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第十一話 路傍の石と宝石箱

「ねえ、舞台に行きましょう」


 練習場所でギターを抱えて数分、なにもしない伊達にそういってきたのはベアトリーチェだった。


「舞台? そんなのありましたっけ。それに他の方は?」


 遠回しに断る伊達に、なおベアトリーチェはチケットを差し出す。

 そんなことをしている場合ではないのだと伊達は舌打ちしそうになった。女性に対してあるまじきことである。自分の余裕のなさを自覚して恥じた。

 しかし、リロイに貰ったスキットルの中身、口をつけたものの末が気になって仕方がない。


――もしリロイが嘘つきなら、理由がわからない。でももし彼が嘘つきだったら大変なことになるかもしれない。


 過去、エーリッヒが中毒者であったこと。増えた麻薬中毒者。キーワードが繋がって嫌な予感が膨らむ。


――エーリッヒが嘘つきならつかれている嘘も理由も想像がつく。


 しかしあの演奏を思い出すと、そんなどこにでもある話に収まるだろうかと震える。


――ルシィ? ベアトリーチェ?


 ルシィは行き過ぎなほど真っ直ぐなだけという印象が強い。

 何かしていてもおかしくないが、まどろっこしい真似を好むだろうかとうだうだ悩む。

 すぐに逃げ出さないのは、日々磨きあげられていく音楽の技に既に中毒になっているからだ。

 もしできるなら勘違いであってほしい、ここに居たい、ずっと音楽を聴いていたいと思ってしまう。

 真実を確かめるために伊達はこっそり探りを入れている最中だ。

 話しかければエーリッヒは喜んでくれるが、肝心のリロイはあいまいで、酒の感想を聴かれた時の言い訳も品切れ目前だった。

 変にひかえずまっすぐに訊ねることも考えた。『嘘つき』の存在を考えるとはばかられる。

 真相を恐れているがゆえの言い訳かもしれない。

 なんにせよ、ここから離れて舞台が終わるまでは拘束されることになる。

 時間が惜しかった。


「いいから」


 渋る伊達にベアトリーチェは手をとってチケットを握らせる。

 故郷の勝気なお姉さんが子どもに菓子を押し付けた時の動作にそっくりで、なんとなく微笑ましい。

 一方で、彼女は故郷のお姉さんではなく、ベアトリーチェだ。

 よほどのものを感じ、口を真一文字に引き直す。


「おれでいいの?」

「ええ。そういえば、お酒は飲んだ?」

「……いや」

「そう。なら色々話すわ、変に隠してもばればれなのよ」


 ぎくりと肩がはねる。


――ああ、こういうところがばればれなんだな。

「わかった」


 頷いてチケットを受け取る。よく見ると丁寧ではあるがどうみても手作りだった。恐らく学生か駆け出しの劇団といったところだろうか。


――しかし何故、舞台?


