未完成賛歌
この話は現実世界と何の関係もありません
僕は自分の歌に自信があった。
自分の声が好きだった。
自分にしかできないことだと本気でそう思っていた。
自慢ではないけれど、誰よりも音楽を愛し楽しんでいた。自負できる。
それが自分が自分である証拠であったし、存在意義であった。
高校二年春。
僕はバンドを始めた。
メンバーのGt.賢哉、Ba.恭弥、Dr.将暉、そしてVo.僕
高校に入って知り合ってバンドを組んで、ありきたりな出会いだが
僕はこのメンバーが好きだった。
下手くそだった音楽は次第に共鳴するように一つに重なる。
高校では近隣の高校の軽音楽部とライブをしたり
学祭を盛り上げたり、それなりに満足のいく生活だった。
各々が大学に進学してもバンドは絶えなかった。
最初はコピーバンドから始まった僕たちの音楽だが
ある日、賢哉がふと
「俺たちのオリジナル曲を作ろうぜ」と言ったことは忘れない。
その場にいた誰もが賛同し、役割分担を振り分けた。
大学の友達に作曲に詳しいやつがいるということで賢哉が作曲
僕は作詞に興味があったので作詞を一任してもらえた。
恭弥と将暉は採譜を担当することになった。
ただ僕達にはなにか大きな目標があるとかそういうわけではなかった。
やりたいことをやる、楽しいことをやる。
ただそれだけの理由で満足していた。
だから高校の時と変わらず小さな箱ライブで満足していた。
少なくともこの日までは・・・
僕たちは着実に力をつけていた。人気も少しづつ出ていた。
人間とは怖いものである。
少し名声を手にするとさらに欲しがってしまう。
最初こそは噛み合わなかった歯車も今では噛み合う。
僕は自分の声が唯一無二のものだと思っていたし
みんなも自分にしか演奏できない自分たちの曲だと、
自信と誇りを感じていた。
地元の夏祭りや地域特有の祭りで
僕たちは演奏することができた。
できすぎた話だが、この日たくさんのお客さんで溢れて
僕たちの話題はSNSで広まった。
将暉が「俺ら有名人じゃん」って喜ぶ。
僕はそれを微笑んで見ていたが、僕自身もそれを確信していた。
僕たちならいける。
そんなある日、きっかけは突然だった
SNSで僕たちのことを見つけたライブ運営の方々から
出演してみないかと声がかかった。
賢哉は驚きを隠せていなかった。
他のメンバーも同様だった。
「信じられねえ、夢みたいだ」
無理もない、夢のようなことだ。
僕たちが出演することになったライブは
いわば人気になるための登竜門のようなもので
バンドマンたちの憧れであり
スタート地点みたいなものだった。
メンバーの中で一番といっていいお調子者の賢哉は
それ以来どこか上の空といった雰囲気だった。
僕たちが演奏する曲は三曲。
一番盛り上がる曲と
メンバーみんなで作った曲、
最後に僕が作った曲だ。
みんなが僕の作った曲を推してくれた。
僕の気持ちを、いつまでもこのメンバーでやっていきたいという気持ちを
この大舞台でぶつけてやる。
いよいよ迎えた本番。
僕たちの出番は夕方16時から中ステージでの演奏だった。
すっかり夏も過ぎ去った西の空に
茜色に焦がれた空に僕たちの心が重なる。
あっという間の時間だった。
「俺たちついにやり遂げたんだ」
恭弥のその言葉が乾いたステージに透き通る。
僕は今までこんなにも多くの人の前に立ったことはなかったし
こんなにも大きな歓声を聞いたことがなかった。
僕の世界に色がついた。
「成功したのか」将暉がそうつぶやく。
その日、初めて世界が変わった。
それからの日々はあっという間に過ぎていった。
数多くのライブ出演オファーが来たり、
CD化の依頼が飛び込んできたり、
目まぐるしく変わった日々につかれている自分もいた。
賢哉が
