店主とエルフは互いの世界を知る 14 店主の主義主張
店主が宝石岩にペイントを施してから一週間。
『天美法具店』への来訪者は日に日に増えてきている。
とは言え、店の中に入ってくる人数はそれほどでもない。
商店街のかつての賑わいを取り戻しているわけでもない。
店のすぐ外側の大きな宝石岩を塗装して描いたゆるキャラもどきが意外と好評で、それを見に来る人が増えたのである。
岩の形状が七福神の恵比寿の体型に似ていることからそれを連想させる胴体を描き、顔は招き猫が笑ったイメージのデザイン。しかも使ったペンキは、その材料には人を寄せ付ける力を感じさせる塗料を使用した。
店主はその効果を狙ったのだが、それは従業員達にも与えたようで、以前にもまして社内の雰囲気が良くなっていった。
「香月先輩。最近妙に自分の仕事の量増えてるんですが、その分売上上がってるんですか?」
社員のほぼ全員が事務室で昼食をとる。
昼休みがもうじき終わりそうな時間に炭谷はやや疲れた顔をしながら、隣の席にいる香月瑞穂に訊ねた。
先代店主の時代に社員になった香月瑞穂は経理を担当している。
来客数は増えてきているとは言え、目覚ましいほどではない。
だが物理的な意味でのこの建物の中にいる従業員の中で、忙しさに一番加速度がついてきているのが彼である。岩にペイントされたことが機となったとしか思えないタイミングである。
「下火になってるけどまだブームは続いてるみたい。売り上げの増加率はパワーストーンが一番高いのよね。塔婆みたいに安定しないけど極端に下がるってことはないから、消耗品としては我が社を支える柱の一本って感じよね」
塔婆とは、寺の法要などで飾られる、僧侶が墨などで字を書き入れる縦長の木製の板である。
主に寺から定期的に大量に注文が入るので在庫を欠かすことは出来ないほど売り上げに貢献している品物だが、注文が一回入るとその寺から来る次の注文までしばらく間が空く。
定期的に売り上げが高くなることはないパワーストーンだが、アクセサリーやプレゼントとして喜ばれるため、ショーウィンドウの前に陳列することで人目に触れる機会も増え売り上げが上がる。
それが宝石岩によって遮られたのだが、店主の機転で店への注目度が上がり、結果として以前よりも人気が高くなった品物の一つである。
パワーストーンと言うと、産地の歴史にあやかったり宝石として自然に生成されるまでの間に地球からのエネルギーが加わったりした影響を受けたりして、その効果が身につける者に及ぼすとも言われたりする。
しかしこの店で作られるそれらを使ったアクセサリーは、他の店や業者が扱う物とは段違いで評判がいい。
店主が能力を一番発揮できる分野だからである。
そして加工に失敗しても別のアクセサリーに流用できる分、店主よりも未熟な腕の従業員にもその仕事は安心して任せられる。
結果、炭谷が一番忙しくなってきている。
「ブラックオニキスを加工してるんだが、もう俺は限界か……」
「何訳分かんない事言ってるのよ。実践が一番効果的な成長のための訓練なんだからしっかりしなさい?」
若い者同士で励まし合うやり取りを見て、年長者の東雲は頼もしげに微笑みながら見守る。
東雲は時々、先々代の代わりにこの店の行く末を見ているような気分になる。
険悪な雰囲気になったことはないが、それでもそんな事態になる想像がしやすい状況になることもあった。
しかし孫と似た年代のやり取りを見てほのぼのとしている場合ではない。
「休憩もいいが、宝石関係は社長と炭谷君しかいないんだからしっかり頼むぞ? 香月さん、そろそろ業者との打ち合わせの時間だから出かけてくる……ぅおっと!」
事務室から出るその時に急いで入ってきた大道とぶつかりそうになった。
「うわっ! す、すいません! 炭谷先輩いますか?! 助けてくださいっ!」
「助けてくださいとは穏やかじゃないな。大道君、何か起きたのか?」
「炭谷君ならここにいるわよ? どうしたの? そんなに慌てて」
いくら昼休みとは言え、店舗担当も全員一緒に昼休みの時間をとることは出来ない。いつ来客があるか分からないからだ。
そして自分なりに食休みを十分にとったら、昼休みの時間が終わる前でも担当の仕事に戻る。
大道はこの日も九条と共に店舗担当で、三十分ほど休むと店舗に戻っていったのだが、そこで何かが起きたらしい。目の前にいる東雲に謝るがそれどころではない様子。
炭谷に駆け寄って無理やり連れて行こうと手を引っ張る。
「お、おい大道。何をそんなに焦ってんだ。俺に出来ることっつったら宝石弄りがいいとこだぞ?」
