新歓幻霊事件
※この小説は特定の団体を記号的に揶揄する表現が含まれています。不快に感じる可能性のある方は閲覧をお控えください。
新歓の季節が近づくにつれ浮かんだ一発ネタです、悪ふざけ御免。タイトルは某型月のスマホゲーのタイトルパロですね。ちゃんと舞台も新宿だったり。
【20XX年 4月X日 PM20:00 旧コマ劇前】
小松は大きく息を吸い込み、ふうぅぅっ、と長く吐いた。地面に向かってする深呼吸は、肺も窮屈だし、さっぱり清々しくない。むしろひと呼吸ごとに具合が悪くなっていく気がする。心臓が耳許にあるかのように、動悸がうるさい。生ぬるい汗も止まらない。
(あーあー飲みすぎだよ~コマっちゃん~)
(ピッチャーごとイッキとかするからぁ)
(ク○イスじゃあるまいし)
(だめだその名をここで出すな!)
コンパの席で知り合った連中が、周りで好き勝手に喋っていた。彼らの声がどこか遠くからエコーのように頭に響いて、余計ムカムカしてくる。
「ちょっと、今静かにし……ウップ」
彼がたまらず制止の言葉をかけようとしたが、
(おおーコマっちゃん出すンか、ついに出すか!)
(ミカちゃんー、コンビニでテキトーに水買ってきて、ほんでレジ袋ごとちょうだい)
(えーいいけどお金あとで建て替えてー)
(ケチかよ! はよ行け!)
(おい、ちょっとここでは我慢しろよ、ここはヤバいって、ク○イス出るから)
お構いなしで騒ぎまくる他の連中。この中で何人がサークルの同期として残るのか分かったもんじゃない、そう思うとありがたみのない取り巻きである。
喉の奥の方から、燃えるような感覚がせり上がってきた。いよいよお出ましだ。
「――ッぇっほ、ウっ……」
必死でえずいても、気泡と少量の唾液が出ただけだった。不発弾の悲しさたるや。
(ギャー! やべぇって!)
(ミカちゃん間に合え、超間に合え!)
(タケル、肩担いでコマツを4丁目まで運んで! そこの広場にトイレがある!)
(あそこモスキート音うるっせーからやだ)
(ク○イス出るのとどっちがマシだ!)
(俺別に信じてねーしそれ)
(いいから担いで! 反対側は俺やる!)
(はいはい)
肩を運ばれながら、どうしてこんなことになったのかを小松は回想した。
遡ること二時間前。彼は入部希望の軽音サークルの新歓コンパに参加していた。ユルめの活動方針と優しそうな先輩のPRに押され、ここで華の大学生活を送ってやろう、と確かに決意し、このコンパでの失敗は絶対に許されない、と心得てもいた。
途中まではよかった。上級生は新歓の雰囲気と違わぬ穏やかなオーラで会場を盛り上げてくれていたし、酒を強要されることもなかった。問題が起こったのは、彼の向かいに黒髪の美人が座ってから――
「――って、あの女、どこいった」
(女? ミカちゃんならコマツのために水買いに行ったよー)
「ちげぇ! あいつだよ、おれにゲームふっかけて、イッキさせた、あの黒髪の!」
(あーいたねぇ)
(飲まなきゃ帰れない雰囲気作ってコマツに酒盛ってたあの子か)
(慣れてたよなー。清楚っぽい見た目してたけど案外遊んでたりして)
(あれじゃね、俗に言う『清楚系地雷』)
(うえ~あの子同期になったら間違って手ェ出して破滅しそ~)
(わかる~、ほんでもって破滅させられたい~)
運ばれるままに、小松は連中のトークに耳を傾けていた。とりあえずその女はどこかに行ってしまったらしい。項垂れつつ、吐き気をじっとこらえてどうにか『ク○イス』の顕現を回避する。
彼はつまり、張り切って臨んだ新歓コンパにて、他の新入生女子(?)によって大いに泥酔する羽目になったのだ。
「クソっ、ハメられた……」
【同日 同時刻 思い出横丁 もつ屋「ケロべぇ」】
「クソっ、ハメられた!」
玲二は小鉢に寄せられたモツ煮をヤケクソに頬張りながら毒づいた。
「なんかあったん?」
亮太は串焼きをひとつずつひっくり返しながら、カウンター席の幼馴染に訊ねた。彼は普段、知り合いのバイト先には来たがらないはずである。
「今日うちのサークルの新歓コンパでさ」
「おう」
「出たんだよ、『妖怪タダ飯食い』が。しかもマネージャー志望」
「あ~……。ご愁傷様」
玲二は手近なウェイターに向かってグラスを振り、ハイボールのお代わりを頼んだ。
