脱衣所の逃走劇
少年は深いまどろみの底にいた。
何もないぼやけた世界に、二人の人影だけが揺らめいている。
そこはまるで誰もいない夜明け前の浜辺のように穏やかな世界だった。
白髪の少年は思いつめた顔をして口を開いた。
「あの学者のせいで、世界の理は歪んでしまった。もうこの世界は壊れているんだ。何も知らない人達はあの薬のことを単なる新薬か魔法の液体程度にしか思っていないかもしれないけど、あれは核兵器なんかよりも悪質で非人道的な劇薬だ。今はまだいい。でも、やがて必ず限界がくる。世界に終わりの時が訪れる」
少年の主張は、ぼやけた世界の空気を重く張り詰めたものに一変させた。
ぼんやりと空を見上げながらそれを聞いていた黒髪の少年は、一言だけ返す。
「それで、お前はどうしたいんだ?」
その問いかけに少しの間、沈黙が訪れる。
黒髪の少年は回りくどい長々とした会話は好きではなかった。
気になるのは白髪の少年の意思だった。
やがて白髪の少年は答えた。
「ぼくは……、××の一族の末裔だ。代々、この世界を陰で支える宿命を背負ってきた。そしてその宿命はぼくの宿命でもある」
「つまり?」
黒髪の少年は端的に問う。
「つまり……駆除するんだ、全部。この世界に存在してはならない全てを」
「一人でやるのか?」
「一族でやるさ」
「……そうか、それは大変だな」
「もし今、一人でやるって言っていたら、君は協力してくれていたかい?」
「さあな。そんなことはどうでもいい。どちらにせよ、俺がお前の敵になることだけはありえないしな」
黒髪の少年がそう言うと、白髪の少年は苦笑しながら言った。
「違いないや。ただ、もし君が敵になったら大変だろうね。きっと……」
「きっと?」
再び静寂が訪れる。
黒髪の少年には少しずつまどろみが晴れていくのがわかった。
そして、気が付いた。
これは夢であると。
それも過去の夢だ。まだ全てを失う前の、光在りし日の光景だ。
視界が、世界が鮮明になっていく。夢の終わりが近づいているのだろう。
白髪の少年の姿が霞んでいき、全てが闇の底に落ちていくような感覚に襲われる最中、白髪の少年の声が小さく耳に届いた。
「きっと……たくさん殺すことになるだろうから」
そして、夢は終わりを告げた。
突然体を揺さぶられ、少年は目を覚ました。
眩しさに目を細める。
ここはどこだろうか。記憶が曖昧だ。
自分の置かれている状況を把握するのに少々時間がかかった。
すると、高く透き通った声が聞こえてきた。
「あ、起きたみたい。よかったあ。冷たいから死んでるのかと思った」
徐々に明かりに目が慣れてくる。
「雫様と黒曜お姉様が死体を持ち帰ってくるわけがないでしょう。いいから早く体を清めますよ。この子、長らく身体を洗っていないみたいですし、冷えた体を温めるにはお風呂が一番です」
「あはは、そうだよね。いやあ、でもこれは洗いがいがあるよね、本当に」
少年は見知らぬ部屋に横たわっていた。
左右から少女が二人、少年の顔を覗き込んでいる。
「ここは……どこだ」
やっとの思いで少年は一番の疑問を口にする。
「いや、そうか…そうだった、俺は、まずいことになった」
直後、思い出す。
自分が少女と間違われて、怪しいサンタの格好をした少女達に連れ去られたという事実を。
そんな少年の心境を察してか、それとも何も考えていないのか、亜麻色の髪をした少女が話しかけてきた。
「初めまして。私、風歌っていうの。ここは君の新しい家。これからよろしくね」
続けてもう一人の少女も自己紹介をした。
「私は羅奈といいます。しばらくの間、あなたのお世話をさせていただきます」
パーマがかかった亜麻色の髪をした少女___風歌と、胸元まで垂れるしなやかなダークブラウンの長髪が特徴的な少女___羅奈は、どうやら少年の世話係のようだ。
「……」
少年はやっと今の状況を理解した。
即座に頭を最大限に回転させ、いかにこの状況を打開すべきか考える。
女性と勘違いされ誘拐され、連れてこられた場所はおそらく彼女らのアジト。
目が覚めると周囲に自分の世話役と思わしき少女が二人。
よく見るとあたりにはロッカーや鏡、洗面台があり、やけに湿度が高い。察するに脱衣所だろう。その広さと豪華さは、豪邸や高級ホテルのそれに劣らない。
そして、先ほど少女が口にした風呂という単語。
路地裏で野たれ死ぬはずだった自分を誘拐という形ではあったが助けてくれた少女らに対して感謝の念が全くなかったかと聞かれれば、嘘になる。しかし、彼女らには悪いが、少年はすぐにこの場から立ち去ることに決めた。
理由は明確だ。何故なら、この先の展開がゲームアウト以外にないということは分かりきっているのだから。
