近所の客一組目 1
集中して進めていく作業が一区切りついた店主はゆっくりと立ち上がりストレッチ。
強張った体をほぐしていく。
その際の呻き声が割と大きく、隣のカウンターにいるバイトと警備の四人の耳に届く。
「タイミングいいね。そろそろお昼だ」
「じゃあ私とキューリアでお昼の準備してくるわね。何かあったら声かけてね」
警備役のヒューラーとキューリアはセレナとは旧知の仲。
仕事がオフの時は互いの私室に訪問し合うこともある。
ウィーナとミールよりは二階の勝手を知っている二人が食事当番を引き受けた。
「テンシュさーん、お昼ご飯そろそろだから休みません?」
声をかけても店主の機嫌を損ねることはないと見たウィーナは昼食の時間を店主に告げると、もうそんな時間か、と店主は時間を確認する。
「あ、食べるの? 何にも食べなくても平気な人かと思った」
「んなわきゃあるか」
集中し続けている限り、休憩がなくてもいつまでも仕事を続けられる。
だからと言って体を労わる必要がないわけではないし、健康管理がずぼらでもないし無関心でもない。
時間をかけて体をほぐし、ようやく体が全体の動きが滑らかになって作業場から出た。
「運動不足だよね」
「体力つけるトレーニングするといいんじゃない?」
「忠告は有り難く受け止めるがそこまでする暇はねぇし、それでバイト料は増えねぇよ」
「「いや、考えてないし!」」
グダグダな会話をしながら二階に上がる。
すでに食事当番の二人は五人分の昼食の準備を終わらせていた。
「お、ちょうど来たね」
「テンシュも来てくれたわね。適当に座っていいわよ」
「あ、はい……え……何これ……」
「うっそ……すごすぎる……」
まだぎこちないミールを姉は気遣い、ヒューラーとキューリアの二人と向かい合う席に座ろうとしたが、テーブルの上に並んでいる料理が双子の脳と感情を支配した。
「……昼にステーキ……」
店主はテーブルの上に並んである料理を見てぼやく。何度もここで食事をしたことはあるがこの世界の食生活はなかなか慣れない。
味は好みの物もあるが、一般人とは違う冒険者のもてなしだからかもしれない。
だがまさか昼から、厚さが十センチくらいある肉の塊が出るとは想像もしていなかった。
しかし双子が驚いた理由は、店主とは違う視点だった。
「こ……これ……ドラゴン種の肉じゃないの?」
「こんな大物……いるの……?」
「森林や山岳上空で割と見かける飛行タイプね。流石にドラゴン仕留めるには二日三日じゃ無理よ」
「それでも高級食材の一つだけどね。まぁ私達への報酬代わりとあなた達の仕事の励みって意味らしいわよ?」
セレナが用意してくれた物らしい。
もっともこの四人のために用意した物ではなく、常備されている食料の一つ。
その中で質の高い物を準備しておいたということだった。
「俺にはとても食いきれん。つか、俺が食っても大丈夫なのか? あ、傷んでるとかそんな意味じゃなく、な」
今まで店主はここの世界の食材を口にしたことは何度かあるが、特別な物と知ると流石に異世界の者の体に合うかどうか心配になるのは仕方のないことかもしれない。
「大丈夫だと思うわよ? この世界の人種も普通に食べてる物だし」
ヒューラーの何気ない一言が双子の耳に引っかかった。
「え? この世界の人種……って……」
「テンシュさん、この世界の人じゃないの? って言うか、テンシュさん、ここの人じゃないの?!」
「ちょっとヒューラー!」
「あっ」
キューリアは慌てて口を塞ごうとするが時すでに遅し。
セレナが一時行方不明になった事情の説明上、いくらなるべく隠そうとしても打ち明けなければならないこともある。
異世界の存在がそれ。
人の口に戸は立てられない。それは仕方がないし、逆に説明がないとかえって不審に思われる。
双子にそれを知られたのはセレナが悪いわけではないが、口止めをしなかった手落ちは責められるかもしれないことだろう。
