第九~十話
帰ってきた俺を待ちかまえていたのは鉄拳制裁だった。
それはいつもと同じこと。
「っ痛、くそ」
俺は悪態を吐いていた。
不幸中の幸いだ。
今回の鉄拳制裁は、死を覚悟する程ではなかった。
痛がる演技、泣いて許しを請う演技、死ぬ手前で悶絶する演技。
プライドを捨てて演技に打ち込む。
今から全てを乗っ取るのだと思うと、演技なんぞいくらでもしてやろうと思えた。
結果として、俺は鼻血で汚れたローブを舐めるだけで許してもらえた。
向こうも殺す気はないらしい。
ただ、偶然死んでしまったら間抜けな奴めと笑うだけなのだろう。
憎悪が募った。
死ぬことだけは回避したが、流石に体に堪えた。
「でも、ばれなかったのは幸先がいい」
俺は痛む体を揉みほぐしながら、これからのプランを考えた。
少し時間を遡って。
帰ってきてすぐのこと。
俺は、まずイーリスに「大男がいないかどうか偵察してきてくれ」と指示を出した。
流石に色々と無関係なものを購入してきたこの俺の姿を見咎められてはまずい。
偵察から帰ってきたイーリスは「大男はいなかった」と報告を返してくれた。
ならばと俺は遠目からテントを見ると、確かにマルクはいない。
その隙に俺はこっそり倉庫テントに向かい、購入したものをそこにしまい込んで、「イーリスはあのテントに入ってくれ」と下級奴隷用テントにイーリスを匿った。
そして、マルクに対して「今帰りました」と報告。
「残念ながら今日では良い服が見繕えなかったので、もう少し待って蚤の市の日に買いに行きたいと思います、この金貨一枚は返します」
と伝える。
その結果が。
「あ? その蚤の市にもしも上客が来たらどうするんだてめえ。万が一、ミーナのおめかしの準備が間に合わなかったせいで商談のチャンスが一つふいになっちまったらどう責任とるんだ、え?」
という暴言と、拳の殴打。
なるほど、俺は都合のいいサンドバッグって事らしい。
――責任、どう取るんだ。
その魔法の台詞で俺も、前世で散々サンドバッグにされてきたよ。
俺は自分の前世の苦い記憶を少しだけ思い出した。
だからこそ、見返させてもらおうじゃないか。
俺個人の、個人的な、自己満足の復讐に付き合ってもらおう。
夜警の時間。
俺が待ち望んだ、計画実行の日。
(やっぱりニカワは信じられないぐらい臭いな)
琥珀色の粉末ペレットの物体。
これを水の中に入れて煮込むと、接着剤が完成する。
今俺はニカワを煮込んでその接着剤を作っていた。
ニカワは動物の皮や骨から抽出する純度の低いゼラチンである。
そのためか、煮込むときに発する匂いが動物的というか、動物の死体が腐った匂いみたいというか。
余りにも強烈な匂いなので、隣にいた奴隷が距離をあけている。
それでいい。
そのまま俺は「すまないが、しばらく火の番を頼む。何があってもここから離れるなよ」と命令。
これでこの戦闘奴隷は、この火元から動かない。
(さて、まずは計画を整理だ)
このニカワをどうするかというと。
まず水気を少なめにして煮詰めて、粘度の高い接着液をつくる。
そしてその接着液を、布に浸す。
最後に、その布をあのマルクの顔に被せるのだ。
窒息を狙う。
(被せた後は迅速に行動だ)
布を被せた後は、その顔の上に座って剥がせないようにする。
そのまま体をブラックジャックで殴る、殴る、殴る。
煮込んで八十度ぐらいになったニカワを股間にぶっかけるのもいいだろう。
(途中で当然マルクは抵抗するだろうが、問題ない)
俺は体に巻きつけた瓦を見た。
これが自分の急所であるわき腹と鳩尾を守ってくれている。
いくらマルクが暴れたところで、俺をどうこうできるとは思わない。
(さて、あとはタイミングの問題のみ)
俺はそこまで考えて、火の番をしている奴隷を見た。
彼は俺の命令を守って、火から離れないはずだ。
「すまないが、ちょっといいか」
「何でしょうか」
奴隷に対して一つ質問をする体で話を切り出す。
「マルク様のテントから物音がしなかったか?」
「そうでしょうか」
「一瞬だけ様子を見てくる。その間お前は絶対に火から目を離すなよ」
「え、はい、分かりました」
素直に奴隷は頷いた。
これで問題はない、だろう。
(……一瞬でケリをつける)
マルクのテントを穴からのぞき見た。
マルクは現在深く寝入っているようだ。
心理グラフから見て分かる。意識レベルがかなり低くなっており、いわゆるノンレム睡眠といわれる状態にある。
つまり、ちょっとやそっとでは起きない状態だといえる。
俺は手元のブラックジャックとニカワのバケツを握りなおした。
手が少し震えているのが分かる。
(落ち着け、俺は暗闇でも物が見える。向こうは暗闇だから俺が見えない。大丈夫、大丈夫)
