17.
「お別れの挨拶は済んだか?」
「まださ。お別れしないからな」
お別れではない、と余裕そうに振る舞うトシキであったが、何をどうしようと、この残り2%のアウツを引けるとは思われない。思われない、というよりは、不可能である。
「そいつは面白い。……だが、ヘタイラ・ラミアーに何かを吹き込もうとしたのは感心しないな」
「聞いてたのか?」
「は、会話の声量を絞っていただろう。詳しくは聞こえはしなかった。だが、最後にお前が何かを吹き込もうとしたことだけは分かったとも」
「何もしてないぜ。因縁を付けるのはよせよ、チンピラ」
「どちらでもいい。だが念の為に措置を取る」
アルレッキーノはそう言うや、ヘタイラを指差して「リバーの公開だが」と指示を下した。
「そのままナイフの柄だけを握って、そっと上に高く持ち上げろ。カードを触ることを一切禁ずる。そうして、トランプの絵柄を周りに見えるように示せ」
「おいおい、アルレッキーノ、怖いのか?」
「そうすれば、誰もトランプを入れ替えることが不可能だからな。まあ、ヘタイラだけはトランプの絵柄が見えないだろうが、ディーラーは別に結果を知らなくても良かろう?」
アルレッキーノはそう言って、ヘティに「なあ人形」と嫌がらせのような言葉をかけて、確認を取った。もはや確認ではなく、奴隷紋にあかせた一種の命令であったが、ヘティはそれに言い返すことはなかった。
「……さあ、早速公開と洒落込もうじゃあないか」
「待ちな、アルレッキーノ」
呼び止めるトシキ。その口調には、どこか嘲りの色さえも読み取れる。
「今なら間に合うんだ。やり直しを選べるんだぜ」
「……は、馬鹿馬鹿しい。早く公開しろ、ヘタイラ・ラミアー!」
やり直し、というのは『イカサマが発覚したゲームは全てがプレイされる前までならばやり直しが可能である』ということを指しているのだろうか。だとすれば、遅い。
アルレッキーノの仕込みは既に終わっている。
奴隷紋に強く命じるアルレッキーノ。このままリバーカードが公開された時、アルレッキーノの勝利が確定する。
ヘタイラ・ラミアーがナイフを天高く掲げた時、そこに表れたカードはハートのQなどではない。トシキが鑑定スキルなどで見たカードなのではないのだから。
とうとう運命の時が来た、とアルレッキーノは勝利の確信を新たにした。
裏から真実の目で見れば、ハートのQだと見えるだろう。しかし、表に別のカードが張り付いているとすれば、どうだ。
勝負の神は、裏に隠れたハートのQを見はしない。否、裏に隠れているカードを対戦相手が暴き出せなかったことを勝負に負けたと見なし、表に貼り付いたカードで勝負を決める。
即ち、アルレッキーノは、真実の目に頼り切ったマレビトを乗り越えることが出来る。
即ち、アルレッキーノは、決定づけられていた己の敗北する運命を乗り越えることが出来る。
「! ……ッ」
「……ヘタイラ・ラミアー! 早くしないか!」
しかし、ヘタイラはというと、痛みを堪えたまま、ナイフの柄を握ってそのまま動こうとはしなかった。
謎の抵抗に、アルレッキーノは急激に警戒心を高める。こうなるのであれば、最悪殺しても構わない、と処罰の魔法の圧を強める。
「死にたいというのか!」
「っ……くぅ……ッ! が、あッ!」