「社長は今外回りでしょ? ほかに頼れるの、炭谷先輩しかいないんですよっ。九条先輩も炭谷君呼んできてって」
「九条さんまで俺を呼んでるの? 何があった? つか、俺、他に役に立つことなんてあったか?」
「大きな声で言うことじゃないでしょ、炭谷君……」
香月の嘆きと東雲のぽかんとした目を背中に受けて、大道と炭谷は事務室を後にした。
今朝の打ち合わせでは、大道の今日の配属は店舗。何かミスがあったとしても九条が怒りと渋い表情を浮かべながらもフォローするはずである。
しかしそうではなく、東雲でも他の従業員でもなく炭谷を呼ぶように大道は言われた。
ということは。
「外国からの客でも来たか?」
「そ、そうなんです。テンシュテンシュって何度か繰り返してたから社長に用事があるのかなってのは分かるんですが、社長もしばらくは帰ってこないし……」
昔の趣味のコスプレにハマりすぎた結果、国際交流めいた体験も数多くしてきた炭谷。
『天美法具店』でも彼がここに就職してからは年に二人か三人ほど来ることがあった。
その最初の一組目の時のことだった。
いつも応対する店主がちょうど不在。店内、いや、社内が慌てふためいていた。
何の目的で来たのかは分からなかった。
ただの物好きの見物ならばやり過ごしてもいいのだが、ひょっとしたら商談に来たのかもしれないからそれなりに対応すべきという意見が出た。
しかし満足に外国語が出来る者がいなかった。
「気休めかもしれませんが」
「気休めでもいいからっ」
ということで先輩達に押し出された。
遠慮がちにその客と会話を始めたのだが、それが店の窮地を救った。
彼らはただの見物客ではなかった。
ほんの気まぐれで立ち寄った、彼らにとっては物のついで。気楽に入った店にある商品の中で目を惹く物があり、従業員達に話しかけてきた。
炭谷は仕事を忘れ、彼らと歓談する。
しばらく時間が経ってから店主が戻って来てその会話に混ざった結果、ちょっとした商談に移っていく。
その商談がまとまり、客は帰っていったあとは炭谷への称賛の嵐が起きた。以来そんな客に対しては従業員全員から頼りになる存在となった。
だが今回、大道と店舗にいる九条の顔がやや青い。
そして客の姿を見てドキッとした。
この暑い季節に相応しい、白を基調とした上品で涼し気な彼女の服装は、他の来客の姿には滅多に見かけることはない。入る店を間違えたのではないかと思わせるほど。
入り口にいる金髪の女性の水色の瞳を見て、かつての同類かと炭谷は判断した。
黒や茶色は見たことはあるし、こんな色のアニメなどのキャラクターも見たことはある。
しかし実際には存在しない瞳の色。カラーコンタクトでもつけない限りあり得ない色彩だ。
そう考えた炭谷は奇妙な緊張感から解き放たれ、リラックスして彼女に一言二言英語で話しかけた。
だが彼が期待した言語は帰ってこず、初めて耳にする発音が彼に届く。
そして振り返って二人に言う。
「社長に電話した方がいいよこれ。どこの国の言葉か分からない」
初めて海外の人間とコミュニケーションをとった時は、微かに残っている学生時代の英語の授業の記憶を糸口にして、何とか会話に辿り着くことが出来た。
目の前の彼女とは、その取っ掛かりになるものが全くない。
流石の住谷も眉間にしわを寄せてさじを投げた。
連絡を受けた店主は会合が終わってすぐに店に駆け付ける。
「セレナ……」
来訪者を見るなり不機嫌な表情を露わにした。
従業員達にはよその国から来た一人の客。
その客に対して店主のそんな嫌悪感丸出しの態度は、九条ですらそれを咎めることを躊躇わせた。
自分達が知らないうちに出入り禁止にした客ならば、店主のこの態度も納得は出来る。
ところが、追い出すだろうという従業員達の予想に反して、店主はその来訪者を応接室に招き入れた。
二人の間柄を勘繰るが、いくら上階に住んでいると言ってもプライベートをこうまであからさまにすることは今までなかった。
だが茶の用意もいらないという店主の指示。そして店主が来てからの客の神妙な顔つき。
買い物客でもなさそうだし、店主と親密な関係というわけでもないように見える。
「店の方、頼むよ」
従業員達に店主は告げて、客を連れて奥に引っ込んでいった。
「……ま、まぁ当人同士の話し合いってこともあるだろうし、店主にはあの言葉理解できるってことで……。俺は仕事に戻りますね」
微妙な空気の中炭谷は奇妙な後ろ髪を引かれる思いを引きずるが、刃物などを扱う仕事のためそこはしっかりと気持ちを切り替えて作業室に向かう。
他の者達は客への興味半分な思いもあって、店主についていなくてもいいかと心配もしてしまうが、人を寄せ付けない雰囲気を漂わせることも珍しく、後で詳しく聞く事にして、目の前の仕事に取り掛かる。
