第四~六話
マルクから独立するにはどうすればいいか、方法を色々考えたが、恐らくは実力行使しかないと思った。
それは何故か。
説明するために、俺の考えた独立方法を列挙していこうと思う。
まず一つ目、最も穏やかな方法。
それはこつこつと地道に頑張ることで一人前の奴隷商になったと認めてもらうことだ。
ただ、これはあり得ない。
何故ならマルクは、俺を独立させる気が全くなさそうだからだ。
彼はどうやら俺のことを「安い労働力」としか見ていないらしい。
その安い労働力である俺がいなくなってしまうと、マルクにとっては損なのだ。
「は、お前も頑張りさえすりゃ認めてやるぜ、頑張りさえすりゃな」
なんて酒を飲みながら嘯くマルクだったが、全く信用ならなかった。
心理鑑定のスキルを発動したとき、マルクの発言は「嘘」と出たからだ。
そう、マルクは俺を飼い殺しにするつもりなのだ。
普段の扱いを見れば分かるというものだ。小間使いとして働かされている俺がしているのは、奴隷の清掃や食事の世話、排泄の処理などである。
立場でいうと奴隷の奴隷、のような仕事。俺がいなくなった後マルクが自発的にするだろうか? 恐らくありえない。
いや、もしかすれば仕事内容は耐えられるものなのかも知れない。
しかし暴力は耐え難い。
マルクが機嫌を損ねたときは大体、俺に暴力を振るって遊んでいた。
上下関係を植え付けるためだったのかも知れない。
アイツはそういう、上下関係を植え付けるような行動が好きな男だった。
目が時々血走っていて、暴力に酔っている事が分かった。
いつしか更に過激化することは、予想に難くなかった。
あるいは確認なのかもしれない。
俺が万が一刃向かったとしても、マルクには勝てない、そういう力の差を確認するため。
臆病。
いちいち確認しなくてはならないのか、という小心さが尚更腹立たしい。
その度に俺が痛めつけられないといけないというのか。
身勝手にも程がある。
恐ろしく身勝手だが、体格差が厄介だった。
一五歳の子供の俺はそれなりに体が出来上がりつつあったが、マルクは大男だった。
かつて一度、余りに殴られすぎて痛みと吐き気が止まらなかったことがある。
胃が痙攣し寒気が続くのだ。
そういえば前世で骨折したとき、こんな吐き気と寒気を覚えたな、とぼんやり考える。
鳩尾に走る激痛と、呼吸がしばらく出来なくなる横隔膜の震え。
死ぬかと思った。死を覚悟した。
奴は笑っていた。
死にたくないだろ、機嫌を損ねるなよ。
釘を差すような目線と、自分の行いを正当化するような振る舞いが酷く鼻についた。
加えて、マルクが奴隷商として必要な知識を教えないようにしているのが問題なのだ。
契約書を使ってサインをするなど、それら必要な手続きは全て店主用のテントに隠れて行っている。
まるで俺にそれらの知識を悟られることを恐れているかのようだった。
門前の坊主習わぬ経を唱える、とはよく言うもの。
小間使いならばそこから学べという事なのかも知れない。
しかし、これではまるで。
マルクの卑しい笑みが脳裏をかすめた。
飼い殺し、好きだろう。いつしかマルクに言われた言葉だった。
反吐の出るような台詞だと思った。
以上より、こつこつと地道に努力するというのは全く当てにならないのだ。
他の方法を考えるしかない。
二つ目の方法、マルクの目を盗んで契約書を上書きする。
契約書の存在を知ることすら、俺は最近になってのことであった。
あのマルクが俺に奴隷商として必要な知識を隠匿したせいである。
それをここまで突き止めることに成功したのは、ひとえに隠れて情報を集めた努力によるもの。
契約書というのは、奴隷とマルクの契約を保証するものだ。
奴隷契約は、刻印師の奴隷刻印と、奴隷契約書の二つで成立する。
奴隷刻印に使う特殊な刺青を、契約書の署名に使うのだ。
そうすることで魔術的な契約が発生する。
その際、契約書は主人と奴隷の名前を結びつける役割を持っている。
契約書に記された名前がもし間違っていたりすれば、契約は意味をなさない。
正しい名前で奴隷の魂を主人と結びつける、それが契約書の持つ効果だ。
逆に言えば、契約書の名前を塗りつぶされてしまった場合は、マルクは主人としての効力を失うのだ。
契約書の名前を上書きすることができれば。
俺は一縷の望みをそこに賭けている。
ではどこに契約書があるのかというと、恐らくはマルクの私室テントだろう。
