第三話 「新しい朝。無職篇」
起きると、私はベッドで一人きりになっていた。
キングサイズとは言えない、すこしばかり大きいだけのベッドに四人一緒になってギュウギュウ詰めで寝て居たはずなのに。
「……」
シーツの温もりを確かめるが、自身の体温しか確認できなかった。
随分と長いこと一人寝をしていたらしい。
窓の外に目をやると朝、と言うよりも昼に近い時間になっているらしかった。
ベッドに枕は一つしかなく、それはこの事務所の主が使っているものだ。
その枕を抱き寄せて顔を埋める。彼の、アルトの匂いが鼻腔に充満し、私の中にある女の部分が確かに反応した。
「不思議な人……」
最初に抱いた感情は吸血鬼の、イリスに対する妬みだった。
私は相手がおらず、兄を充てがわれそうになったと言うのに彼女は人間の……しかも、あんなに顔の整った者を良人と言ったのだ。
白状してしまうなら、アルトの顔は私の好みにピタリと一致していたらしく、一目見た瞬間から心が動かされていた。
こんな感情を覚えたのは産まれて初めてで、もしかしたら異性問題で家を飛び出したから人間の男に──とも思ったけれど、良く考えれば一番最初に接触を受けたのはホプキンスと言う名の警察所長であるから、やはりアルトは私の好みなのだろうと思う。
彼に身体を触られ──まさぐられた時は全身に電撃が走ったようだった。雷雲の中を飛び回り、雷の直撃を受けたことはなんどもあるがそれの比ではない。
一瞬で腰が砕け、脳が焼かれる感覚が身体を支配した。
「……」
思い出して、身体が熱くなる。
無意識に内股をこすり合わせる自分に嫌悪感が募った。
本格的に始めてしまえば惨めな思いをするのは明白だ。
「おきよう……」
むくりとベッドから起き上がる。
そう言えばドレスを着たままアルトに抱きついて眠ったんだった。
「着替えなきゃ……あ、化粧もだ」
ひとまず、寝室から事務所の方に顔を出す。人の気配は感じないから誰もいないことはわかっていた。
テーブルに目を落とすと、食事と置き手紙がある。
内容は、イリスとアルトは仕事でウルスラは鍛錬に出かけたとのことだった。
食事はアルトが帰るまでの繋ぎにと、下のカフェからデリバリーしたらしいクルミのパンがバケットいっぱいに積まれている。茹でた鳥の卵もあった。
「起こしてくれても良かったのに……」
なんとなく淋しい気持ちになった。
入国当初は一人で寝て一人で起きることなんて当たり前だったのに。
「シャワー浴びなきゃ」
手紙には丁寧にも化粧の落とし方まで書き記してある。
専用のオイルを塗りながら洗い流せば簡単に落ちるらしい。そして、脱衣所には着替えまで用意されていた。
シャワーを浴びて眠気と化粧を洗い流し、用意してくれた衣類に袖を通す。
ラフな短パンとシャツ。胸当ては……胸が窮屈になって好きじゃない。何処かに出かける予定もないし、素肌のままシャツに袖を通した。
「いただきます」
ソファに座り、用意されたパンを手に取った。拳ほどの大きさのクルミパンが一〇個ほど積まれていて、時間をかけて味わった。卵も一〇個あったので全て美味しくいただいた。
港で生活をしていた時、一番困ったのが食事だった。
人間とは比較にならないほど燃費が悪いので、日がな一日海に潜り魚を取らなければならなかったからだ。
それを考えると、血液と言うのはとても腹持ちが良いものだった。
吸血鬼どもがソレを主たる食事としている理由がよくわかる。人間に深く接している彼らだからこそだろうとも思った。
「ごちそうさまでした」
これで私の行動は終了した。
やることがない。後はただ皆が帰るのを待つだけだ。
「……」
ソファの上で膝をかかえて天井を見やる。
口をすぼめ、火を吹いて遊んだ。天井に届くかどうかギリギリのラインを攻める遊びで、私はそれの名手だった。
「あっ」
すこしばかり強気に攻めてしまったらしく、天井に小さな焦げ跡がついた。
バレたら怒られるだろうか。
「……」
すぐさま立ち上がり、窓を開けて換気した。
天井を見上げる人なんてそうそういないから、焦げた匂いさえなければバレないだろう。
また、暇になる。
膝をかかえたまま、ソファに寝転がった。
一人になると、あまり精神上よろしくないことばかりが頭を支配してくる。
やはり私はここでも役立たずなのだろうか。
龍人だけで形成される小さな集落で育った私だが、特に仕事もせず、日向ぼっこや自生している果物などを収穫して毎日を潰していた。
他の者らは大猪などを狩猟した際に出る皮や骨、牙などを利用して品物を作り、近場に住む(と言っても翼を持たない種族からすれば遠いが)亜人の里などに品物を卸していたりもした。
兄もそんな中の一人で、とても器用らしくドワーフに褒められるほどの腕前でそれなりの収入があったし、父上は酒造りが上手く高評価を得ていた。
母も料理や裁縫に長けていて、私だけが大した能力もなく、おこぼれを預かっていたのだった。
とかく、お金になる技能を有していない。種族として用いる戦闘能力くらいにしか、長所が見当たらないつまらない女だ。
そんな女に求められるのは早く所帯に入り、子を成すこと。だから私は無駄に耳年増になってしまったと言って良いかもしれない。
「アルト、早く帰ってこないかな……」
視線はずっと出入り口の扉に固定してあった。
もし、アルトの不在中に客人が来たらどうしよう。自分が対応など出来るのだろうか、お茶なんて淹れたことがないから出せない。
イリスだったら上手くやるのだろうなと、また劣等感が芽生え始めた時だった。
人の気配を感じた。足音は一つで、耳慣れたアルトのものじゃない。
とすれば、イリスは仕事だし鍛錬から帰ってきたウルスラかとも思ったが音は人間が放つ類のものだ。
かなりの可能性で、客人であることが想定できる。
「ど、どどどっ、どうしよう」
慌ててソファから飛び上がり、どう動くのがベストなのかと頭を働かせるが答えなど出るはずもなく、あたふたと慌てることしか出来なかった。
アルトからは、私の胸は人よりも主張が激しいから眠るとき意外はちゃんと胸当てをしなさい。と言いつけられているのに、いまの私は付けていない。
「た、大変だ。まま、まずは胸当てをを……」
カン、カンと階段を上る音が近づいて来る。
私がシャツを脱ぎ、胸当てをつけ、再びシャツを着込んだのと扉が開いたのは同時だった。
息を飲む。言い付けである胸当てはしたけれど、客人の対応など仰せつかってない。
どうすれば良いのかわからなくて、目の前が涙で少しばかり歪んだ。
「あれ、テイラー君は不在かな?」
扉を開け、声を発した人物は見知った男だった。
レストランで強いお酒をぐいぐいと飲みながらも顔色一つ変えなかった人間。
確か、この国の賭場を仕切る人で……〈サック・ゴールドマン〉と呼ばれる人物だった。