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眠れる王子様

作者: 坂本瞳子

武クンはまだ一四歳くらいにしか見えなかった。

背は低い方ではなかったけれど、貧相な身体が幼く見せたのかもしれない。

背中には大きなミミズ腫れの傷ができていて、肩や腕や脚にはかすり傷と火傷の跡や打ち身と思われる痣が数多くあった。

長い睫毛が美しく、輝く瞳を想像しては、この重く閉じられたままの目蓋をこじ開けたいと願う衝動を何度も抑えつけた。

左目を覆うくらいの痣ができていて、真正面から拳を突きつけられたことが想像された。

白昼に運び込まれて来た少年は、傷だらけでありながら、無防備なほどに美しいことが誰の目にも明らかだった。


土手の上にうつ伏せで寝ていたらしい。

平日の真昼間。

気づいたのは、近所の主婦。

買い物ついでに考え事をしながら散歩をしていて、思わぬものを見つけてしまった。

最初は学校をサボった中学生が居眠りでもしているのかと思って、放って置こうとしたらしい。

しかし、乱れた白いシャツには血が滲んていて、首筋には赤痣が見えた。

軽く触れ、揺すってみたが反応がない。

死んでいるのか?死体に触れてしまったのか?いやいや、冷たくはない。まだ血が通っている温かさだ。

慌てて携帯電話を取り出し、救急車を呼んだ。


致命傷は受けていなかった。

先生や看護師たちは、虐待を受けているのか、SMクラブを体験したのか、悪い大人に弄ばれたのかと噂した。

警察にも事情は説明したが、本人の意識が戻らないと捜査はなんとも進めようがなかったらしい。

背中のミミズ腫れは痛々しく、全身に見られた傷跡は恐らく蝋を垂らされたり、火の点いた煙草を押し当てられたものだと想像できた。


二日後には母親がやって来た。

捜索願いが出ていたそうだ。

隣町に住む武クンは一〇日も行方知れずだった。

母親は少し取り乱していたが、すぐに落ち着いた。

夕方には一つ歳上の兄である悟クンもやって来て、さらに落ち着いた。


悟クンの端正な顔立ちは、銀の細い眼鏡の縁が冷たさを助長していた。

しかしながら、ますますもって、武くんが意識を取り戻すことが楽しみになったと言っては不謹慎だろうか。

年子の兄である悟クンは一八になったばかり。4月生まれの武クンは一七であることも分かった。


夜には父親がやって来た。

母親はやっと見つかったのだからといって、意識を取り戻すまで武クンに付き添うと言い張った。


武クンの点滴は続いた。

私はこの交換作業を心待ちにした。

少しでも美しい武クンの様子を見ていたかった。


ここへ来て三日後、武クンは目を開けた。

悟クンはどちらかというと美しく、武クンはあどけなさというか可愛らしさを多く兼ね備えていた。

母親は安心したあまり涙を流した。

武クンは声がかすれて出せずにいた。

夕方には悟クンが、夜には父親がやって来た。

その頃には少し喋れるようになっていた。

ゼリーもなんとか食べられた。

しかしながら、どこでなにをしていたのかと聞くと、ひどく怯えた様子を見せるばかりでなにも言えなくなり、全身を震わせた。


母親は今夜も泊まると言ったが、先生の勧めもあって家へ帰ってもらった。

武クンは優しい声で帰るようにと進めていた。

こんな日に夜勤だなんて、幸運としか言いようがなかった。


消灯時間の九時を三〇分ほど過ぎて、見回りに出た。

武クンは寝ていた。

…泣いていた?

