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魔人 -Restricted-  作者: ともえ
-吸血鬼と龍人篇-
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第二話 「はじめての吸血」

「おかしいわね。普通の人間なら喜ぶところなのだけれど」


 そう言ってイリスは一人でシャワーを浴びに行った。

 僕に背中を流してと頼んできたから、もちろん断わった。魔人と一緒に風呂? 冗談じゃない。命がいくつあっても足りやしない。



 風呂場から上機嫌な鼻歌が聞こえてくる。良い気なものだ、こっちの気などわかりもしないだろう。

 はぁ、なにか飲もう。血が足りていない、思考が上手くまとまらない。キッチンに立って思い切り苦いコーヒーを入れよう。


 行動に移して自分が嫌になる。無意識にカップを二つ用意していた。馬鹿なのか僕は。あぁ、そうか。馬鹿だからこんなことになってるんだった。

 思い切り苦いコーヒーを飲みながら、イリスを待った。無論、コーヒーは一杯だけ淹れた。


 話を整理しよう。

 イリスは魔人の吸血鬼ヴァンパイアだ。里の父親と喧嘩をしたらしく、家出をしたと言っていた。彼女の父親はそこそこの権力者であり、連れ戻すために何人かの従者を差し向けたらしい。

 それを片っ端から殴って追い返していたのだが、疲れてしまい身を潜める作戦を取ったのだとか。そしてこの島国まで流れつき、闘争と逃走に明け暮れていたために食事を忘れて倒れていた。と言うなんとも間抜けな話だった。

 やはり、どう転んでも面倒ごとだと再確認して溜息を吐いた。


「ほんと、なぜ貴方は女性物の服を持っているのかしら。しかも、あんなに沢山。変態さん? だとしたら、納得がいくわ。私との入浴を拒否した理由がね」


「女装は仕事。衣装は商売道具。そしてイリス、君は魔人だ。余程の馬鹿じゃない限り、これ以上の説明はいらないな?」


 はて、どう言うことかしら。と白々しく答え、イリスは僕の対面に腰を据えた。

 見にまとっていたボロから着替え、素肌の上にシャツを一枚だけ着ると言うなんとも扇情的な格好をしている。断わっておくが、僕は肌着もズボンも用意しておいた。それを着ていないのは僕の責任ではない。


「ねぇ。髪をといて欲しいのだけど」


「なぁ、イリス。君はもしかして真性の阿呆なのか? なんで僕がそんなことをしなくちゃならない。櫛なら鏡台にあるから、好きに使うと良い。許可する」


 そう言うとイリスは一瞬だけ目を丸くして、やはり変態なのかしら。そうこぼして鏡台の前に立った。


「ねぇ」


 鏡ごしに話しかけられた。僕は適当に反応して、脳では別のことを考えていた。


 この先、どうするか。相手は魔人だから暴れられたり攻撃を受ければ即死間違いなし。今のところ害意はないが、しかしそれは今後の安全を保証するものじゃない。

 警察機構に助けを求めるか? いや、無駄だ。この国において、彼らは政治家の犬だ。民間人の、しかも魔人討伐の要請など受け付けるはずもない。


 どうやらイリスは金がないみたいだし、この先の予定もないようだ。カジノで八割の損害を受けたばかりだが未だに報酬は二割を残している。

 少しばかり惜しいが仕方ない。この金を渡して出て行って貰おう。上手く使えば一月は食うに困らない。贅沢に使っても食費であれば七日は持つ。よし、これで行こう。


「ねぇってば、話、聞いてる?」


「ん? あ、あぁ。なんだったかな」


 いつの間にか、イリスが僕の顔を覗き込んでいた。

 黒く真っ直ぐなロングヘアーで、前髪を真一文字で切り揃えている。燃えているような緋色の瞳をしていて、傍目には魔人と思える要素は見当たらなかった。


「──で、返答は?」


「……あー、ええと。なんの話をしていたんだっけな」


「貴方、正気?」


 信じられない。そう表情が物語っていた。

 呆れたような顔を作り、僕が聞き逃した台詞をもう一度吐き直した。


「とても血が美味しかったから、もっと濃いモノが欲しくなったの。わかるでしょう? 貴方を抱くわ」


 ふふん。と得意げな顔を作り、彼女は妖艶に唇を湿らせた。なるほど、そう言うことか。

 魔人にとって、人間の精とは上質な食糧みたいなものだ。特に男のそれは魔力の塊みたいなものであるし、欲しがるのも無理はない。

 だがしかし、言うにことかいてそれか。はは、笑える。


「なんだ、そんなことか」


そう言うとイリスはムッとしたのか、頬を膨らました。僕の反応が気に入らなかったらしい。


「あのね、私に抱かれるだなんて大変な名誉なのよ? 人間の男であれば土下座してでも懇願してくるわ。そのまま絞られて死んでしまうとわかっていても、なお男は私を求める。なのに貴方ときたら。本物さんなの? 本物の真性変態さんなのかしら?」


