第五話 「戦いは突然に」
龍人と言う種は根絶の一途を辿っていた。
淫魔どもに比べれば幾分かは良く見えるけれど、それでも個体数は年々と数を減らしているし、それの打開策も案もなかった。
私の年齢も五〇〇を越え、そろそろ子の一人でも設けて欲しいと言うのが両親の本音。
しかしながら、私には恋仲になっている者もいない(産まれてこの方、いたこともない)し、年齢の近しい釣り合いの取れる龍人もまたいなかった。
一番歳が近いのが、兄だった。
それでも一五〇〇歳と私より千年も長生きしている。
そして、父親はあろうことか私と兄に夫婦となれ。そう、命じてきた。龍人の種を残すためなら仕方ない、とまで言ってきた。
気の弱かった兄は反対しなかった、いや、出来なかった。
父は集落でも名士として名が知れていたし、なにより強かった。
それに猛反発したのは私。兄妹で夫婦、子作りに励むなど尋常ではない。種を残すためとは言え正気の沙汰とは思えなかった。
「ベル。大人になれ、我ら龍人の一族。もはや手段を選んではおれん。今にも淫魔どもと同様にその数を減らしかねんのだ」
「父上の命といえど、納得できかねます」
こうして、親娘喧嘩に発展した。
気弱で力の弱い龍人としては珍しい類の兄とは違い、私は相応に力を有していた。
すでに老龍の部類に片足を突っ込んでいる父に、遅れを取ることはなかった。
お互いに全力で火球を吐き散らし、暴力を交差した。
山を五つほど吹き飛ばした頃合いで、殴り合いに飽きてしまった。
なんと言うか、とても馬鹿馬鹿しく思えてしまったんだ。
父は闘争行為に昔の血が滾ったのか随分と生き生きしているようにも思えた。
なんだか全てがどうでも良くなり、私は生まれ育った故郷をそのまま飛び出した。
龍族の縄張りから出たことのなかった私は、目的もなくただ空を飛んでいた。
どこぞの無人島へでも降り立ち、そこで木の実や魚、獣でも狩ってしばらく過ごそう。そう思っていたのだが、なかなか頃合の島を見つけることが出来なかった。
あるのは小さな島ばかりで、水も湧いていなければ木もなく、獣もいない。
そうこうして辿り着いたのが、共和国制の島国だった。
これは後々に知ったことだが、入国審査などがないため、私にとっては随分とありがたい制度を持った国と言えた。
翼と尻尾をたたみ、人間に化け、街に潜った。
そして私は驚いた。なにもかもが、高い。集落の近くにある人間の村へ幾度か買い物に出掛けたことはあったがこれ程の値段ではなかった。
持ち合わせのお金ではパン一つ買えない。
国として整備しているだけあり、野生の獣も見えない。
自然と私は港に居着くようになった。海に潜り、魚を捕まえてなんとか毎日を凌いだ。
夜は破棄されてあるダンボールを拾い、こそこそと人目の着かない倉庫の裏などで眠った。
なんて惨めなのだろうと自嘲し、故郷へ帰ろうかとも思ったが些細なプライドがそれを邪魔した。
それに、帰れば兄との結納を無理やりに決められてしまうだろう。兄にとっても、私にとっても不幸だ。させる訳にはいかない。
だから帰れない。そんな事を思いつつ、今日もダンボールにくるまって眠ろうとした時だった。
「会いたかった」
声をかけられた。人間の男だ。
「貴女を探すのにかなり苦労しました。私はこの国の警察機構。そのトップにいるもので……」
顔をしかめる。この男の他に気配を感じた。
「警戒をして欲しくない。そのため、私一人で顔を出したと言う訳です。もっとも、人間など貴女からすれば警戒に値するものでもないでしょうが」
嘘だと、瞬時に判断した。
明確な殺意と魔力を感じる。それは私に向けられていた。
「一人で? 魔人を忍ばせておいて、よく言う」
「えっ」
男は困惑の表情を作った。
事情を問いただす前に、黒い影が勢い良く突進してくるのがわかった。
「トカゲさんこんばんわ! 遊びましょう?」
魔人の正体は直ぐにわかった。燃えるような真紅の瞳に、黒一色の翼。そして目障りな八重歯が見える。吸血鬼だ。
吸血鬼は躊躇なくその拳を私の頭部へと叩きつけてきた。