そのテントには立ち入ってはならない、とマルクから厳命されている。
それはつまり、そのテントには途方もなく大事なものが隠されている証左だ。
他にも客が来たとき。
マルクは「こちらへどうぞ」といいつつ、あのテントの中に入る。
奴隷商人にとって契約書は命の次に大事。
だからこそ契約書の管理は奴隷商人として最も大事になってくるのだ。
マルクは小心者だ。
なので大事なものは側に抱えていたいタイプの人間であるはずだ。
彼の行動から察するに、契約書は必ずあのテント内部にある。
(さて肝心なのはどうやってあのテントの中に入るか、だが)
俺はまずばれないようにテントに入るにはどうすればいいのかを考えた。
(ステータスオープン)
頭の中で唱える。
詠唱しなくても魔法は使える。『fantasy tale』のゲームでは常識だ。
詠唱すればもちろんMP消費対効果は高まる。
しかし鑑定スキルはそもそも消費MPが少ない。
なので、マルクにばれないように声に出さないことのほうが重要だったりする。
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名前:トシキ・ミツジ
年齢:15歳
レベル:6
HP:20 MP:7
筋力:5
俊敏:7
魔力:4
耐久:6
固有加護:財宝神の加護
固有技能:鑑定オプション
特殊技能:鑑定Lv.10
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ここで気になるのは固有技能、鑑定オプションだ。
鑑定オプションというスキル名は今まで聞いたことがない。『fantasy tale』でも見たことはない。
ステータス画面からその鑑定オプションを調べると、すぐに分かった。
【固有技能:鑑定オプション】
鑑定スキル使用時のオプション設定が可能になる。
名前表示:ON
年齢表示:ON
Lv.表示:ON
ステータス数値表示:ON
加護/スキル表示:ON
信頼度表示:ON
心理グラフ表示:ON
詳細検索:ON
その他自作オプション:なし
なるほど、いわゆるコンフィグ画面のようだ。
ON/OFFにより使うオプションを設定できるらしく、これで鑑定スキルをカスタムできるようだ。
さて、俺がここから何をするつもりなのかというと、鑑定スキルで可能なことを把握するのだ。
鑑定スキルは、俺の唯一の武器だ。
これをどう使うか、それが俺の将来を分ける。
使い道として思いついたこと。
まず一つ目、暗闇だったら鑑定スキルは発動するのか。
結論を先に行うと、発動した。
暗闇で何がどこにあるのか全く分からない状態でも、鑑定ポップアップにより、場所が分かってしまった。
薄暗い昼のテントでも、夜になって全く中が見えなくなったテントでも、鑑定ポップアップで奴隷の居場所が見えるのだ。
それはつまり、鑑定スキルは上手く使いこなせば、敵の夜襲に遠くから気付くことができることを意味する。
もしかしたら冒険者になるかも知れないことを考えれば、有用なことに間違いはない。
二つ目、鑑定により原産地や原材料まで分かるかどうか。
これも結論からいうと成功した。
今身に纏っているローブ。
これを鑑定スキルの詳細検索を行うと、【原産地:王国東部オリエント地方】【原材料:芋麻】と出てくる。
原材料や原産地が分かるとなれば、行商や交易の際に非常に有利になるだろう。
もしかしたら俺は行商人にもなることが出来るのではないか。そうも考えたり。
そう、思いついただけでも二つ。
俺は鑑定スキルの強みを、それぞれ冒険者、行商人で活かせることを見つけた。
しかしどちらも現段階では最後の手段。
もしも契約書を奪い取ることが出来なかった場合の逃げ道として考えておく。
重要なことはそこではないのだ。
重要なのは、俺が暗闇の中を調べることが出来ること、原材料を調べることが出来ることだ。
(夜、全てを変えてみせる)
俺は内心でほくそ笑んだ。
正直このマルクという男は迂闊であった。
俺を奴隷にしてしまえばよかったのに、俺を奴隷にしなかった。
(いや、財宝神クーベラの加護なのだろう)
俺はそう思い、自分のステータスの【固有加護:財宝神の加護】を見た。
【固有加護:財宝神の加護】
財宝神クーベラの加護。商業の才能に補助が生まれる。
交渉術成長+
