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第一章 独立までのキャリアプラン 第一~三話

 比較的空いている電車の車両に乗って座席に座り、取引相手との待ち合わせ時間までの数十分、軽く睡眠を取ることに決める。

 それが俺、三辻 俊樹(ミツジトシキ)の異世界転生の顛末だった。






 気が付くと、目の前の光景が全く異なっていた。先ほどまで自分が座っていた電車車両内部ではなく、もっと薄暗い場所に変わっている。

 見る限りどうやらテントの中らしい。砂漠の遊牧民が使っていそうな造りのテントで、材質の皮が劣化しているのか所々破れている。大きさとしては天蓋が広く出来ており、中に三〇人から四〇人ぐらいは収容出来そうであった。


 場所だけではなく、自分もまた服装が変わっていた。

 自分がさっきまで着ていた質のいいスーツは、いつの間にか茶色の薄汚れたローブになっている。例えるならば異世界ファンタジーの物乞い、あるいは下流労働層の身格好。

 もちろんさっきまで身につけていた腕時計はない。携帯電話もない。名刺入れもなければ、ビジネスバッグもない。

 それどころか、自分の体が一回りほど小さくなっているように思われた。口元を触ると剃った髭の感触がせず、若い頃の硬くなっていない肌のそれに近い感触がした。

 若返ったのだろうか、と確かめようと思ったが周囲に鏡らしきものは見当たらなかった。


(……いや、場所も服装も大事だが、何よりも特筆すべきなのは、目に飛び込んできたこの光景だろうな)


 場所が突然変わったこと、自分の姿形が変化したこと、どちらも俺にとってみれば大きな変化ではあったが、それよりも気にするべき点があった。

 それは周囲の光景の異常さである。


 裸の人がずらりと立ち並んでいる。

 数えると合計で三十人ほどで、見た目もばらばら。体格が大きいもの、栄養状態が悪いもの、毛皮で体が覆われたもの、ひどく長身なもの、それぞれ特徴的な外見の人間がそこにいた。

 いや、人間……正確には魔族というべきなのだろうか、亜人というべきなのだろうか、正確な言葉は知らないが、とにかく明らかに現代社会では見かけない、ホモサピエンスと異なる人間がそこに存在している。

 共通していることは、全員が衣類を着せられていないという点のみ。

 裸の格好のまま、人としての尊厳を奪われている。


(一体どういうことだ)


 全く状況がつかめない。

 例えば分かるのは、目の前にワーキャットの獣人の女の子がいて、彼女は飢餓状態で栄養状態が悪い、という事実だ。

 しかし分からないのは、何故そんなことになっているのか、だ。

 何故そんな女の子が目の前にいる。裸で、飢えた状態で。

 これではまるで。


(奴隷じゃないか)