「はは、いやいや。熱弁ありがとう。それに応えて僕も真実を吐かなければならないね。僕は不能者だ。君にとっても、もちろん僕にとっても不幸なことにね」


 イリスが固まった。

 そして、僕の言葉は事実で不能だった。


 理由はわからない。おそらくは若い頃からの荒淫に体が付き合いきれなくなったんじゃないかと予想しているし、それは当たりだとも思っている。

 この島国に至ってからは一度足りとも性的な快楽を享受していないんだ。


 あぁ、断わっておくけど僕は処女だ。意外に思うだろうけれど、これは断固とした事実。

 確かに女と同じ数だけ男も抱いた。しかし、ただの一度も抱かれることを許したことはない。例え相手が大将であれ元帥であれ。


 何人かはそれを強要しようとした時もあったが、それをするなら嫌うぞと言い切ると不思議に彼らは手を引く。

 どんな地位であれ、情事にいたってそれはなんの役にも立たない。

 少なくとも僕の場合は。


「……貴方、おいくつなの?」


「二七になる」


「そう、良い年齢ね。それにしても、不能になるにはあまりにも急ぎ足なんじゃないかしら?」


「その意見に関しては全くもって同意するよ、イリス。酒は飲まない、煙草もやらない。不能なもので肉欲すらない、どこからどう見てもつまらない人間だ。わかったろう? 僕に付きまとったところでメリットなんざありはしない。この金をあげよう。上手く使えば一月間は食べるに困らない。さぁ、受け取ったら出ていくんだ。脱衣所に置いてある着替えもサービスだから持って行って構わない」


 矢継ぎ早にまくしたてる。数寸でも早く出て行って欲しかった。

 魔人と関わって良いことなんざあるわけがないんだ。


「ねぇ、」


 イリスは言葉を続けようとしたが、遮った。


「礼ならいらない、これは僕の自己満足だ。そしてその自己満足で君の懐はほんの少しばかり潤う。良いこと尽くめだ」


 会話をするつもりはない。

 さっさと渡すものを渡して、出て行って貰って終わりだ。

 そのつもりだった。しかし、


「少し、黙りなさい」


「…………」


 一気に部屋の温度が幾らか下がった。下がったと言うのに、僕の背中から大量の汗が吹き出す。

 彼女が、イリスが魔力を発散させたのだった。


 くそ、魔人。魔人か。やはり、とんでもない。


 黙れと言う命令に対して僕の体は素直に従っている。

 身体の主は僕だと言うのに、いうことを聞いてくれるパーツがどこにも見当たらなかった。


「さっきから貴方ばかりが話しているわ。少しばかり、私の質問に応えてくれてもいいでしょう? なぜ、私を助けたのかしら。確かに私は美しくて可愛らしいけれど、ボロを纏っていたし顔は隠れていたわ。よしんば、顔が見えていたとしても貴方は不能者でしょう? 女を拾ったところで下心が成就することもない。はて、困ったわ。理由が見当たらないの。完全なる善意と言う可能性もあるだろうけれど、貴方と会話した印象では塵芥程度の可能性しかないもの」


 なるほど、と思った。彼女はいぶかしんでいる。

 自身を拾い助ける理由がどうしても見当たらないのだから、それもまぁ頷ける。

 少しばかり賢い頭をしていれば、面識のない人間の親切ほど恐ろしいものはない。後々、なにを要求されるかわかったものじゃないからだ。


「善意だよ」


「嘘ね」


絞り出した答えを即座に否定された。


「自己満足ってなんのこと? 貴方は浮浪者を助けて悦に浸るのが趣味なのかしら。だとしたら、相当に良い趣味と言えるわね」


 イリスはそう言い切った。

 私はもう言いたいことを言ったわ。後は貴方の回答を待つばかりよ、と言った具合に凛と背筋を伸ばし僕の瞳を覗いていた。

 納得するまで消えそうにない。あぁ、ちくしょう。


「僕は軍人だったんだ」


「へぇ、意外ね。似合わないわ」


「僕もそう思う。で、だ、人を殺したことがない。将校だったが、戦時でもなかったから兵どもに殺戮を下す命令を発したこともない」


「それが?」


「わからないか? 人を殺したことがないのが、今では逆に自慢になっている。あぁ、そうだよ。とても矮小でちっぽけなこだわりってやつだ。あのまま君を見捨てるってのは、すなわち見殺しだろ? 見殺しも殺しのうちだと、僕の哀れな脳みそはそう判断したんだ。だから拾った。中身が爺さんであれ婆さんであれ、一食を食わしたあと二、三日分の食費を握らせてさっさとご退場願う予定だったんだ」


 まるで早口言葉のようにまくし立てた。これはハッキリ言って精神的な強姦に他ならない。

 なにが悲しくて自己の内面にある、言わなくてもいいことを説明しなくちゃならないんだ。


「…………」


 黙り込むイリス。表情からは感情を読み取ることができなかった


「どうした、気持ち悪いってか? 余計なお世話だ。さ! 謎はとけただろう? つまり、そう言うことでね、了解して頂けたら当初の予定通りボロキレの主にはご退場願いたいんだが?」


