巡回
翌日、少年の初任務となる巡回が始まる前の日中。
少年はシズクファミリアの一員として生きていくために必要な知識や術を叩き込まれていた。
屋敷内の見学から下っ端が任される雑務の説明まで、世話役の風歌と羅奈に言われるがままに動き続けたため、少年は疲れ果てていた。
しかし、本番はこれからだ。
このファミリアの本質を見極めるためにも、今夜、どうしても巡回というものに参加し、雫や黒曜らが一体何をしているのか見ておく必要があった。
そして、夜が訪れた。
屋敷の窓から見える三日月は不気味に夜の世界を照らしていた。
少年の初任務の内容、それは巡回。
一般的に巡回とは、ある目的のために各地を順次に移動することだが、問題はシズクファミリアにとってその「目的」が何なのかだ。
屋敷の地下室に呼びだされた少年は、雫らに付き添う形でその部屋から得体の知れないどこかへと繋がっている地下通路を進んでいた。
そもそも少年はシズクファミリアの本拠地ともいえるこの屋敷の所在地を知らなかった。屋敷内を見学した際に風歌に訊ねたのだが、
「んーそれはまだ言えないかなー、あれが終わるまではねえ」
と、曖昧な答えではぐらかされてしまった。
そのため、少年は今自分がどこにいるのかは勿論のこと、どこを移動していて、どこに向かっているのかさえも分からない状態にあった。
ただ、目の前を歩くファミリアの面々に従うしかない。
現在、薄暗い地下通路を進むのは少年を除いて、八人いた。
まず、懐中電灯で暗闇を照らして先頭を進んでいるのは、綺麗な銀髪を揺らしている少女。名前はまだ知らない。
続いて、雫が堂々と歩みを進めている。
その後ろには二人の少女。一人は栗色のロングヘアをした優しそうな少女で、もう一人は黒のショートボブという可愛らしい雰囲気の少女だ。
この二人に続くのが、あのドエス黒曜と少年だった。
世話役をしてくれていた風歌と羅奈は非戦闘員らしく、巡回の任務には着かない決まりになっているらしい。そして、少年の後ろに残りの3人が続いていた。
服装は全員黒の正装。黒曜曰く、任務につく時は必ずそのシチュエーションにあわせた格好をするらしく、巡回では決まって正装とのことだった。黒いジャケットとパンツスーツに包まれた少女らは、その若さではあり得ないほどの圧迫感を醸し出していた。
最も、変にスカートなどの女性らしい恰好を強要されなくて済んだため、少年には有難い話だった。若干、胸や肩、お尻のあたりが男性のスーツとは違ってきつかったり緩かったりと気持ち悪かったが、許容範囲内だった。強いて文句を言わせてもらうならば、靴が歩きにくいことこの上なかった。男性用の革靴しかはいたことの無かった少年にとって、パンプスと呼ばれる女性用の靴は歩行時の疲労を倍加させる代物でしかなかった。
屋敷の地下室を出発してどのくらいの時間が経っただろうか。
誰一人として声を発しない。
一行が進む地下通路には、ひたすらにヒールの音だけが響いていた。
そんな沈黙を破ったのは、先頭をゆく銀髪の少女。
「着きました。この上です」
その声を合図に皆が足を止め、懐中電灯に照らされた先、地上へと続くと予想される梯子に目を向けた。
「さて、準備はいい? この上はもう敵地、別世界よ。」
雫の声は、どこか少年をからかう時とは異なった真剣みがあった。
だが、準備も何も、新入りで無知な少年にはどうしようもなかった。
この緊張感のある雰囲気を壊してでも、巡回について事前に訊いておくべきか少年が悩んでいると、隣にいた黒曜から何かを差し出された。
「これを付けろ」
短く冷たい一言と共に差し出されたそれは、猫を模した仮面だった。
猫の型をした仮面には耳を表す山が二つあり、表面には奇妙な模様が描かれていた。
「何だ? これは何に使っ___」
突然、腹に強烈な拳をお見舞いされた少年。
直後、息がかかるくらいの至近距離で黒曜から忠告される。
「勘違いしないで。ため口が許されるのはあくまで2人っきりの時だけ」
以前、雫は美少女を集めコレクションするのがライフワークだと言っていたが、その言葉に間違いはないだろう。黒曜も風歌も羅奈も、ここにいる少女らもみな可憐で美しい容姿をした少女たちばかりだった。だが、肝心の中身までは保証されていないようだ。
ドスがきいたそのセリフに首を縦に振り応じた少年は、再び敬語で問いかけた。
「あの、どうして仮面を付けなくてはいけないんですか?」
恐る恐る少年が訊ねると、少年と黒曜のやり取りをみていたのか、雫が答えを教えてくれた。
「それは、あなた達を危険から守るためよ」
「危険、ですか?」
「そう。今から実際に行けばわかるでしょうけど、奈落街は非常に危険な街なの。特に女という生き物にとっては最悪の環境ね。飢えた男どもは常にあたし達の隙を狙っている。想像することすら躊躇われるような下衆な目にあたし達をあわせるためにね。そんな連中から少しでも身を守るために、あたしと幹部以外のみんなには仮面を着用してもらってるの。女にとって顔は命。連中に顔を覚えられないようにするためっていう理由もあるけど、何よりも___」
雫は大きく少年に歩み寄ると、その手を少年の顎に添えた。
「あたしの大切なコレクションを、連中の汚い視線に触れさせたくないってとこかな」
不敵に微笑む雫は少年を見つめ逃がそうとしない。
