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第一話 優士と思依茄

季節は春。さまざまな人が気持ちをリセットして、新たな生活をスタートさせるとても気持ちの良い季節だ。花が咲き乱れ、空気は一定に動いていて心地よい気温を保ちながらも、まだ吸い込む空気や吹き付けてくる風には、冬の欠片が残っている。

私の幼なじみ、古座巳優士(こざみゆうし)と私――草田思依茄(くさだしいな)の中学校では、二週間ほど前に新入生を迎えた。私達二年生もみんなそれぞれ落ち着き、授業も始まった。

進級した私達は、去年よりも少し大人っぽくなったねと、近所の人たちに言われた。でも、私にはどのあたりがどう大人っぽいのかよく分からなかったが、とりあえず勉強が難しくなったということは言える。

「思依茄ちゃん、お願いがあるの!」

ある春の日の放課後、私が部活に行く用意をしていると、同じくクラスの神陸(かみおか)さんに声をかけられた。神陸さんは薄い茶色の天然パーマの髪で、モデルのような抜群のスタイルに、整った容姿をしているおっとりとした子だ。

「ん?どうした、神陸さん。」

私が言うと、彼女は何故かパァー…と顔を赤くした。私が首を傾げると、

「…君に、こ…渡して……んじを、もらって……しいの。」

神陸さんは俯いて、もじもじしながらとても小さな声で言った。所々聞こえない箇所があったので、私は「ごめん、もう一回言ってくれるか?」と言った。神陸さんは少し迷っていたようだが、やがて決心したように私の眼を見つめると、さっと自分の手に提げていた通学カバンから黄色い封筒を差し出した。

「古座巳君にこの手紙を渡して、返事をもらってきて欲しいの。」

神陸さんは、今度は普通の大きさの声ではっきりと言った。私は一瞬意味が呑み込めなかったが、封筒を受け取った瞬間に「ああ…」と納得した。

「優士にこの手紙を渡して、付き合ってくれるかどうか返事を聞けばいいんだな?」

私は確認する為に、誰も周りにいないかを確かめてから、それでもなるべく小さめの声で言った。神陸さんはコクンと頷くと、安心したのかフゥとため息をついて微笑んだ。神陸さんが微笑むと、私はなんとなく癒される。

「やっぱり思依茄ちゃんに頼んで良かったぁ。私、思依茄ちゃんなら絶対に、手紙を見たりしないって自分に言い聞かしていたんだけど、やっぱり少しだけ不安になっちゃって…」

さっきも言ったが、さえちゃんはとてもおっとりしているので、所々切りながら喋る。

「でも、思依茄ちゃん古座巳君の幼なじみだから大丈夫だと思って頼んだの。私が古座巳君を好きな気持ち、伝えて来てね。」

「……。」

どうしてこう『好き』と簡単に言えてしまうんだろう。まぁ、私のたった一人の親友も、そういうヒトだけど…。

「でも神陸さん、どうして自分で渡さないんだ?」

私は神陸さんに言った。

「もぉ〜、ホントに思依茄ちゃんは天然なんだから……恥ずかしいからに決まってるじゃない!」

神陸さんはブツブツと言ってから、気を取り直した様にカバンを持ち直し、スタスタと教室から出ていった。

私はまだ頭の上に?があったが、荷物を持って、彼女の後から教室を出た。


****************************************


柔道の活動場所である道場は、体育館の二階にある。夏は猛暑で倒れる人が続発するし、冬は寒くて、畳に足をつけていられない。柔道部は、この中学校にある部活の中でも最も過酷な部活の一つだと思う。特に部室は強烈。僕としなちゃんはもうこの匂いには慣れてしまったけれど、大抵の人は鼻が曲がると言ってひいてしまう。

柔道部は毎年廃部ぎりぎりの人数で、部室は僕たち新二年生二人が占めている。五人ほど新一年生が入ったが、この部室では着替えたがらないので結果的に僕たち二人になる。三年生は、早めに部活を引退してしまった。

僕が、一人部室で着替え終えて部室に五つ並べて置かれているパイプ椅子に腰掛け、今日の授業の復習をしていると、いつもより十分ほど遅れて、しなちゃんが来た。

「やっほー!また勉強か?!」

しなちゃんが僕の右手側の後ろから肩をポンッと叩いて、元気良く言った。

「今日は遅かったんだね。」

僕はよっこらしょと言いながら立ち上がると、足元に置いている通学カバンのジッパーを開けて教科書を閉まいながら言った。すると、ロッカーにカバンやら何やらを詰め込んでいたしなちゃんが、勢い良く僕の方を振り返った。

「な、なに?」

それを見た僕は、思わず眼を丸くしてしまった。しなちゃんは男ってやつは…と言いながら再びロッカーに向き直り、着替え始めた。

僕たちは小さい頃から今までずっと、着替えは同じ部屋だ。

「うっそ、マジで?!この歳になっても?!恥かしくないのか?!」

この事を知った人達は皆こう言うが、僕たちは今までに一度も恥ずかしいなどと思ったことは無い。

着替え終わると、僕たちは残りの部員五人を呼び集め、練習を始めた。日の光が当たっていた畳は、とても暖かくて気持ちが良いと、僕は思った。

部活が終わって帰る仕度をし、外に出ると、もう辺りはすっかり暗くなっていた。春だと言っても、夜はまだ寒い。僕としなちゃんは、震えながら帰り道を歩いていた。

僕達は、学校から帰る時必ず商店街を通ることにしている。最近は物騒なので、なるべく人が多い所を通るようにしているのだ。


****************************************


煌く夕陽の欠片も完全に地平線の向こうに姿を隠した五時四十分頃、私と優士は家路に着いた。赤レンガの壁にこげ茶色の屋根という感じの同じ二階建ての家が、二組ずつ、六軒ほどズラっと並んでいる所だ。それぞれお隣同士が、会っても無くても良いような短い渡り廊下で繋がっている。

