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シズクファミリア

 少年が連行された先は屋敷の中でも、最上階に位置する部屋だった。

 風歌と羅奈に案内される際に少年は可能な限りこの建物の様子を探ろうと周囲に視線を巡らせた。


 窓から垣間見えている、無数に生えた針葉樹や洋式の建築物などから察するに、どうやらここは街から離れたどこかの山奥あたりに建てられた屋敷のような場所らしい。


「失礼します」


 羅奈は丁寧な口調でそういうと、ゆっくりと扉を押した。

 後ろから風歌に背を押され続く少年。


 部屋へと足を踏み入れると、鼻孔をくすぐる甘いにおいが仄かに漂ってきた。

 部屋には、高級そうな黒いソファがいくつか置かれ、部屋の一番奥には広いデスクが窓を背にして佇んでいた。どこかの会社の社長室のような風景だ。

 少年がやや緊張して部屋の様子を伺っていると、そのデスクに腰かけている人物から声をかけられた。


「お風呂は気持ちよかった?」


 少年が視線をデスクにやると、そこには路地裏で少年を誘拐した少女サンタがいた。

 しかし、あの時とは雰囲気が異なっている。

 まず恰好が違う。ふざけた白サンタの衣装などではなく、少年と同じ黒のスーツに身と包んでおり、少女が醸し出すその気品は誰の目にも明らかだろう。スーツの黒が白く美しい肌と白銀の髪を余計に際立たせており、僅かの間だったが、目の前の少女とあのサンタが同一人物だと少年が判断するのに、時間を要したのも無理はない。


 少し間を空け、返事をする。


「はい。いい湯でした」


 少年の言葉を聞いた少女は何がおかしいのか、くすくす笑い始めた。


「ごめんなさい。でも、思ってたより礼儀正しいのね。もっと挑発的な態度でくると思ったんだけど」


 デスクに肘をつき手のひらで唇をそっとなでている少女は嫌というほどに蠱惑的だった。

 その仕草に見惚れていると、突然誰かにうなじを撫でられた。

 全身に悪寒が走り、びくっと体を震わせてしまう少年。

 

「当然です。雫様。この子を躾けたのは私ですから」


 振り返るとそこには黒曜が少し得意げな顔をして立っていた。

 

「へえ、さすがね黒曜。いったい何をしたの?」


 にやにやしながら少女は黒曜に問う。


「特別なことはしてませんよ。ただちょっと、従順になるマッサージを施してあげただけです」


「あなたって本当にエスね」


「世話好きなだけです」


 少女と話している間もずっと黒曜は少年のうなじをいじり続ける。

 少年は必死にこらえる。情けないことこの上ないが今は逆らう時ではない。

今、大事なことは情報収集だ。ここはどこなのか。これから自分はどうなるのか。


 少年は黒曜の挑発に乗ることなく、平気な表情で少女と向き合い続ける。


「まあいいわ。素直な子は嫌いじゃないし。それより、本題に入るわ。もう黒曜だけでいいから、二人は下がって大丈夫よ」


 少女の指示に従い、足早に部屋を去る風歌と羅奈。

 部屋の空気が変わったのが少年にもわかった。

 黒曜はうなじから手を放し一歩後ずさり、少年の退路を断つようにしして扉にもたれかかった。


「さて、まずは私のファミリアへようこそ、と言っておくわね。この前、私があなたみたいな可愛い女の子を集めているって話をしたと思うけど、それは覚えてるかな?」


 静かにうなずく少年。


「そう。なら話は早いわ。私の名前は雫。この『シズクファミリア』のボスをしているの」


「……ファミリアってつまり、マフィアのことですか」


「まあ、簡単に言うとそうね。ただ他の連中とはちょっと違うわよ。私達、シズクファミリアが目的とするのはあくまで少女の保護、収集であって、何も武器や麻薬の売買をしているわけじゃない。カジノの運営とか人身売買とか、世間で言うようなマフィアとは違うから勘違いしないでね」