自分に言い聞かせつつ、マルクのテントに入る。
マルクのテントの中は、倉庫よりも当然広かった。
手元のニカワの匂いで起きないかどうか心配になりつつも、俺はそのまま近寄る。
マルクは熟睡したままだ。
俺はそのまま周囲を見回して、何の罠もないことを確認した。
(……いや、鳴り子が引っ掛けてあるな)
鳴り子。
この紐をひっぱるとからんからんと音がなる原始的な罠。
暗闇の中なので全く目に見えない。
もしも俺に鑑定スキルがなかったら絶対引っかかっていただろう。
なるほど、マルクも一応考えてはいるらしい。
残念だったな、と思いつつ、俺はマルクのそばまで忍び寄った。
いい寝顔を晒してやがる、と思った。
その顔に今から布をかけてやるのだ。
(ついにか)
俺はマルクの護身用の武器を遠くに跳ね除けた。
これで万が一暴れても、マルクには武器がないので俺をどかすことは不可能だ。
マルクが大きく息を吸い込んだのが分かった。
手元のバケツを地面に下ろし、布を漬け込む。
ニカワが熱いので、思わず布を落としそうになったが我慢する。
マルクが大きく息を吐き出し終わった。
(今だ)
息を吸う前に、布を顔に被せる。
瞬間に顔の上に飛び乗って座る。
「!!」
マルクが異変に気付いたのは、俺が彼の顔の上に座った直後だった。
俺はそのまま早速ニカワを股間に見舞ってやった。
「ーーっ!!」
突如えびのように体を丸めたかと思うと、のた打ち回って背中を急にそらす。
へこへこ体を動かして、気持ち悪い悶絶の仕方をしていた。
そのままブラックジャックで股間を殴打する。
「んごっ! んごっ!」と声を漏らしつつ、マルクは股間を守るために体を丸めていた。
しかし呼吸が出来なくてかなり苦しいらしい、両手を使って俺の体をしきりに殴っていた。
俺はびくともしない。
瓦が俺の体を守ってくれている。
「ーーーっ!!」
今度はかきむしるように指の動きが変わった。
俺の服を引っかくように、俺をそのまま引き剥がすかのように動いていた。
ここが正念場だ、と俺は全く動かないように力をこめた。
ブラックジャックで鳩尾を叩いた。
飛んでくるかもしれない蹴りを警戒して、股間を叩いた。
やがて本当に俺を蹴ろうと、マルクは足をじたばたさせた。
俺は蹴りを全部、ブラックジャックで防御した。
砂袋は防御にも都合のいい道具だ。
ついに、命の終わりの時が来たらしい。
マルクはひときわ強く俺の服を掴んだ。
俺を一緒に地獄に連れて行かんとするぐらいの、執念のこもった掴みだった。
次の瞬間。
マルクはがりっと音がしそうなぐらい、俺の顔を引っかいた。
俺は痛みで絶叫しそうになった。
どうやら俺の、頬を、小削いだらしい。
それぐらいくれてやるよ、と、俺は歯を食いしばりながら強がった。
かなり効いた。
涙で視界が滲んだ。
マルクはそのまま、動かなくなった。
爪あとを残す、か。
昔の人も上手いこと言ったな。
だなんてナンセンスなことを考えつつ。
俺はしばらく、余韻で腰が抜けて動けなかった。
部屋を鑑定し回って、俺は契約書を見つけた。
マルクが身につけている机の鍵で、机の引き出しをあけたら見つかった。
そこには全て同じようにマルクドレーシーの名前が書かれている。
俺はその名前をインジゴイドのインクで塗りつぶし、下にトシキ・ミツジ、と書いた。
一枚ずつ書く度に、心の中に充足感が訪れる。
ついに俺がマルクの全てを奪ったのだ、という達成感。
一枚一枚が、実感を俺に伝えてくれる。
(これが、奪う喜び)
俺は暗い喜悦に顔を歪ませていた。
今まで受けてきた仕打ちを思うと、感無量だ。
いやもっと直裁的な言葉ではっきり言おう。
俺が殺した。
罪悪感というよりは呆気なさ。
だが俺はそれを、一枚一枚契約書を上書きしていくことで、目の前に一つ一つ積まれていく喜びに変えていった。
全てを書き変えた頃。
マルクの死体から使えそうな装飾を取り去って、その他の汚れた部分を捨てようと思った。
人手が必要だと思った。
なので戦闘奴隷を呼びつけて「スラムのジャンク山に捨ててこい」と指示をした。
戦闘奴隷は驚いていた。
だが、すぐに全てを悟った表情で、マルクの死体を外へと運び出したのだった。
こうしてマルクの部屋は、驚くほど何のトラブルもなく、俺の物になった。
「新しく主人になる、トシキ・ミツジだ。よろしく頼む」
翌朝。
全ての奴隷を一堂に集め、俺は皆の前で宣言した。
皆は困惑していた。
当然だろう、昨日の今日で突然、主人が変わってしまったのだから。
だが俺は気に介さなかった。あくまで主人らしく泰然と振る舞う。
「これからは新しい形の奴隷商人を目指そうと思っている。それはキャリアコンサルティングに基づく人材養成だ」