私たちは小さい時からお隣同士で、私達が家から徒歩三分ほどの保育園に入園すると、どちらの親も仕事に復帰した。寂しくなった私達は、毎日のように互いの家に遊びにいった。もちろん今でもそうだけれど…

一旦自分の家に帰ってから、着替えが速い方が先に相手の家に勝手に上がり込む。そして相手の部屋に行って話しをしたりする。

これが私達の毎日。

これがどれだけ私にとって大切なことか、私以外の誰にも分からない。私には毎日ご飯を食べたり、寝たりすることと同じくらい大切なんだ。

私は部屋に駆け込みカバンを放り出し猛スピードで着替えてサンダルを引っかけると、鍵をかけて優士の家に飛び込んだ。

あぁ……優士の匂い。

私はこの柔らかな懐かしい匂いを、いつも肺が満タンになるまで吸い込んで幸せな気持ちになる。私が、世界で一番好きな匂い。

二階にある優士の部屋は散らかっている。でも、足の踏み場が無いほど、という訳ではない。棚や机、ベッドの上が少しゴチャゴチャとしているだけだ。それでも、私から見たらやっぱり散らかってる。私は、汚い部屋があんまり好きじゃない。

「いらっしゃい。はい、アイスカフェオレ。」

優士の部屋に入ってワインカラーの敷物が敷かれた床に座っていると、涼しい音を鳴らしながら優士が入ってきて、私にバニラアイスの乗ったカフェオレが注がれているグラスを差し出した。私が礼を言ってそれを受け取ると、優士は部屋のドアをガチャッと閉めて、私の向かいに座った。

「しなちゃん、それ…なに?」

「ん?」

優士はアイスカフェオレを一口飲んでから、私の鞄から飛び出している黄色の物に気がついて言った。私はあっ、そうかと思い出して「はい」と優士に、神陸さんから預かった封筒を手渡した。

「ラブレター。」

私はそう言うと、グラスに刺さっていたスプーンでアイスを一口食べた。

「Dear二年三組 古座巳 優士、From二年一組 神陸 紗枝さん。読んであげたら?」私は優士にスプーンを向けて言った。優士はふーんと言いながら封筒から中身を取り出し、広げた。私はそれを見つめていた。

が、その時、突然不安な気持ちが私を襲った。私はとても驚いた。今までにも、優士は何回かラブレターをもらったりしていたし、私は頼まれて手紙を渡した事も何回かある。それなのに……何故か身体が震え、それから今まで思ったことも無いような言葉が頭を埋め尽くした。


****************************************


僕が手紙を折りたたんで封筒に入れながらしなちゃんを見ると、僕の方に顔を向けて、じっとしていた。目は、どこか遠くを見ている様だった。

「しなちゃん?」

僕は声をかけてみたが、しなちゃんはピクリとも動かなかった。今度は、軽くしなちゃんの肩をポンポンと叩いてみた。

「――――!!」

しなちゃんは顔を真っ赤にして、眼を見開いて僕のことを不思議そうに見た。その顔がほんの少し可笑しかったので、僕はクスッと吹き出してしまった。

「はい、読んだよ。…ごめんって言ってくれるかな。」

僕はそう言って、手紙を机の引き出しに入れた。

「…ったく、どうしてみんな私に任せるんだ?返事なんて自分で言えばいいじゃないか。」僕が座り直すと、しなちゃんはスプーンでアイスを突つきながら口を尖らして、ぶつぶつとそんな事を言っていた。僕はそんなしなちゃんがとても可愛いと、心から思った。

「コップ、下げてくるよ。」

グラスを二つ持って、僕は部屋を出た所にある台所のカウンターにコップを置くと、すぐに部屋に引き返した。

僕が部屋のドアを開けると、しなちゃんはクローゼットにもたれて座っていた。それだけならまだ良い。しかし、よく見るとしなちゃんは泣いていた。声も出さず、鼻も啜らず、ただ両目から涙を流して……。

僕は驚いてしなちゃんの側に膝をつくと、しなちゃんの名前を何度も呼んだ。

やっとしなちゃんがこっちを向いた。目が充血していて、身体が少し震えていた。しなちゃんはしばらく何が起きたのか分からない様子だったが、肩に置いた僕の手を払いのけて、ベッドの方にズリズリと後ずさりした。

「しなちゃ――」

「ご、ごめん。なんでもないの。どうしたんだろう私…」

しなちゃんは恥ずかしそうに俯いてから、もう一度僕の眼を見てなんでも無いよと笑った。いつものしなちゃんじゃない。いつもの男の子っぽい喋り方じゃない。

「しなちゃん、泣いてるよ?」

僕はますます不安になってしなちゃんに近寄り、しなちゃんの頬に涙でへばり付いている髪を取ろうと思い、手を伸ばした。ビクッと、しなちゃんの体が揺れた。眼に光が射していなくて、何だか真っ黒に見えた。

「あっ、あぁ!もうこんな時間!!家に帰らないと…」

そう言うとさっと立ち上がって、しなちゃんはご馳走様!また明日ねと、僕の部屋を走り去った。

玄関のドアがガチャンと閉まった。僕はどうしようもなくて、ただそこで手を宙にさまよわせながら座っていた。

しなちゃん、どうしたの?僕、しなちゃんが泣いたところ初めて見たよ…何かあったの?もし良かったら僕に話して……

僕の心の中に、今ごろになってこんな言葉が出てきた。僕は、自分が嫌になった。

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