パーティーを作ろう
フィオ視点
その可能性を全く考えていなかったかと言われれば、答えは否だ。
余り意識していなかったが、この人も経営陣の一人なのだから。
しかしその可能性は低いと思っていた。
だって私の事を嫌っていると考えていたのだから。
私の前には、私に呪いをかけた奴がいる。
もう終わった事だし、拘る必要はない。いや、むしろいつまでも恨みがましく思う方が、おかしい。
そんなのわかっている。
それでもあの事故の時、私の責任が最大になるように、この人が処理をしたのは事実。
私の債務額を何の感情も無く告げて、サインさせたのもこの人。
後で知った事だが、お咎めなしとはいかずとも、事故の処理と経理処理がもう少し違う形で行われれば、私の責任は大分マシになったらしい。
今でこそ、それも含めて笑い話に出来るが、本人を前にすると『なぜ庇ってくれなかったのか』と思ってしまうのは仕方ないだろう。
「御迷惑をおかけしました」
「気にするな。もうなんの負い目もないんだ。よく頑張った」
頑張ったなどと言われても、当時の私なら『頑張らざるをえない呪いをかけた口が何を言う』とでも思っただろう。
いや、実際に口にしたかもしれない。
「ありがとうございます。しかしそれも全てはご厚意があったからです」
でも今の私は素直に感謝の言葉を述べられた。
誰よりも私が、私が頑張った事を知っているからだろう。
もちろん客観的に見れば、ツキに恵まれたのは事実。
けれどそのツキを手繰り寄せ、そして活かす事が出来たのは、私の努力だ。
ちょっと謙虚さが足りないかな? そう考えなくもない。
けれど、これぐらいの自信を持たなければ、この何十倍ものお金は稼げない。
「お前さんにこれを返す日が、こんなに早く来るとは思わなかったよ」
ようやく……ようやくという表現もどうか。
なんせ10年以上かかると思っていた返済が、1年も経たずに終わったのだから。
「恐縮です」
昨日ギルドで発行してきた紙切れと、昨年サインをした紙切れを交換する。
ただ紙切れを交換しただけ。
けれどその行為に私は達成感と満足感と……ほんの僅かな喪失感を覚えた。
だって受け取った債務確認書を眺めていると、保証人欄に目の前にいる警備部長の名前が書いてあったのだから。
私が提出した時は、保証人欄は空白だったはずなのに。
嫌われてなどいなかった。
それどころかこの人は私を信じてくれていたのだ。
「それで……職場に復帰しないか?」
――私の呪いは終わった。
しかし私が呪いと思っていた物は、実はそう悪いものでは無かったのかもしれない。
おもいがけずかけられたその言葉は、とても魅力的な提案に聞こえた。
「いえ。冒険者を続けます」
だが迷うまでもなく答えは出ている。
「そうか。残念だ」
その言葉を聞けば、その顔を見れば、本心から慰留されたことが伺い知れる。
……この人は何を思い、私に責任を負わせたのだろう?
私はこの人の気持ちを少しでも顧みただろうか?
少しでも、その考えを読み取ろうとしただろうか?
「もったいないお言葉です」
上手い言葉が見当たらない。
今もこんな当たり障りのない返答しか出来ない。少し恥ずかしい。
「……変わったな」
「そうでしょうか?」
「今のお前さんなら、どうとでも生きられるだろう。しかし困った時はいつでも相談してくれ。その時は力になる」
こうまで言ってもらえると、少しこそばゆい。
「ありがとうございます――本当にお世話になりました」
少しは私も大人になったと思う。
何せこの難題を成し遂げたのだから。
例えマイナスを0にしただけだとしても、確かに私は成長したのだ。
だから精一杯に頭を下げた。
言葉で上手くお礼を伝えられないから、態度で精一杯の感謝を示した。
こうして私は初めての職場を円満に退職した。
――――――――――――――――
「クリス……どうして?」
今日大金を――正確には証書だが――運ぶため、ここまで送って貰ってはいた。
だが彼は街に戻る予定だったはず。
「うん。フィオは今から時間はあるかな?」
「特に用事はいれていないでしょ……」
そう。特別に用事はないのだ。
どういう風の吹き回しだろう?
「じゃあ折角だしお茶してくれないかな?」
「別に構わないけれど」
折角?
彼のいささか不可解な言い方は、少し気になった。
けれど、特段断る理由もない。言及せずに一緒に街に戻る。
「ねえ。どこに行くの?」
街に入ってから、彼はギルドの方向へ進んでいく。
すでにここまでにお茶出来るような店はいくつか通り過ぎた。
黙ってついてきたが、3件目のカフェを過ぎたあたりで彼に聞いた。
「もうちょっと先だよ」
?
彼のお気に入りの店でもあるのだろうか?
それとも……。
「ついた。ここね」
短くそれだけ言って、彼はお店へと入っていく。
別に異存は無いけれど、私の返事を待たずに、店の中に入る彼は珍しい。
「先に席に座ってて」
促されて私は座る。
お気に入りの店に行くものとばかり考えていたが、ここはどこにでもある全国展開している一般的なコーヒーチェーン店。
しかし私たちにとっては、少なくとも私にとって意味があるお店。
「ねえクリス。このお店覚えている?」
彼は覚えているのかな?
