店主とエルフは互いの世界を知る 5 異世界での混乱
『天美法具店』の前に大きな無色透明の宝石岩が置かれてから三週間経過した。
確かに伝えた。
あの女性エルフに、店の前の大きな岩のような宝石を引き取りに来るように、と。
店主は何度もあの時のやり取りを思い出し、確認していた。
そしてあのエルフは快諾していた。
店主は彼女の世界に移動する方法はまだ覚えている。
『天美法具店』の出入り口である自動ドア。
それが閉じた時に接触する左右の面の上を片手の中指で触った後、左右の扉を両手で触って縦方向に撫でる。その後で通り抜けるという手順。
だがこちらからは、同じ方法でセレナのいる世界からこちらに来ることができるかどうかは不明のまま。
後で取りに来ることが出来るよう、彼女の店にも付けられる同じ仕組みのドアになる板を二枚持たせて帰らせた。
取り替える作業だって難しくはない。だから当然さっさと済ませてとっととこっちにきてパッパと撤去してもらえるものと思っていたのだが、それが一週間、二週間経っても何の音沙汰もない。
対等な人間関係を結ぶというのはなかなか難しいものである。
そもそも価値観が全く同じ者同士という組み合わせ自体珍しい。
店主にとっての一番の悩みの種はその宝石岩だが、セレナにとって実はそんなに重要な事ではなかった。
店主との約束はセレナにとって単なる口約束。
彼女にとって最優先すべきことはまず帰還すること。
そしてそれが果たされた時、次に彼女にとって大事なことはウィリックの安否の確認だった。
「まず猊下に帰還できたことを報告しないと……。でも動物車も竜車も手配できないよね……。でも現場に行く方がいいのかな。うん、いきなり皇居に向かって留守って言われたら時間の無駄だし……。まぁ半日あれば隣のバルダーに行けるから……。うん、まずはそっからだ!」
無事に自分の世界に戻って来れたことに安堵のため息をついた。
そこは、巨塊討伐計画に参加したため十日ほども留守にしたままの、埃がうっすらとたまった自分の道具屋の中。
それを確認してすぐに、セレナは真っ先にしなければならないことを整理し、頭の中で計画を立てた。すでに『天美法具店』から持ってきた宝石板と扉の交換は頭の隅に追いやられていた。
巨塊の討伐作戦が実行されてからは満足に食事と睡眠時間を摂ることが出来なかった。
いくら冒険者として名うての実力者とは言え、作戦実行前から飲まず食わずの彼女の体にはこの強行軍は堪えた。蓄積された疲労は想像の斜め上を行く異世界への転移のこともあり、彼女に自覚を与えないまま彼女の体に襲い掛かっていたのである。
頭の中で考えた計画の日程は思った通りに進められなかった。
半日だったはずの予定が一日がかりでようやくたどり着いたバルダー村の討伐現場。
しかし既に本部は撤収。洞窟は本部が設置されていた広場も含め立ち入り厳禁とされていた。
警備員はおろか、人影もないそこには、とても上ることは出来ないほど高いバリケードで覆われていた。
何の手がかりもないその場所を前に、セレナは休む間もなく引き返すしかなかった。
普通の人間の徒歩でも、一日あれば一往復しても体力の余裕が残るはずの距離。
一刻も早く店に戻るため夜を徹して歩く。
それまでの間どちらの村もひっそりとして、竜車や動物車どころかすれ違う人もいなかった。
ようやく戻って来れたセレナの店。
流石に休まずにはいられなかった彼女は、店の入り口にへたり込み、そのまま泥のように眠った。
落ち着いて考えて行動すれば無駄な体力を使うこともなかったはずだし、普段の彼女ならそんなミスをすることは絶対にないはずだった。
しかし過ぎてしまったことはやり直しは出来ない。
半日経って目を覚ましたセレナ。
営業範囲が限定されている動物車を乗り継いで、天流法国の首都、ミラージャーナの皇居に到着したのはそれから一週間後。
皇居内の一般立ち入り区域内には、巨塊討伐本部ならびに事務処理の部署がまだ設置されていた。
セレナの想像通り、自身は行方不明者リストに入っていた。
自己申請により、セレナ=ミッフィールの名前はそのリストから生存者リストに移された。
「ウィリックも行方不明かもしれないってことは予想してたけど、まさかこんなに大勢の人たちが行方不明になってるなんて思わなかった……。あ、あの、こうなった状況の説明とか、概況の解説とか知りたいんですが」
「ここではリストの備考欄変更の手続きだけなんですよ、セレナさん。どんな立場の人から質問を受けても、当方のできることはそれだけです。他の受付で聞いてみてください」
目的の一つである生存者リストへの更新手続きではそのように言われた。
その指示に従い、目につく受付に足を運ぶセレナ。
「すいません、他の行方不明者の消息を聞きたいのですが」
「ここは死傷者の保障、補填に関する受付ですので返答しかねます」
回って歩く先の受付では、担当する手続き以外はなしのつぶて。他の行方不明者の詳細を知りたいセレナは、皇居内の巨塊討伐事務局の係をたらい回しにされ続けていた。
しかしたらい回しにされていたのは彼女だけではない。
「あれ? この人行方不明者から外れてる! 生存してるの? それとも死んじゃったの? どっち?!」
「それはそちら関係の受付で問い合わせてみてください」
窓口でそんな問い合わせををしている人達はそんな回答に不満を持つ。
しかしシステムがいきなり変わるわけではない。
文句をいくらどう言おうが、そこではそれ以上の情報は得られないのである。
「やっぱり生存者リストに載ってたよ! で、今どこにいるの?!」
「ただいま手続きを終了したばかりですから、皇居内にまだいるかもしれませんね」
質問した人は、そういう意味じゃない、とやはり不満をぶちまける。
しかしやむを得ない状況ではある。
討伐成功を見越した作戦を立てて、長い年月を要して準備を整えてきたのだ。
それが予期せぬ出来事が起きたため、一転中止に追いやられてそれ以来ずっと事務局は混乱している。
責任者は天流法国国主である法王だが、この事務の現場ではその存在は必ずしも問い合わせする者が求める答えにはならない。
しかし討伐隊に所属していたセレナは何度か法王ウルヴェスに会っている。
面識もあるはずだから、お会いすればいろいろ話を伺えるかもしれないとも考えたが、肝心のウルヴェスはその後処理で忙しくあちらこちらに顔を出している。事務手続きの受付にその所在を聞いたところで判明するはずもない。
「……私だってこうして戻ることが出来たんだから、ウィリックだって、他の所の部隊の兵達だってきっと戻って来れるに決まってる……」
情報の収穫が何もなかったセレナ。普通の冒険者よりもはるかに上回る、自身が持つ魔術魔力も、今のセレナを満足させることはできない。
自分にこう言い聞かせ、何の根拠もない思い込みを強くすることで自分の気持ちを誤魔化し、いつまでいても埒が明かない事務局を後にした。
帰り道に要する期間も一週間。
彼女はいくらか気持ちを落ち着かせ、ようやく帰宅と相成った。
しかし『天美法具店』の店主からの指示で作ったあの板は、再び疲労困憊の体に休息を与え、何とか体力回復して起き上がる時までほったらかしにされたのである。