閑話 ギーラ 後編
「はああああああ!!」
裂帛の気合と共に槍斧が振るわれ、空気が唸りを上げる。
かつての戦争で完全装備の騎士を鎧ごと両断したというその一撃を、少年はギリギリで避ける。
少年――、諏訪部が彼の一撃を避けるのはこれが七度目。
そして槍斧の刃と彼の距離は、少しずつ縮まっていた。
これは第一回ノーリリア最強決定戦、その第一試合。諏訪部真澄対ダスティア侯爵の一戦である。
俺の誕生日パーティーに参加していた中から自薦と他薦で八人を選び、籤で対戦相手を決めてのトーナメント戦で優勝賞金は金貨三〇〇枚。財源は俺のポケットマネーからの持ち出しである。
当初は俺に勝てるはずが無い、と乗り気ではなかった参加者だったが、俺の不参加と諏訪部に勝てたら金貨二〇〇枚というエサに釣られ、ほとんど全員がガチで優勝を狙いに行っている。
当然、このダスティア侯爵も例外ではなく、軽く初戦を突破してその勢いのまま優勝を、などと考えていたのだろうが……
ぶっちゃけ、この世界の戦士の実力じゃあ、諏訪部と張り合うのは到底無理な話である。つまり、この大会は完全な出来レースだ。
現に諏訪部の奴、どれだけ近くでダスティア侯爵の槍斧を避けれるかを試してやがる。
多分、子供になった自分の身体の慣らしをしてるんだろーな。あいつがそのつもりなら、ダスティア侯爵は二秒で地面に沈んでるはずだ。
だが、そんなことなど知る由も無いダスティア侯爵は、全力の一撃を放ち続ける。
そして数撃後、袈裟懸けの一太刀が僅かに荒くなった瞬間に、諏訪部はダスティア侯爵の懐に滑り込む。
重力に身を任せた脱力初動、動きの始点を掴ませないその歩法を捉えることのできるのは、この国では同種である俺の動きを観察し、盗もうと躍起になっているイリーナやルシール伯爵、親父くらいだろう。
当然ダスティア侯爵に諏訪部を捕らえる事などできるはずはなく、槍斧を握る右手の手首を左手で掴まれ、さらに左脇の下には諏訪部の右の手のひらが当てられる。
その体勢のまま、諏訪部はハンドルを回すように両手を回し、同時に左足をダスティア侯爵の右足に引っ掛けた。
はい、『支え釣り込み足』、『一本』。
自らが槍斧を振るう勢いに合わせて上半身を回され、足を引っ掛けられたダスティア侯爵の身体が面白いように回転し、地面に叩きつけられる。
そして彼は己の内臓を襲う衝撃を耐え、起き上がろうとするも、投げた後も残心を残す諏訪部の前に、動きを完全に封じられていた。
「……参りました」
この結果が信じられないであろうに、それでも懸命に声を絞り出すダスティア侯爵。
いや悪いけど、この結果は当然だからな?
なにしろ諏訪部は天神真楊流柔術、そして起倒流柔術の免許皆伝。さらに柔道四段で、こいつの柔道はスポーツではなく古流柔術の一流派としての柔道だ。
つまり彼は格闘戦の専門家である。俗に剣道三倍段……素手で剣を持った相手と戦うには三倍の技量が必要といわれ、さらに剣で槍と戦うには槍の三倍の技量が必要といわれているが、この男の技量は槍の達人と呼ばれるダスティア侯爵の九倍をはるかに超えている。
「どーだ、コイツは強えーだろ」
友人の活躍にドヤ顔になりそうな表情を必死で堪え、予想外の結果にざわめく外野に向けて言い放つ。
「……おみそれ致しました、殿下。…………彼は一体、何者ですか?」
「詳しいことは言えない、……だけどコイツは俺の友達だ。心配は要らないよ」
この言葉だけで納得してもらえるとは思っていない。それでも“俺の友達”という言葉に、なにかしら思うところが有ったのだろう。この戦いを観戦していた貴族の一人は小さく息を呑むと、黙って引き下がる。
…………もう一押し行って見るか。
「ああ、それと言い忘れてたが、コイツの戦闘能力は俺以上だからな。なんか不満があっても、実力行使だけは止めとけよ。どうせ返り討ちにあって、それで終わりだからな」
………………………………………………。
あれ?なんだ、この沈黙は。
