第四話 「新しい朝。エイリアス篇」
イリスはとことことカジノへ向かうため、大通りを歩いていた。
朝食時であるために、様々な店がシャッターを開け威勢のいい声を放っている。
彼女の様子はどこか機嫌が悪いように見えた。
「もうっ」
まったく、本当に気が抜けない。
ベルはともかくもして、ウルスラよ、ウルスラ。
あの子はきっと、色々と足りてないに違いないわ。
私ですらがアルトに全てを晒してないと言うのに、あの娘は平然と裸体を晒してしまった。
ベル程じゃないけれど、胸もある。
「……」
自分の胸を揉み、その平坦さにため息を吐いてしまう。
アルトは大きいのと小さいの、どちらが好みなのかしら。
胸を揉みながら、そう言えばと思い出す。
彼と最初に出会った時、あの血の味は衝撃だった。
衝撃の余り、はしたない言葉を発したことを脳が再生した。
血よりも濃いものを思わず欲してしまったのだ。
無論、経験が無いから味わったことはない。ただ、歳上のお局らが言うには血よりも更に美味であり、吸血鬼と言うよりも魔人として、種族としての活力剤。魔力の塊と呼べる物だと聞き及んでいた。
また、お局はだからこそ淫魔は全ての魔人の中で一番魔力の扱いに長けているのですよとも話してくれた。
血液であれ程なのだから、アレはどれだけ凄いのだろうと思ったために出た台詞だった。
自分を大きく見せるためにスラスラと嘘ぶってみたものの、後から聞いた話では生娘であることはバレていたらしい。
「思い出すと、少し恥ずかしいわね……」
帝国の屋敷ではいつも新鮮な血液が清潔な瓶に詰められ、それを糧としてきたけれど、あの様な味には出会ったことがなかった。
「本当に人間なのかしら」
勤め先であるカジノまでの道すがら、ブツブツと声に出てしまう。
普通の人間であれば、大であれ小であれ魔力が存在し、それは血にも溶け合っている。
だからこそ、吸血鬼は吸血によりその人間の魔力量などを測ることが出来るのだが、アルトの血液にはまるっきりそれがない。魔力の痕跡を感じさせる風味すらない。
これは異常と言えた。
産まれたての赤子ですら魔力は微量ながらあると言うのに、完全なるゼロなのだから訝しむのも当然と言える。
「意図的に、誰かになにかされたのかしら……でも、メリットがなにもないし」
いくら考えたところで、正当など出るはずもなく、またイリスはこの事をアルトに尋ねる気もなかった。
彼が話さないのであれば、知る必要がない情報なのだろうと決めつけているし、知ったところでアルトに対する評価が変わるわけでもなかったからだ。
「…………」
突然、イリスの表情が暗く歪んだ。
咄嗟に気配を消し、影に溶け込む。とても気持ち悪い魔力を感じ取ったからだった。
その発生源から距離は遠い。
風に乗ってほんのりと香る程度の違和感に気付けたのは、彼女がアルトから吸血してまもなくであり、体調として万全であるからだった。
影を伸ばし、視界を広げた。
吸血鬼の視界は影と同調することができ、然もあれば広範囲のものを同時に視ることが出来る。
視界が捉えたのは細身の人間だった。
藍色の髪の毛をしており、片方の瞳が完全に隠れるようなバランスの悪い前髪。男性とも女性とも取れるショートカットの髪型で、顔の作りは思わず息を飲むほどの造形だった。
「男? 女? いえ、それ以前に……人間なのかしら」
どうにも発している魔力が安定していない。漏れ出ているだけだが、人間としてその高は異常であるし、魔人としては人間の匂いが強すぎる。
けれど、その中途半端な生物が決して歓迎出来る類の人物でないことはわかった。
魔力の質が禍々《まがまが》しいし、表情からして何処か歪んでいる。
美麗な顔作りである分、その歪さが目を引く。
なにかを探しているらしく、キョロキョロと落ち着きなく辺りを見回しながら歩いていた。
目が合う。
「……ッッ!」
目など合うはずがない。
イリスの視線は影から伸びているので、それに気付ける道理がないのだ。
けれど、視線は交わった。
イリスは瞬時に影からの視線をブツ切って、大通りから裏路地を抜け、その人物から更に距離をとった。
建物と建物との間を抜け、急ぎ足で職場へと到着する。
オーナーであり、この国の支配者の一人であるゴールドマンの姿を探したが見つからないため、店舗責任者に口を開いた。
「藍色の髪色をした、綺麗な人間。もし、この賭場に入場するようなことがあれば絶対に拒否するように。まともじゃないわ、もし暴れたら私がいてもカジノが壊れてしまうかも」
店長が顔を固めた。
魔人である彼女で止められないのであれば、それは人間ではないからだった。
「ま、魔人がまたこの街に?」
「いえ。魔人ではないと思うけれど、ちょっと危険な感じがしたのよ。明言出来なくてごめんなさいね、でも、避けれるリスクは避けるべきでしょう?」
このカジノは一日中休むことなく稼働している。朝でも昼でも夜でも深夜でも営業しているため、従業員にはことかかない。
店舗責任者は三人ほど人員を見繕い、店舗の前に見張りとしてとりつけた。
「ほんと、気味が悪いわね……さっさと国から出て行ってくれると良いんだけど」
イリスが感じた一抹の不安は、これこら降りかかる嵐を予感していたものだった。