推進力も合間ってか中々の高威力。私の体は吹き飛んで倉庫の壁へとめりこんだ。
これは運命なのだ。そう確信できる。
故郷を離れ、このような島国に辿り着き、出会った。
奇跡ではない、紛れもなく運命だったのだ。
◇
イリスが対象へと弾丸のように飛び出していった。
思い切り勢いの乗った拳を女性に叩きつけている情景が目に入る。吹き飛び、壁へと人体が突き刺さっている。
即死だ。そう思った。
頭は完璧に砕け散っているだろうし、体も壁に打ち付けられて粉々だ。普通の人間だったら、死ぬ。
けれど、相手は立ち上がっていた。少しばかり様相も変化している。
力強そうな翼を蓄え、細身の体には似つかわしくない尻尾が生えている。鱗のような肌も露見していて、人間の形をしてはいるが、明らかに違った生き物。
イリスよりも、もっと異形。けれど、どこか美しさすら感じるそれは、龍人だった。
「参ったな……私は本来、争い事は好まないんだ……だと言うのに父上と喧嘩をして、さらにまた名も知らぬ魔人に攻撃を受けた。酷い、なんて酷い毎日だ。……しかし、身に降りかかる火の粉は喰らわねばならない」
「うふふっ! さぁ、やりましょう。私ってばもう限界みたいなの。毎日のストレスも影響しているのかしら? まぁ多分に八つ当たりも含まれているけれど、龍殺の称号は欲しかったの。ありがとう」
龍人と吸血鬼が本来の姿でいがみ合っていた。その圧力は凄まじく、間近で魔力に当てられたホプキンス氏は失神していた。
不味い、魔人同士の戦いなんてどうなるか想像も出来ない。それになにより、イリスを止めねばならない。あの馬鹿は僕の前で殺すと確かに抜かしたんだ。させる訳にはいかない。
しかし、その前にホプキンス氏を安全な場所へ移さないといけない。
あの位置では戦闘に巻き込まれてしまう。
「イリーース! ここはダメだ! 南へ一キロ程行け! 砂地がある!」
妥協点を探した。おそらく、興奮状態である彼女には何を言ったところで聞き入れることはないだろう。
ならば、少しでも被害(倉庫などをやたらに壊されては堪らない)を最小限にすることを考えた。
そしてこの程度の命令であれば、聞き入れるであろうことも勘定にいれていた。
「了解よ、あなた。直ぐに龍殺になって帰ってくるわ。そうしたら、家に帰って存分に愛しあいましょう。実を言うところ、処女なのよ、私。少しばかり強がってはみたけれど、白状するわ。気分が良いから、特別よ? 秘密なんだから」
そう言ってイリスは砂地の方面へと飛翔した。龍人もヤル気になっているらしく、直ぐにその大翼をはためかせイリスを追う。
「だから僕は不能だと言ってるだろうが。……くそっ、完全に興奮し切ってるな、あの生娘。お前が処女なんてことはわかってたんだよ、キスが猛烈に下手糞だったからな」
一瞬で移動が済んだのだろう。砂地の方面で火柱が舞った。
吸血鬼に炎を操る術はないはずだから、龍人が放ったものだろう。炎と一緒に巻き上げられた砂粒が雨のように降り注いでいた。
あの風体からして、おそらくは緑火龍。グリーンドラゴンの系統だろう。最悪だ、龍族の中でも最高峰の種族。伝説や伝記に登場する龍人は大抵が緑火龍だ。つまり、相手は伝説そのもの。
対する吸血鬼はと言うと、その戦闘能力はまちまち。個体差が激しく、強いのから弱いのまで。
と言っても、兵力で例えるなら銃兵三個大隊。つまりは三〇〇〇人程を必要とするから化物は化物だ。
イリスはどうだろうか。まさかあれほど好戦的な性格とは思わなかった。
ベッドの中で気付くべきだったと激しく後悔する。
彼女が龍人の話をしている時の目は爛々と輝いていたのだ。
◇
「さすがは龍鱗と言ったところかしら? 悲しいかな、殴ったところでちっともダメージが通らないわ」
陽気な口調で語りかけるイリスであったが、龍人は応えなかった。
目の前のコウモリは殺す。意図せず翼を出してしまったせいで、服の背部が破けてしまったし、尾っぽもそうだった。一張羅であるジーンズと下着が破け、臀部が露わになっている。
そのことだけに対する怒りだった。