 その発想に至った瞬間、俺は一歩後ずさった。


「……良かった……」


 囁くような声が、目の前のワーキャットから聞こえてきた。

 俺は思わず彼女の方を見た。こちらを見つめ返すその瞳には、縋るような何かがあった。

 彼女は誰か。何が良かったのか。その格好は何なのか。様々な疑問が脳裏を過ぎったが、答えは出ない。


 幸い言葉は通じるようなので、彼女に色々尋ねてみようかと思った。

 しかしそれは、後ろから聞こえてくる声によって遮られた。


「おいトシキ! 貴様いつまでかかってやがる!」

「はい! え、あの」


 振り返れば、不機嫌そうな大男が肩を怒らせてそこにいる。

 トシキ。俺の名前を知っている奴らしい。だが記憶を辿ってもその声の主に心当たりはない。

 一体誰だ、と思いながらも、不自然にならないように会話を繋ごうと知恵を絞る。


「申し訳ございません、よく分かりませんでした」

「あ? てめえ奴隷の選別すら出来ねえのかよ!」


 突如、大男は使えねえ、と俺の顔に拳を入れた。

 一撃。鼻が熱くなり涙に目が滲む。

 衝撃によろめいて後頭部を強かに打ちつけた俺は、思わず大男を見据えて呆けてしまった。

 余りに突然のことで状況についていけない。殴られるようなことをしただろうか、と一瞬混乱するが、察するにどうやら俺はこの大男に殴られても仕方がないような立場らしい。


 言葉遣いもそうなのだが格好に差がある。

 俺はみずぼらしい茶色ローブだが、彼はしっかり装飾の入ったローブだ。上下関係でいえば俺はこの大男より俺の身分が下なのは間違いない。

 しかし、奴隷の選別が出来ないからといって殴るとは、なかなかどうして挨拶が過ぎるというものだ、と俺は思った。


「生意気な顔しやがって。誰が俺にガンを飛ばしていいと言った!」


 今度は蹴りが入る。

 太ももの同じ場所を執拗に蹴って、「おい!」と怒声を飛ばしてくる。

 痛みに耐えかねた俺は「も、申し訳ありません」と身を屈めて謝るしかなかった。

 やがて飽きたのか、「……まあいい」と不機嫌な声とともに、大男は蹴る足を止めた。


「暇じゃねえんだ。後で締めてやるから、今は退いてろ」


「……承知しました」


 頭を下げて距離をおく。

 突然のことで、最初こそ怒りが湧く暇もなかったが、今になって理不尽な仕打ちに腹が立った。

 腹が立ったが太刀打ちできないと思った。

 きっと刃向かってはいけない。力の差で負けるのだ。見るからに体格の差が大きいので、もし争ったとしても負けることが明白であった。

 それが屈辱的でもあった。

 俺は内心で嘆息した。

 こんなことを考えていても埒はあかない。別のことを考えて気を紛らわせることにする。


(……この状況は一体何なんだ)


 まずもっとも大きな疑問はそれであった。

 この状況はどういうことなのか。これは夢なのか。いろいろ考えてみるが答えは出そうもない。

 強いて言えば、これほど鮮明な夢を見たことは俺にはなかった。それに俺は、夢の中でああこれは夢なんだなと気付いた試しがない。決まって夢だと気付くのは夢から覚めた後であって、夢を見ている最中は、これは夢なのかもという疑念が脳裏に浮かんだ試しがない。

 もしかしたら夢なのかも知れない。だが夢でないのだとすれば何なのだろうか。

 異世界、という単語が脳裏をよぎった。だが、俺には今の段階では判断が付かなかった。


(そして、奴隷の選別か)


 次に気になったことといえば、この大男の言葉に出てきた奴隷の選別という単語だ。

 人間の向き不向きの観察は、まあ出来なくはない。

 それは俺の前世の職業経験、キャリアコンサルタントとしての経験があるからだ。


 キャリアコンサルタントというのは職業相談みたいなものだ。

 資格適性、能力適性、心理学的なアプローチなど、さまざまなデータを活用して、本人の適性と希望を基に相談に乗る、カウンセリングに近しい仕事。

 国の技能検定制度にもなっているほどで、俺はちょうどキャリア・コンサルティング技能士の資格を持っている。


 なので、人間の向き不向きを観察することぐらいは出来なくはないのだろう。だが。


(異世界の奴隷となると厄介だぞ。この世界の仕組みを全く知らない)


 俺は参ってしまった。

 せっかく前世で人物観察のスキルを磨いてきたというのに、この世界の仕組みが分からなければ全く意味がない。


 例えば、もしこの世界が異世界であると仮定して、魔法があるような世界だったとしよう。筋骨隆々の人間に「君は建築に向いているよ!」と判断したとしても、もしこの世界の土木建築が魔法で全て賄えるのならば、全く意味はないのだ。