 しばらくの沈黙が続いた。

 もう、言うことない。僕は黙って封筒を差し出し、イリスはそれを受け取り、受け取り? テーブルの上に置いた。


「貴方、面白いのね」


「いや、意味がわからない。封筒は置かなくていい、懐にしまうんだ」


「それにとても美味しかった」


「話を聞いているかな? 誰と話している、僕に見えないなにかだと言うならそれで結構。二人で茶でも飲んでくると良い」


「決めたわ」


「そうか、そいつは重畳。達者でなイリス」


「私、ここに住むわ」


 もはや、会話ではない。

 僕の言葉に一切耳を傾けることなく、一人でなにか良くわからないことを口にした。


 はい? なんだって。


「決定よ。うふふ、なんだか面白そうね?」


「いやいやいや、イリス、落ち着け。そして聞くんだ。良いな、短くまとめるからほんの少しだけ耳を傾けて欲しい。良いか? 言うぞ? 断る」


「貴方は断れないわ」


 イリスの表情は自信たっぷりと言った具合で、満面の笑みを浮かべていた。唇の隙間から八重歯が可愛らしく顔を出している。


「私はここに住む。貴方は断れない。なぜかしら? それはね、貴方が断れば私は人を襲うからよ。沢山沢山、襲うわ。血の一滴も残らないミイラを大量生産して差し上げる。魔人である私は、そうしたことが容易に出来る力があるんだって、ご存知だったかしら?」


「そんな要求、本気で通ると思っているなら医者通いを進めるよ」


 そう切り返すも、僕の思考回路はすでに焼き切れていた。

 本気で気を失いそうになるほど意識が遠のいた。


「見殺しも、殺しのうちじゃなくって? そして私は本気よ。貴方の名前を叫びながら、作業してあげる。おめでとう、軍人時代にも出来なかった大量殺戮の命令を下せるんですもの」


「クソ野郎……」


「違うわ。私は魔人。吸血鬼ヴァンパイア。そうね、今日から貴方の魔人ってところかしら、アルト


 そう甘く囁いて、イリスは僕に跨った。

 そのまま目を細め、愛らしそうに僕の首筋に牙を突き立てる。


 ちくしょう。いっそ、死ぬまで吸ってくれ。どうせ魔人に抗うことはできないんだ。

 一回目の吸血と違い、甘噛みのような痺れを覚えつつ、やはり目の前は真っ暗にブラックアウトして、気を失った。


 ◇

 

 困ったことになった。

 魔人。イリスを拾って三日が経過している。


 僕はソファに腰を下ろし、新聞を眺めていた。


 イリスはと言うと僕の背後に回り込み、立ったまま抱きついていた。

 僕が座っているため、後ろから抱きつくと丁度具合が良いらしく気に入っているようだ。時折、首筋に甘噛みをしてくる。


「アルト。貴方って私と同じ黒髪だと思ったら違ったのね?」


「ん、あぁ。あの日は仕事で変装していたからね。ヘアーマニキュアで黒髪にしていたんだ」


 さわさわと髪の毛で遊んでくる。正直うざったいが、魔人に逆らい異議申し立てをしたところで結末が見えてる。ここは我慢の子だった。


「綺麗な金髪ね。まるで絹糸のように滑らか……本当に男なの? 私の髪より綺麗って、少し妬けるわね」


 本来、僕の髪は生来の金髪……と言うより色素が薄いだけのような気もするけれど、まぁそれが目立つ。

 探偵稼業として目立つ行為はご法度と言えるため、仕事につく際は髪染めを施すことがほとんどだった。


 風呂上がりで髪色が違った僕を見てイリスがきょとんとした顔をしたのは笑えた。貴方、誰? なんて真顔で言い出したから本気で笑ってしまった。


「ところで、イリス。僕はそろそろ仕事をしなければならない」


「がんばってね」


「では、離れて貰えるかな。依頼人がそろそろ足を運んで来る時間なんだ。仕事を依頼する会社の所長が女とべったりしつつ、対応されたら誰だって嫌だろう?」


 そう言いきかせると、イリスは渋々と体を離しそてくれた。

 この娘は究極的に我儘であるが、気持ち悪い程に素直なところもある。育ちが良いのだ。父親は権力者であると言っていたことから、帝国で貴族にでもなっている魔人の一人なのだろう。興味がないから、そこまで根掘り葉掘りは聞いていない。


「じゃぁ、溶けているわね。おやすみなさい」


「あぁ──って、なんだ。僕の影に入るのか」


 吸血鬼ヴァンパイアは影の中に潜むことが出来る。

 彼女らはそれを<溶ける>と表現していた。


「もちろんよ。愛した男の影に溶けてるのが、なによりの幸せなのだわ」


 そう勝手に言い逃げた。行きがけの駄賃だと言わんばかりに僕の唇を素早く奪って行った。



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