「理解できた?」
「は、はい」
雫が言わんとしていることは何となく理解できた。いや、奈落街に足を踏み入れれば否が応でも理解できてしまうのだろう。
後ずさり、雫の手から逃れた少年はゆっくりとその仮面を顔に付けた。
「うん、似合ってるよ」
顔を全部覆ってしまうのだ。仮面に似合っているの何もないだろうと、心で突っ込みをいれつつも、口では建前で感謝の言葉を口にする。
ちなみに、ここで他のメンバーの立ち位置が少し掌握できた。
いま仮面を着用しているのは少年とその後ろにいる3人だけだ。
つまり、ボスである雫を除くそれ以外のメンバーは全員、このファミリアの幹部だということになる。
「雫様、準備が整いました」
黒曜が雫にそう告げると、雫はみんなを見渡して、堂々と言い放った。
「では、行きましょうか。恐怖、油断、情け、その全てを排して、あたしとファミリアのために戦いなさい」
「「「「「「はい!」」」」」」
雫の言葉に即応する形で、雫と少年を除く少女たちが一斉に応じた。
「巡回、開始」
続いて発せられた雫の号令で、先頭の銀髪の少女が梯子を勢いよくかけ登っていく。
奈落街へと続くその梯子を登りはじめて数分後、一同はたどり着いた。
何と形容したらいいのだろうか。
アジアの国々にありそうな治安の悪い商店街のように、夜の喧騒にまみれていて、
江戸時代に存在したという吉原の歓楽街かのように、人間を駄目にする欲望が溢れていて、
マフィアの本場によく見られる社会不適合者の掃き溜めのように、悪意と敵に満ちた、
そんな街。
それが、少年が奈落街という場所に対して感じた第一印象だった。
東京の地下にある奈落街は、いくつもの大通りが交差し合ってできており、その隙間に無数の路地ができているという噂だ。
地下にあるせいで空気がこもりやすいのだろう。
鼻に刺さるような嫌なにおいがする。
歩けないほどではないが、大勢の人が行き来していて、大声で喋らないと何を言っているのか聞こえないくらいに騒々しい。
よく見ると女性も少なくないが、何というか、夜の仕事に身を委ねている女性や非合法な商売に手を出している女性としか見えない面々ばかりだった。
その時だった。
黒曜が接近してきたかと思うと、耳元で囁いた。
「君は何もしなくていい。ただ、私の後ろについて来ればいい。わかった?」
無言でうなずく少年。
それを確かめた黒曜は雫の背後に移動した。少年も続く。
地下通路の時とは違って、奈落街では雫が先頭をゆくようだ。
その後ろに幹部二人、黒曜と栗色ロングヘアの少女。その後ろに少年。最後尾には残りの3人。
聞くまでもない。これは新入りである少年を守ることを最優先した隊列だ。
この時、少年は幹部が二人消えていることに気が付いた。
周囲を見回しても見当たらない。
そんな少年の様子を察してか、短く一言、黒曜が呟いた。
「あの二人は別任務だ」
別任務。
その詳細が気になって仕方ない少年だったが、空気を読んで聞かないことにした。
今は巡回という任務が何なのか、見極めることの方が大事だ。
奈落街に到着して数分が経っていたが、ここで少年は周囲に起きている変化に気付いた。
少年と少女たちは、過剰なまでに注目の的となっていた。
冷静に考えれば当然か。
こんな治安の悪い夜の街に、就活生やビジネスウーマンがしているような格好をした美少女が群れをなしているのだから。
卑猥な視線を送る者。
蔑んだ目をして鼻で笑う者。
話のネタにして馬鹿のように笑いあう者達。
こんな混沌とした状況下で、いったい何をするつもりなのか。
雫たちの意図がつかめないまま少年は立ち尽くしていた。
そもそも、野次馬が集まってきて少女らを中心に人混みの輪ができてしまっているようなこの状況で、身動きがとれるわけがない。
巡回も何もないだろう。
そんなことを少年が考えていた矢先。
雫は群衆に向かって宣言した。
「我々はシズクファミリア。これより、巡回を開始する」
その凛としてよく澄み渡る声は、喧騒を突き抜けて周囲の人々の耳に届いた。
直後、人混みに小さなどよめきが走った。
馬鹿にする者、恐怖する者、逃げ出す者、反応は様々だ。
そして、雫が一歩踏み出したのを皮切りに少女らが大通りを進みだすと、驚いたことに、人混みが裂けて、雫たちの前に一本の道ができた。まるでモーゼの十戒の海が割れるシーンのように。
堂々と、悠々と雫は大通りを進み続ける。
その表情は後ろを歩く少年には見えなかったが、おそらく何の躊躇いもない顔をしていることだろう。
まだ北条一族の一員だった時代も、その後の社会の底辺で生活していた時代も、少年はシズクファミリアという名のマフィアを耳にしたことがなかった。
一口にマフィアと言っても、強い影響力を持つものから不良の集まりまで無数にある。
そのため、正直いってこのファミリアの実像を少年は掴めずにいた。
しかし、この光景。
奈落街の住人達の反応。
弱小ファミリアに対してする反応ではない。
少年は自身の胸にシズクファミリアへの興味と厄介な組織に入ってしまったという後悔が湧きあがるのを感じつつも、仮面の穴から覗く黒曜の背中を黙々と追い続けた。
読者の皆様、申し訳ございません。
諸事情あって更新が遅くなってしまいました。
なんと……三か月ぶりですね。
今日から再び更新していこうと思います!
宜しくお願い致します!