第九章 閑話 間繋ぎの日常編
サロン・ド・オアシスも終わり、そろそろオアシス街に落ち着きが戻ってきた頃。
俺とチッタは相変わらずボクシングに励んでいた。何でも、次の蚤の市に向けて、今度こそはキャシーを倒したいとのことだ。
次の蚤の市の戦いでは、あの森熊の大将も出てくる。ますます拳闘の準決勝、決勝は熱い戦いになるわけだ。
基本に忠実なワンツー、そこからインサイド、アウトサイドを打ち分ける多種多様のパンチ。
それを全て俺はミットで捌く。捌いてからチッタに打ち返す。我ながら鋭い突然の右ジャブ、そこから腰を捻って左ショートフックを入れる逆ワンツー、しかしチッタはそれをウィービングの動きでかわした。
チッタは、更に洗練されていた。
冒険者としてデビューしたチッタは、まずノール達の世話になったらしい。
元々近接格闘要員はパーティ内に十分に足りていたノール達だったが、チッタという回避盾役(相手を引きつける盾役で、回避に特化した盾役のこと)は重宝したという。
しかも回避盾なのに一撃が重い。
ボクシングで鍛えた拳と脚は、魔物討伐にも存分に生かされているらしく、この間なんか何とトロールと単身で渡り合ったという。
拳もそもそも、サバクオオアリの鎧のガンドレッドに相手を串刺しに出来るスパイクを付けた、ランタン・シールドのような物を使用しているという。
なので、相手を刺し殺す、という感じで戦っているのだとか。
当然感覚は全く異なるらしい。
しかし、ボクシングとは異なり戦うスペースに制限がない分楽しい、とか何とか言っていた。
チッタ自身にも変化が生じた。経験値を積むことによりレベルが向上し、身体能力が伸びたのだという。
マナを吸収することで肉体の強化が施され、冒険者を始める前よりも体の動きがより良くなっている。
反面、体の動きが良くなった分、勘がやや狂っているらしく、避け方が以前よりも大振りになりがちではあった。
総合的には、動きが早くなっているのでプラスではある。勘は取り戻せばいい。
「シィッ!」
遂に、チッタの拳が回避しきれなくなった俺のこめかみを捉えて、寸止めされて、マスボクシングは終了した。
「……ありがとうございました!」
「ありがとうございました。……チッタ、強くなったな!」
「……やばいっす、オレめっちゃ嬉しいっす!」
チッタの歓喜ぶりも分かるものだ。というのも、マスボクシングでこれほどまでに俺を完璧に下したのだから。
俺の攻撃はチッタにことごとく回避され、僅かに一部の奇襲が、実戦ならば入っていたかなという程度。それもその奇襲は致命的なものではない。
一方チッタは何度も俺にいい感じのパンチを入れていた。もしも実戦ならば俺は何度もダウンさせられていただろう。
元々チッタは強かった。しかし、ここまで俺を圧倒したのは初めてだ。
「ああ、やっと商人様に勝てたっす……すげえ嬉しいっす、感動っす」
「おいおい、大袈裟だって。そもそもチッタは俺より強かったじゃないか」
「いや、でも! 商人様だって滅茶苦茶強いっすよ! オレ、才能の差をビシビシ感じて、凄く辛くって、でも、オレ、今勝てて……」
涙ぐんでいるチッタだが、才能の差と言われると、寧ろチッタの方が才能があるように思えてならない。
俺は単純にスキルの加護で底上げしているだけなのだから。
例えば弓術スキル。視野が広がり風を読む力も心なしか増え、目で見なくても脳内で軌道を予測する力が伸びたように思われる。これがチッタとの先ほどのマスボクシングで、回避に役立ったわけだ。
それをチッタは「だって、オレが冒険者している間、何故か商人様はますますボクシング強くなってるし、訳分かんなくて、オレの拳はかわされるしで、泣きそうだったっす……」と捉えたようだ。
後でチッタにも軽く弓術を教えるべきだろうか。
「いや、チッタの方が才能があるさ。だって、俺の攻撃は相変わらずかわされてばっかりだったからな。流石はチッタだ、と思ったさ」
「違うっすよ、だって商人様以外にオレに攻撃当てられる奴、そんなに居ないっすよ。多分リカルぐらい上手くないと無理っす。……それなのにしっかり狙ってくるんすから、商人様は」
「まあ、じゃないとトレーニングにならないだろ? それに俺の攻撃が当たっているのは同モーションによるフェイントが上手いから、だと思うが」
「まあそうっすけどね」と何か微妙に言いたげな、でも俺が強いことに若干誇らしげな様子でチッタがはにかんでいた。ちょっと可愛いと思った。
実際俺は強くなっていると思う。自分のことを強いとは思わないが、しかし強さは成長したと確信している。
チッタとのマスボクシングはある意味俺のトレーニングでもある。前までは反射神経に自信がなかった俺だが、トレーニングを経て、それが改善したように思われる。
反応速度が速くないと、チッタについていけない。だから自然と、危険を察知したら体が動くようにしないといけない。