 このようなことにならないように、まずはこの世界の常識を早く身につける必要がある。


 しかし、奴隷の選別だなんて、それこそどうすればよいのだろうか。夢ならば早く覚めろ、と俺は思った。


「ったく、鑑定スキルもってるガキだから見習いとして雇ってやってるっていうのに、全然使えねえな」

「すみません」

「何でこんな奴に財宝神クーベラ様が加護を与えたんだか。俺の魔力をつまらねえことに使わせるんじゃねえよ。――『ステータスオープン』」


 財宝神クーベラ。

 その言葉を聞いた時、俺はもしかして、と思ってしまった。


 財宝神クーベラというのは、とあるゲームの神様の一柱なのである。

 俺の頭の中に一つの世界観が浮かび上がった。

 『fantasy tale』。俺がちょっとはまっていたファンタジーRPGで、ソーシャルゲームの携帯アプリとして世界規模の売り上げを誇ったもの。


 俺もそこそこやり込んだほうで、そのゲームならば世界観は大体分かる。


 もしもこの世界が『fantasy tale』と一緒ならば。

 俺は色々なピースが頭の中に嵌っていくのを感じた。


 魔族の奴隷、獣人族の娘、『ステータスオープン』の呪文。それらは全て、『fantasy tale』の世界に一致する。


 俺はもしかして『fantasy tale』の中に飛ばされたのでは。

 その仮説に気付いた瞬間、俺の中に野望が一つ芽生えた。


 どうせ夢なら夢でいい。だがもしも全く異なる世界に生まれ変わってしまっているのならば、それはこの上ない機会であった。

 人生をやり直せるのだ。

 そして、やり直して俺は、と息を飲んだ。

 この世界で立身出世を果たしたい。

 そんな言葉が自然と、自分の中に浮かび上がっていた。


「は、こいつは使えそうだ。こいつは……無理だな、よし、こっちは」


 大男がそうやって選別している間、俺はこっそり決意した。

 まずはこの大男(邪魔者)を排除しよう、と。

 もちろん、なるべく穏やかな手法で独立して、しかし必要とあらば実力行使で、である。






 異世界にきてしばらくは、状況の整理に費やした。

 おそらくこの世界は『fantasy tale』の世界とほとんど同じだと見なして良いだろう。或いはそのままそっくり『fantasy tale』なのかも知れない。

 例えば、ステータスという概念がある。人の能力を数値化したパラメータのことで、筋力、俊敏、魔力、耐久、などが存在する。

 これはまさに、『fantasy tale』というゲームの設定そのままである。


 試しに、あの大男(マルクという名前で俺の主人らしい)に鑑定スキルによる『ステータスオープン』の魔術を使ったところ、出てきた表示にはこうあった。


 --------------------------------------------------

 名前:マルク・ドレーシー

 年齢:41歳

 レベル:10

 HP:36 MP:7

 筋力:6

 俊敏:8

 魔力:5

 耐久:6

 特殊技能:交渉術Lv.2

 特殊技能:鑑定Lv.2

 --------------------------------------------------


 やはり、ステータスが存在する。それも表記が『fantasy tale』のそれとそっくり同じだ。

 この時点で俺は、この世界が『fantasy tale』と殆ど同じ世界なのだろうと確信を深めた。


 もう少しステータスについて説明を追記しよう。

 この交渉術Lv.2、鑑定Lv.2というのは『スキル』という呼称で扱われる。早い話が神に認められた加護であり、Lv.という部分は、その加護の強さを表す基準だ。

 例えば剣術Lv.1というスキル。

 このスキルを持つ人間は、剣術スキルを持たない人間と比べた時、剣の振りが速く強くなるらしい。

 このLv.が高ければ高いほどその加護の効果は大きくなる。例えばLv.5にまでなれば、この大陸には並ぶものはいなくなるだろう。

 これらの知識は『fantasy tale』をやっていた頃のゲーマーとしての記憶だ。

 あのゲームで見た限りでは、NPCではせいぜいLv.5が高いところで、敵を含めてもLv.7までだったはずだ。

 一方でプレイヤーは、やり込みさえすればLv.10まで伸ばすことが可能である。


 そして、これは重要なことだが、俺以外の人間には一般にスキルの有無を確認する術は存在しない。

 例えば自分がどんなスキルを保持しているのか、相手がどんなスキルを持っているのか、そういったことを調べる術は無いはずなのだ。

 ところが俺には見えている。鑑定スキルを発動することにより相手のスキルを分析することが可能なのだ。相手自身が把握していない加護、スキルを、こっちが具体的に数値や文章として把握することが出来るのだ。