 話すだけなら場所は他にある。むしろ邪魔をしないためには避けた方がいいぐらいだ。

 何か思惑があるのだとしたら、警戒すべきだ。

 なのに特に敵意もなくついていこうとしている。

 頭の鈍い男だと(わら)われれば己でも笑うしかない。


――だってベアトリーチェは最初から警告してたんだから。


 あまりに伝わらない方法ではあったが、伊達を心配してくれたのだ。

 彼女までもが伊達をいかにしてか騙そうとしていたというのなら、もはやその渦中に飛び込んでも構わない。

 舞台は明日で、明日は休みだった。



 舞台といっても仰々しいものでもない。

 チケットの裏に描かれた地図は簡素で、きてみれば汚れた壁と日のささない湿った土に囲まれた陰気な場所だった。

 使い捨てられた空き場所を借りたのだと予想がつく。

 伊達も駆け出しの頃は親近感を覚えて舞台を見に来たものだ。


――いや、でもまだそんな昔のことじゃないか。最近が濃すぎてすっかりそんな気分になったが、油断はいけない。


 道が遠いことはちゃんとわかっている。腕をあげ自信がついたのはいいことだが、上から目線になるのは嫌だ。

 入口の前で暇を持て余し自戒に励む。


「随分早いのね」

「懐かしくて足が急ぎました」


 あなたと会うのが楽しみでなんてきざすぎる。

 別の本音を返すと、時間通りにやってきたベアトリーチェの方を見た。


「いいことね。さ、なかへ」


 とった手は雪のように白く冷たい。皮膚のうわべがじんと痺れる。

 彼女は舞台にあがるときのドレスでもなく、練習場にいるときの簡素な服でもなく、普通の女性のようにお洒落をしていた。

 胸元が逆三角に空いた形のワンピースは歩く度エレガントなドレープが波打つ。その布のない部分は首から下がフリルのシャツに覆われ、愛らしく秘されていた。

 履いているのは黒い編み上げのブーツで現代の女性らしい溌剌(はつらつ)さを主張する。


「綺麗だ」

「……ありがとう」


 気づかぬうちにこぼれた言葉はしっかり届く。

 赤い色がよく目立つ。気分がよくなったが劇場内に入ると薄暗さにわかりづらくなってしまった。

 あと数分で開始のはずだ。客は少ない。両手の指で足りる。無名の劇団ではこんなところだ。


「ミュージカルって知っている?」


 席に着くなり尋ねられた。


「音楽の、音楽的、音楽の才能、音楽好きという意味の外国語、だっけ」

「合っているけれど違うわ。音楽、歌、台詞と踊りをあわせた演劇。『地獄のオルフェ』とかオペレッタは知っているかしら」

「『地獄のオルフェ』……ああ、『天国と地獄』か。そっちのタイトルでなら観たことがある。あれはオーケストラが音楽をやるんだよな、ここでは狭いよ」

「ええ。ミュージカルはその点、少人数よ。オペレッタとショーが結びついたようなものでなかなか楽しいの。まだまだ発展途上で知る人は少ないから、こんなところでやろうとしている人たちがいて驚いた」


 なるほど、耳をすませば控えめな楽器の音色がいくつか聞こえる。


――騒音を気にしているのかもしれないが、必要なことなのだから思いっきりやればよいのに。


 本番で調子を狂わせるよりよほどましだ。

 楽器の数からいってバンドだろう。人の足音もあるが重なり方がまばらだ。五、六人に思われる。確かにあまり聞かない形態だ。

 いつのどこにも挑んでいくものはいるのだと嬉しくなった。


――あれ、おれ、こんな耳よかったかな。


 勿論耳は大事にしているが。また新しいことに気づいて、盛り上がりかけた気分が沈む。沈むと耳鳴りが不快にザザザと気を散らす。

 渋面をつくる伊達の手の甲にそっとベアトリーチェが指先をあてた。つついたままひっこめない、ささやかな面積から奪われる熱に気をとられる。雑音が収まっていく。


「わたし、歌とワインと弦楽器は好き。ルシィは歌が嫌いだけれど」

「ルシィが? どうして。あんなに音楽が好きなのに、意外だ」

「歌詞があるから。言葉のない歌は好きだけれど、伝える形を定めてしまったものは嫌いだって」

「らしいといえばらしいなぁ」


 ルシィの求める魂の鳴き声を表すために、言葉という元々伝えるためにあるツールを使うことは逃げだと感じているのだと容易く想像できた。


「だからあまり誘えない」

「でもベアトリーチェは好きなんだよね」

「ええ。音色に言葉を乗せてはっきりと自分の想いを込める。音階を並べ旋律を紡ぎ、ことを伝え継ぐも、言葉を編むも人のわざ、歌は人類の叡智がひとつだわ」


 《オーリム》にありながら彼女はルシィと異なることを唱える。

 ベアトリーチェもルシィと仲良く話に花を咲かせたり、髪をいじりあったり仲が良い。

 このようにベアトリーチェはルシィに好意をもって接しながら、その行いには時折顔をしかめることがあった。

 彼女たちの間にあったことは伊達にはとてもわからない。


「けれど、ルシィの求める音に言葉はいらない。彼女の求める音は明晰であるがゆえにとてもとても難しくて……だから、リロイは」


 食いついてくるのを誘うように区切る。

 先を促して上目遣いに見やるも、彼女は舞台の方に目をやっていた。


「もうすぐ始まるから終わったらにしましょう。気を散らしてみては、失礼よ」

「そんな殺生な」


 わかっていてやられている。わざと茶化して責めると彼女はニヤリと唇の片側を吊り上げた。怜悧な美貌が相まって嫌な気持ちより妙な喜び――面白さだとか、愉快さだとか――が上回る。