結果、俺の動きから鈍臭さが少し減ったように思われた。
(まだまだ、ミーナやチッタには負けるけどな)
とは言え、意識していなかったら未だに勘は平和ボケた日本人のそれでしかない。不意の一撃などには俺はまだまだ弱いのだ。
だからもう少しマスボクシングなど経験を積んで、身を守ることを覚える必要があるだろう。
「よし、じゃあ俺は一旦ここで上がる。じゃあな」
「はい! ありがとうございました!」
そう言えば、チッタから少しいい匂いのするオレンジの香水の香りがしたのだが、これは誰の入れ知恵だろうか、と思った。
「……ということがあってだな」
「おいおい旦那、いつの間に画商になってるんだよ」
「いやあ、画商としてコネが出来たからな、ちょくちょくその関係のビジネスに手を出そうかなと思ってな」
居酒屋森熊で、俺とカイエンは酒を交わしていた。
相変わらず濃い口の味付けの料理に、今度はどうやら軟骨の醤油唐揚げ、という軟骨を醤油に漬け込んで作った特製唐揚げが追加されていた。これがまた美味い。
「だから、ちょっと質のいい絵の具を画家に高値で提供するっていうのと、今後売れそうな絵を取引するっていうのを始めたと。……へえ」
「まあな。……ちなみに最大の取引先はアルベール伯爵の所のアントニって画家。彼にだけは一番良い質の絵の具を取り引きしている。ちょっとした贔屓目って奴だな」
「まあ、正解だと思うぜ。伯爵家ならば末永く仲良くしたいし、逆にアントニとかいう画家以外にその絵の具を売ったら伯爵家に因縁付けられるかも知れねえしな」
「まあ、そういうことだな。……伯爵令嬢はそんなことする人じゃなさそうだったけど、伯爵はあり得るな」
「おいおい、旦那。その口振りからすると、もう伯爵と直接会話したことがあるってことかよ」
「まあ、少しだけな」
「……すげえ。何か、旦那は商売の神に愛されてやがるぜ」
「カイエンも分かるか。言い得て妙だな」
軟骨を頬張る。少し濃い口の味付けだが、これがまた酒の進むつまみになっている。
このオアシス街に軟骨の唐揚げだなんてものは今までなかった。だから俺が提案し、早速新メニューとして登場させたのである。売れ行きとしてはまあまあ好評らしく、この分なら定番メニューとして定着しそうだ。
「まあ、画商の仕事をしてるのはもう一つ、ロスマンゴールド商館の会長、チェーザレ氏との繋がりもある」
「また豪華な奴さんと取り引きするもんだ。旦那は絵を取り扱っているのか?」
「そうだな。……正確には真贋を鑑定する仕事。後は、砂漠まで運び込む過程でどうしても絵が傷むことがあるから、修繕用にどんな絵の具を使えばいいのかとかを見繕う仕事だな。画商の仕事は本当に見習いみたいなもんだぞ」
「それでも大したもんだと思うけどなあ」
「そうか? 画商としてはまだ、一作品も売買取引はしていないんだ。画家達と絵の具取引を通じて、顔だけ覚えて貰いつつ、ちょくちょく安値で失敗作の絵を買い取るぐらいだな。……ここだけの話、実は油が程よく馴染んだカンヴァスは上から絵を描くのに適してるんだ」
「……ああ。そういうことか。売れない画家の作品を買い取って、上から白とか黄色で塗りつぶして、また新たにアントニとかに絵を描いて貰うってことか」
「そうそう。……若干の罪悪感はあるけど、安値で手放すことに向こうも同意してるんだし、いいだろってことで」
俺がそういうと、カイエンはニヤリと笑って「旦那は変わらねえな」と言って酒を少しだけ呷っていた。
俺の遣り口のことだろうか。一応付け加えると、普通は、下地の色を透過しないような白や黄色の絵の具を持っている人は少ないだろう。ある意味では、俺だから出来る手法である。
「そういうことじゃねえ。……新しいことにどんどん取り組む癖に、そこそこ良い付き合いを続けられるって所だ」
「まあ、昔の方がもっと忙しかったんだがな、一応」
「おいおい旦那、昔って言うような歳かよ?」
カイエンがそう半笑いで突っ込むと、どうやらカウンターの奥にまで聞こえたらしい、そこにいるルッツまで頷いていた。
間違いない。俺はまだ所詮は十五歳のはずだ。侮られたりして取引が上手く行かない、というパターンの方が普通なのだ。
そう。俺は別に取引が上手い訳ではない。実は特筆してないだけで、結構取引を失敗したり断られたりしているのだ。
繰り返し、アリオシュ翁だとか居酒屋森熊だとか同じ名前が出てくるのは、実は一回上手くいった取引相手と何度も取引し直している、というだけである。
それでもそこそこ成功しているとは思う。利益は確実に上げているからだ。
それに、一回ダメだと断られた所でももう一回プッシュすればオーケーしてくれる、ということもちょくちょくあった。
要は、なんだこの十五歳のガキ、という認識が、まあ立ち回りは達者なガキだ、ぐらいには見られるようになった、というだけのことだ。
「そうだな。昔って言うほどの歳じゃないな」
俺も笑いながら酒を呷った。




