三話
俺の誕生日パーティーから早二ヶ月、俺たちはルシール伯爵の誕生日パーティにゲストとして参加し、豚肉やキノコ、木苺といった森の幸を存分に堪能した。
今は、幾人かとの社交辞令という名の挨拶を終え、用意された客室で羽を伸ばしている最中である。
「・・・しんどー」
ため息と共にベッドの上で呟く。ギーラとして生きていくうえで避けては通れないものだと分かっているが、やはり腹芸は苦手である。
近い将来ノーリリアの食料庫として、極めて重要な地となる事は間違いないであろうこのルシール領は、当に千客万来であった。
出遅れ気味ではあるが、今からでもそれなりの関係を作っておきたい商人たち。
新入りの勢力拡大に良い顔をしない一部の大貴族。
純粋に心強い味方が増えたことを喜ぶ国王派の貴族たち。
かつての王が他国の臣下に下ったことを複雑な思いで見つめる、元ルシール王国の住人たち。などなど・・・
そして、それらの勢力全てにとって俺・・・ノーリリア王国の第一王子、『三本角の天才児』ギーラは無視することなど出来ない大物であった。
「美食に釣られたのは失敗だったかなぁ・・・」
パーティの形式は俺の時と同じ、パーティーというよりも飲み会と言った方が近い宴席。なのにそこの空気が重い重い。
・・・まあルシール伯爵もその辺を逆手にとって敵味方に対して色々と手を打っていた様ではあるが、つーか俺が呼ばれたのはその為か?
ライラ姉の誘いに乗った形で実現した今回の訪問だが、親父たちも二つ返事で賛成してたし、何らかの裏事情が有る気がしてならない。
「うい、お疲れー。どーよ、一口」
ノックもせずに侵入し、水鳥の唐揚げを山盛りにした皿を手に声を掛けてきたのは、訪問に同行していたティオである。無論先日あの場にいた女性陣三名も一緒に来ており、現在は女性用にあてがわれた部屋でライラ姉を交え、ガールズトークの真っ最中と思われる。
「んー、さんざん飲み食いしてきたばっかだし、まだいいや」
というか、精神的な疲労で食欲が起きない。せめてあの場に、目の前の男がいてくれれば、これほど疲れることも無かったのだが。
「勿体ねえなぁ、あ、あとルシール伯爵から伝言。『おかげで政敵になるであろう相手に先手を取ることができた、感謝する』だと」
やっぱりか・・・まあ、俺の周辺じゃあ一番腹芸に向いているティオがルシール伯爵の近くでウロチョロしてたのを見てそんな気はしてたが。
ジト目で睨む俺を気にもせず、彼は肩をすくめる。
「第一王子だったら、あのくらいの腹芸は出来なきゃ困るって。ルシール伯爵の勢力拡大は親父さんの勢力拡大にも繋がるしな、ここで地盤を固めておくのは必須だったぞ」
簡単に言ってくれる・・・
確かにルシール伯爵は彼がルシール王国の王子であった頃から親父と親交を持ち、武術・・・特に剣術では共に鎬を削った好敵手であった事から二人は無二の親友と言える関係である。
そんな彼がノーリリアの貴族となり、近い将来、国の食料庫となるべき要所を手に入れたということは、親父と共にノーリリアを豊かにしようという人間にとっては朗報だが、貴族社会という猿山で大きい顔をしていたいだけの俗物や、己の王が他者に下ることを良しとしない間違った忠誠心の持ち主にとっては面白くない事だろう。
ルシール領の経営が軌道に乗ったこのタイミングで自らの立ち位置を明確にして俗物どもに釘を刺す。さらにあくまでも『ルシール王国』に忠誠を誓う頑固親父たちには、名より身を取るように呼びかけ、自勢力を一枚岩とする。
『この後』を考えるのならば間違いなくこの段階で済ませて置かなければならない事だった・・・が、海千山千の古狸どもの矢面に立たされたこちらの身にもなって欲しい。
親父とルシール伯の繋がりを強調しつつ、不用意な言質を取られぬよう神経を使い、亡国の忠臣たちの殺気にも似た視線に耐えつつも、賓客の一人として対応をする。
はっきり言って寿命が10年は縮んだ気がするぞ。
そもそも俺自身は今世では特に目立つこともせず、平凡な王として暮らし、ティオやイリーナ、ターニャにアリシアらの踏み台として生きていく心算なのだが、周囲はそれを許してくれそうに無い。