 いかにも資金を節約して購入した安い椅子に腰をかけなおす。

 気になることは気になる。


――が、音に向かい合うなら話はあとだ。


 自分たちと同じく感覚と娯楽に飛び込もうという者たちに理由のない好意を抱く。

 だからひとまず忘れることにした。

 呼びかけとともに部屋の照明が落とされ、舞台にスポットライトが当てられる。シャーっとひかれる幕の後ろに混ざって押し殺した足音が潜んでいた。

 本当に金がないようだ。声も若かった。独学で色々やっているのかも。想像してにやつく。どんな出来でも懸命に闘うさまは美しい。

 やがて、ほんの少し流行を過ぎた服を着た男がスキップのように躍り出てきた。


「ああ、もう一度君に会えたなら――」


 始まったばかりの台詞はいたって単調な響きであった。

 彼がその一言を終えたところで、見えない位置でバンドが演奏を始める。

 軽快で、ともすれば安っぽい。

 飛ぶたびドタッとすっとんきょうな鈍い足音が響く。音楽も騒がしく慌てていて、子どもの運動会じみていた。

 人の目を引き付ける大げさな手振り身振りに、耳に残りやすいメロディと台詞づけだ。

 どこか聞き覚えのあるものが多く、あちこちを参考にしているのだと知れる。

 楽器の音色もホールの音響は悪い。陶酔はできない。しかし、懐かしく暖かな気持ちがこみあげる。失いかけたものを見せつけられている気がした。


――なるほど、これは娯楽の歌なんだ。


 楽しみ、楽しませるためのショーなのだ。

 シンプルに、王道に。舞台が質素になることを考慮したのか、人心を躍らせることを目標にした演出と比べ、ストーリーは物悲しい。

 舞台は現代だ。恋人が死して嘆く男は哀しみのあまり、恋人の墓穴を掘り返す。

 穴の向こうはあの世と繋がっていて、死者の王と話して恋人と帰ろうとする、というものだ。

 神話をベースにした物語は、アレンジ以外にも変わった点があった。

 男がころころと表情を変え、よく笑うことだ。

 仮面を取り返えるように明瞭すぎる表情の変わり様は素人らしさが濃い。

 ただ、その激しさと、愛しい人を取り戻せるのだと盲信する恋心からもたらされる笑顔は、彼を滑稽な道化に見せる。

 王道を一歩踏み外した愚かさが、悲劇を喜劇の如く彩っていた。



「面白かった」


 素晴らしい舞台、とはいわない。だがいつか大きく羽ばたいて欲しい、余計な感情や知識を抜きにしてそう思えた。

 彼らはこれから切磋琢磨してくのだろう。

 グループは厄介なところもあるが、そういったところは素晴らしい。

 不思議と清々しい心もちだ。


「よかった。ああいう若い人たちが頑張っているのを見ると、背筋が伸びるわ」

「君だって若いのに」

「きっとあなたが思っているほどじゃあないわよ」


 舞台が終わる頃には、並んだ若者たちは息も絶え絶えだった。

 ミュージカルは動きが激しく、そのうえ無駄な動きがまだ多いので当然だ。

 客のなかには難しい顔をしているものがいた。

 伊達はできるだけの笑顔を浮かべ、できる限りはっきりと拍手した。

 隣のベアトリーチェは仏頂面で足を組み、乾いてよく響く音を鳴らしていた。その視線は彼らをしっかりとみて、深い敬意と賛美が込められていたのだろう。若者は泣きそうな顔で、しかし笑っていた。