 俺は確信した。これは使える、と。


(まあ、この辺については黙っておこう)


 何故周囲の人間が加護やスキルを把握することが出来ない、と気付いたのかと言うと、ある出来事がきっかけだった。

 ある日のこと。

 客が一人、マルクの店にやってきて戦闘奴隷を購入した。客は恵みの王国(バカーライスタン)の騎士団員、いわゆるエリートだ。

 騎士団員は「適当に肉体が頑強そうな奴隷を見繕ってくれ」と注文をした。その注文に、特に技能等の指定は無かった。

「はいはい」と返事したマルクがつれてきたのは三人。

 どれも同じぐらいのステータスで、大した数字の差はなかった。しかし違いとして、スキルが全然違っていた。

 1人はスキルなし、ただの奴隷。

 もう1人は剣術スキルLv.2、相当の剣術使いである。

 最後の1人は火魔術Lv.0、魔術の素養を持った貴重な人間だ。

 明らかに価値が異なる。後者二人はスキルの加護持ちだ、当然スキルなしの奴隷よりも倍以上の値段差がついて然るべきだろう。

 だというのにマルクはこの三人に同じ値段を付けた。ステータスが同じぐらいだから同じ値段を付けたのだろう。

 鑑定スキルを持っているマルクが、この三人に同じ値段を付けた。そのことが若干衝撃的だった。


 俺はこのとき、もしかしてマルクはステータスの数字しか読みとることができないのではないか、と気付いたのだった。


 そう思った俺は、試しにマルクにこう持ちかけたことがある。

 例のあのワーキャットの獣人の女の子(ミーナという名前らしい)を手で示して「すみません、ステータスの表示がぼやけて見えます、あちらの奴隷のステータスの表示を読み上げてくれませんか」と言ったのだ。

 ぎろり、と一瞥をよこしたマルクは、散々バカにしたあと、俺に向かってこう言ったのだ。


「ふん、ミーナ、HP21、MP6、筋力8、俊敏9、魔力2、耐久4。手間を取らせるんじゃねえ」


 それ以上は何もないかどうか聞きたかった。

 だが、多分それ以上のデータがマルクには見えていないのだろう、と俺は思った。

 何故ならば、ミーナのステータスには「固有加護:獣人族の巫女」と書かれているのだから。


(もしも鑑定スキルによってスキルの加護が読み取れるというのならば、彼女がどんなスキルを持っているのか、彼女の加護が何なのか、という情報をマルクは知っていなくてはならない)