「まあ、色々と分からないことだらけだと思うけど、まずはお風呂に入って温ったまろっか」
風歌は笑顔で少年が危惧していることを言ってのける。
そう、風呂だ。
少年は風呂に入るわけにはいかなかった。
それは自分が男であると宣言することと同義であるからだ。
「ああ、その、俺……いや、私はその風呂はちょっと」
必死に抵抗を試みる少年。男だとばれないようにとの心理が働き、意味があるかどうかはさておき、自分でも滑稽だと思いながらも、一人称を「おれ」から「わたし」に変える。
「駄目です。その姿で屋敷内を歩いてもらうわけにはいきません」
「そうそう、これ以上私たちの仕事を増やすようなことはしないでね」
一瞬で退路を断たれてしまう。
「じゃあ、早く脱ごうか。大丈夫、私たちも一緒に入るから」
風歌は拍車をかけるようにそう言うと、少年の衣服に手を伸ばしてきた。
その行為に、行動を起こすときは今だと判断した少年は瞬時に身を起こし、風歌と羅奈と距離をとった。部屋の中を見回し、出入り口を確認。部屋の中には、ロッカーや洗面台などが置かれている他に、ドアが三か所に設置されている。おそらくどれか一つが浴槽へ通じ、それ以外のドアが外かトイレあたりに通じているのだろう。それぞれの位置から察するに、部屋の外へ通じているドアは少年から見て右斜め前方にあるドアだろう。つまり、少女らのいる後ろだ。
「あっ、ちょっと待って、逃げちゃだめだよ!」
風歌は問題児を諭す教師のような調子で言う。
「いや、これはその……心の準備がまだ、できないないといいますか」
追い詰められ、心なしか敬語になってしまう少年。
二人から離れたとはいえ、立ち止まっている時間はない。
麻袋に入れられ運ばれている際に眠っていたせいか、空腹感は依然と続いていたが、ほんのわずかだったが体の調子が戻ったような気がした。
問題ない。相手はただの女の子だ。本調子でないとはいえ、掴まるようなことはないはず。
少年がドアに向おうとすると、羅奈がその間に入ってきた。
「駄目と言ったら駄目です。風、捕まえますよ」
「はーい。ほら君、諦めてお風呂はいろー」
瞬間、二人の言葉を無視して、少年はドアへ向かって走った。
少年がとった突然の行動に風歌と羅奈も対応が遅れる。
ドアまであと少し。
少年の手がドアにかかったその時だった。
いきなりドアが開かれる。
そして、そこにいたのは____
「やっぱり、逃げようとしていたな」
「「黒曜お姉様!」」
路地裏で、少女サンタの後ろにいた、黒髪の少女だった。
「お前は、あの時の…」
窮地に立たされた少年は、強引に目の前の少女___黒曜を押しのけ、逃げようとした。が、それは適わなかった。
黒曜の登場で足を止めた隙を二人の少女が逃すはずもなく、後ろから二人がかりで羽交い絞めにされてしまう。
情けない限りだったが今の少年にそれを振り切る力はなかった。
「くそっ、あと少しだったのに」
少年は歯ぎしりした。
もう完全に退路は経たれたと言っていいだろう。
「残念でした。もう逃がさないからね」
「すみません、黒曜お姉様。見苦しい場面をお見せしました。」
羅奈が申し訳なさそうに頭を下げると、黒曜は優しく微笑んだ。
「ふたりのせいじゃないよ。責任があるとすれば、躾のなってない子猫を拾ってきた私の責任だから」
「いえ、決してそんなことは___」
慌てて否定する羅奈の言葉を遮り、黒曜は話し続ける。
「大丈夫。もともと、ここに来たのはその責任を果たそうと思ったからだしね」
「え、それってもしかして!」
風歌は顔を輝かせて聞く。
「うん。私もこの問題児の調教を手伝おうと思って」
「やったー! 黒曜お姉様と一緒にお風呂に入れるなんて!」
「本当にありがとうございます!」
興奮を隠しきれない様子の二人。
特に感激している風歌は、少年を羽交い絞めしたまま飛び跳ねようとし、首がさらに絞められる羽目になった少年は顔を歪めた。
「じゃあさっさと入ろうか。お風呂。ここで長話をするよりも温かい湯船で語らう方が気持ちいいし。ね、子猫ちゃん?」
黒曜は挑発するような口調で、少年の頭を乱暴に撫でながら言った。
少年は悔しさと腹立たしさに襲われたが、抵抗する術を失った少年には口を閉じることしかできなかった。
「心配しないで。身体の隅々まで、綺麗に洗ってあげるから」
このあと、絶望色に顔を染めた少年は脱衣所に連れ戻され、無理やり衣服を剥ぎ取られることになる。そして向かう先は大浴場。付き添うのは3人の少女。
少年の地獄はまだ始まったばかりだった。
少年の悲劇はまだまだ続きます。
投稿も毎日できるように努めます。
どうぞお楽しみください。