七話
夜霧が漂う砂浜沿いの小道、いかにも魑魅魍魎が好みそうな闇の中を明かりもつけずに進む。
幸い今夜は大の月と赤の月が満月であり、明かりがなくとも歩く位なら問題は無い。
時刻はおおよそ夜半をいくらか過ぎた頃、いわゆる草木も眠る丑三つ時。
「感謝するぞ、ギーラ」
そんな中、唐突にイリーナがそんなことを口にした。
「アタシは何故この時代に生まれたのか、それをずっと考えていたのだ。だってそうだろう?数世代に一人という二本角を持ちながら、なんでお前と同じ時代に生まれてしまったのか、とな」
今まで誰にも話せなかっただろう心の内を訥々と語るイリーナ。彼女とは今世での十二年の人生で十年近くの付き合いであるが、そんなことを考えていたとはまるで知らなかった。
「だがな、その理由がようやく分かった。アタシは、幽霊船から、みんなを守るために生まれたのだ。お前と肩を並べて戦い、アタシの友達を、家族を、そして城や街の民を守るためにな。・・・アタシの背中は任せたぞ、ギーラ」
俺はそんなイリーナの頭に手を置き、綺麗に整えられた髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。
「うあ!?なにをするのだギーラ!」
「入れ込みすぎなんだよ、もーちょい軽く考えないと、とっさの判断が鈍るぞ。そもそも俺にとっては、イリーナも守る対象なんだからな、気負って突っ走った挙げ句に囲まれてやられました、なんて事になったら困る」
「うぬぅ・・・」
自分でもその光景が浮かんだのだろう、唇をかんで下を向く。
つーか、たかが十二歳の子供がそんな悲壮な覚悟で戦ってたらドン引きするわ。そういう役目は俺みたいな反則持ちの化け物か、大人の職業戦士のものだろうに。
「・・・みんな、すぐ側、気をつけて」
アリシアの言葉に緩みかけた空気が引き締まる。
そしてその数秒後、漂う霧がまったくの別物に変わる。ただ視界を遮る、不気味なだけのものから、妖気に満ちた正真正銘の死神の手に。
「来るぞ!」
俺の言葉と共に襲い来る黒い影。・・・また怨霊か、ナントカの一つ覚えじゃあるまいに!
『照らせ』
言霊に込められた魔力に反応し、上空に出現した光球から破邪の力が込められた光が周囲一帯を照らす。
イメージしたのは真言密教における最高仏、大日如来の後光。不死の魔物の中では最弱に分類される怨霊程度、上手くあの後光を再現できればその光だけで浄化できるはず。
予想通り、本物には遠く及ばないものの、同じ属性を持った聖なる光は怨霊どもを溶けるように消し去っていく。
『保て』
言葉と共に消えかけていた光球が再び輝きを取り戻す。これでだいたい一時間程度は持つはず、暗闇を苦にしない不死の魔物を相手にするのに光源は不可欠だし、この破邪の光は不死の魔物どもを弱体化してくれるはず。
事実、第二陣として襲来した悪霊の集団の動きは先日のそれに比べて随分と鈍い。
「『退魔の炎』よ!」
動きの遅い悪霊の集団など恰好の獲物でしかない、イリーナの作り出した紅蓮の炎がその尽くを焼き尽くす。
だが、これで幽霊船は俺たちの場所を、極上の魔力を持った獲物の居場所を把握しただろう。
「これからが本番だ!みんな、気をつけろ!」
その言葉も終わらぬうちに、深い夜の闇の中から曲刀や手斧を持った海賊服を着た骸骨が、骸骨海賊の集団が現れる。