 だが、彼はついぞ気付かなかった。ミーナが獣人族の巫女であることを見破れなかったのである。


 もしもマルクが知ったのならば、絶対にミーナにこんなぞんざいな扱いをしない。

 獣人族の巫女というのは貴重な存在なのだから。

 試しにマルクに聞いたことがある。「巫女だとか上玉の奴隷ってどれぐらいで売れるんですか?」と。


「は、お前にはまだ早い。ここにいる三十人の奴隷なんかじゃ利かねえよ、百人でもまだまだだな」


 酒を飲みながら下品に答えるマルクだったが、おそらく間違ったことは言ってないはずだ。


「つまり、そんな奴隷を見つけたら大儲けですね」


「馬鹿が、そういうのは仕入れ値も高いんだよ。それに維持費もかかる」


「そうなのですか」


「お前は知らないだろうが、高級奴隷用テントには上玉ばかり選別して揃えているんだが、あいつらには毎日水浴みさせて身だしなみまで整えてやってるんだ」


「大変ですね」と俺は相槌を打ちつつ考えた。

 ならばつまり、巫女であるミーナは絶対、別テントである高級奴隷用テントに入ってなくてはならない。

 あの金に汚いマルクがそうしないということはつまり、マルクはミーナが巫女だと気付いてないのだ。


 教えてやる義理はない。

 マルクが知らないこの情報は、俺が有効活用するつもりだ。






 獣人族の巫女。

 ミーナのこの加護が気になった俺は、こっそり後で彼女に聞いたことがある。

「もしかして君は巫女じゃないか」と。


 ミーナは驚愕していた。何故分かったのですかと言わんばかりの表情を浮かべて、しかし直接は聞いてこなかった。

 やがて、何かを確信したらしく「……真実を見通す目」という言葉がこぼれて聞こえたが、俺には分からなかった。

 説明する代わりに、彼女は「貴方は誰ですか」と聞いてきた。

 どうやら警戒させてしまったらしい。いや警戒というよりは寧ろ、俺が何者なのかを確かめようとしている様子ではあった。


「僕は普通の下っ端の奴隷商人見習いですよ」と取りあえず弁明しておく。「ただ、ちょっとだけうちの店主とは気が合わなくて」


「そうですか」


 それ以上の言葉は来なかった。

 ミーナは迂闊なことを喋れない。奴隷の刻印のせいで、主人への反意をむき出しにした場合、魔術で苦しむことになるからだ。

 奴隷の刻印は、一度契約を破ると気が狂いそうになるほどの苦痛を与え、最悪、死に至らしめるほどの魔術だ。

 だから彼女はそうですか、と無難な言葉しか口にしなかったのだろう。

 しかし、ミーナの反応で十分分かった。

 どうやら彼女が巫女だというのは本当のことらしい。そして、その事は隠しておきたい重要な情報なのだとも何となく窺い知れた。


「なあミーナ」


「? 何ですか?」


 マルクが別の仕事に取りかかっている隙を見計らって、俺はミーナに話しかけた。

 もちろんマルクに知られてはいけない。どう難癖を付けられて体罰に出られるか分かったものではない。

 そうまでして話しかける理由はもちろんある。


「君はどうして捕まったんだい?」


 それはミーナの話を聞くためだ。


 ミーナは捕まるようなステータスではない。

 それこそ数字では普通の人間と大差ないが、数字は問題ではない。

 --------------------------------------------------

 名前:ミーナ・セリアンスロープ(奴隷)

 年齢:15歳

 レベル:6

 HP:21 MP:6

 筋力:8

 俊敏:9

 魔力:2

 耐久:4

 固有加護:獣人族の巫女

 特殊技能:槍術Lv.3

 特殊技能:舞踊Lv.2

 特殊技能:肉体強化Lv.1

 --------------------------------------------------


 槍術Lv.3もある人間ならば、普通の兵士なんかよりも槍術に優れている計算になる。

 Lv.3はベテランの冒険者でようやく、というようなスキルLv.なのだから。


 どうして彼女は奴隷になってしまったのか。もし捕らえられてしまったのならば、何か理由があったのだろうか。

 それは俺の中で疑問であった。


「どうして、と言われましても」


 と、当惑気味に返すミーナ。

 どこかしら警戒している気配が彼女から漂っており、俺は内心でしまったと思った。


 当然ミーナは俺のことを信用してなどいないはずだ。

 むしろ俺のことを怪しい人間とすら思っているだろう。何故この男はマルクに、自分が巫女だと伝えないのだろうか、と。

 もしや良からぬことを企んでいるのでは、という警戒をしている気配がした。

 まあミーナの立場から考えたらそう思うのが自然だ。俺は怪しいだけの人間でしかない。

 俺は、これは長期間かかりそうだ、と思った。

 ミーナから話を聞き出すには長期間にわたって信頼を築かなくてはならないだろう。

 果たして、どうすればいいだろうか。


 俺はまず、ミーナに信用してもらうように努力しようと考えた。






 信用をしてもらいたいならば、まずは態度からである。

 何か信用を簡単に得られる裏技、というものは土台無い。積み重ねた時間がものを言うのだ。

 だから、ミーナに真摯な態度をとる。そして信用を積み重ねる。

 ただそれだけのことである。


 態度と言っても、それはしゃべり方や応対という意味ではない。

 そもそも俺は喋り方や物腰は丁寧な方であり、例え奴隷相手であっても乱暴な口調で命令したりはしない。マルクならば「おら、さっさと食事をすませろ」とか言って高圧的に鞭を振るうかも知れないが、俺は違う。「水を持ってきました、どうぞご自由にお飲みください」と水を差し出すのみ。強制したりもしないし、怒鳴ったりもしない。俺は奴隷相手でも、そもそもそうやって不必要に痛めつけたりはしないのだ。