同じような客が現れた時の対処について考える必要もある。
一方店主は応接室に入る。
二人きりになるとセレナは部屋に通訳の術をかけた。
ソファに座ることなく目を伏せがちにしたセレナは店主に話し始めた。
「あの……あの……ですね……。か、看板一つでなんであんなに怒るのか、怒られなきゃならないのかって、正直分かんなかった」
店主は無表情のまま腕組みをしてセレナの言葉を待つ。
こっちの世界に来たからには、自分に伝えたい結論を携えてきたことは間違いないだろうから、自分が口を出すのはセレナがそれを吐き出してからと決めていた。
「テンシュさんには手伝ってほしいことがあって、手伝わせてやるとか黙って言うことを聞けとか、そんなことをしたいんじゃなくて……。私みたいに別の世界に飛ばされた人達がたくさんいて、それで」
「そっちの事情を知ろうとは思ってない。お前が俺にどんな気持ちを持ってるかを示せってことだ」
セレナの話を途中で遮る。
いてもらったら便利、ということで酷使されたのでは、いくら望む報酬を貰えたとしても限度というものがある。こき使われるのは真っ平ご免。
しかしセレナの返事は意外にも。
「それは無理」
即答である。
だが店主は険しい表情を変えず腕組みをしたまま。
彼女の話は続くのを分かっているかのように次の言葉を待っている。
「今ここでそういうことをしようとしても信じてもらえないから。……私の世界では割と人族を見下す人達はいる。私の店にいる限り、テンシュさんのことは絶対に私が守る。それは他の客に対しても同じだけど、人を傷つける目的の暴力や魔力は、建物の中での発動は封殺するようにしてるし。テンシュさんが向こうの店で留守番することになっても大丈夫」
これがセレナの、今現時点で店主に伝えられる誠意の精一杯。
その店主を見るセレナの目には力が入っている。
「……前にも言ったと思うが、ここでの仕事よりもお前の店での仕事の方が、よっぽど質の高い仕事が出来る。客だってそれを望むだろうよ。だが俺の仕事に指図したり横やり入れたり、仕事の邪魔になるようなことをされてその結果仕事の質が落ちて客を失望させることがありゃ、腹が立つなんてそんな低レベルの話じゃねぇ」
その気持ちは、質は劣るかもしれないが同じ製作者として激しく同意できる。
店主の話にセレナは強く頷いた。
「途中で仕事を放棄したって文句は言わせねぇし、そうするつもりだ。こことは違って俺の作る道具に命を預ける客が多いんだろう? 失敗作を手にして、それに命を預けて命を落としたなんてことになったらそれこそ道具屋失格だろうよ。看板降ろすのがせめてもの償いだ。仕事を途中で放棄するのは、望み通りの道具を作れなくなったせめてものお詫びってことだ。失敗作を売るわけにも渡すわけにもいかねぇからな」
店主の物作り対してのプライドしか感じられなかったセレナだが、店主のこの話でその仕事に対する覚悟を感じ取れた。彼女の顔がさらに引き締まる。
「仕事にベストを尽くす。俺の身の安全を保障してもらうのは、楽な気持ちで生活したいってんじゃねぇ。仕事中に気を散らさないようにする。そのために必要なことだからだ。もちろん何から何まで俺の世話をしろって話じゃねぇよ。手前の日頃の健康管理は自分でするさ。だが向こうの世界ならではの事故かなんかは未然に防いでもらいたいってこと。ここの世界にはあり得ないことが起きるかもしれねぇからな」
「もちろんそのつもり。だけど時間が来たら食事くらいの世話はするつもりよ?」
「別にVIP対応しろって言ってるわけじゃねぇ。互いに軽んずるな、意見を尊重しろって話だよ。最初にお前の店で改良した双剣な、装飾品の素材を活かすにゃ別の武器の方がさらに良くなる可能性もあった」
セレナの顔が、一気にハトが豆鉄砲を食らったような顔に変わった。
こういう武器も置いていた方がいいだろう、という安易な発想で作った双剣。
視点が明らかに店主と違う。
「けど、作った物は何か。刀剣だ。あの刀剣をこん棒か何かに作り直したら、お前、どう思うよ?」
「そりゃあ……あ……」
「自分の存在に価値はないのか、ってとこまで言い争いになってたと思うぜ? 形は変わったが、看板の意見だってそう言うことなんだよ。ま、名前だけなら俺には違和感はないし、この店の名前に思い入れがあるっつーんならそれでもいいけどな」
「あ、うん。ありがとう……ごめんなさい」
あまりいい顔はしないがセレナの店の改名は了承。
そしてセレナの手伝いの再開も承諾し、店主は本格的に異世界での仕事を始めることになる。