ようやくナイフを持ち上げるヘタイラ。しかし、そのナイフを握る手は酷くこわばったまま。
「――アルレッキーノ。お前は一つだけ読み違えた」
「!」
振り返ると、トシキは、壮絶な表情でアルレッキーノを睨んでいた。
「――ヘタイラ・ラミアーはゲームに対して全く干渉できない存在なんかではないし、ましてやこの場における人形などでもない」
「……早く掲げろ、ヘタイラ・ラミアー!」
最悪の予兆と胸を焦がす怒気に声を荒げたアルレッキーノ。
こうなれば、殺す。そう短く決意したアルレッキーノは、遂に処罰の魔法を処分の領域へと高め――。
そこに、トシキはぞっとするような無表情で彼を睥睨した。
指は真っ直ぐとアルレッキーノ……の右側にいる側近の一人を指しており「そこだ」と一言。瞬時に、アリオシュ翁の気配が消えたかと思うと、その側近の男は首を折られて絶命していた。
「!」
不完全なまま魔法を中断し、アリオシュ翁を警戒し素早く立ち上がるアルレッキーノ。
「く、あああああああああっ!!」
しかし、状況は目まぐるしく変化する。
甲高く、まるで身を引き裂くような恐ろしい声を上げ、ヘタイラはそのナイフを跳ね上げ、――そして。
カードデッキに叩きつけるように突き降ろした。
「な……」
「ああああぁぁぁああぁあっ!!」
絶叫するヘタイラ。
同時に、マハディが手に持った天蚕糸でその側近の体を細切れにし、側近が持っている奴隷契約書ごと木っ端へと成れ果てさせる。
吹き出る血飛沫。千切られる契約。今ここに、契約書とヘタイラを繋ぐ薄い魔力の繋がりは消えてなくなり。
ヘタイラはようやく苦役から解放され――、そのままテーブルへと突っ伏して倒れてしまった。
「――勝負の神は、まだ、表のカードを見ちゃいない!」
そして、トシキは素早くカードへと駆け寄っていた。
「ッ!! ……貴様! トシキ・ミツジ!」
「リバーオープンだ! アルレッキーノ!!」
ナイフに突き刺さったカードの一枚目を、二枚に剥がし、突き立った刃から引きちぎって場に叩きつける。
「――ハートのQ。Quads Queenだ。こいつは大逆転、BAD BEATだぜ、アルレッキーノ」
「……否、足掻く!」
手慣れたものだ。足掻くことなど、今までずっとやってきたことだ。
刹那、アルレッキーノはナイフを持ってトシキに飛びかかった。明確な殺意をもって繰り出された短剣は、空を切り音を鳴らし、命を刈り取る鋭い一撃となってトシキへと真っ直ぐ襲い掛かる。
しかし。
「――もう、幸運はないみたいだぜ、アルレッキーノ」
繰り出せず、崩れ落ちる。
今に来て、心臓を突き刺さんばかりの発作に見舞われ、アルレッキーノに間隙が生じる。おぞましい痛みに命が悲鳴を上げ、目が眩み平衡感覚を一瞬失う。
それは、アリオシュ翁と森熊をして、アルレッキーノを封じ込めるのに十分な隙であった。
(……呪いか! ミロワール!)
はっと気付いたかのように周りを見回すアルレッキーノは奴隷たちの中に紛れたミロワールの姿を発見した。変装して髪型も化粧も変えただけで、なるほどミロワールとは気付きにくい。
このための奴隷たちだったのか、ミーナを守るための盾や強硬手段としての暴力だけではなかったのか、とアルレッキーノは歯噛みした。
(代行人、中立ではなかったのか……!?)