彼女にとって、イリスの攻撃は蚊に刺された程度のダメージでしかない。蚊に怒り狂う人間はいないのと同じ。
けれど、取るに足らない生物に刺され訪れる痒み。これに対する怒りは別だ。
つまるところ、龍人は服を破られた(自身の変身で破ったのだが)怒りで応戦していた。
「あら、無視? それとも爬虫類さんだから言葉が理解出来ないのかしら。困ったわ、話せないのでは面白さも半減と言うものよ」
「一つだけ、聞きたい」
「あらあら。口は利けるようね?」
初めて龍人が口を開いた。
イリスに対する衣服の怨みは果てしないが、それ以上に気になっていることがあった。
「お前の連れ……あの者も魔人か」
チラリと見えただけだったが、吸血鬼の隣にいた男とも女とも取れる整った顔立ちの人物が彼女の気がかりになっていた。
もし、魔人であるのならばすぐさまに二対一の構図になるだろう。
しかし、魔人でなければ……。
「人間よ、人間」
「なっ……お、お前は魔人だろう。あの口ぶりからすると、そ、その……あの人間とは恋仲なのか?」
「えぇ、そうよ。もう夫婦なようなものかしら。愛し合っているから、きっとそう表現しても問題ないはずだわ」
そう答を聞いて、龍人を包む空気が一変した。イリスの受けるプレッシャーが倍加した。
大気すらが彼女の闘気に当てられて震えている。
「……お前、さっき言ってたな? これは八つ当たりだと。そうだ、これから行われる暴力も、その八つ当たりと言うやつだ。タイミングが悪かったな、私は機嫌が相当に宜しくない」
彼女の心は荒れ狂っていた。
人間? 魔人と、人間が恋仲だと? 羨ましい、いや、憎らしい。
ずるい、おかしい。自分は血のかよった兄と夫婦になれと言われたのに、目の前の吸血鬼は人間と夫婦だと言う。なんたる不公平。
私も思っていた。龍人で伴侶が見つからなければ他の種族から探せば良い。特に人間が良いだろうと。
魔人と人間との交配は珍しくもあるが、前列がないわけではない。
得てして、魔人と人間の子は魔人になる。ハーフと言うものは産まれない。魔人側が種であれ、卵であれそれは変わらない。
だから、大昔は人里から人間を攫って種や卵を頂戴した。などと言うのはどこの種族でもあった話だ。
それだと言うのに、父上は猛反対した。血が薄れるなどと妄言を吐き散らし続けたのだ。
これは完全なる八つ当たりだ。
殺してやる。
「ねぇ、こちらも一つ良いかしら。申し訳ないけれど<お前>と呼ばれるのが大嫌いなの。えぇ、それが例え命のやり取りを行う相手であれ、気分が悪くなるわ。とってもね」
「それは申し訳ない。ではこちらから名乗ろう。我が名は<ベルガモット・スプリッツァー>。龍人だ」
元来は生真面目な性格なのだろう。
ベルガモットが答えた。それに応じる形で、イリスも名乗る。
「そう、ベルガモットと言うのね、宜しくベル。私の名前は、エイリアス。<エイリアス・ツェペシュ・ドラキュラ>。かの帝国で最も繁栄を極めた吸血鬼の一族よ」
名乗り返す、真なる名前。
イリスはアルトの生まれた土地。帝国で最も古くから貴族としての地位を手にし、君臨し続ける大貴族の姫君であった。
一族の性格は好戦的の一言に尽きる。
初代であるツェペシュ公は時の帝国国主に魔人の貴族化を認めさせるため、領民の全てを串刺しにして見せしめ。交渉に臨んだと言う。
彼らの影繰り《かげくり》は常の吸血鬼とは格が違っていた。
吸血鬼としての最上級技とも呼べるそれは、影と言うよりも闇を支配する。
吸血鬼と戦うのであれば、絶対に夜は駄目だ。夜は彼の者であり、彼は闇そのモノである。だから、闇夜に深紅の人魂を見たならば、一目散に逃げ出せ。
これは、人類に伝わる吸血鬼の伝記である。
刻限はまさに夜。二人の魔人を照らすものは少しばかりの街灯とベルガモットが吐き出した火球の残り火。
イリスの吸血鬼としての能力は種族としての最大級のものを有していた。
「さぁ、始めましょう」
瞳は熱を感じる程に赤く滾り、夜の浜辺に映えている。
それはまるで、人魂のようですらあった。