 変えるのは喋り方ではなく、頻度の方である。

 俺は、陰でこっそりミーナと会話するようにしたのだ。


 会話。

 それは「水を飲んで下さい」というような事務的な内容ではなく。

「そういえばさ、今日はこんな夢を見たんだ」

「ねえ、知ってる? 今日は凄く偉い貴族様が来たんだって」

 など。

 傍から見たらどうでも良い内容だったり、あるいは時間つぶしに喋るためのものだったりする。


 しかし、それこそが俺の狙いであった。

 こういう何でもないような内容を話して、何でもないようなことを聞くことを続けたかったのだ。

 そのような関係を持続することが、ある意味相手の緊張を解く有効手段なのだから。


「そうなんですかトシキ様」

「ああ、途轍もないお偉い様でさ。何と、国の徴税官様さ」


 こうやってどうでも良いことを話すことで、ミーナはどんどん感情を表に出してくれるようになった。

 ジョークを話したら笑うように。

 真剣な話をしたら頷くように。

 俺がまたこっぴどく痛めつけられた、という話をしたら「大丈夫でしたか?」と言うようになった。


 少し前の、かなり警戒されてた頃を思ったら大きな進歩だ。

 あの頃は絶対、ミーナは感情を表には出さなかっただろうから。


 それにもう一つ。

 ミーナは多分、俺の話がたとえ下らない世間話だったとしても、それを聞こうとしてくれるのだ。


 それはもしかして好意かな、と考えるのは早とちりだ。

 ミーナの立場になって考えたらすぐ分かる。

 たとえ俺の話が下らないとしても、俺の話はミーナにとってはかなり貴重な情報源だ。


 例えば先ほど徴税官の話をしたとき。

 徴税官が来るような店だと言うことは、税金をしっかり納めているかチェックされる大きな店なのかもしれない。

 もしくは、この国は税務官という国家職の人間が奴隷なんかを購入するのがまかり通ってしまうというモラルの低い国なのかも知れない。

 こういった予想ができてしまうわけだ。


 もちろん俺も、その程度は予想済みだ。

 ミーナにそういった情報が渡ってしまうこと。それは別に構わないのだ。

 俺にマイナスはない。俺は損をしない。なので惜しむことは何もない。

 別にミーナにとって便利な奴と思われようが、それはそれでいいのだ。

 便利君、と思われてるぐらいのほうがいい。


 便利な奴と思われてる間は俺の話を聞こうとするからだ。

 それはつまり、信用を得るチャンスを無限に与えてくれていることと同義である。

 正直、そんなにガードが緩い人間の信用なんか、簡単に得られる。


 前世で学んだ会話技術。誠実に見えるような真っ直ぐな姿勢と相槌のテンポ。

 それらを駆使して、俺は誠実に振る舞う。

 年端もない娘であるミーナは、そういう意味では簡単だった。

 人を疑う、という経験が少ないのだろう。人を警戒する心がけはしているみたいだけども、疑う心がけは浅いみたいだ。


 しばらくたって、ミーナは俺のことを殆ど完全に信用したようだった。






(よし、信頼度七〇%だ。かなり俺のことを信頼しているみたいだ)