そんな気持ちで、飲み物を持ってきた彼に尋ねてみる。
「もちろん覚えているよ。君と再会した日に来たお店だ」
彼は椅子にかけながら、正解を口にする。
彼が選んだお店なのだから、彼は知っているだろうとは思っていても、やっぱり覚えていてくれたのは、ちょっとうれしい気持ちになる。
「あら覚えてた。でもなんでわざわざここに来たの?」
思わず笑いそうになった気持ちは少し照れくさくて隠してしまう。
続けて質問をする事で誤魔化してみる。
「うーん。やっぱりここがいいかなと思ってね」
「それってどういう……」
どういう意味か問おうとした私を、彼は指を立てて制止する。
「ストップ。それは後で。それよりもまずはお疲れ様」
指を立てて、片目をつむりそう言う彼。
キザったらしいそのポーズも、なんか似合っている。
あっ。まつげ長い。
「ありがとう。全部クリスのおかげよ」
彼の研究は後回し。
ちょっとじれったいけれど、話を彼に合わせてみる。
「そんな事ないよ。全部君が頑張ったからだよ」
「まあねぇ」
正直少しがっかりしている私がいる。
さっき言われたことと、似たような言葉に、なんとも言えない。
私の人生にとっての一大事なんだろうけれど、何度も同じことを言われると反応に困ってくる。
しかし贅沢な悩みね。
だって借金が無くなって、その結果周りの態度に困るなんて。
――そうか、やっと終わったのか。
やっと、終わったのか。
そっか。
……。
「フィオ」
しまった。
長い事呆然としていた。
彼はいつの間にか立ち上がっていた。
「ごめんクリス。ぼうっとしてしまって」
「いいんだよ。ボクこそ引き止めてゴメン。……なんとも言えない、そんな気持ちかな?」
なんでわかるのだろう?
「そう、ね。なぜかしら? 少し困惑してしまっているみたい」
「なんとなく気持ちはわかるよ。……新しく注いできたから、これ飲んでみて」
彼は冷めてしまったカップを下げて、もう一杯注文してきてくれたようだ。
新しいカップが私の前に置かれた。
二杯目まで無駄にしてしまうのはもったいない。
すぐに手に取り香りを楽しむ。
彼の好きな爽やかな柑橘系の香りの中に、僅かに甘い香りが混じっている。
「少し苦いかもしれないけれど飲んでみて」
促されて飲んでみると、ほとんどクセがないが、言われてみれば苦みがある。
でもそのほろ苦さが、今の私の気持ちに寄り添っているような不思議な感覚だ。
「おいしい。ありがとう」
「どういたしまして。そのお茶はリラックス効果があるそうだよ。ゆっくり飲んで」
それきり彼はまた静かにお茶を飲みだして、いつの間にか手にしていた本を読み始めた。
しばらくお茶を楽しんでいたが、気がつけば私は彼を観察していた。
そう言えば彼が本を読んでいるところを見たことがない。
ちょっとした好奇心からタイトルを盗み見ると、『応用魔法学』だった。
なんともまあ、彼らしい。
そう思った時には、先ほどまでの寂寥感はかき消えていた。
「クリス」
「うん」
彼に声をかけると、本を閉じて彼は私を向く。
「ありがとう」
「どういたしまして。少しは落ち着いた?」
お茶を持ってきてくれた時と同じやりとりなのに、さっきと今と全然違う。
「うん。助かった」
「それは良かった。……少しだけ話をしてもいいかな?」
そういえば何か話があるんだったっけ?
でも私が落ち着くまで待ってくれた。
それを理解すると、やっぱり私は彼が好きだなって自覚する。
「もちろん」
「えっと、ね。その前に質問」
「何かしら?」
本題に入ると少し歯切れが悪くなる彼。
そんな所も可愛くて好き。
そしてそんな彼を見ていると元気が出てくる私はもうダメだ。
「……引き止められなかった?」
「……ちょっとだけね」
断ったけれど彼の反応が見たくて、ついつい意地悪をしてしまう。
「フィオ」
「なぁに?」
彼はつまらなそうな顔をする。けれど、それはほんの一瞬で。
「君を縛るものは無くなった。その上で改めて選んで欲しい」
「何を選ぶの?」
……私も大概面倒な女よね。
そう自嘲しない事もない。だが、これは女の子の特権だ。
彼は『あぁ』だの『うぅ』だの唸っているが、助け舟は出さない。
『頑張れ男の子!』って、心の中で応援するのみ。
「ボクとパーティーを組んで下さい」
そしてそんな私を彼は口説く。
それは彼が男の子だから。
「なんで私なの?」
最後の意地悪。
でも意地悪なだけじゃなくて、女の子の願望だ。
「君が好きで、君と一緒にいたいから。……だから、一緒にいて欲しい」
――あぁ、もう。なんとも言えない。
自分から言わせておいて、こんなに動揺するなんて。
でも、えへへっ。
私は今酷い顔をしている気がする。笑いが止まらない。
さっきまで憂鬱な顔を見せていた癖に、現金なものだ。
「そこまで言うのなら組んで上げる。……私だってパーティーは好きな人の方が良いに決まっているもの」
ちょっと照れくさくて、恥ずかしくて、全身が熱くなる。
けれど彼にはっきりと求めた以上、私もはっきりと彼の気持ちに応える言葉を返す。
すると彼の顔はパッと明るくなって。
「なんか……照れるね」
そう言った。
またその顔が可愛くてびっくり。
ここが公共の場じゃなかったら、キスしていたかもしれない。
「……あーその」
「ストップ! 今は待って」
視線が絡んで、はにかむ彼。
駄目だ。私もこれ以上、この顔を見せられない。
手で顔を覆い、お互いに目線を外す。
私達の間に流れる雰囲気に、私も彼もしばらく声が出なくなる。
でも言葉なんて無くても、幸せな気持ちだ。
照れ隠しの手慰みにメニューを取った。
何気なく彼が注文してくれたハーブティーのブレンドを調べてみる。
するとメインのハーブはオレンジフラワーだ。
彼は知っているのだろうか?
きっと知らないだろうな。
男の子が花言葉など知るはずがない。
それでも私は構わない。
私が知っていればそれでいい。
今の私たちにぴったりなその言葉を。