「コンパもいろいろあるけどさ、うちのとこは夕方の早くから、ファミレスで新入生に割引してるんだわ。まあそんなだから毎年飯目当てのヤツも多いんだけどさ、今日のは随分派手にやられたよ。ステーキから定食からデザートまで、店の一番高いのだけをオーダーして、その卓の二年がトイレ行ってる隙にドロン。いやー、鮮やかだった。女の子だからまさか、って油断してたわ」
「まあ、言うてちょっと払う金増えるだけっしょ?」
「それが、うち体育会だからさ、OBとかうるさくて。それでちょっとゴタゴタして今までかかったってわけ。ったく、新歓担当とかやんなきゃよかったわ」
飲まねばやってられない、とばかりにグラスを呷る玲二は、大学三年生どころか三十路に差しかかる擦れたサラリーマンのような、不必要な風格があった。亮太にはあまり実感がわかないが、体育会には色々と難しい事情があるに違いない。
「新歓って、色んなヤツいるよなぁ。うちのところも『送り狼』出たらしくて、元気に交流してた一女がいつの間にか上級生と一緒に消えて……」
「災難だったな、その一女」
「まあそれは未遂で済んだっぽいけど」
じゃ、ゆっくりしてって、と亮太は玲二から離れ、串焼きを丁寧に盛り始めた。あまり特定の客と喋っていると店主にあとで小言の一つも言われかねないのである。
忙しそうな彼を一瞥してから、これを飲んだら帰ろう、と玲二がグラスの最後の一口を飲み干すと、
「はい、ガツとレバー。サービスしとく」
亮太がカウンター越しに皿を差し出す。
「……なにかっこつけてんだよ」
「グラス振ってお代わり頼む奴に言われたくないな」
茶化しつつ、玲二は恭しく皿を受け取り、豪快に串ごとかぶりついて食べた。
「何だよ、そんな急いで」
亮太は新たな串を焼きながら、子供っぽく焼き鳥を頬張る玲二に苦笑した。
「悪い。部員の知り合いとかに見つかりたくないから、早く新宿出ようと思って」
「見られたら都合悪いのか」
「実は試合前の禁酒期間なんだ」
【同日 PM20:25 新宿四丁目 オカ研コンパ会場】
「今日の新歓コンパ、新入生は飲酒禁止、だったよね……?」
「って、聞かされてるけど。大丈夫っしょ」
康貴は、上級生卓に次々とビールが置かれるのを見て怖気づいていた。あの瓶のいくつかが新入生卓の方に流れてこないか、心配になる。
「ク○イスだけは避けておかないと……」
「なにそれ?」
「知らないの?」
康貴は隣に座る大希に向かって、普段より高めのトーン(仲良くなりかけの相手によくやる類の声色だ)で驚きの言葉を発した。最初のサークル集会で知り合ったばかりの同級生に対して、まずは手の内を知るためのジャブを放つが、
「ん、知らねぇ」
大希という男はその手の情報バトルをまず歯牙にもかけていない、といった様子で返答した。
しょうがないので説明してやる。
「ちょっと前、この大学のサークルが飲酒で問題起こして、全国的に騒ぎになったことがあるんだよ。ネットで検索すれば画像がいっぱい出てくるけど」
ほら、と康貴はスマホで件の画像を調べて彼に見せた。多数の泥酔した女子大生が路端で倒れており、数人の男子がそれを取り囲んだり、女子の足を持って引き寄せたりしている「えげつない」画像だ。
「で、この事件のあと、店で場ゲロしたりコマ劇場前で酔って倒れたりすると、ビニール袋被った茶髪の女子大生がゾンビのように忍び寄ってくる、っていう怪奇現象のウワサが流れるようになったんだって、それが例のサークル名を取ってク○イス、って呼ばれるようになって新入生の間で話題に――」
「あ、このえびせんうめえ」
「聞けよ!」
大希はいつの間にか大皿のおつまみにご執心になっていた。
「ごめん、結構どうでもよかった」
「う、うん……」
突き放され、康貴は返事に窮した。さっき知り合ったばかりの友達に対する態度としては横柄に過ぎる。いくつかの新歓に行った康貴だったが、こんなのは初めてだ。
「へぇ~、今年もちゃんと流れてるんだ、ク○イスの噂」
凝固しかけた空気を察したのか、先輩と思しき垢抜けた雰囲気の男が向かいの席に座ってきた。右手のグラスにはビール。見渡すと、各新入生卓に先輩が一、二人ずつ、交流のために座り始めたようだ。
「去年の新歓の時期かららしいんだよね、急にその噂が流行り出したの。俺いま二年生だから、ちょうど流行りに乗ってたなあ」