 マフィア。

 それは世界中に点在している非合法の組織の呼称であり、社会の闇を取り仕切る連中の名称だ。

 国や地域によって、カモッラ、ヌドランゲタ、ヤクザ等々、組織としての色や呼び名が変わることはあるが、本質的にあまり変わらないことが多い。裏社会に根を下ろしている非合法の組織という点で連中は共通している。

 日本国内に、このマフィアという名で呼ばれる組織が出現し始めたのは、比較的最近の話だ。そう、フール進化論が証明された以降の話だろう。もともと日本にはヤクザや暴力団などはいたが、マフィアを名乗る連中はほとんど存在していなかった。しかし、フール進化論がもたらした特異な力と、その力が日本で確認されたという情報が全世界に広まった瞬間に、マフィアはすぐさま日本に進出を始めた。いや、もしかしたら、このマフィアと言う表現も適切でないかもしれない。マフィアに限らず、合法と呼ぶには無理があるような事柄に手を染めている世界中の組織が、フールの異能を求めて日本に集まっているのは明白だ。ただ、そのような連中を指す呼び名に適切なものが見つからなかったため、仕方なくマフィアという使い勝手のいい単語で呼んでいるだけのことなのかもしれない。



 少女___雫の言い方に納得できなかった少年は若干強く問いただす。


「でも、ファミリアを名乗っている以上、マフィアであることに違いはないし、現に私を誘拐しているわけで、犯罪に手を染めているという点で他の奴らと何も変わりませんよね?」


「あら、いきなりお喋りになったわね。でも、違うわ。私達がしていることは犯罪であって犯罪でないの。犯罪行為というよりは慈善活動といった方が正しいわ」


「慈善活動、ですか?」


「そうよ。今の時代の日本で野垂れ死にそうになっていたあなただから、少しは理解できるかもしれないけど、この世界は腐っているわ。少なくともあの馬鹿げた理論が世に証明されてしまった瞬間から、世界の理は壊れてしまった」


 その言葉を、少年は以前にもどこかで耳にしたような気がしたが思い出すことができなかった。

 雫は虚空をみつめて話を続ける。


「だから、ファミリアが必要なの。壊れた世界でまともなことをしようっていうんだから、今まで通りの概念、常識に囚われてやっていたら通用しないわ。何が合法で何が非合法かなんて無意味。今の時代に必要なのは、複雑に絡み合って歪んだこの世界を渡り歩いて行ける、本物の組織よ。」


「……それがファミリアだと、そういうことですか?」


「そう。最も、口で説明しても理解してもらえないかもしれないけどね。まあいいわ。いずれ分かることだし。今はそれよりも、これからあなたがどうするかってことの方が先ね」


「これから、ですか?」


 少年はてっきりまた何か命令をされ、無理やり少女らの指示に従う羽目になるのかとばかり思っていたが違うようだ。


「分かりやすくあなたが置かれている状況を整理すると、こうなるわ。真冬の東京で野垂れ死ぬはずだったところを素敵なサンタさんに拾われ、家に招待してもらった挙句には、お風呂で体まで綺麗にしてもらった。そして、その大恩人に二つの選択肢をあなたの自由に選んでいいって言われてるの。分かる?」