内心の驚愕と共に、賭博の王アルレッキーノはその身柄を確保されることとなる。
並外れた戦闘能力もアリオシュ翁と森熊とマハディとを食い破るほどではない。何より、今まで常に味方していた運命的なまでの幸運が、今はない。
それはつまり、勝負の神が勝敗を決したのだという意味であった。
「……は、はは、ははははははは、ははははははははは!! ははははははははははははは!!!」
けたたましいまでの哄笑。場を包み込むほどの狂気。
これが、敗北か。
感じ入りながらアルレッキーノは、しばし身をよじらせておぞましく笑うのであった。
「ヘティ!」
俺は倒れているヘティの側に駆け寄り、彼女の背中をさすった。テーブルに爪を立てている彼女は、妙な脂汗を浮かべながら表情を青褪めさせて、細かく震えている。何かの発作か、と一瞬どきりとしたが、鑑定スキルによると、今のところは問題はない。ただ、あまりに恐ろしい痛みを全身におったせいで、動揺が酷く一種の恐慌状態になっていた。
「大丈夫か、ヘティ」
「ぅ、ぅぅう、ぅ」
「大丈夫だ、落ち着け、何もしなくていい」
無意味なうめきを口にするヘティに、俺はとりあえず「大丈夫だ」と連呼する以外になかった。呼吸もままならない様子で、酷く苦しそうな表情を浮かべている。落ち着いているというよりはぐったりとしているというほうが適切な表現で、このまま死なないだろうか、本当に大丈夫なんだよな、と俺は一瞬不安になった。
「ぅ、ぅぅ」
「大丈夫だ、大丈夫だから」
何がどう大丈夫なんだろうか、と我ながら思うぐらいに下手な落ち着かせ方だ。だが実際のところ俺も冷静ではなく、ただ安直に安心して欲しいという言葉をかけるのみであった。
「ヘティちゃん! ……トシキ様や、この子は如何にありんすかや」
「大丈夫です、今のところは」
同じくヘティを心配して駆け寄ってくるマハディに、俺は短くそう答えた。そして直ぐに「あ、いえ、今のところは、ではなく、大丈夫です」と言葉を訂正した。
俺の内心の不安が思わず言葉をついて出てしまっていたのだ。我ながら冷静じゃないと思う。
(……勝ったのか、本当に)
内心では、アルレッキーノに勝ったことに現実感の湧かぬまま、俺は未だに収まらぬ胸騒ぎに戸惑っていた。
(アルレッキーノは俺との一対一を読んでいた。いや、既に知っていた)
アルレッキーノはまず、俺の味方であるベリェッサ、アリオシュ翁、マハディが俺にオールインすることを知っていた。状況が不利になれば必ずそうやって差し込むことを予想していたのだ。
余談だが、ここでアルレッキーノは一応「もしトシキが弱い手なのにブラフでゲームに参加したりした場合、味方のオールインをコールできなくなってしまう」という罠も考慮していたようであった。
その可能性を恐れる俺は、チップのスチール(弱い手なのにブラフをして相手を降ろさせ、場のチップを稼ぐこと)が出来なくなるわけだ。
更に俺は、危ないときは味方を守るために敢えて負け勝負でもコールせざるを得ない、という立場だ。
当然俺のチップは徐々に減っていく。普通にプレイしているだけでも、何と、鑑定スキルがある俺の方が不利だったのだ。
となれば当然、ゲームは二択になる。
六対一をキープする(=アルレッキーノの勝率を六分の一に保つ)。
俺とアルレッキーノの一対一にする。
更に言うと、徐々に俺のチップが減っていく手前、長期的に見ればいずれ俺に対してオールインする他に選択肢はない。
(アルレッキーノは俺の鑑定スキルを見破っておきながら、敢えてコミュニティーカードを五枚場に並べ、敢えて自分のカードも隠さなかった。何故か? ……俺を嵌めるためだ)
アルレッキーノは己の運命を知っていた。
AAAKKのフルハウスと、QQQQAのクアッズの勝負になり、逆転で負けてしまうという展開を既に知っていたのだ。
だからこそ彼は、最後のQに細工を施した。
ハートのQのカードの表に別のカードを貼り付けることで、裏から見たらハートのQだが表から見たら別のカード、という仕掛けを仕込んだのだ。