俺は一人一人を見回しながら言った。
「皆はそれぞれ、得意なことがあるだろう。好きなことがあるだろう。してみたいことがあるだろう」
高級奴隷の女たちを見た。
彼女たちは俺を怪訝な表情で見ていた。
なまじ知恵があるだけに、俺が今している演説の意図を計りかねているのだろう。
「だがしかし現実ではそれ以外の仕事を任されることの方が多い」
下級奴隷を見た。
彼らもまた俺の話を困惑しながら聞いていた。
高級奴隷たちとの違いを挙げるとすれば、彼らは俺の話を怪しいと「疑って」はいなかった。
良い傾向だ。
「してみたいことはあれなのに、しなくてはならないことは違う。このギャップに諸君等は苦しんできたはずだ」
俺はそこで「しかし」と頭を振った。
「俺はそのギャップを一つだけ埋めようと思っている。即ち、得意なことをさせてやろうと思っている」
得意なことをさせてやろう。
その言葉に虚を突かれたような表情をする物が何人かいた。
俺はその人たちに向けて、指を突きつけた。
「そう、得意なこと。才能があることだ」
俺はそう言ってから、深く間を取った。
「この世に命をもらった以上、名前を残したくはないか」
ぽつりと呟く。
その言葉の影響は大きかった。
死んだ目をしている奴隷の殆どが、はっとさせられたように目を見開いたのだった。
この世に名前を残したい。
長らく忘れていたに違いないその願望を、俺は改めて聞かせなおしたのだ。
「得意なことに励むのを、俺は止めない。むしろ推奨する。やれ」
俺はそこまで言ってから、さっと周りを見回した。
「俺はそれに向けて、なるべく大きな舞台に諸君等を売りつけることを約束しよう」
以上だ。
そう短く告げたあと、奴隷たちはしばらく動かなかった。
呆気にとられているように見えた。
あるいは何かに感じ入っているようにも見えた。
(成功したか。感動している奴らが殆どか、上手くいったな)
俺は鑑定スキルの心理グラフを見ていた。
心理グラフの変遷を見ると、俺の言葉に不快な感情を抱いている者は皆無であった。
つまりは、大成功というわけだ。
(良かったぜ、異世界転成によくある演説テンプレみたいに、うおおおとか吠える奴がいなくて)
俺は内心で苦笑していた。
演説に感動して「トシキ! トシキ!」とかされるのは少し困る。
そうじゃなくて、棒立ちになるぐらい心を揺さぶれたらいい。
それがベストだ。
俺は「さあ、テントに戻れ」と指示を出した。
そこでようやく、自分が棒立ちになっていることに気付いた奴隷が、急いでテントに戻っていた。
俺はそんな様子を見ながら、これで金で買えないやる気を買えた、と内心でほくそ笑んだ。
(俺が下積みした期間は四ヶ月程度)
俺は、マルクに虐げられていた四ヶ月を思い返していた。
あの頃から俺は、少しずつ乗っ取り計画を準備していたのだ。
それはつまり、「下級奴隷を仕入れてこい」と言われる度にスキル持ちの奴隷を購入するようにしたことである。
この努力の甲斐あって、下級奴隷三十人の内十人は良質なスキル持ち奴隷となった。
四ヶ月の時間を使ってコツコツと増やしていったのだ。
俺はこれから先の展望を考えた。
いくらでも楽しみはある。
例えば、今考えているプランの中で最も効率良いもの。
(プランその一、魔術の素養がある奴隷に魔法を覚えさせて売りさばく)
魔術素養がある奴に魔術を覚えさせる。
これは俺がずっとしようと思っていた戦略の一つだ。
理由は簡単、魔術師の需要はとても高いからだ。
魔術を使うためには、いい家庭教師などの指導者をつけてもかなりの訓練が必要になると聞く。
要は、魔術師は金持ちにしかなれない特殊な職業なのである。
よって自動的に、魔術師はエリート職業へなっていく。
その奴隷の値段はいくらになるか。
何と、普通の奴隷の百倍程度になると考えてよい。
普通の奴隷を金貨五枚と考えたら、五百枚の価値だ。
(だが、そのためには魔術を教えられる人物を用意しなくてはならない)
しかし、最大の壁がそこに存在する。
魔術を教えられる人物がどこに存在するのか。
その問題を解決できない限り、この計画は実行できない。
残念ながらこの計画は、時がくるまでは封印である。
(では現段階で実行可能な計画で、効率の良い戦略は何なのかというと……)
実行可能なプランで効率の良い物は何か。
俺は予算を脳内で組み立てながら、これならばバランスが取れていると思った物を見つける。
(プランその二、戦闘奴隷。彼らの養育と専門化だ)
戦闘奴隷。
肉体的ステータスが高い、もしくは剣術スキル、槍術スキルなどの戦闘用技術に優れた奴隷のこと。
俺はその戦闘奴隷を使って一儲けするつもりである。