 雫は愉快そうに、仰々しく手を広げながら少年に語りかける。


「……二つの選択肢ですか」


「そうよ。一つは、私という大恩人を裏切ってここを出ていくという道。もう一つは、私のファミリアに入って私に仕える道」


 雫はゆっくりとそう呟いた。


「……何故、わざわざ捕まえておいて、逃がすような選択肢を与えるんですか?」


 少年は頭に浮かんだ疑問をそのまま口にする。


「単純よ。私が優しいから」


「______はい?」


 理解不能な返答に、つい間抜けな声を出してしまう。


「へえ、大恩人である私を馬鹿にするとはいい度胸ね」


「まったくです。どうやら躾が足りないようで___」


 黒曜の介入に寒気がした少年は咄嗟に訂正する。


「いえいえ、別に馬鹿にしてませんって。予想外だっただけで」


「それを馬鹿にしてるっていうのよ。……まあ、別に強引にあなたをファミリアに入れてもいいんだけど、そういうのは趣味じゃないの。後味悪いのは嫌いなの。理解できた?」


「……」


 少年は沈黙する。

 目の前の少女の話していることはおそらく嘘ではないだろう。目がぶれていない。この選択肢は真実だ。だが、雫の意図があまりつかめなかった。何を考えているのか。このファミリアが本当に美少女の保護と収集だけを目的に活動しているのかも怪しい。

 少年は迷った。自分でも意外だったが、ただ単純に一つ目の選択肢をとろうとは思わなかった。

 心の中に不思議と躊躇いが生まれていた。

 今、自分は岐路に立っている。その自覚が少年には強くあった。


「さて、どっちを選ぶ?」


 おそらくだが、雫は少年を試していた。

 この選択で何かを見極めようとしているような感覚が少年にはしてならなかった。

 

 数十秒、静寂が続いた。

 少年と雫の視線は交差したまま、どちらも目を逸らそうとしない。


 やがて、沈黙を破ったのは少年だった。


「___決めました。ファミリアに入ります」


 少年はそう宣言した。

 それを聞いた雫は眼を大きく見開いており、驚きを隠せない様子だった。


「驚いたわ。出ていくと思っていたのに」


「自分でも驚いています」


「何故、ファミリアに入ろうと思ったの?」


 少し真剣な表情で雫が問いかけてくる。

 少年は考えた。正直自分でもよく分かっていなかった。この決断は直感に頼った部分が大きい。しかし、強いて言うならば___


「そうですね。強いて言うならば、微かですが、ファミリアというものにこの世界の未来をみた気がしたからです」


「未来?」


「そうです。家を追われてから、この世界の、人間のあらゆる性質をこの目で見て、体験してきました。色んな場所に足を運び、多くの人々に出会いましたが、はっきり言ってどこにも確かな未来の存在を確認することができませんでした。もっと簡単にいうと、未来がある世界なんてなかったということです。でも、今の話を聞いている時、久しぶりに未来をみた気がしました。曖昧ですがはっきりと」


 雫は再び唇を摩りながら、黙って少年を見つめている。その目は笑っていない。

 言うべきことを言い切った少年は雫の目を見つめ返す。

 