『ヘタイラ・ラミアーの話をしよう』だなどとヘティの動揺を誘いつつ、場のカードを並べさせることを命じる。
その後、一悶着を起こした振りをして一瞬の隙を突きコミュニティーカードを入れ替える。
或いは最初からハートのQの表面に別カードを張り付けっぱなしだったのかもしれない。アルレッキーノの直感が、『次のゲームの最後のカードは、細工をしたハートのQ』と運命を知らせてくれるのを待っていたパターンだ。
他にも、様々なパターン――例えばワイングラスの底にカードを隠していたとか袖にカードを隠していたとか――は思い付くが、それは重要ではない。
重要なのは、アルレッキーノがハートのQを裏に隠したことである。
オールイン勝負になることを知っていたアルレッキーノは、『トランプすり替えを防ぐため』という大義名分のもと、ナイフを突き刺した。
そして、『トランプすり替えを防ぐため』という大義名分のもと、ナイフごと最後のカードを高く掲げろと言ったのだ。
これらの行為は一見理屈が通っているように見えるが、実は『トランプの細工に気付かれることを防ぐこと』と『トランプの裏に貼り付けられたハートのQが万が一にも剥がされるのを防ぐこと』という二つを狙いとした行為でもあった。
そうすれば、そのゲームは一旦アルレッキーノの勝利となる。後にトシキが不正を明るみにしようと、それは過ぎたこととなるのだ。阻止できなかった方、見抜けなかった方が悪い、なのだ。
アルレッキーノは最初から、テキサスホールデムを戦っていたのではない。
アルレッキーノにとって本当の勝負とは、その瞬間を騙せるか、ということだったのだ。
(勝負の神による審判が下った後は、例え後に不正を指摘しても勝敗は変わらない。あいつはだからこそ、最後のカードがハートのQにならないよう仕組んだ……)
だが仕組まれるということさえ知っていれば、大したことはない。
俺は既に、ある程度アルレッキーノの仕込みに見当を付けていた。
俺の真実の目を知っているというのに、敢えてこのままコミュニティーカードを五枚並べ、ハンドカードを隠そうともしないのは、俺をミスリードへと誘うためとしか考えられない。
ミスリードを仕込むタイミングは、ディーラーのヘティかアルレッキーノ本人かが動かないといけない――つまりあのヘティに奴隷紋の魔法を発動させたあのゲームだけを警戒すれば良かったのだ。
(アルレッキーノのミスリードを回避した後は、アルレッキーノからヘティを取り返してからゲームに勝利すればよかった。それが俺たちの今回の計画)
今回はアルレッキーノにゲームで勝つまでに、ヘティの所有権を放棄させる必要があった。勝ちが決まった瞬間に、ヘティに自害を命じられては困るからだ。
誤算は、一つだけあった。
アルレッキーノがヘティへ奴隷紋の魔法を発動させることはほぼ予想していたが、予想外だったのは誰が契約書を持っているのかを絞りきれなかったこと。
思い返して欲しい。俺はアルレッキーノとの出会い頭にある程度、誰が持っているのかを絞ったつもりではあったが、実は誰が持っているのかまでは本当は判別できなかった。
奴隷紋魔法を行使する際、契約書との薄いマナのつながりが生じる。それは鑑定スキルの使える俺にしか見えないものだ。
それを使って誰がヘティの奴隷契約書を持っているのかを見破ろうとしたのだが、アルレッキーノに狙いを看破されてしまった。
彼は一瞬しか魔法を使わなかったのだ。
彼が長時間魔法を使ったのは、後にも先にも、最後の大勝負のあの瞬間のみであった。
(ヘティがあの時、ナイフをデッキに突き刺してくれなかったら、俺はリバーカードのハートのQを開くことも、ヘティの奴隷契約書の場所を見つけ出すことも出来なかった)
そう、アルレッキーノが長時間魔法を使わざるを得ない状況に追い込み、本物のリバーカードをもぎ取るチャンスをくれたのは、間違いなくヘティのおかげなのだ。
確かにジンクスだ、ヘティはラッキーカードを俺に与えてくれたのだから。




