第四話 勇敢な二人
ここはどこだろう?
なぜか僕は布団の中で寝ている。そう言えば川で流されたんだ。僕は上体を起こす。ところで勇斗も黒い子犬も無事だろうか? 無事であることを祈るのみだ。
ここはどこかの家のようだ。今、僕がいるのは床が畳の和室。畳特有の気分が落ち着く匂いがする。いい匂いだ。
僕にはもう眼鏡が無い。でも、遠くの文字でなければなんとか見える。今、僕は旅館にあるような浴衣を着ている。誰かが着せてくれたのだろうか? よく思い出すと、川に飛び込んだ時は上半身裸で七分丈のズボンだったはずだ。しかもポケットにスマートフォンを入れっぱなしだった。まあ、あの川の流れではスマートフォンは確実に水没してしまっただろう。
僕は部屋の時計を見た。視界が霞んでいるが時計の針の位置は分かる。見ると、部屋の明るさから察するに今は午後の一時半くらいらしい。僕は布団から出た。
そして、僕は部屋の障子を開けた。開けると、床は縦に広がる木のフローリング。どうやら廊下らしい。僕は周囲を見渡しながら廊下をゆっくり歩く。印象として感じるのは、大きめな家だということだ。
外から射し込む日が眩しい……。外は晴天のようだ。廊下をゆっくり歩いていると、僕に向かって後ろから声がした。
「おお、君、やっと目覚めたようだね」
男性の声だ。
振り返ると見える。恐らく五十代くらいの男性の姿。
「僕はどうしてここへ? あなたが助けてくれたんですか?」
「ああ、君が茨城県の河川敷で倒れているのを発見して、うちに運んできたんだ」
僕の質問に男性が答えた。
「ここは茨城県ですか?」
(僕は県を越えて、利根川まで流されてされてしまったのか……)
「ここは栃木県の佐野本市だ」
「え!? 栃木県……ですか!?」
「ああ。そうだ」
「あ……ああ……。僕は……一体……」
「休日に茨城県へ妻とドライブに出掛けた時、台風の後の土手の中の川の様子が気になってね。土手の上から川を眺めたら、台風が過ぎて何日か経っていたせいか、水はもうかなり引いていたんだ。だが、河川敷に君が上半身裸で倒れているのを発見したわけだよ」
男性が語った。
「それで、僕を保護してくれたんですか?」
「ああ。最初は救急車でも呼ぼうかと思ったんだけど、寝言をぶつぶつ言っていて少しいびきをかいているのを確認したから、眠っているだけだろうと思ってうちに連れてきたんだ。なみちゃん……ななみちゃん……とか、なんだか女の子の名前を言ってたよ、君。でも、目覚めて良かった」
何の夢を見ていたかは覚えていない……。でも多分、僕は七海ちゃんの夢を見ていたのだろう……。
「ところで君、私が勝手に寝巻きに着替えさせてもらったけど、君が穿いていた七分丈のズボンとパンツは妻が洗濯をして乾かしてあるよ。まあ、しばらくはその格好でいるといいさ」
「どうもありがとうございます。本当になんとお礼を言っていいのやら」
男性に僕はお礼を言った。
「はっはっは。礼なんて構わんよ。当然のことをしたまでだ。それより、君、お腹空いてないかい? すぐ妻に準備させるよ」
「え? よろしいんですか?」
「ああ、たくさん食べるといいさ。若いんだし、いっぱい食べるんだろ?」
食卓で僕はたくさんのご馳走を振る舞ってもらう。お腹がぺこぺこだったせいかとても料理が美味しい。それに本当に味付けも完全に僕好みだ。母さんの料理に似ている。特に鶏の唐揚げが凄く美味しい。
「美味しいかしら? 博樹。お母さん博樹のために一生懸命に作ったのよ」
男性の奥さんがそう話し掛けてきた。
「博樹? 誰ですか? 博樹さんて?」
「ああ、すまないね。私達は、五年ほど前に、一人息子を交通事故で亡くしてね。それ以来、妻は君のような年頃の少年を見ると、息子の博樹と間違えてしまうんだ……」
僕の問いに男性が答えた。
「そうだったんですか……。息子さんの名前だったんですね……」
