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フールの力 「猫」

 『女とは非常に完成された悪魔である』


 これは、かの有名なフランスの大文豪が放った名言である。


 少年は今、この言葉の意味をしみじみと噛みしめ、実感していた。

 そして、誰よりも己を罵倒していた。

 何故、見抜けなかったのか。

 何故、安易にファミリアに入るなどという愚行を冒してしまったのか。

 愚かだった。愚かな決断以外の何ものでもなかった。


 少年はひたすらに後悔をしていた。




 目が覚めると、少年はソファの上で寝かされていた。

 しかし気絶する前にいた部屋とは異なり、高級感あふれるがどこか心が安らぐ寝室にいた。

 部屋の中には、ダブルサイズの大きなベッドが置かれている他、タンスやテーブルなどが綺麗に配置されている。何時間眠っていたのか不明だが、窓の外が暗いことから少なくとも今が夜であることは分かった。部屋は薄暗く誰もいない様子だった。


 少年は重い体を起こし、顔を手で覆った。


「冗談じゃないぞ。再び力を与えて、俺に今更何をしろというんだ……」


 かつて無理やり奪われたフールの力。

 この力を奪われたことにより、少年の人生は崩壊を辿る羽目になった。

 そして今再び、奪われた時と同じく無理やりに、少年はフールの力を植え込まれた。


 少年は別にフールの力を拒絶しているわけでも、恐怖しているわけでも、雫の突然のキスに混乱しているわけでも、ファミリアに入ることが嫌になったわけでもなかった。

ただ一つ。溢れるこの怒りの矛先が向けられている対象は、強いて言うならば、人生を幾度となく狂わせる理不尽な己の宿命だった。

 やるせない怒りをどこにぶつけるべきか分からなかった少年は、拳を強く握りしめ、叫びながらソファの淵に打ちつけた。


「くそっ…」


 鈍い音が部屋の中に響く。

 基本的に感情を荒げることのない少年だったが今回の一件に関しては例外だった。

 一度、極めたフールの力をすべて失った後、どん底の人生を歩みながら少年は必死に現実を受け止めようとした。フールの力さえ失うことが無ければ屈することなどあり得なかった敵にひれ伏し、フールの力さえ失うことが無ければあり得なかった極貧の生活に身を落とし、フールの力さえ失うことが無ければ味あうことのなかった屈辱に身を委ね、何度も過去を、運命を呪いながらも、少年は理不尽な現実を前向きに捉えようと努力し続けた。最終的には、フールの力と己の人生は完全に無関係であり、別世界のものであると切り離して考えることに頭を慣らし、過去と決別し何の特殊能力も持たない普通の人間として生きることに成功した。

 この精神の改革作業にどれほどの心労を費やしたことか。

 あの日々を思い出すだけで少年の心は暗くなる。

 だがそんなことは、今の事態に比べればどうでもよかった。


「八つ当たりをしていても仕方ないか。とにかく、あいつらと話さないとな」


 ソファから立ち上がると、少年は部屋を出ようとした___が、突如かけられた言葉によってそれは阻止される。


「どこに行くつもり?」


 不意に現れたその気配に少年は固まった。


「お前は……たしか、黒曜、だったか」


 振り返ると、あのドエス女が部屋の片隅の影に同化するようにして立ち尽くしていた。窓から差す僅かな月明かりでその姿を認識する。


 路地裏でも脱衣所でも風呂場でも、状況が状況だったので気づかなかったが、雫に劣らず、この黒曜という少女もとてつもなく綺麗な容姿をしていた。背丈は高くもなく低くもなく、体格はやや細身。すらりとした手足の長さが、よりスリムな印象を与える。髪は短めで、色はピアノのように艶のある黒。瞳の色は、底が見えない海の水面に似た、深い青だった。


「黒曜じゃない、黒曜お姉様。わかった?」


「どうでもいい。そんなことより、いつからそこにいた?」


 少年は内心穏やかでなかった。それにはいくつか理由があったが、一つとしてはこの少女の気配を自分が察知できなかったことに対する驚きと衝撃が原因だ。今も、目と耳でかろうじてその存在を認識できているが、少女が姿を隠し話すのをやめてしまったらその瞬間に少年は少女を見失てしまうだろう。


