第五話 「入国時」
「ただいまー!」
「ただい──ん?」
「やぁ。お邪魔しているよ」
ウルスラが元気良く扉を開けて事務所に滑り込み、続いて僕も入室する。
と、見知った顔が目に入った。
丸眼鏡が良く似合うポーカーフェイスの男。<サック・ゴールドマン>だった。
彼はソファに腰を下ろし、対面にはベルがいる。
どうやら会話はなかったらしく、沈黙を耐えるためのお茶すら用意されていない。
ベルは僕とウルスラの帰りに心底ホッとしたらしく安堵の表情を浮かべている。
「お、おかえり、アルト!」
「ただいま、ええとゴールドさん。お待たせいたしました……で宜しいのでしょうか」
彼と顔を合わせるのは昨日ぶりだった。
そして妙である。
ゴールドマンと言えば、今ではこの国のツートップ。重要人物だ。
そんな人間が護衛も連れず、一人で出歩きこんな場末の探偵事務所になんの用だろうか。
この事務所の利用は昨夜で終わったはずだ。
アポイントメントもなしに顔だけ見せに来る間柄でもない。用件が読めなかった。
「うん、ちょっとお話があってね。時間を貰えるかな?」
「はい。業務も終了しました……お一人で来られたのですか」
アルフォードの失脚……死亡で彼はこの国の完全なるトップに躍り出た。
コルトピアとゴールドマンは、言うなれば国の要だ。
そんな重要人物が一人でぶらりと出歩くなど常識はずれもいい所だろう。
「一人だよ。この事務所に魔人が居ることはすでに有名だからね、どんなボディーガードをつけるより安全さ。それに僕一人の方が色々と話題的にも都合が良くてね」
「なるほど」
後者が本音だろうと思った。
いくら事務所に魔人が居るといっても、彼の拠点からこの事務所までは完全に一人歩きなのだから危険は変わりないだろう。
「お茶でも──」
と言い、ベルとウルスラの顔を見た。
この二人ではお茶を淹れるだなんてことは出来ない。であれば客人に唇を湿らせるものを用意するのは僕だ。
「紅茶かコーヒー、どちらが宜しいですか? ウイスキーの方が生憎と用意しておりませんで」
「ははは。流石の僕も昼間からはやらないよ。お構いなく」
「ではコーヒーでも」
「ありがとう」
さっさとコーヒーを人数分用意して、ゴールドマンの対面に座った。ベルには横にずれて貰う。
ソファは二人がけのため、空席はゴールドマンの隣しかない。
ウルスラをそこに座らせる訳にもいかず、どうしたものかと思っていると決まっていたように僕の隣。
床の上にちょこんと正座した。
この先のことも考えると、新しい椅子が必要だなと思った。
「それで用件と言うのは」
「うん。コレは<レイラ・コルトピア>の発案なんだ。僕も聞いてなるほど、と思った。そしてソレを実現するために此処に来たと言う訳だよ」
僕は黙って頷き、続きを促した。
「知っての通り、君たちのお陰で<三商ギルド>の一角は瓦解した。とても残念なことに<ガンド・アルフォード>は愚かな方法でこの世を去ってしまった」
「えぇ。今朝方に新聞で拝見しました」
「民衆にとって、わかりやすい名称と言うのは実に大事なものなんだ。この国を支えているものがなんなのか、それが想像しやすいものでなければならない。<三商ギルド>と言う俗称はそれに対して大いに役立っていたんだね」
ゴールドマンが言ってることは至極最もなことだった。
けれど、それとこの事務所に顔をだし、僕たちに説明する理由が全く繋がらない。
三商の一角、それを瓦解させた原因を作った者たちへの説明かとも思ったがそれならばトップの人間が来る必要はないだろう。
「単刀直入に用件をまず言おうかな。君に、この事務所に新たなる<三商会>に加わって欲しい」
その素っ頓狂な台詞をゴールドマンは真顔で言い放った。
常は柔和な表情が張り付いていると言うのに、その言葉の時は確かに国の長たる物を貼り付けていたのだ。冗談などではなかった。
◇
昨夜は眠れなかった。
<アンラッド大陸>の中央に位置する<帝国>から、先輩が居住していると言われた<クルノワ共和国>までの移動にはたっぷりと時間を必要とした。
まず、軍本部から寄宿舎に戻り準備を整え、馬車を用意させ港に直行。<帝国>から<クルノワ共和国>への直通船など出ていないから、幾つか船を乗り継がねばならない。