「ぶっちゃけ、俺ら勢いならだれにも負けないよな」
そう談笑で話したのだが
普段の僕なら賛同はしないはずがこの時ばかりは違った。
「このままなら僕らが一番をとれる」
そう確かに言っていた。自分で自分に驚いた。
僕は自分の歌声に自信があったし、
自分たちの演奏にも自信を持っていた。
ただ一つ怖かったのはうぬぼれと経験だった。
経験が足りなかった。ここまで勢いで来てしまった。
他のメンバーはそのことに気づいていない様子だった。
失敗することを恐れないのはいいことだと思う。
だけど失敗を経験しないことは怖かった。
自分たちのCDを出すとなったとき、全てが変わってしまったことに気づいた。
みんな自分たちの実力に溺れてしまっていた。
みんなが好きと言ってくれた僕の声も届かなくなっていた。
別に僕の声じゃなくてもよかったんだ。
レコーディングの時、ほかのバンドも先にスタジオに入っていた。
僕らの曲を覚えていてくださった。
恐れていたことは、何の前ぶりもなく世界が音もなく崩れていくように
唐突に訪れたのだ。
「僕らの演奏に合わせて歌ってみませんか」
恭弥のその声はスタジオにこだました。
どんな海溝よりも深いような、先が見えない闇に引きずり込まれた。
僕は確かにそんな感覚がした。
先輩はさすがといった様子で自分の曲のように歌いきってしまった。
みんなはあっけにとられていた。
演奏したそれぞれの手は震えていた。
これがプロか。経験の差を実感した。
それと同時に僕の必要性はなくなってしまった。
誰かが一言「まあ、俺たちは俺たちなりに演奏すればいいさ」
そう言ってくれれば救われたのかもしれない。
「ニコニコ動画で歌い手をやっている人が、君と声の周波数と一致しているんだ」
僕は人気になるにつれていつの間にかついていた
マネージャーのこの言葉でなんとなく察した。
その人は歌い手としての実績も歌唱力も余裕も僕とは違った。
同い年なのに差がどうしてこんなにも開いてしまうのか
僕は納得できなかった。
そして残酷な現実を受け止めることもできなかった。
「君と声が一緒なんだ、けど君とは違う、そこで提案だ。
レコーディングや大事なメディア演奏はもう一人の彼に任せて
ライブなどの経験値がばれないような機会は君に任せて
二人で一つの声を作らないか」
僕にはこの提案が「存在意義がないけど、彼が大変になってしまうからシフト制ね」と
言ってるようにしか聞こえなかった。
だけど僕には断れる気力も自信もなかった。
この日は僕が僕である最後の日になってしまった。
もう一人の僕の存在は表に出されることはなかったが、
この日から僕たちは覆面バンドとして活動することになってしまった。
それはインパクト重視というほかに彼の存在を隠すためのものだった。
その日から僕たちの音は世間に轟いた。
けどそれは僕ぼ声ではなかった。
渋谷の街頭で流れる僕の声、いや、彼の声。
テレビから聞こえる彼の声。
どれも僕じゃなかった。
世間では僕たちのバンドのボーカルは
ニコニコ動画で有名な彼だ。という噂が流れた。
無理もない。声は一緒だ。そしてそれは間違っていない。
そしてそれは僕の存在を塗り替えた。
僕の存在を知るものはいなくなってしまった。
メンバーは僕の声よりも彼の声を選んだ。
仕方のないことだ。
存在意義や個性といった言葉は嫌いではない。
僕は僕の声や僕が選ぶ言葉が僕にしかないものだと思っていたからだ。
今は僕の声でも僕の歌でも何でもない。
彼の声で彼の歌なんだ。
僕は新しいアルバムに一曲、自分が作った曲を
自分の声で入れることができる機会を与えてもらった。
僕は最後の歌詞に自分の気持ちを入れた。
これが僕が僕としての最後の言葉だ。
「僕がここにいたことを、忘れないでね」