「最初からかな。ああ、心配しなくていいよ。君がお風呂場で見た私の身体を思い出して、一人でふしだらな行為をしていたことは誰にも言わないであげる」


「はは、おかしなことを言うな。俺が風呂場でみたのは粗末な脂肪の塊で、どこにも心を乱すような光景はなかったはずだが」


 少女に負けじと言い返す少年。


「へえ、気が立っているみたいだったからその傷口をもっと抉ってあげようと思ったのに、意外と傷は浅いみたいね」


 さらりと差し込まれるサディストな発言。

 少年は会話でやりあっても勝ち目はないと判断し、用件だけを伝える。


「余計なお世話だ。それよりも、雫に会わせてくれ。聞きたいことがある」


「雫、じゃなくて雫様」


「呼び方なんてどうでもいい。いいから会わせ___」


「___雫様。そう呼べない人間と話すことなんてないから」


 冷たい口調で言い放つ黒曜。有無を言わせないその勢いに少年は妥協する。


「……わかった。その、雫様に会いたいんだ。さっきの部屋まで案内してもらえ___」


「___嫌」


 渋々黒曜に従った少年だったが、そのお願いは言下に拒絶される。


「……お前、遊んでるだろ?」


「さあね。とにかく、雫様は今お忙しいから。連れて行くのは無理」


「それならお前でいい。言いたいことがある」


 できれば雫と話したかったがやむをえまい。少女らの会話から察するに、この黒曜という少女もそこそこの地位を持っていることは分かる。少年が知りたい情報も掌握しているだろう。


「なに? 言っておくけど、私の下僕になりたいのなら土下座しながら懇願してね。それ以外のやり方は許さないから」


「自意識過剰な性格だな。誰がお前の下僕になんてなるか」


「へえ。でも、お風呂で私にいじめられてた時の君はとても幸せそうだったけどね」


 咄嗟に風呂場での悲劇が頭にフラッシュバックし、顔が熱くなる少年。

 無意識に浮かぶ、少女の白い肌。その滑らかな肌に張りついてお湯に濡れた黒髪。柔らかな感触。

 黒曜のペースに飲まれかけてしまった少年は、会話を切り替えようと必死に抵抗する。


「どうやら目が悪いようだ。眼科に行くことを勧める」


「君は内科に言った方がいいよ。顔、真っ赤になってる」


「っとにかく、だ。いくつか聞きたいことがある。まず、お前らがさっき俺に与えた血。あれは、何の力を宿した血なんだ?」


 少年がいきなり本題に入りその質問を口にすると、黒曜は少し目を細めた。


「やっぱり知ってたんだね。雫様が血を飲ませる直前にみせた抵抗はそういうことか」


「当たり前だ。フールの力を手に入れる方法は一つだけではない。一番有名な方法はフール薬を直接摂取する方法だが、あくまでそれは最初の一人の話。二人目からはフール薬を使用するよりも、感染者の血を使った方が簡単だからな」



 かつて少年は父親の血を摂取することによりフールの力を手に入れた経験があった。それ故に、雫が自らの血を口に含んだ瞬間、何をしようとしているのか分かったのだった。


「それで、雫様の血が持つ力をしって、君はどうするつもり?」


「どうもしないさ。正直な話、知ったところで力を使いたいなんて微塵も思っていない」


 少年がそう言うと、黒曜は少し不思議そうな顔をしていた。


「面白いことを言うね、君は。普通ならフールの力を使って抵抗しようとするか、もしくはフールの力を嫌悪するかのどちらかなんだけど、君はどちらでも無さそうだし。さっきの様子を見るからに、心中穏やかじゃないのは分かるけど」


 少年の心境を黒曜が理解できないのは当然だろう。

 黒曜は少年の過去を知らない。少年にとってフールの力というものがどういう意味を持っているのか、雫も黒曜も誰も知らないのだ。


 少年は当たり前だが過去を一切口にせず、淡々と黒曜から情報を聞き出すことに専念する。


「穏やかなわけがあるか。命を救ってもらったことには感謝しているが、勝手に化物の身体にされたんだ。この世界において、フールの力を所有することの意味を全く知らないわけでもない。まだ混乱はしている。ただ、ここでお前らに喧嘩を売っても何の解決にも繋がらないし、それが愚行だということは理解している。だから、少しでも状況を把握しようと思ってこうやって聞いているんだ」