両の頬に涙の筋が残っていた。

この端正な美しい顔に、こんな涙の筋が…と手を伸ばしたとき、武クンは目を開けた。

私は慌てて自分の手を引っ込めた。


「ボク、行かなくちゃ。」

「どこへ?」

「ドリームランド。」

ああ、あの武クンが見つかった土手の反対側にある裏野ドリームランドのことか。

「あそこはもう廃園してるでしょう?」

「でも…」

武クンは怯えた目をして、震えながらもか細い声でいった。

「雄人がまだあそこに…」

「お友達が?」

「うん。」

「分かった。アタシが行ってみる。武クンは安心して寝ていてね。」


武クンはなんとか寝付いた。

意識を取り戻したばかりで気が少しおかしくなっているのだろうか。

すでに営業していない遊園地に友だちがいるだなんて。

だいたいあそこの遊園地はなんだか変な噂が多くって、行く気はまったくしなかった。

観覧車の近くを通ると声が聞こえるとか、メリーゴーラウンドが夜廻ってるとか。

で、気がついたときには廃園になってて、それが何月何日だったのか、理由がなんだったのかとか、どうもよく分からないんだよね。


夜勤明けで早々に帰るところ、武クンの母親は居ても立ってもいられないといった体で、病院へやって来た。

いいとこの人なんだろう。いつも身ぎれいにしてて、挨拶もちゃんとしてくれる。

武クンがよく休んでいたと話したら、随分安心していた。

「雄人くんてお友達います?」

母親の顔は一変した。

雄人クンは、武クンが失踪した同じ日の夜に亡くなったとのことだった。


雄人クンは武クンと高校に入学して以来の友だちだったそうだ。

その日、雄人クンは塾の帰り道に交通事故にあったらしい。視界の悪い曲がり角で車に跳ねられて即死だったそうだ。

武クンの行方が分からなくなったのは同じ時間帯で、事故となにか関係があるのか、その衝撃でどこかへ行ってしまったのかと家族はただならぬ心配をしていたとのことだった。

雄人くんの死体は損傷が随分激しかったようで、武クンはその様子を見てしまったのではないかとも言われていた。

こういう事情を聞くと納得できる。

警察は気を配りながらも武クンに事情聴取をしたくてしょうがない。学校の先生やいかにもなクラスメート代表も、なんとも歯切れの悪い質問ばかりを並べ立てる。


ん?でも、どうして武クンは雄人クンがドリームランドにいるって言ったんだろうか。

「その日、二人でドリームランドに行く約束してたんですよ。」

缶ジュースを飲みながら悟クンは教えてくれた。

「まあ、いわゆる肝試しってやつで。ボクがけしかけてしまったようなものなんですけどね。」

つまり、いろんな噂が聞こえてくる廃れた遊園地に男二人勇んで行ってみようという話になったということで、悟クンもそれを聞いてはいたのだけど、そこまで付き合う気はなかったそうだ。

「両親には内緒にしといてください。心配するといけないから。」

悟クンと小指を絡めて指切りげんまん、そして秘密の共有。こんなことがなんだか嬉しかった。


そして、どうゆう訳だか、私は裏野ドリームランドに行ってみる気になってしまった。


とはいえ、一人で夜中に廃れた遊園地に行くのはねぇ。と言って、昼間に行けないし…。なんてことを考えているうちに数日が経ってしまった。

武クンの体調は順調に回復していった。最近では少しずつ食事も取れるようになっていた。

左目の周りの紫色も取れてきて、眼帯も外せるほどになっていた。

「早川さん、ドリームランドには行きましたか?」

「ん、明日のお休みには行くつもりだよ。明日こそね。」

なんとなく、そう答えずにはいられなかった。

「必ず、お城から雄人を助け出して来てください!」

「う、うん。」

非力が込められた武クンの手が美しく、私に拒否する術はなかった。


う〜ん…。とりあえず来てしまった。裏野ドリームランド。なんだかやっぱり気味が悪い。

どうしようかなぁ。ひと目もないわけじゃないし。

あれ、裏門の脇のあそこ、穴が空いてて小さい子どもなら通れそう。アタシじゃ無理かな?

あ…、ノラ猫が通ってった…。

「タマ!タマ〜、待ってぇ〜。」

なんて、アタシもよくやるな。金網の穴、無理やり広げて通って来ちゃったよ、猫追いかける振りまでして…。

と、入って来ちゃったけど…、どうするの?この広い遊園地の中のどこをどうしたらいいのかな。

んーと、お城って言ってたっけ。これかな。ドリームキャッスル。


な〜んか…不気味ィ。旗がいっぱい飾られちゃってー。変にカラフルー。

ヤだなぁ、自分の足音が響くの。

んー、気のせいだよねー。小動物がパタパタ走ってく足音なんて、聞こえない聞こえない。聞こえてるとしたらさっきのノラ猫。

すごいな、このハートの形みたいな階段。眠れる王子様はやっぱり屋根裏部屋に閉じ込められてるのかしら。

でもこの階段、古くてミシミシいって、怖いなぁ。


あれ?

いま、なんか叩く音が聞こえた?

…下の方?

ん?でも、下なんてないよね。

あれ?階段の脇にこんな小さな扉?裏口への通路かな?

ん?なんか音が聞こえるけど、くぐもって…。

下へ下へと私は音の聞こえる方へと階段を降りていった。

何度も折り曲がって、扉をかいくぐって、さらに下方へと降りていった。

そしてきっと、これが最後の扉。この扉を開けると向こうにはきっと音を立てているなにかが繰り広げられている。

そしてきっと雄人クンという王子様もそこにいるはず。


私は息を飲んでドアノブを回した。鍵がかかっていた。

中から喚き声が聞こえる。

強くドアを打ち叩いてみても、蹴りつけてもみても押し開けることはできない。

私はドアに体当りした。一度、二度、そして三度!

扉は開かれた!

私の目の前には…、磔にされた青年の姿があった。

その向こう側には鞭を手にしたピエロが不気味な笑みを浮かべていた。

遊園地の係員と思わしき作業服の人たち、仁王立ちする着ぐるみたちそれぞれが武器を手にしていた。

私の背後の扉は大きな音を立てて閉じられた。

そして私は悟った。

ここから生きて帰れることなどないのだと。

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