「去年からなんですか! なんかすごい定着してるからもっと前からあったのかと」
「噂をするのは毎年の新入生だけだから鮮度がリセットされるし、今はネットのおかげで広まるのもすぐだからねー。ほら、今でも○○同好会と××会は新入生の間で地雷サークル扱いなんでしょ?」
「はい、それも聞いたことあります……。どっちも一見ちゃんとしてそうな名前だからタチが悪いって」
先輩の納得のいく洞察に、康貴はなるほど、と感心していた。さすが、オカ研の二回生というだけある。
「和樹って言います、よろしく! そっちの、ええっと名前は」
「大希です」
「ありがと。大希くんは、なんでこのサークルに? そんなにオカルトとかは興味なさそうだけど、覗きにきただけって感じ?」
「やー。なんか、のんびりできるサークル欲しいなって思ってたんで。なんか浮ついた大学生好きじゃないし」
面倒くさそうに大希が答える。もはや先輩という存在そのものが煩わしい、といった感じだ。
和樹と名乗った先輩はニヤッ、と笑う。
「そういうことなら、ここはいいとこだよ。ほら、あっちで酒呑んでる連中見てみな」
言われて、新入生二人は上級生卓の方を向いた。新入生の接待をしていない男女が数人、マニアックなオカルトの情報だとかミステリー映画の感想だとかを、酒や煙草片手に熱心に語り合っているのだが、大声で飛ばし合っているその内容をよく聞くと、どうもあまり噛み合っていない。会話のキャッチボールというより、ドッヂボールに近いそんな応酬を、彼らは構わず楽しんでいるようだった。
「みんな我が道に生きる連中ばっかだよ。表社会には日和見キメたい、そんならそれで結構。集団でひとつの話題に向かって騒ぐだけがサークルじゃないからね」
「はぁ……」
一歩引いたようでその実熱心な和樹の口車を、やはり大希はしっくり来ない顔で聞き流していた。彼はこのサークルに入らないだろう、と康貴は思った。周りを見渡すと、ほかの新入生も皆、先輩の舌戦に呆気にとられている。これがオカ研流の洗礼なのだろうか?
「ごめんなさい遅れた~」
突然、詫びを告げるおっとりした声が聞こえる。見ると、華奢できれいな黒髪の女の子が、脱いだ靴をビニール袋に仕舞いながら、トコトコと座敷に上がっていた。
「は? 許さんぞ雑魚」
「そういやいなかったっけ」
「リサちゃん本当飲み会遅刻常習犯だよなー」
上級生が口々に、その女の子に向かって怒りや呆れを表明するのを見るに、彼女はこのサークルの上級生らしかった。しかし、言われなければ一女と見紛うほど、その上級生は若々しいなりをしている。
「ごめんごめーん、ちょっと別の飲み会行ってたからー」
『なおのことクズいわ!』
上級生卓がもう埋まっていたらしく、彼女は康貴たちの向かいに座ってきた。
「よろしくね~」
「よ、よろしくお願いします……」
にこやかに挨拶され、恐る恐る康貴は返事した。こうして面と向かってみると、確かに彼女には上級生らしい大人びた雰囲気があるように思える。
「神出リサっていいます、三女でーす」
「えっ……若いですね」
せいぜい二年だと思っていたら、さらに年上らしい。人間見た目では分からない、と康貴は学べた気になった。
「何で清楚系ビッチって感じの格好なんすか今日」
と和樹。
「いいじゃーん、イメチェンだよ」
「ちょっと前までウェイ臭い茶髪ビッチだったのに変わりすぎっしょ、若作りやめろよBBA」
「おい先輩だぞー」
二男と三女がじゃれ合うのをぼんやり見ていた大希が、
「リサさん、ビッチなんすか」
「違うから! 和樹も余計なこと言わないー!」
和樹はひとしきり大笑いした。
「で、何の話してたの?」
「ク○イスですよ、今年も流行ってる、って」
「へーオカ研らしいじゃん」
「もはや懐かしいっすよねー」
「ねー。――今年は新しい噂とか、あるの?」
リサが、くるっと新入生たちの方を向いて訊ねた。
新入生は顔を見合わせてから、首を傾げたり横に振ったり、おのおのの仕方で否定を示した。
「そっか、まだかー。ちょっと広まるの時間かかるっぽいからねぇ」
リサが訳知り顔でそう言うのが、康貴には少し引っ掛かった。
オカルトらしい話はそれきり終わり、履修相談だの、先輩らの大学生活に関する講釈だのの時間が始まった。