 やがて、雫は口を開いた。

 そして呟いた。ぎりぎり少年の耳に届かない程度の小さな声で。


「___期待以上ね」


 雫はそっと微笑んだ。

 それは万人を魅了するような温かい笑みだった。


「わかったわ。認めます。あなたがシズクファミリアの一員となることを」


 その言葉を聞き、少年は安堵した。

 自分の選択が正しかったかどうかなど誰にも分からない。だが、今できる限りの最善は尽くせたと思ったのだ。


「ありがとうござい___」


「___あと、それ、やめてくれる?」


 少年がお礼を述べようとすると雫に遮られた。


「それ、とは?」


「決まってるでしょ。その不愉快な敬語よ」


「なっ」


「聞いたことないわ。はっきり言って耳障りね。そんな、心のこもってない敬語は。さっきからずっと気になってたんだけど、いつ言おうか迷ってたのよね」


 この時少年が、突如一転した雫の態度とそのセリフにカチンときてしまったことは言わずもがな。

 なんとか取り繕ってきた敬語が一瞬にして瓦解する。


「___ああいいだろう。こっちとしても限界が来ていたところだ。だいたいさっきから人が下手に出て聞いていれば、何が大恩人だ。ただの誘拐犯じゃないか」


 少年は一気に捲し立てる。

 すると、腹を立てるどころか、むしろ雫は楽しそうに笑っている。


「やっと本性をみせたわね。いいじゃない。嫌いじゃないわ、自然体のあなた」


「何をいきなり……」


 いきなり褒められて、戸惑う少年。

 それを見て、更に調子に乗り始める雫。


「ふふっ、あら、もしかして照れちゃった?」


「知るかそんなこと。まったく、ここにはまともな人間はいないのか」


「可愛いわねほんと。その男っぽい喋り方も素敵よ。出会ったときみたきに、一人称も俺でいいから。そういう子は他にもいるしね」


 にやにやしながら悪意のこもった褒め言葉を浴びせ続ける雫に、少年は対抗する術を失う。

 男だとばれていないことだけが唯一の救いだろう。

 雫に言われて、一人称を俺に戻す少年。


「でも、いいのか? 他の人はみんな敬語を使っていただろうに」


 少年が今までに出会ったファミリアの人間は皆、雫のことを様付けで呼び、当然だが敬語を使って話していた。例えボス本人に許可されたからとはいえ、今後少年だけ雫の事を呼び捨てにしため口で喋るのはまずいだろう。


 その時、少年の雫に対する言葉遣いに耐えかねたのだろう、ずっと沈黙を守っていた黒曜だったが突然後ろから少年を羽交い絞めにし始めた。


「あなた。雫様に対してその口のきき方……もういい。身体に教え込んであげるから」


「待った! 待っ___ちょ、いや、これやめ___」


 寸分の狂いなく少年の首を捕らえた黒曜の両腕は、しっかりと少年の首を締め上げていく。

 背中に押し付けられる胸の感触に戸惑うのも一瞬。

 冗談抜きで危機感を覚えた少年は黒曜の腕を叩く。


「あ! 黒曜、ちょうどいいからそのままそこのソファに押し倒しちゃってもらえる?」


 そんな少年を見て雫が止めに入るはずもなく、意味不明な指示を黒曜に下した。


「はい! ほら、さっさと転がりなさい」


 黒曜は少年の首を固定しながらソファの横まで移動すると、そのまま力任せに少年をソファに押し倒す。すぐさまその上にのしかかり、所謂マウントポジションをとる黒曜。


「待った! いや、待ってくださ___」


「駄目。おとなしく従いなさい」


 少年の抵抗する術を完全に奪った黒曜は少年の体の上で不敵な笑みを浮かべている。


「大丈夫よ。すぐに終わるから」


 気が付くと、ソファのすぐ横に雫が立っていた。

 その時だ。少年は雫の手元に果物ナイフが握られていることに気付いた。

 急速に頭が冷えていくのがわかる。


「そのナイフ……嘘だろ」


「雫様。いつでも大丈夫です。動きは封じました」


「待て! なんのつもりだ!」


 少年は動揺を隠せなかった。

 まさか先程の会話は全て嘘だったのか。だとしたら、この少女らの詐欺の才能は天才級と言わざるを得ないだろう。


 雫の柔らかい手が少年の頬に触れ、顔が固定される。

 

「痛いのは嫌いだけど、血は嫌いじゃないの」


 その穏やかな口調にはそぐわない危険な発言に、少年は目の前の少女の異常さを悟った。

 何か行動を起こさなくてはならない。このままでは殺される。

 

 少年は足掻こうとした。

 しかし、黒曜がそれを許すはずもなく、その時はすぐに訪れた。


 雫は女神に扮した死刑執行人のような偽りに満ちた笑みを浮かべ、果物ナイフを一閃した。

 すぐに血が滴り落ちる。



 だが、その血は雫の血だった。

 雫は少年の首ではなく、自らの指の皮を浅く切っただけだった。


 雫はその血を舌で舐めとり、口に含む。

 その様子を目にした少年はこの時ようやく、少女らのしようとしていることを理解した。

 そう、この光景は何度か目にしたことがある。


「まさかそれ___」



 しかし時すでに遅し。


 少年が口を開き、抗おうとした時にはもう___



 

 雫の唇は少年のそれを奪っていた。



今回はまた少し日が空いてしまいました。

どんどん物語は深く先へと進んでいきます。


どうぞ引き続きお楽しみください。

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