だがどのみち手遅れである。
「あー、取り分ける小皿があったら有り難いかな。もし口に合わなきゃ残りはお前らで四等分……、あ、バイトの二人で半分こはどうだ?」
「え? いいの?!」
「ほんと?! 余ってももらっていい?!」
単純な性格のようで、思い付きとは言え、彼女らが目を輝かせるほどの物に話題を変えると二人はそれに釣られ、話をはぐらかせることには成功した。
実際食材を無駄にするよりは、口にすることで喜ぶ者に分ける方が有意義というものである。
小皿を受け取った店主が自分で食べる分を取り分けている間、どれくらい更に残るか楽しみに見続けているミールが店主に話しかけた。
「それにしても客来ないよね、テンシュさん。そういう店なの? ここ」
「知るか。宣伝とかしてないからじゃねぇのか? 詳しい話聞くつもりないから俺は知らねぇ。物作りさえ出来りゃ文句はねぇからな」
口に合わなくても食べきれる分の大体七分の一くらいを取り分け、八百グラム以上はある残りを双子の前にその皿を滑らせた。
二人は目を輝かせて半分に分ける。
その二人を見るヒューラーとキューリアは、まるで我が子を愛おしく見る親の目をしている。
「昨日の出来事を思うと、こうなるなんて予想もしなかったな……。ん、味はいいけどちょっと脂っこすぎるかな……」
「滋養強壮の効能もあるから、そのせいかもね」
「部位によっては薬効もあったりするからね。これは完全に食用だけど」
物足りないと思われるくらいしか取り分けなかったが、それと他の料理を全て食べきるとちょうどいい満腹感。
四人はまだ食事中。店主は先に席を立つ。
「え? 食休みしないの?」
「休まないと体に悪いよ?」
「休むなら夜にゆっくり休める。動ける時には動く。それだけ」
店主はヒューラーとキューリアからの気遣いを聞き流し作業場に向かう。
一階に降りたちょうどその時、老人が一人、『法具店アマミ』に入ってきた。
「失礼。誰かいますかな? ……珍しいモンが並んでおるの……。お、昼休みでしたかの? なら少し待たせてもらいましょうかの。この椅子、借りますぞ」
白い髪の毛とひげ、そして顔や手の甲のしわで高齢と一目で分かるその男性はしかし腰も曲がらず杖もなし。ゆっくりと店内を眺めながら進んで行く。
まるで街中を散歩して、『法具店アマミ』がそのルートの途中にある公衆の休憩場所であるかのように、カウンターの前のソファに座った。
「お気遣いはいりません。何か御用ですか?」
来客が年老いた者だからということなのか、この店の来客へは初めての丁寧な言葉遣いである。
「ワシはこの店の向かいの並びの店で防寒具を扱っとる店をやっとるチェリムっちゅうもんじゃ。もっとも代替わりして息子がやっとるんじゃがな」
「ボーカング?」
店主が聞き返す。
「昔は帽子専門店じゃったが、息子に代替わりしてからは防寒具が中心になったの。ま、どのみちワシは隠居の身。のんびりと毎日を過ごさせてもらってるのさ」
背の低い老人の耳は尖っている。
店主は時折目にするセレナの耳を思い出した。
「……この店の昔の事は知りませんしこの地域についてもそうです。セレナって言う女性に無理矢理連れて来られて、一応テンシュと名乗ってはいますが。それに事情もあって、相当な理由がなければ店外に出られないんですよ。だから近所にどんな店があるかも分かりません」
「セレナちゃんから誘われたんか。道理で初めて見る顔じゃ。この店しばらく休んでおったろ? それまではこんな風にちょくちょくここに来てたんじゃ。セレナ嬢ちゃんがこの後もずっといるっちゅうんなら、また寄らせてもらおうかの。これでもわしはセレナちゃんと同じくエルフ種でなぁ」
話し相手は他種族よりも同じ種族との会話の方が、感性が近いということもあり話が合いやすいらしい。セレナもチェリムが来るのを歓迎しているという。
そんな体験はまだしたことがない店主は、そんなものかと思う。