合意のない契約の無効
そう。
どうやらマルクは、俺を奴隷にしたかったのかもしれないが、出来なかったのだ。
俺は奴隷契約などの、合意のない契約を無効に出来るスキルをもっているのだから。
結果的にマルクは、俺を奴隷にして制御することは出来なかった。
奴隷にして、反意を抱くことを禁止してしまうことが出来なかった。
つまり、俺がマルクに刃向かうことを禁止することが出来なかったのだ。
(計画は簡単だ。夜に寝静まったかどうかを鑑定スキルで確認する。寝静まった隙に、契約書とインクを盗み出す)
ただそれだけのこと。
ひどく単純な計画。
単純であるが、入念に行えばほぼ成功するだろう計画だ。
夜。
星と月の輝きがかろうじて地上を照らすのみで、光のない世界。
俺はテントの外で奴隷と一緒に夜警をしていた。
夜警。
それはどういうことかというと、夜の警護のことだ。
奴隷商人も商人の一人。
金を持っている、あるいは高級な奴隷を持っている、というイメージからか、盗賊などに襲われたりすることも少なくない。
盗賊に襲われてしまえば、金や商品はおろか、最悪、命さえも失ってしまう恐れがある。
なので奴隷商人は必ず、屈強な奴隷をガードマンにして周囲を警戒するのだ。
いつ襲われても対抗できるように。
朝も夜も周囲に警戒を張り巡らせる。
もちろん奴隷商人も人間だ、夜は休息を取らなくてはならない。
人間は必ず睡眠をとらないといけない生き物だ。
マルクもまた当然のように、夜は睡眠をとる。
その間周囲を警戒するのは、奴隷と商人見習いの俺だ。
(手ぬるい)
俺は笑みが止まらないことを自覚した。
きっとこの分ならば、夜の作戦は上手くいくだろう。
夜の作戦。
俺が考えたシナリオとしてはこうだ。
まず最初に、テントの穴、隙間からマルクの様子を窺い見る。
マルクが睡眠状態かどうか、マルクのテント室内はどのようになっているのか、それらを可能な限り把握する。
出来るならば、マルクの装備を把握すること、武器の場所を把握すること、契約書やインクの場所を把握すること、も忘れずにだ。
そして次に、マルクを襲撃するのに十分な道具を用意することだ。
今現在俺が持ち合わせているものは、奴隷に水を分け与えるためのバケツであったり、排泄物を集めるちりとりであったり、馬の毛並みを整えるブラシであったり、そういった小間使いの道具だらけだ。
正直襲撃に使える道具はない。
しかしもし、夜警のときに使っているこの篝火を使ったらどうか。
最後。
マルクをどうやって仕留めるか。
可能ならば、マルクの視界を奪って一方的に攻撃したい。行動の自由も縛っておきたい。
今の段階で思いつくのは、酒を飲んで酔ったまま寝ているマルクに、この俺の着ているローブを被せて一瞬だけ視界を奪って、そこを一気に襲う方法だ。
これはもう少し洗練させて実行したいと考えている。
この三段階に従って行動プランを固める。
自分のシナリオに特に問題はないはずだ、と内心で何度も確かめる。
(気分として、少し落ち着かないな)
俺は気持ちを落ち着かせるために、周囲を観察することにした。
テント、という表記から分かるかもしれないが、俺とマルクは砂漠のスラム地区で露天奴隷商を営んでいる。
スラム地区。
そこはならずものが集まる場所、というよりはむしろ、貧しい者たちが流れ着く場所といったほうが正しいだろう。
経済的に困窮したもの。
例えば腕を失った兵士。夫を亡くした妻子。失明した老人。
それらの人間が平然と転がっているのが、このスラム地区の特徴だ。
彼らは物乞いや水汲み、肉体労働をして生計を営んでいる。
物々交換でかろうじて食い扶持を凌いでいたりもする。
どこかから盗んできたものを売りさばいている人間もいる。
要は、このスラムの住民は誰もかしこも、まともな職業のものは少ないということだ。
彼らは一体どこで飲み水を得ているのかというと、オアシスだ。
この付近にはオアシスが存在しており、オアシスからここまではそう離れていない。
しかしオアシスはいわゆる高級露店のひしめく場所で、スラム住民の居場所はそこにはない。
なので、オアシスからここまで水を運んでこの中央の溜池に保管する必要がある。
溜池は二つ存在し、生活用水と飲用水だ。
この溜池に水を運ぶのはスラム貧民の仕事、あるいは奴隷の仕事だ。
俺も手伝ったことがある。あの労働は体にこたえる。