「妻は博樹を亡くしたショックで精神を病んでしまい、病院に行って薬を貰ったりカウンセリングを受けているんだが、ずっとあんな感じなんだ……。私達は中々子宝に恵まれなくてね……。やっとできた子供が博樹だったんだが……」
「それはとてもお気の毒ですね……。何か僕に恩返しができればいいんですが……」
「まあ、君はまだ目覚めたばかりだ。無理しなくていいさ。しばらくはゆっくりしていくといい」
テレビではニュースが流れている。「千葉県野名市の江戸川で、友人と子犬を助けるため、川に飛び込み流されてしまった高校生を捜索中」という内容のニュースだ。僕はすぐに気が付いた。その高校生とは僕のことだと。テレビには上空から見た江戸川が映っていた。
ニュースのテロップには、「千葉県立野名北部高校三年生 冴島武虎くん(17) 行方不明」という内容が。「郷間勇斗くん(17) 意識不明の重体」という内容も。さらに、「子犬は生存」という内容も表示されている。
僕はショックで箸が止まってしまう。そして涙が溢れ出してしまう。子犬は助かった。だが、勇斗が意識不明の重体だということに大きなショックを隠せない。
「勇斗~! 何でこんなことに……。うわー!」
「ここ最近、このニュースがどこのチャンネルでも流れているんだが……。子犬を助けるために、勇敢な高校生二人が川へ飛び込んだとかなんとか……。一人は子犬を肩に乗せて、木の太い枝に体が乗っかっていたらしい……。もう一人は、遠くへ流されてしまったと聞いたが……」
泣きながら声を上げた僕に男性がそう説明した。
「うっうっうっ……」
「もしかして、この川に流されてしまった高校生って、君かい? そして意識不明の高校生は、君の友達かい?」
「うっうっうっ……。はい。勇斗は僕の大親友です……。でも、僕が無力だったからこんなことに……。僕は勇斗を助けてあげられなかったんです……。まさか、意識不明になってるなんて……。僕があの時、ちゃんと止めてさえしていれば……」
「そうか……。君が川に流された高校生だったのか……。どうする? 戻るかい? だが、どちらにせよ、まだ無理すると体に良くない。今日はうちでゆっくり休んでいきなさい。そうだ。まだ、私達の名前を言ってなかったね。私の名は梅宮拓郎、妻の名は洋子だ」
夜、僕は和室で寝ようとする。
「明日の朝ごはん、博樹は何が食べたいかしらね? あなた」
「お前が食べさせてあげたいものを作ってあげればいいさ」
梅宮さん夫妻の声が聞こえてきた。
そんな中、僕は奥の部屋が気になってしまう。勝手に部屋を散策するのはまずいだろうか? いや、気になるから襖を開けて奥の部屋に入ってみよう。
入ると、部屋には仏壇があり博樹さんの遺影が飾られているようだ。仏壇には線香、蝋燭、マッチ、線香立てなどが。りん、りん棒も置いてあるようだ。
僕はマッチで蝋燭に火を点けた。線香に火を灯し、線香立てに線香を二本立てりん棒でりんを叩く。それから手を合わせて目を瞑る。
チーンという音に気が付いたのか、拓郎さんが部屋へやって来た。
「武虎くん、ありがとう。線香をあげてくれたんだね。博樹もきっと喜んでくれているよ。博樹は洋子にとって、何よりの生き甲斐だったからね。君がいるせいか、あんなにはつらつとした洋子を見るのは久しぶりだよ。本当はすぐに、君をご両親の下に帰らせてあげなければならないのだが……。正直言うと、私達夫婦にとっては、なんだか君が本当の息子の様に思えてしまってね……。まだ、警察や役所には、君が無事だと言うことを連絡してないんだ……。すまないね、武虎くん」
「あ、いえいえ。保護してもらえただけでも、感謝の気持ちでいっぱいです」
「あんなに生き甲斐を取り戻したような洋子を見ていると、なんだか複雑な気分でね……。まあ、今日はゆっくり休みなさい。あんなことがあったんじゃ、疲れているだろうから」
「あ、はい。何から何まで、本当にありがとうございます」
第五話 拳と拳の約束 へ続く……