数はおおよそ二〇〇体程、骸骨海賊と死体戦士の総数は、幽霊船の大きさからして五〇〇〇体近くはいるだろう、つまりまだ向こうも様子見ということだ。
「俺とティオ、ライラ姉が前衛になる、それ以外のみんなは後衛で援護を!長丁場になるはずだ、魔力はできるだけ温存して!」
『了解!!』
みんなの返事を確認すると、俺は手にした大剣を構える。
これが、長い長い夜の始まりであった――
「・・・『流砂の渦』」
「はぁっ!!」
アリシアの言霊と共に骸骨海賊の足元、砂浜の一部が流砂に変わり、その動きが一瞬止まる。そして、その一瞬に俺の大剣が骸骨海賊を唐竹割りにする。
「後ろに居るのはあたしが!」
さらに、その後方で足を取られていた他の数体は、ターニャが手にした投石器から放たれた礫にその頭部を、あるいは胸骨を砕かれる。
戦闘が始まっておよそ二時間も経っただろうか、敵の中には骸骨海賊だけでなく、死体戦士も混じり始め、倒した総数は一〇〇〇体を超えるだろう。
戦い続けて約二時間、上空で輝く光球を作り直したあたりから襲い来る不死の魔物の構成が若干変わったものの、俺たちのやることは変わらない。
魔力に比較的余裕のあるアリシアとイリーナが魔術で敵の陣形を崩し、その隙を突いて俺とティオ、ライラ姉が切り伏せる。討ちもらした相手や未だ遠くの相手は、ターニャの放つ礫が打ち据える。
魔力回復薬はアリシアとイリーナにその大半を渡し、回復薬は俺たちが傷つく端からターニャが振りかけている。
ここまでは拍子抜けするくらいに順調に行っている。だが、一度に現れる敵の数がどれも一〇〇から二〇〇だというのが気に入らない。
これがただ戦力の逐次投入なのか、それとも今まで倒したのは失っても惜しくない捨て駒なのか。
もし捨て駒だとしたら、次の一手はこちらの疲労を待っての飽和攻撃、あるいは捨て駒が相手をしているうちに俺たちの背後に軍を進めての挟み撃ちといったところだろうか。
万が一を考え、アリシアとイリーナには退路の確保もかねて後方の警戒も頼んである。だが、背後から本格的に軍を展開されていた場合、気が付いたら詰んでいたという状況になりかねない。
・・・ここは一旦引くべきか?だが、表向きは順調に行っているし、地形的に背後に回るのは相当な遠回りが必要なはず。そして、このまま幽霊船の戦力を削り続けることが出来れば、その分ルシール軍の正規部隊に掛かる負担は軽くなる。
だが、そんなことを考えているうちに状況は変化を見せていた。
一帯を覆う妖霧の向こうから聞こえてくるのは、砂を踏む無数の足音。今までのような寡兵ではなく、三〇〇〇を超える大軍であるのは間違いない。どうやら幽霊船の次の一手は飽和攻撃であったようだ。
こちらが疲弊しきる前に飽和攻撃を掛けて来たのは捨て駒が尽きたからか、それともこのままでは疲労が表面化する前に夜が明けると判断したか。
『癒せ』
まあ、その理由など俺たちには関係ない。幽霊船の本隊を前に、みんなの傷を治し、体力を回復させると魔力回復薬の蓋を開けて一息に飲み干す。
改めて準備を整え、迫り来る大軍を迎え撃とうとして――
ライラ姉の息を呑む音が聞こえた。
「嘘・・・あの鎧の紋章、ルッコ副隊長・・・?あの外套はスティルン子爵の・・・、銀狼騎士団のみんなも・・・!」
ああそう来たか、やってくれるじゃねえか幽霊船の野郎が!