「よく今回みたいなのには行くのかい」

「機会があれば。今回はメンバーも内容も是非あなたに見せたかった」

「そうだ、えっと、さっきのとか、それは一体どういう意味なんだ」


 前に進み続けようとする彼女の細腕を掴み、ひきとめる。

 ベアトリーチェは横顔だけが見えるように後ろを見やって、自由な片手で道をさす。


「来なさい」


 いつかを思い出して首を振る。


――そんな都合のいいことはありゃしないさ。


 何よりルシィは誘うていであるが、伊達がベアトリーチェについていくことは既に決定事項であるようだ。

 今の伊達には彼女の強硬さが心地よい。

 自分から伊達に触れることはなく、ずんずん彼女は歩いていく。

 軽く反った姿勢と背中は凛として美しい。

 戦乙女に導かれる幻を(いだ)いてついていくと、長屋に辿りついた。


「わたし、ここに住んでいるの。楽器は弾けないのが困りものなんだけれど、ここの人は外国人もおいてくれる程度には心が広くて助かるわ」


 玄関で靴を脱ぎ、当たり前のようにあがる。

 突っ立ってしまう伊達を容赦なく手招く。


「お、お邪魔します」


 外国では靴を脱がないと聞いていたので少し驚く。

 長屋の一室は当然障子と木、畳に囲まれた部屋なのだが、ベアトリーチェの私物であろう楽譜や西洋の鏡などが配置されていた。

 和洋が遠慮せず自らの色合いを主張する奇妙な空間と化している。


「まず、何から話したものかしらね……」


 ベアトリーチェはワインの瓶を引っ張り出して、二つのグラスに赤いワインを注ぐ。とくとくと液体が落ちていく音色に心臓の鼓動に似たリズムを感じて、無意識に安らぐ。

 腰を掛けるように促され、素直に座る。

 思案顔のベアトリーチェに、伊達は口火をきった。


「《オーリム》には一人、嘘つきがいるといわれた。リロイはおれに嘘をついているのか?」

「誰に言われたの?」

「麻薬中毒の浮浪者で、クラリネット演奏者の男性。多分、元は《オーリム》のメンバー候補だったんじゃないかな、と思って。それで、エーリッヒも元麻薬患者だと聞いて」


 忌々しげにため息をついて、机に乗せたグラスをすっと前に運ばれた。

 赤い湖面が光と視線を取り込んで艶めかしく照る。


「そう、そこまで。いいわ、じゃあそこから入りましょうか。まずはあなたはどう思っているのか聞いていいかしら」


 ベアトーチェはキャビネットにむかい、また伊達に背を向けて話す。

 落ち着けない時間の訪れに、無性に動き回りたくなるのをこらえる。


「正直、誰がそうだっていう確証や証拠はないんだ。だから一番そうだったら嫌な人を考えたらリロイだった」

「嫌な理由?」

「彼がくれたスキットルの中身が麻薬だったら、って。これでメンバー候補を中毒者にしているのだとしたら……ただもしそうなら理由がわからない。麻薬では音を奏でる指が鈍りかねない」


 楽器を潰すことは彼の本意ではないはずだ。それともあの信念すら嘘だったのか。


「あら、そう? 案外シンプルよ」


 キャビネットの中身を探っていたベアトリーチェがいったん戻ってきてワインで口を湿らせる。熟れた林檎色の唇にルビーが溶けた液体がつるりと流れていく。


「ルシィが求める理想は高くて遠いから、お気に入りが逃げて行かないようにしたいの。だから時が来て離れられなくなるまで、縛り付ける。もう逃げられないはずのエーリッヒにくれてやった理由はよくわからないけれど」


 目的のものを見つけたのか、こちらに戻ってくる。

 座らずに二本の足をのばしたままでいるから、伊達も立つ。

 彼女はそこまで言って気まずそうに視線を逸らす。

 確かに言いやすい話ではかろうと理解を示せたのもつかの間だった。


「彼曰く、人の魂は不滅であれど神聖ではないのですって」

「えっと、はい?」


 突然の話題についていけず、簡素に疑問符を浮かべる。


「おれの気持ちを和らげたいなら、別に」

「違うわ。なんといったらいいのか。今知ってもらわないと困るのだけれど……そうね、手っ取り早くいきましょう。ねえ、」


 ベアトリーチェが一歩伊達に近づく。食卓ほど空いていた距離がなくなって、整った相貌が近づき退()きそうになる。


――男性に対して警戒がなさすぎるのではないか?


 そんな場違いなことを思う。期待してしまいそうだ。

 ベアトリーチェは優美な白い指を伊達の胸元に添える。


「あなた、ルシィと、その……彼女の誘いに乗ったのよね」


 恥ずかしいのか、彼女は眉を八の字にして途中で言い直す。

 火照りかけた肌が一瞬で冷え切った。

 下腹部に硬い感触がある。

 彼女がキャビネットから取り出して、今伊達の腹部に押し付けているものを目線を下げてみた。

 彼女の髪によく似た色合いが金属特有のやり方で灯りを反射する。

 それは銀色に輝く拳銃であった。


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