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第十四話 夜明けの星

 手持ちの金銭をありったけ失う覚悟をして、楽器店に来ていた。

 《オーリム》には支援者も多いらしく、仮とはいえメンバーであった間はそれなりに稼ぎがよかった。

 それでも楽器とはそれなりに値がはる。

 以前使っていたギターがもう使えないのだから仕方がない。

 生まれ変わった日の朝、目覚めると眠っている間に流れ出た血がギターにしみこんでしまっていたのだ。

 全く不注意だったとしかいいようがない。

 音も悪くなるし人前で使うことも無理だろう。


――あんなに大事だったのになあ。


 子どもの頃から使い続けた愛器を廃棄したことに、何故かそこまで胸が痛まなかった。

 新しい出発に相応しいとすら思う。

 前の伊達とは違う自分を、相棒は認めてくれないだろうという意味でなら一抹(いちまつ)の寂しさを覚える。

 殉死してくれたギターのためにも、かつての相棒にも負けないものを見つけなければならない。

 そんな想いを込めてひとつひとつじっくり見比べる。

 時間を忘れて熱心に取り組む彼に声をかけるものがあった。


「あの、すみません」


 そちらを向けば若い三人の若い男たちがいた。

 どこか緊張の面持ちである彼らに見覚えはない。

 首を傾げ、声のした方を見る。曇りない何対かの瞳がダンテを貫く。

 眩しすぎて笑いたくなる。


「どなたですか」

「この間、ミュージカルに来てくれた人ですよね? あの時演奏を担当していたんです、俺達」

「ああ!」


 あちらから一方的に知られていたわけだ。

 覚えがないのも当然だろう。

 頷き、直に伝えられなかった感想を述べる。


「ミュージカルなるものをあの時初めて知ったぐらいで、具体的なことは何も言えず心苦しいのですが、とても楽しませてもらいました」

「本当ですか! いや、やっぱりまだまだ始めたばかりで、うまくいかなくて」


 それでつい声をかけたということだろうか。

 だが、リーダーらしき青年を肘でつつくメンバーがいるところをみると、まだいいたいことがあるらしい。


「あの、《カレエド》で演奏していたギターの方、ですよね」

「ええ、まあ。それがなにか?」

「ここ数日分、メンバーの演奏に参加していないと聞いて、もしかして《オーリム》を抜けたのかな、と。あ! 別に野次馬根性で聞いているわけじゃないんです、ただもしそうならお願いしたいことが」


 目を丸く見開くダンテに焦る青年だが、別段生意気だとか傲慢なことを思ったわけではない。

 一日かと思っていたら数日眠り続けていたと知り、驚いただけだ。

 道理でからだのあちこちが痛いと思った。


――一日弾かないと三日分遅れるというし。腕落ちてないかな、大丈夫かな。


 今にも練習を再開したくて、うずうずした。

 自宅では騒音になるのでできないし、適当な路上にでも行こうか。


「そうですね、その理解で間違いないと思います」


 知る前であれば、《オーリム》に留まる気も起きただろうが、今となってはあそこに居続ける気持ちはない。

 楽器にちらちら視線を奪われる。そのたび、正直な目玉を目の前の青年に向け直す。


「お願いって? おれにできることはそう多くないですよ」

「その、おれたちのバンドに加わってもらえないでしょうか!」


 いきなりな誘いに顔をしかめる。

 ダンテにはもうどこかに属すつもりはなかったからだ。

 ミュージカルという性質も少々方向性が違う。

 彼らの音楽には、歌も言葉も踊りも物語もある。

 いくつもの調和を目指せるほど器用ではない。


「悪いけれど、しばらく何かのメンバーになる気はないんです」

「ああ、別にずっとじゃなくてもいいんです。一時期だけでも」

「何故?」


 そうきくと言葉がとまってしまう。

 他のメンバーはちらちら青年をみるだけで、もぞもぞしていた。


――さては他のメンバーにつっつかれただけで、特に理由があって話しているわけじゃないな。


 リーダーにしては覇気がない。

 彼には悪いがルシィと比べてしまい、せっかくつくった笑顔が曇る。

 敏感になっているリーダーは慌てふためく。その背後からすっと新しいメンバーが現れた。

 そのプライドが高く神経質そうな眉に、以前の過去が掘り起こされる。


「ところでギターは?」

「ちょっと壊れてしまってね。心機一転で買いに来たんです」


 《オーリム》のメンバー面接の日にいたドラマーだ。

 海外文化であるミュージカルの存在を知っているぐらいだ。学も金も、思い切った挑戦にはしる程度にはあるだろう。

 彼は、このいかにも教養深いメンバーの同級生か何かなのかもしれない。仲良しには見えなかった。

 純朴で人のいいお坊ちゃんといったリーダー達とは毛食が違う。


「そうなんですか。練習のし過ぎかな? しかし結局辞めるとは、勿体ない」

「自分で決めたことですから。それで? 終わりならいっていいかな」

「いやいや。つまり今あなたはソロでしょう。どうです、小遣い稼ぎに。あなたも食わなきゃいけないはずだ。なんならギターも買って差し上げますよ」

「誘いは有難い。ですが、そこまでする価値がわかりません。お互い気ままにやりませんか」

「わたしには利があるんです。ちょっとでいいからあいつらを悔しがらせたい」

「はあ」


――これはまた厄介そうだなあ。正直深く関わりあいにはなりたくない。


 負の感情は心という内臓に著しい負担をかける。

 好き好んで入り込むほど物好きではない。

 しかし、こっそり財布に触れる。厚いふくらみは蓄えのほとんどだ。

 できればギターで食いたいが、目当てだけつけて稼ぐ場合も考えていた。

 自分の相棒は自分の金でむかえたいというこだわりを無視すれば、彼の誘いは魅力的である。


「では……楽器の値段分、一定期間だけ演奏させて頂く、という形なら」

「それはよかった! 交渉成立です。お名前をうかがいたい。わたしは蓮池です」


 天使(ちんもく)が横ぎる。

 胸をなで下ろしながら眉を下げる彼らに、誤魔化した笑顔を向ける。


「一時とはいえ仲間になるならもう敬語はいいかな? 名前は、そうだな。おれのことはダンテと呼んでくれ。そっちの方がしっくりくる」


 どこから見ても東洋人の男がそう名乗るのに、彼らは顔を見合わせた。

 ドラマーは嘲るように唇の片方をつりあげ、手を差し出す。

 気障に白い手袋をはめたままの指は覆われて輪郭が見えない。熱のないざらりとした感触は愉快とは程遠い。


「練習はいつごろ、どこに行けばいいかな」

「《オーリム》と同じアパートだ。あそこはわたしが管理していてね」

「ああ、なるほど」


 あれだけ自信満々だったのにはそのような理由もあったか。

 軽く笑ったのが気に食わなかったらしく、繋いだままの手が痛み始める。

 付き合う気はない。ぱっと離す。

 詳しい日時をメモして、さっさと目当てのものの方へ足の向きを変えた。


「じゃ、行きますか」


 ただでさえ寒いのに、いらぬことで指を痛めたくない。

 上着を羽織りなおす。奇妙なことになった。それもまた一興だろう。

 新しい夜明けの先は、まだまだ薄暗い未知ばかりだ。

 不安の隣で「いつでも帰ってこい」と蠱惑的なほほ笑みが一際眩しく輝いている。

 灯りに寄るわけにはいかない。

 だから、ダンテには見えない先を行く方が好ましいのだ。

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