「まあ、面倒ごとはこれで終わりだ。残りの滞在期間はのんびりと過ごそうや。ティオは何か予定を立ててるのか?」
「そーだな、俺はルシール伯爵推薦の湯河ってやつに行こうかと」
また聞き覚えの無い単語が幼馴染の口から発せられる。
「湯河?なんだそれ?」
「なんでも地面から熱湯が沸いてて、それが流れ込んだ河が湯になっているとか。不思議な魚が棲んでたり、その湯の熱を使って南国の花を育てているらしいんだが・・・?なに、どーした?目の色が変わったぞお前」
当たり前である、これで目の色を変えないヤツは日本人ではない。・・・いや、まあ、厳密に言えば俺ももう日本人じゃあ無いのだが。
「俺も行く、当然その湯には入れるんだろうな。あと源泉の温度はどの位だ?温泉卵は作れるのか?温泉饅頭は?・・・ああ餡子が無いな、ならカボチャやクルミを使った善光寺式のおやきで良いか、般若湯の代わりは・・・ってアルコールは呑めないじゃねえか!」
急にテンションの上がった俺を目の前にして、ティオが面食らっているのが分かる。
気持ちは分かる、分かるのだが、今世の三分の二を共に過ごしたお前にだって話せないことも、理解できないであろうこともあるんだ。許せ友よ。
そして俺はギーラとして生まれ変わって初の天然温泉に胸を躍らせつつ、今日の疲れも忘れ、床に付いたのだった。
「・・・で、なんでお前らが一緒にいるんだ?」
ティオと俺だけ・・・温泉に入るのは多分俺だけであろうと用意をし、出発した俺たちには何故かイリーナを初めとする女性陣も同行していた。
「何でと言ったって・・・忘れてるみたいだけどギーラ王子はこの国の重要人物なんだから、『学友』の皆も我が伯爵家の客人なの、私たちには皆の安全を確保する義務があるのよ」
「で、私たちで別行動するよりも一緒にいた方がやり易いだろうからって事で一緒に行くことにしたの」
論理的な説明をありがとう、ライラ姉にターニャよ。
回りを見ると俺たちを囲みながら進む、うら若い女性のみで構成された部隊がある。ライラ姉の護衛を専門とする彼女の近衛隊である。
通常ならば実に目の保養になる光景なのだろうが、時折こちらを見る捕食者としての目が本能的な恐怖心を煽る。・・・間違いない、一人の例外も無く肉食系女子だろうな彼女たち。
久しぶりに温泉に浸かりながらゆっくりしようと思っていたが、どうやら無理になりそうだ。
まあいいか、彼女たちと一緒にいるのは楽しいし、温泉を抜きにしてもルシール領の観光名所だ。これもいい思い出になるだろう。
鬼熊義威羅であった頃の自分ならありえない思考。いや、そもそも彼ならば温泉を楽しむなんて事は無かっただろう。
彼にとっては温泉というものは疲労回復のための手段であり、地脈の流れから魔素を取り込む修行であったのだから。
そんな自分の考えの変化に心の中で苦笑しているうちに目的地は目の前に迫っていた。
「おおー!すげー!」
目の前に広がっているのは大量の湯気に覆われた小川であった。
イメージとしては和歌山の川湯温泉に近いだろうか、川の脇だけではなく、本流の中からも湯が沸いているらしく、いくつか不自然な流れが見て取れる。
「気に入ってくれたみたいね、我がルシール領ではこの湯の熱を使って西大陸の・・・私たち獣人の故郷の作物や魚などを育てる実験を行っているの。近い将来には王都に西大陸特産の果物やお茶などを輸出できるようになると思うわ」
これはますますルシール伯爵に頭が上がらなくなりそうである。王領としても義威羅の知識を使って新しい産業を興すべきだろうか。今思いつく限りでは皆が気付いてない鉱脈の採掘。金銀だけではなく、水晶や柘榴石、翡翠など、宝石類の採掘と利用。
あとは魚粕を使った肥料・飼料の改革あたりか、農地の多いルシール領ならば干鰯や鰊粕の需要は多いだろうし。
ちなみに、ノーフォーク農法は何年か前に概念を親父に話してから急速に広まっており、食糧増産の結果としてわが国では空前のベビーラッシュの真っ最中でもある。
もっとも、中流層から富裕層にかけて一番感謝されたのはクローバーやレンゲ草の増産に伴う蜂蜜・蜂蜜酒の増産だったがな。
いやまあ、こんな王子らしいことは後で考えよう。今はただ欲望のまま目の前の温泉を堪能するのみっ・・・!