 黒曜は少年の言葉を聞きながら、何かを見定めるかのように黙っている。

 少しして黒曜はおもむろに口を開いた。


「わかったよ。教えてあげる。どちらにせよ、君が目を覚ましたら色々と説明してあげるようにって雫様から頼まれていたしね」


 そう言うと黒曜はベッドの端に腰をかけ、少年に横に座るよう手でベッドを叩いて合図を送る。

 勿論、少年がそれに従うはずもなく、再び少年はソファに腰を下ろした。

 自然と対面する形になる。


 笑顔でもなく全くの無表情と言うわけでもなく、ただどこか穏やかな表情で黒曜は喋り始めた。


「それじゃあまずは、力の話から。まあ、これに関しては、見てもらった方が早いかな」



 すると突然、それは起こった。

 微かに、部屋の空気が軋んだ音を聞いた気がした。


 黒曜の頭に何かが生えたのだ。

 月明かりに照らされたそれは、

所謂、猫耳だった。


 人間の身体にあるはずのない、黒い毛で覆われた猫の耳が黒曜の髪の隙間から姿を現した。


「耳だけじゃないよ」


 黒曜の呟きに視線を移動させると、他の異変にも気づいた。

 何十倍にも鋭さを増した瞳、鋭利に伸びた指の爪、黒曜の背後からその身を覗かせている黒く滑らかな尻尾。それ以外の肌や顔などは変化なく人間のものだったが、黒曜が魅せた力の正体を当てるにはもう十分だった。


 確かめるように少年は呟く。


「猫の力か」


「うん、正解」


 少年の反応を見て、黒曜は愉快そうな顔をしていた。

 対して、少年はどこか思いつめた表所を浮かべている。


 フールの力、その異能には様々な種類がある。そもそも、フール薬のステージや投与される側の人間の遺伝子によって反応は千差万別であるため、その種類は無数に存在すると言っていいだろう。もっとも、力の類似性や傾向などから、ある程度系統分けをすることはでき、現段階において世界で確認されている力は大きく5種類に分類されていた。

 その中でも、純粋な戦闘において最強の名を誇る「生物種」に属する力の一つが猫の力だった。


 時に猫の力は、真偽は不明だが多くの伝説を残している曰く付きの力である。

 かつて少年が所有していた鬼の力とはまた違った意味で、特別な力だった。


「……なるほど。猫の、力か。思っていた以上に……」


「思っていた以上に、何?」


「……いや、なんでもない」


「気になるから言って。じゃないと___」


 黒曜は猫の爪を少年に向けながら笑顔で宣言した。

 月明かりが爪の先端で綺麗に光っている。


「抉っちゃうよ?」


 冗談だと分かっていたが、その光景は無意識に少年を警戒させた。


「大してことじゃないさ。ただ、なかなかどうして優れた力だと思っただけだ」


 少年がそう言うと、黒曜は眉をひそめた。


「へえ、分かるんだ。力の優劣が」


 黒曜が驚いたのも無理はない。普通の人間にはフールの力の優劣など分からない。少年が猫の力の優位性、その潜在力を知っていたのは、かつて北条一族の一員だった時代に様々な能力者に触れ、実際に戦闘に身を投じたことがあったからだ。


「まあな。それに猫の力は、有名だしな」


「まあ、そうだね……それで、他に聞きたいことは?」


 この時、黒曜が話題を変えようとしたことには少年も気づいたが、あえて指摘はせず、次の質問に移った。


「このファミリアの人間はみんな猫の力を持っているのか?」


「みんなって言うと厳密には違う。このファミリアの構成員はそのほとんどが雫様に何らかの形で救われた女の子達だから、基本的に君みたいに最初に猫の力を貰っているけど、もともと持って入ってきた子は別だから」


「そうなのか。じゃあ、さっきの二人も___」


「もちろん、二人とも猫耳少女だよ」


 フールの力を所有しているマフィアのボスが、部下にその力を分け与えるというのはよく聞く話だ。元来、マフィアにおいて血というものは契約や儀式などの重要な局面で使用されることが多い。何よりもボスから血を、力を頂くという行為は、部下にとって何にも勝る褒美であり、それは部下の忠誠を堅固なものにするためにも大きな働きをしていた。