しかし奴隷の仕事やスラム貧民の仕事の中ではまともな仕事のようにも思われる。
それぐらい、このスラム貧民の待遇は悪いものなのだ。
この砂漠のスラム地区について説明描写することがあるとすれば、このようなものだろうか。
俺は自分とマルクの営む奴隷商テント周辺を見回した。
だれもこっちを見ていない。
スラムの貧民たちは、特に俺たちに対して目をあわせようともしない。
むしろ奴隷にはなりたくないという忌避感からか、どことなく余所余所しい態度であった。
その余所余所しさが、いま現在では自分の助けになっている。
周囲の警戒の目をあまり気にしなくてもいいのだから。
俺はそっとマルクのテントを穴から覗き込んだ。
マルクは眠っていた。
マルクのテントをそのまま観察し続ける。
彼の装備は、普通の綿と麻の混合のローブ。特別な防具は何も身につけていない。しかしそばに護身用の剣が置いてあり、これでいざとなったら身を守るのだろう。
彼が寝ているのは、ソファというべきか座布団というべきかよくわからないクッションの上であり、あの上に寝転がって体を休めさせている。
毛布は上から何枚か被っている。
あの毛布を貫通して攻撃するのは骨が折れそうだ。
その彼の眠っている場所から少し離れて、机があった。
あの机の周辺を念入りに観察すると、インクがあった。契約書に使っているインクと同一のものかどうか鑑定する。
【原材料:インジゴイド顔料】とある、これは契約書を鑑定したときによく見かける顔料だ。
インクは見つかった、あとは契約書のみ。
机の付近にあるだろう、と見当をつけるが見当たらない。
どこかに隠しているのだろうか、今少なくともすぐには見あたらなかった。
今日のところはこのあたりまでか。
俺はテントから一旦顔を離した。
テントの穴を覗いて分かった情報はかなり大きい。
襲撃を仕掛けるイメージもだいぶ固まった。
夜番の篝火の位置に戻って、もういちど警護の仕事をしているかのように振る舞う。
そしてそのまま頭の中で色々と考える。
襲撃をかけたら案外簡単に仕留められそうだ。
問題はその後、どこに契約書などを保管しているのかが分からない。
時期尚早。
しかし近いうちにマルクから解放されるだろう。
俺は次のステップに向けて計画を練り直すのだった。
「じゃあ、これで文字は一通り完璧かな」
「はい、大丈夫だと思います。しかし覚えるのが早いですね」
俺は地面を見た。
幾つもの表音図形がそこに書き記されている。
それらは鑑定スキルを通して見れば、【A】【B】などの記号に置き換わってポップアップ表示される。
俺は文字を教わっていた。
この世界を生きるのにあたって文字の知識は必要不可欠だ。
文字の学習は難しくなかった。
契約書の文字を盗み見たり、オアシス街を歩いたりするときに観察したり、そうやって文字のボキャブラリーをストックしておく。
そしてそれを奴隷たちに教わり直す。
後は鑑定スキルを使って答え合わせ、記録し直し、という作業。
実際、鑑定スキルのおかげで学習は捗った。
この文字はこういう意味、あの文字はこういう意味、というのが一瞬で分かる。
おかげで簡単な文字の読み書きならばこなせるようになった。
読むだけならば、難しい内容でも鑑定スキルで何とでもなる。
学習を始めてまだ三ヶ月程度だが、文字列の種類は一通り完璧に暗記できた。
あとは規則性を知って単語を覚えていく作業だ。
「しかし、文字を知ってるなんてミーナは流石だ」
「いえ、そんな大層なことではありません」
ミーナは、はにかんだように苦笑する。
俺は本心から凄いと思っている。
この世界の識字率は大変低い、というのは俺の主観だが、まあ間違いないだろう。
『fantasy tale』が参考にしてるのは地球世界での中世、識字率はというと、推定二割ぐらいでは、と考えられている。
つまりミーナは選ばれた二割の中にいる。
やはり彼女は上流階層の獣人なのだ。
巫女という立場がどれだけ高等なのか思い知らされる。
「だって、このテントで他に字を知ってる人はいないだろ。ミーナはそれだけ物知りだってことさ」
「お褒めに与り恐縮です」
ほら、お褒めに与り恐縮、だなんて言葉回し、普通知ってるだろうか。
現代日本の感覚で考えるのは間違ってるかも知れないが、言葉遣いは教養に比例する。
多分この世界も同じだろう。