三度ほど船を乗り継いで、ようやく<フィリップス諸島>まで到着した。
海外からの渡来船を受け入れている国は諸島で一つしかなく、まずその国で一泊。翌日にやっと<クルノワ共和国>行きの船へと足を乗せられた。
明らかに睡眠不足でふわふわとしている。
先輩に会えるのだと思うと脳が活性化し、休まる時間などなかった。
船に揺られていると眠気に襲われ、意識が遠くなる。
うたた寝を楽しんでいると船が猛烈に揺れた。ガン、と野蛮な音が響き衝撃が走る。
何事かと船外に足を伸ばすと海獣。一角鯨の角が船に突き刺さっていた。
「かっ、かか、海獣だーっっ!」
男の声が響いた。
ざわざわと船の乗員が騒ぎ出す。この船は五〇人ほどの客を乗せた、諸島を回る馬車のような役割を担っている。
無論のこと乗員は一般人ばかりでボクのような軍人は他にいない。
「うわああああああああ!!」
船が大きく揺れた。
船に突き刺さった一角鯨の角がはずれ、括りつけてあった救命ボートが船外に放り出され、それを一飲みにされてしまう。
ぼりぼりとボートが噛み砕かれる音が波の音と一緒に聞こえた。
美味しくなかったのだろう、一角鯨は機嫌悪そうにまた船へと近づいてきた。
「皆、下がるように」
角が迫り来る。
もう一度、角が船に突き刺されば浸水による沈没を待つことなく船は沈むだろう。させる訳がない。
腰に下げていた剣を抜き放ち振りぬいた。
鯨とボクの居る位置からを考えるならば、剣域として遠く離れ、攻撃が当たるはずがない。
けれど、当たる。
角がゆっくりズレるのと、今まさに沈没し続けている船に闖入者が舞い込んだのは同時だった。
魔人だ。魔力はさほど感じられない。
主張の激しい斑の髪色や、頭部から飛び出た大きな獣耳。そして尻尾から鑑みるにどう見ても人虎だった。
壊れているか? 戦虎であれば始末が悪い。
この状況下で戦い勝利を収めるのは少し厳しいものであった。
常であれば筋肉馬鹿と称しても差し支えない虎ごときに遅れを取ることはないのだが、ここは海の上だ。
一般人も数多く、枷となるものが多すぎる。
どうする、どうすると脳を高速回転させていると、一人の幼女が不思議なことをボクの足元で叫んだ。
「ねーねー、おねいちゃん。ちがうの! あのトラさんはね、せーぎのみかたなんだって!」
正義の味方? なにを世迷言を、と思ったが人虎も救命活動をしたいと申し出ている。
確かに軍部にも人類にその力を貸している者はいる。
けれど、それはとても稀なことなのだ。元来は人間に助力する魔人などいやしない。
帝国に住む吸血鬼どもなど、襲わない代わりにと毎日病院から新鮮な輸血用の血液を要求しているほどだし、ボクが任務で相対する魔人は必ずと言って良いほど人間を餌と思い込んでいる。
こんな場面で都合よく、人間に対し好意的な考えを持つ魔人が現れるのだろうか。
ええい。考えている間にも船の沈没は続いている。
幼女のキラキラと輝く瞳を見つめ、腹を据えた。
「船長、事情はわかりかねますがあの魔人はあぁ言っておられます。この船の脱出ボートは先程の海獣が一飲みにしてしまったし、海岸までまだ数海里もある。子どもを抱えて泳ぐのも危険だ。ここは申し出に乗るのはどうでしょう? もしもの時は……まぁ、ボクが責任を取ると言うことで」
もしも、の時は仕方が無い。
船の住人は可哀想だが、この空間をキルゾーンとして人虎を殲滅するよりない。
だが──そんな心配は徒労に終わり、魔人は事実救命活動を全うしたのだ。
入国早々に不思議な体験をしたものだと思っていると、
「だっ……ダメだ! 名前は言えない! アルトに怒られてしまう! 自分は名乗るほどの魔人じゃないんだ、ではこれで!」
……。
今、なんと言った? アルト? アルトだと。
実に耳に馴染む名前だ。アルト。アルハルラト。良い名前だ。ボクの探し人の名前だ。
それをなぜ、この魔人が口にする?
問いたださねば、無意識にボクは剣を抜き放って居たが──。
魔人は姿を消していた。
アルト、アルトだとう……魔人風情が、彼を愛称で呼ぶことが許されるはずがない。
きっとアルトと言う別人だろう。
そう自分に言い聞かせ、熱くなる片眼を鎮めた。