『塞げ』
『均せ』
イメージと共に言葉に魔力を込め、口にする。
最初の一言より一拍おいて川底が隆起し、川の三分の一ほどが本流より隔離される。
次の一言で川底を堀り、沈んでいた大岩やとがった石を砕き、丸石の砂利に変えて底に敷き詰める。
最初の一言より僅か十秒ほど、それで簡単な岩風呂の完成である。
「それじゃ俺はここで湯に入ってるから、皆はゆっくり観光でも行ってきて頂戴」
言うが早いか、あらかじめ下に着込んでいた水着になり、岩風呂に身を任す。
さらに持参しておいた生玉子を入れた籠を、源泉近くの湯温の高いところへセットする。
「ふぅー、極楽極楽・・・?」
と、早速お湯に入った俺を見つめるみんなの目。
「おい、みんなどーした?揃いも揃ってそんなボケ面して」
「いや・・・ギーラ君って本当に反則だな・・・と」
・・・今の魔術のことか?ふつーの魔術だろ?
「どこがよ、言霊に魔力を乗せて口にした現象を実現させる。何処にでもある、ありふれた一般的な魔術だろ?」
そう、この世界の魔術とはそういうものだ。決まった術式などは無く、神仏などの上位世界の存在から力を借りたり世界に満ちる魔素を利用もしない。ただ己のうちに宿る魔力を言霊に乗せるだけの単純なもの。簡単なうえに、さらに非効率的でもあるが、理屈を把握さえすれば応用範囲は広く、使い勝手は良い。
「種火みたいな最低限の魔術を発動させれる人間でも十人に一人なのに、たった十数秒でこんな物を作るやつが反則以外になんだって言うんだよ・・・」
・・・そんなものか、正直言ってそんな意識は全然無かった。しかし、これで反則扱いなら今後はいっそう魔術の扱いを慎重にしなけりゃならないな。
地球の超一流なんていわれてるやつらの基準だと、地図を書き換えなければいけないレベルの破壊力を出すのが当たり前だったしなぁ・・・
「・・・なにこのお湯、魔力を感じる」
と、そんな事を考えていた俺の思考を遮ったのは銀髪の幼馴染、アリシアであった。
「ああ、こういう温泉って言うのは龍脈の近くにあることが多いからな、大地の魔素が溶け込んでるんじゃないか?」
地球では常識とも言える知識、だが魔素の利用をしないこの世界ではそんな事は知るはずもないだろう。
「・・・魔素、取り込める?」
そう呟くと服を脱ぎ、湯の中に飛び込んでくる。
「おい!?」
「ちょっと!?アリシア!?」
「・・・うん、やっぱり」
動揺する俺らを尻目に、一糸まとわぬ姿で湯に浸かり蕩けるような顔で呟く彼女。術師としての目で視ると、お湯の中に溶け込んだ魔素が彼女の中に吸収されていくのが分かる。
こうやって世界に満ちる魔素を己の体に取り込むのは地球の術師では基本的な修行の一つである。温泉のほかには滝行などで心を無にしつつ取り込むのが一般的であった。
だが、そのような予備知識もなく、魔素の利用も存在しないこの世界でその方法を発見し、実践する彼女のセンスには感嘆するしかない。
流石は百年に一人の天才魔術師と称されるだけの事はある。というかセンスだけなら歴史上でも最高クラスじゃね?
「ふむ、つまりこの湯に浸かれば魔力を増やせるのじゃな?」
そして、アリシアの行動に感嘆しつつも戸惑っていた俺には彼女を止める事ができなかった。
「イィィリィィィィナァァァ!!?なにやってんだお前まで!?」
そんな俺の目に飛び込んできたのは派手に服を脱ぎ散らかしながら湯船に飛び込んでくるイリーナの姿であった。
「ふふふ、見ておれ・・・この湯より魔力を吸い、強くなってお前を倒してやる!!」
腕を組み、仁王立ちなって膨らみかけの胸を張り、無意味な自信たっぷりに答える彼女。いいからせめてタオルくらいは巻け、流石に目のやり場に困る。十歳以上の女児の男湯への入湯は禁止だろ、普通は?
「ねえ・・・どーするの、これ?」
頭痛をこらえる俺に声を掛けてくるターニャ、このカオスな状況で常識人の反応がありがたい。
「ティオとライラ姉が水着を取りに行ったみたいだし、それを待つしかねーだろ」
ふと目を遠くにやると近衛隊の半数を連れて道を戻っていく二人の姿が見える。面倒ごとから逃げ出すということでもなければ、水着や着替え、タオルを取りに行ったのだろう・・・そうだよな?そうだと言ってくれ、お願いだから。
そんなことを考えつつ、二人が帰ってくるまでの数十分は今世で一番長く感じた数十分であった。