『燃えろ!』
目の前に存在していた死者たちのうち、数十体が俺の生み出した純白の炎に飲まれ、燃え尽きる。
白く輝く灼熱の炎の海の中、焼かれた遺体から彼らの魂が天に還っていくのが見えた。
「彼らは、一人残らずこの場で解放する!己の命を懸けて仲間を、家族を、故郷を守ろうとした勇者達を幽霊船の手駒のままにさせてなるものか!」
「『浄化の光』!」
「『光弾』よ!」
「・・・『破魔の光球』」
「現れよ、『光の刃』!」
気持ちはみんな一緒だったのだろう、不死の魔物に対して効果的では有るが、消耗の大きい光術系の魔術が間髪置かずに放たれる。
コストパフォーマンスを無視した、最大威力の魔術の嵐が迫り来る死者の軍を押し返していく。
・・・うん、これだけ距離が有ればいけるか、俺ももう一発、大きいのを発動させるとしよう。精神を集中させて体の奥底から魔力を搾り出し、出来る限り高純度、高密度のものへと精製していく。
『空より照らす、偉大な光よ』
『今この時に、大地に落ちて、地上をその光で満たせ!!』
集中を始めておおよそ一分後、俺たちの頭上、光源として生み出した光球の隣にもう一つの光球が現れる。その大きさは一つ目のそれより遥かに小さいものの、光度は直視が出来ないほどである。
その指先にも満たないほどの小さな光球・・・否、超小型の太陽はゆっくりと高度を落とし、死者の軍の中央へと落ちていく。
『遮れ』
目の前に障壁を創ると、ほぼ同時に炸裂する閃光と爆音。
極々小規模であるとはいえ、核融合による爆発は戦場となっていた海岸線の形を変え、その場に布陣していた死者の軍を跡形も無く消滅させていた。
「なんとか全員解放できたみたいだな」
耳を押さえ、呆然とするみんなを横目に一人呟く。
「なあ、ギーラ・・・勝率が五分五分って、あれは嘘だったのか?」
「まさか、今の術は威力こそ強いけど事前に魔力の精製が必要で時間が掛かるし、近すぎても遠すぎても使えない術だ。一人じゃまず使えないし、魔力の消費も半端じゃない。一発限りの切り札で、切った後はもう戦えないっていう、とことん使い勝手の悪い術だしね」
核融合爆発を起こすという性質上、近すぎれば自分も巻き込むし、遠すぎれば制御が甘くなる。構成だけは以前から組んでいたものの、実際に使ったのはこれが初めてである。
多分、今の感じだと爆発を起こせる距離は2キロから3キロってとこか、今回ももうちょっと近かったら爆風を防ぎきれなかったかもしれない。
いわゆる純粋水爆と同じ原理の上、反応させる元素も極微量だから放射能汚染はほとんど無いとはいえ皆無って訳でもないし、そう軽々と使えるものではない。
そして爆風で霧の晴れた夜の海、そのはるか沖合いには大波に揺れながら、未だ悠然と浮かぶ幽霊船の姿が見える。・・・せめてあと五〇〇メートル近くに居れば、あるいはそれだけ遠くで術を発動させていれば倒せていただろうが、ぶっつけ本番の術ではそこまでの細かい調整は不可能だった。今更悔やんでもしょうがない。
「今夜はこれで引こう。俺の魔力はもうほとんど空だ、流石にの状態で死者たちの王や髑髏の騎士の相手はできない」
魔力回復薬はまだまだ残っているし、多少の無理をすれば今夜中に幽霊船を滅ぼすことも可能かもしれない。
だが、今日の元々の目的は幽霊船の戦力を削る事である。第一目標は果たした以上、無理をする必要も無いだろう。
とりあえず今夜は引く、そして明日温泉にでも入って魔力を回復させてから――え?
そんなことを考えていた俺の耳に聞こえてきたのは俺たちの後方から迫る蹄の足音。
まさか、さっきの一手は飽和攻撃ではなく挟み撃ちだったのか・・・?
大軍で急襲を掛け、撤退する相手を退路で待ち伏せていた本隊で迎え撃つと同時に挟み撃ちにする――第四次・川中島の戦いの、啄木鳥戦法かよ!
俺の予想が正しければこの蹄の音の主こそが『本隊』、先ほどの大軍と比べても同等以上の戦闘力を持った軍団のはず。
そして予想通り、闇の中から現れたのは首の無い馬に跨り、全身鎧を着込んだ数十騎の髑髏の騎士たち。
吸血鬼に次ぐ実力を持った、不死の魔物の中でもかなりの高位に位置づけられる髑髏の騎士、それが数十騎。
はっきり言って、一つの都市を簡単に落すことの出来る戦力である。
魔力が空の現状で、どうやってそれを相手にするか――
「・・・お元気そうで何よりです、姫さま」
そんなことを考えていた俺を無視して、先頭に居た二騎のうち片方がライラ姉に声を掛ける。あの鎧・・・まさか・・・。
「そんな・・・爺なの!?」
髑髏の騎士たちを率いる先頭の二騎、それはまぎれも無く、かつてのルシール王国が誇った勇士、コール上級騎士とイズン上級騎士の二人であった。
ストックの量と中身を確認した結果、今日中にもう一話投稿すれば連休中にキリのいいところまで終わりそうなので、次話の投稿は18時になります。
よろしければ評価のほうもお願いいたします。