「――康貴君はもう気づいたかも知れないけど、」
「……はい?」
「大学ってのは社会の縮図だよ。新歓の頃は人種のルツボすぎて疲れてるだろうけど、結局はそれぞれがいるべきカーストに収まるようになるんだ。んで、上手いこと居場所を整えてお山の大将を気取るのが一番安定できる代わり、あちこち根無し草やってる学生は人一倍面白くなれる。何を選ぶか、だよ」
大学生活について、年長者ぶって持論を展開する和樹。聞けば、彼はオカ研の次期代表に決まっているらしかった。
「なんか、まだよくわかんないですねー」
「そのうち分かるんじゃね? 俺の場合は、まあとある先輩にわからされたっていうか――自由すぎだろ、神出さん。帰っちゃったよ」
「え……ほんとだ」
大希がキョロキョロ見回し、残念そうに呟く。リサの姿は、いつの間にかなくなっていた。
【???】
新歓は大学の四季の中で最も多種多様な若者が集い、流動し、すれ違う時節だと言えよう。意欲的な学生ほどそれぞれの居場所を熱心に探し求め、結果多くの学生が行きずりの関係を築く(キャンパス内で挨拶をするだけの間柄、所謂「ヨッ友」の多くはここで成立する)。そんな環境で、特別に目立った者が例えば現れ、学生間で噂になったとする。その「目撃情報」がありとあらゆるサークルで無視できないレベルの数に膨れ上がれば、噂は実像を結び、彼らの間でより確実な怪異に昇格し得る。
……ここまでなら単なる都市伝説の成立理論として片付けきれよう。だが特筆すべきことに、多くの行きずりが発生する新歓という場では、出会った者の存在が疑問視されることがそもそもない。あのとき確かにコンパで出会った、だから今は見かけないがキャンパスのどこかで彼ないし彼女は変わらず過ごしているだろう。そう「目撃者」たちが信じる限り、怪異は「生きている」のである。こうして大勢が認知した架空の人物像は、都市伝説より高位な「幻霊」として語り継がれ、不可視の影響力を与えるのだ。
たとえそれが、暇を持て余した女子大生の遊びに端を発したものであっても。
不夜城と化した新宿で、一人の女がスマホのメモ帳に目を通す。そこには各所から集めた、あらゆるサークルの新歓コンパの情報が記されていた。
「明日は4つかー、まあ頑張ろ」
明日付のコンパの時程を確認し、意味深に呟く。新入生に扮してあちこちの飲み会に飛び入り参加し、掻き回しては体よく抜け出すのがその目的だった。かれこれ三年生にもなる女だったが、華奢な体型と綺麗に保った肌が奏功し、髪を黒くして化粧を雑にして眉毛の処理を怠ることで一女への偽装に成功している。BBA会心の若作りである。
そうまでして彼女が新歓に忍び込むのは、半分は民俗学的あるいは文化人類学的な研究欲を満たすため、もう半分はただの享楽のためであった。あらゆるコンパ会場で、女は食い逃げを図り、後輩をおだてて潰しかけ、はたまた上級生に媚びて送り狼に仕立て上げようとし、日夜新歓担当の頭痛の種を提供して回っている。去年の軽いいたずら――ビニール袋を被って酔った学生に近づいただけ――は、今や酒癖に対する抑止力として通用しているらしい。かつての自分が「幻霊」として今も生きている、それは彼女の特殊で、しかもオカルティズム的な嗜好をとてもよく擽るものだった。今年はいくつ、どのような「幻霊」を生み出せるのか? 女の完全犯罪録はもうしばらく続きそうである。少なくとも、彼女がボロを出すか、学生たちが飽きるまでは。
「おい、今そこ歩いてたの、例のあの女じゃね?」
「何で分かんだよー」
「忘れるわけないわ、あの、ちっちゃくて、黒髪ロングで、ぶりっ子で、酒強くて――あれ、あとどんなだっけ」
「ぜんぜん曖昧じゃねーか、やっぱ酔っ払いダメだわ」
「おっかしいなー」
「よくよく考えたらあんな出来過ぎた女の子現実にいない気してきたわ」
「マボロシじゃね、童貞の願望が詰まった的な」
「説あり」
「今頃先輩とかにお持ち帰りされてんのかなー」
「でもあの人が潰れてビニール袋被ってんの想像できねーや」
「ああいう子、普段何してんだろーな?」
「さあ?」
「マボロシじゃなかったら、あの子も同じ大学にいるんだよな……」
「おっ、恋してんの? 潰されたくせに」
「違うわ!」
完