 ステータス画面に表示されている、信頼度のゲージをみる。


 信頼度のゲージは普段、名前のバーに隠されていて見えない。しかし詳細を表示させると、名前のバーの奥から信頼度ゲージが現れる。

 信頼度は全部で一〇〇%、だと思われる。確か『fantasy tale』でも信頼度ゲージは一〇〇%が最大だったはずだ。

 信頼度七〇%といえば、仲間ユニットならば連携技が出せる程度に信用している訳だ。

 現実で例えると親しい友人、というレベルになる。


 つまり、ミーナは僕のことをかなり好意的に見てくれているわけである。


「? トシキ様?」

「ああ、いや、何でもないよ」


 ミーナの顔をじっと見ている俺の様子を疑問に思ったのだろう。

 彼女は不思議そうな顔でこちらを覗き込んでいた。


 俺は警戒されないように「そういえば最近、ミーナは笑うようになった気がする」と話を逸らした。


「そうかも知れませんね、何だか最近トシキ様の話を聞いているのが楽しくて」

「そうかい、そう言ってくれると嬉しいな」


 彼女のお世辞。

 お世辞と分かっていても嬉しくなるのは男の性というものだ。

 俺ははにかんだようすを“振る舞い”つつ、ミーナのことをそれとなく観察した。

 ミーナの毛並みは良くなった。

 ワーキャットの毛並みは基本的に手入れをしないみたいだが、ミーナは違う。

 ミーナは毛並みを整えるのが好きなのだ。


 なので、俺は時々ミーナのために毛並みを整えたりする。

 例えば背中。

 毛繕いをするのに、背中側に手を伸ばしにくいワーキャットの骨格では不便だ。

 そこで俺が背中側を毛繕いしてあげる。

 そうやって毛繕いをしてあげると、ミーナは大変喜ぶ。

 元々清潔好きの彼女のことだ。

 背中がすっきりするだけで大分と気持ちがいいのだろう。


 こうやって毛繕いをするなどして、ミーナの見てくれは少しだけ変わった。

 少し可愛らしくなったのだ。

 最初の方は汚らしい子猫、いや雑巾みたいなミーナだった。

 しかし、根気よく見た目を整えていけば、思った以上に見てくれが良いことに気付く。

 元々の素材は悪くなかった。

 ミーナの顔立ちはすっきりしていたし、目は大きくチャーミングだった。

 だから綺麗にしたら可愛くなるのは当然のこと。

 今更の事実だったが、でもやはり目の当たりにすると驚く。

 こんなに可愛くなるなんて、と思うぐらいの変化なのだ。


 思わず見とれすぎてしまったらしい。

 長らく無言だった俺に対して「またですか。どうされました?」と首を傾げているミーナ。


「そうだな、今日はどんな話をしようか考えていたところ」

「そうですか、楽しみです」


 嬉しそうなミーナを隣に、俺はぼんやり何を話そうかなあと考えていた。

 一応、俺がどうして見とれてたのかを弁明しておこう。

 彼女はこっちの下級奴隷用テントにいるので、服を着ていないのだ。






「そういえばトシキ様、いろんな奴隷の方々と交流なさいますね」

「まあね、彼らの話を聞くのも面白いよ」


 ミーナは、俺が他の奴隷とも会話することについて指摘した。

 そう、俺は他の下級奴隷たち三十人とも普通に交流してるのだ。

 分け隔てなく。

 嘘、ミーナにかけてる時間がもっとも長いのだが、それでもなるべく皆と交流しようとしてるのだ。


 それはどうしてか。

 理由は簡単で、いろんな話を聞けるから、これに尽きる。

 例えば元冒険者の奴隷。

 彼らからは冒険者時代の思い出話を聞くことができる。

 とても大きな魔物を仕留めるコツ。食べられる野草と食べられない野草の見分け方。

 そういった雑学は、ある意味では俺にとってかなり貴重な常識だ。


 俺は転生者だ。

 どうしてもこの世界の常識に疎いところがある。

 例え『fantasy tale』をプレイしてたからといって、食べられる野草と食べられない野草の違いなんかは分からないのだ。

 なので、こういう人たちに色々と聞き出してみて、アドバイスをもらう。


 そうやって俺は、着々と下準備を進めていく。

 下準備、そう。

 俺がこのマルクという奴隷商から解放されるための準備を。

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