会長は横光会長。横光会長は大学時代にレスリングで全国優勝したことがある元レスラーだ。
副会長は横光会長の息子さんの凱さん。副会長の凱さんがいずれ横光道場の会長になるのだと思う。つまり正式な横光道場の後継者と言える。凱さんも大学時代にレスリングで全国優勝したことがあり、同じく元レスラーだ。横光親子は親子二代のレスラー親子なのだ。
横光道場は元々レスリング専門の道場だった。横光会長が近年、キックボクシング部門と総合格闘技部門も取り入れたのだ。その背景には凱さんの強い勧めがあったらしい。キックボクシングも総合格闘技も横光親子にとっては未知だったという。そんな中、二人とも毎日熱心に研究した、とのこと。今ではハイレベルなスパーリングが連日行われている。
僕は定休日の日曜日以外、夜は毎日、横光道場で総合格闘技の練習をしている。学校が終わってから道場に行く前に仮眠をし、道場での練習が終わってからは、公園でいつものトレーニングを継続しているのだ。ちなみに、雪音は毎日トレーニング前に公園に来ている。雨の日も風の日も毎日。
道場に通い出した頃、僕は打撃への恐怖心が強かった。だが、今では打撃への恐怖心が徐々に無くなってきている。バーリトゥーダーとして成長している自分を感じているところだ。それから、サブミッションもかなり上達してきた。グラウンドの練習の時、相手が狙っているサブミッションを先読みできるようになってきている。また、持ち前のパワーでそれを返せるようにもなってきているところだ。
僕が得意とするサブミッションは、いわゆるパワーサブミッションというものだ。プロの柔術家のような綺麗なスタイルではない。だが、技が完全にフィットして極まっていなくても、パワーで強引に極めに行くというスタイルのもの。今では相手のタックルも切れるようになってきていて、逆にタックルしたり、スープレックスで相手を投げられるようにもなってきている。
僕が横光道場で師匠として仰いでいる人は、山岸勝さんという人だ。山岸さんは元柔道家。凄腕のバーリトゥーダーと言える。柔道世界選手権優勝歴のある、とてつもない実績のある人だ。
山岸さんは凱さんと同じ高校の同級生だった。柔道でスランプに陥っていたところを、凱さんの強い勧めで横光道場に入門したという。そして、総合格闘技の世界へと足を踏み入れたらしい。山岸さんのバーリトゥーダーとしての素質は、凱さんが開花させたと言える。
山岸さんと凱さんはとても固い友情で結ばれている。山岸さんの試合には、いつも必ず凱さんがセコンドに付いているのだ。「凱くん」「勝くん」とお互いに下の名前でくん付けで呼び合っていて、しょっちゅう二人で仲良く近所の定食屋に行っている。ちなみに、山岸さんは僕と同じく身長一七五センチでリーチもほぼ一緒。僕は特に打撃では山岸さんをお手本にしているのだ。
すでに山岸さんは、日本国内の二つの団体で試合に出場している。総合格闘技七○キロのライト級で、今勢いに乗っている最中だ。四戦四勝という無敗の戦績を誇っていて、ゆくゆくは海外の団体にも出場したいと意気込んでいる。
試合ではいつも柔道着を着て戦うのが山岸さんのスタイルだ。僕はそんな山岸さんから、毎日総合ルールでのスパーリングを頼まれる。
山岸さんは本当にとても強い。現時点では僕が勝っているのは辛うじてパワーだけ。元柔道家であるが打撃がとても上手い。当然、サブミッションは文句無し。たまに上半身裸で戦ってくれる時もあるが、柔道着を着させると真価を発揮する。僕は柔道着を着た山岸さんには、簡単にサブミッションを極められてしまう。しかも、柔道着の時は柔道着のグリップが効いて体が滑らない。そのため、簡単にはサブミッションを外せないのだ。
だが過去に一度、山岸さんの首投げを僕はスープレックスで逆に投げ返したことがあった。持ち前のパワーを武器にした強引な投げを見せたのだ。山岸さんが僕に総合ルールでのスパーリングを毎日依頼するようになったのは、それがきっかけだ。
山岸さんは僕にとても期待してくれている。一方、僕も山岸さんをとても尊敬している。僕にとって、山岸さんような人が同門にいることはとても幸運なことだ。何せ、柔道家としてもバーリトゥーダーとしても凄い実績の人だ。
この人から技術や格闘技に対する精神を全部吸収したい。強くなりたい。早く僕もプロのリングに立ちたい。
そういった思いが日に日に強くなっている。また、横光会長も凱さんも、僕を現時点で山岸さんの次に期待していると言ってくれている。僕は山岸さんや横光会長や凱さんの期待に是非応えたいのだ。
僕達三年生は高校生活では卒業後の進路を決めなくてはいけない。すでに進学や就職が決まった者も。未定な者もいる。
卒業後、僕はそのままプロの総合格闘家を目指そうと思っていた。そんな中、雪音が一緒に同じ短大へ進学しないかと誘ってきた。そのこともあって、僕は短大への進学を考えている。雪音は佐野本市内にある佐野本短期大学へ進学したいという。栄養士を目指すため栄養学を学びたいらしい。僕と一緒に短大生活を送りたい。そして僕と一緒に栄養学を学びたい、とのこと。僕にとっても、プロの総合格闘家を目指すうえで、栄養学を学ぶことはとても大切なことだと思っている。本気で短大への進学を考えているのだ。
しかし、実はまだ僕は雪音に教えていない……。総合格闘技のチャンピオンになるために、総合格闘技を習っていることを……。
川に流されて以来、僕は野名市には一度も帰っていない。野名市のことを思い出す時、僕が一番考えているのはやはり七海ちゃんのこと。家族や勇斗や咲良ちゃんのことももちろん考えている。それから、クラスメイトや先生のことも。だが、いつも僕の心の中にいるのは七海ちゃん。心の中からいつも離れないのは七海ちゃんなのだ。
雪音と付き合っているつもりは無いものの、僕は雪音と毎日一緒にいる。そのことで「七海ちゃんの存在が薄れていってしまうのではないか」と不安に思うことがある。七海ちゃんはもしかしたら、「今頃、僕以外の誰か違う男の人と付き合っているだろうか?」と不安に思うことも。そういった不安が出てしまうくらい、やはり僕は七海ちゃんが大好きなのだ。
元気でいてほしい……。僕以外の誰か違う男の人の所へ行かないでほしい……。七海ちゃんに会いたい……。
でも、僕はもう冴島武虎ではなくなった。梅宮一成という別の名の男。今はもう梅宮さん夫妻の息子なのだ。会ったところでどうしようというのだろう? ほぼ死んだと思われた人間が実は生きていたなんて、信じてくれるだろうか? だけど、なぜか僕には七海ちゃんなら、僕が生きていることを信じてくれている気がしてならないのだ。逆に言うと、僕が七海ちゃんをそれだけ信じているということなのだろう。
第九話 アクシデント へ続く……