「つまり、君が入ったこのファミリアは、猫耳少女が集まった最強の集団ってこと」


 その時、黒曜が何気なく言ったその一言によって少年はある懸念を思い出した。


「そういえば、ここには本当に男はいないのか?」


 まだ何とか自分が男であることを隠し通せている少年だったが、いつまでもこのままというわけにもいかないだろう。時間の問題だ。もし、一人でもこのファミリアに男がいれば、打開策が見えてくるかもしれない。


「今更の質問だね。勿論、誰もいないよ」


「……」


「みんなが安心して暮らせるようにとか、ファミリアとしての特色だからって理由もあるけど、女の子だけの一番の理由は、男って存在が敵と同義だからだろうね」


「て、敵か……」


 その言葉を少年は静かに繰り返す。

 改めて、少年は自分の置かれている状況の深刻さを理解した。

 例え、猫の力を受け入れたとしても、ファミリアに馴染んだとして、あくまで少年は男であり、この場において異質な存在なのだ。


「あれ? もしかして、男好きだった?」


「断じて違う」


「あ、逆に男が怖くてまともに話せないってタイプ?」


「それも違うな。ただ確認したかっただけだ」


 少年に隙さえあればからかって楽しもうとする黒曜の身体からは、いつの間にか猫耳も尻尾も爪も着え、元通りの普通の人間の身体に戻っていた。


 ここで少年は、最も気になっていた質問を口にした。

 過去の大半を喪失している少年にとって、それは重要な質問だった。


「ファミリアに関する質問はもういい。次はこれからの話だ……これから俺はどうなる?」


「どうなる?って、随分と受け身だね。君の望みはないの?」


「今更だな。俺が何かを望んでいいような立場にいないことは承知しているつもりだ」


「まったく、君は全然素直じゃないね」


「素直なだけで生きていけるほど、世界は優しくないからな」


 少年は決して悲観主義者ではない。どちらかと言うと楽観主義者なのかもしれない。しかし、これから黒曜が説明する内容に関してはどうしても楽観的に聞ける気がしなかった。理由は明快だ。

 フール進化論と関わった時点で、楽観的に捉えて後悔しない展開なんて存在しえないのだから。


「……はあ、まあいいよ。話そうか。その頑固な感じはちょっと腹立つけど、また解せばいいし」


 少年の頑なな姿勢に降参した様子の黒曜。

 最後の一言に寒気が走るが無視して続きに耳を傾ける。


「ここがマフィアだってことはもう分かってるよね?」


「ああ」


「マフィアである以上、うちにもいくつか仕事がある。明日の夜、君にはその仕事に同行してもらう。大丈夫。何か特別なことをしろっていうんじゃない。ただ、ついて来ればいいだけのこと」


「見習いってことか」


「そういうことだね」


 マフィアの仕事。

 それは多岐に亘っており、ファミリアによって全く異なるが、社会の闇で動くその性質から言って、基本的に犯罪に関わることが多いのは言うまでもないだろう。


「その仕事が何かは、聞いてもいいのか?」


「問題ないよ」


 そう言うと、黒曜は不敵な笑みを浮かべて言った。


「その仕事を私達はこう呼んでいる。巡回、ってね」


「巡回……」


 嫌な響きだと、少年は率直に感じた。


「明日の場所は確か……奈落街」


 奈落街。

 続けて黒曜が放ったその単語を聞いて、少年は悲観的にならざるを得なかった。


 その名称は聞いたことがあった。

 実際に足を踏み入れた事は無かったが、噂で何度か耳にしたことがある。

 確か、東京の地下に密かに存在している闇の街。

 東京の裏の顔であり、常夜の街。


 少年が明日行くことになるその街___奈落街は、マフィアの仕事場所としてこれ以上に相応しい場所はないと感心してしまうほどに、犯罪に満ちた街だった。

次の舞台は、奈落街。

物語はまた大きく進みます。


どうぞお楽しみください。

ご感想などありましたら、ぜひ。

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