低い社会地位の人たちは教育を受ける機会が少ないため、敬語を勉強したくてもできないという場合が多い。
そのため、ですますしか敬語を使えない人とかが出てしまうのだ。
ミーナの言葉遣いはその点、洗練されていた。
ですます口調のみでなく尊敬語、謙譲語表現までしっかり押さえられているのだ。
しっかりした教養がないと出来ない真似だ。
俺は改めて、ミーナへの評価を上方修正した。
俺が文字を教わっているのは暇つぶしのためではない。
契約書に書く文字をマスターするためだ。
いや、契約書に名前を書くことぐらいは鑑定スキルを使えばできなくはない(自分の名前を詳細検索して、表音記号表示を調べればどんな書き方をすればいいか分かる)。
しかし、契約内容を自分で書き足したり微妙な表現を書き加えたりすることは、文字を知らないとできないことだ。
マルクを追い出したとしてだ、もしもろくに文字が書けなかったりしたら仕事が出来ない。
奴隷商人はとにかく契約書あっての職業なので、契約書をしたためられなかったらすぐに詰む。
よって、俺が文字をほぼ差し支えなく扱うことができるようになってから、マルクを追い出すのがベストなのだ。
マルクの仕事を乗っ取る計画は着々と進んでいる。
今のところほぼ不安材料なしに達成できるだろう。
俺は来たる日を妄想して、笑みを深くした。
「おい小僧、適当に服を見繕ってこい。ミーナのだ。意味は分かるな?」
ある日のこと、俺はマルクに言いつけられて服を買い出すことになった。
服。
奴隷に服を買うことはとても珍しいことだ。
下級奴隷用テントにいる奴隷には、まず服は与えられない。
服は高級奴隷用テントの奴隷しか与えられないのだ。
高級奴隷は見た目がかなり大事になってくる。
服や化粧、香水、装飾品は全て、商品価値を高めるための小道具だ。
小道具、というが、これらの演出のあるなしで価値が倍近く変わることも珍しくない。
人はそれだけ印象に操作されやすいということだ。
高級奴隷をあえて別テントで生活させているのも、一つの印象操作のためだ。
テント内部も豪華に飾っているため、心理学的効果で奴隷の価値も高く見えるのだ。
そう、つまり服を買うということは。
意味は分かる。
ミーナはついに、高級奴隷の素質ありとして目を付けられたのだ。
「はい、予算をお願いします」
「金貨一つ、これで間に合わせろ」
金貨一つか。
金貨一つで銀貨百枚、銀貨一つで銅貨百枚。
価値でいえば銅貨が十円とみていいので、金貨は十万円程度とみなせる。
あくまで俺の感覚の話。
だが、金貨一つで装飾を全て賄うのはかなり厳しいと俺は思った。
「金貨一つで服のみですか?」
「馬鹿言え、服も装飾も用意しろ。できるな?」
マルクの目を見た瞬間、俺は悟ってしまった。
こいつ、最初から予算をオーバーした分を、俺に負担させるつもりだと。
「ほれ、商人見習いとしての社会勉強だ、市場での価値のうつろいを学んでこい」
と意地悪く笑いながらマルクはこっちを見据えていた。
そりゃそうだろうな。
お前からすれば、俺が金をため込んでるのは面白くない話だ。
俺が今ため込んでいる金は、およそ金貨三枚程度。
これはちょっとした金になる、例えば超安物奴隷ならば1人買えるぐらい。
俺がその金貨三枚を使って、マルクに何かしら反抗する可能性もあるのだ。
マルクはそれを見越していた。
だからこの際お金を使わせようと画策した。
それが、この命令だ。
「それともてめえ、俺の命令に逆らおうって言うんじゃねえだろうな」
マルクは脅すように釘を差した。
そう、多分この命令を破れば、マルクは戦闘奴隷を使って俺を痛めつけるだろう。
痛めつけた後「これは罰だ」とかほざいて俺がため込んだ金を持ち去るだろう。
この命令に拒否権はない。
「分かりました」
俺は静かに頭を下げた。
野郎、いつか目に物見せてやる、と決意しつつ。
こいつはやってはいけない線を越えた。
俺のため込んだ金を一方的に取り上げようとした。
人の苦労をなんだと思っているのか。
理不尽。その言葉が脳裏に浮かぶ。
辛さなら耐えられる。
だが虚仮にされることは我慢ならない。
ここまで俺の努力を侮辱する行為は、許せない。
一言いわせてもらおう。
ここは現代社会ではない、それはつまり人の誇りを侮辱する行為は死に値させても良いのだ。
命は安い。
アンタのその安い命、金貨三枚で買い上げさせていただこう。