「あーっと、ギーラよ。なんか回りの俺を見る目が厳しくなってるんだが。それって、『ウチの大将が白旗を揚げた、ノーリリアが舐められてる』って意味に捉えられてねえか?」
いや、まさか、いくらなんでもそんなことは…………
「ちょっと、ギーラ君。あなた世間じゃあ、世界最強扱いされてるって事を忘れないでよね」
「……自分がどれだけ非常識な存在か理解できてれば、そんな事は口が裂けても言えないと思う」
世界最強?何言ってんだ?『最強』なんていうのは諏訪部の代名詞だろうに。
そもそも、上には上がいるってことは、今まで散々言ってきたことである。その“上”の頂点であるこの男を前にして、俺以上と評するのに何の問題があるというのか。
と、そんな事を考えていたら、額に青筋を立てたティオに肩を組まれ、そのまま物陰へと連行された。
「馬鹿か、お前は」
周りに人がいないことを確認すると、ティオは開口一番そんな事を口にした。
解せぬ。何故そんな事を言われねばならぬのか。
「ノーリリアがなんで世界中を相手に戦えてると思う?それはグーノフォードの『魔王』ファルナを下した、世界最強の戦士『三本角の魔王』ギーラが居るから味方の士気が天井知らずに上がって、さらに相手は戦う前から怖気づくからだ。その張本人が『彼は俺より強い』なんて言ってみろ、その大前提が崩れるだろうが」
…………そんなものか?
「しかも『おまえらじゃ彼には勝てない』なんて口にしたもんだから、感情的にも拗れるに決まってるだろ。今この場所には世界屈指の戦闘種族『鬼人族』の中でも上位の面子が揃ってるんだぞ、彼らにだってプライドって物があるんだ」
おお、そういや『鬼人族』ってそんな連中だったっけ。いや、地球の基準だとみんな中の下から中の中くらいのレベルだから、そんな実感がまるで無くてなぁ……
「地球なんていう人外魔境の連中と比べるな。いいか、そもそもだな……」
そのまま普段の鬱憤を晴らす勢いで懇々と説教を続けるティオ。俺が解放されたのは、その数十分後のことであった。
普段から言いたくても言えなかったものを吐き出し、すっきりとした顔のティオと少しやつれた俺が試合会場に戻ったとき、既に会場では準決勝の第一試合、諏訪部対イリーナの試合が始まっていた。
ダスティア侯爵の稲妻のような剛剣とは違い、戦棍を速く、小さく、鋭く振り、さらに時折、柄の中ほどを握って間合いを変え、変幻自在の攻撃で攻め立てるイリーナ。
さしもの諏訪部もその攻撃を完全に避けきることはできず、全体の二割ほどを魔力を込めた両腕で払っているのが確認できる。
って、諏訪部の相手はイリーナか!?
確かイリーナの一回戦の相手はファルナだったはず。イリーナも凄まじい勢いで強くなっているが、まだまだファルナには及ばなかったはずだ。
……いったいどうやった?
「お答えしましょう、ご主人様」
「実に素晴らしい戦いでした。見逃したのは一生の不覚やも知れませんよ、ご主人様」
よーし、詳しく話せ、お前ら。
オウカとキッカから聞いた戦いの内容は、イリーナの本領発揮とも言うべきものであった。
イリーナの得物である戦棍は一撃必殺の殺傷力は無いが、小回りが利き、また持つ場所を変えることによって間合いを変え、多彩な動きが可能な武器である。
そしてファルナの太刀筋は速いが俺のそれに比べればまだまだ荒い。その為イリーナはファルナの動きを先読みし、戦棍を防御に専念させてチャンスを待ち、狙い済ましたカウンターの一撃。
そこからは主導権を渡さずに攻め続け、最後は格闘術も併用してのKO勝ち。
その戦い方はまるで義彦のそれを思わせるような、わずか1%の勝機を狙い撃ちにするかのような物であったという。
「イリーナ様は普段から努力されていますから」
「ご主人様に挑み続けたこの十年強。それがイリーナ様の技量をこれほどまでに鍛え上げていたのだと、感無量の思いでありました」
なるほどな……俺自身イリーナとは毎日のように戦ってたから却って気付かなかったのだろう、イリーナの奴そこまでになってたのか。
ならば、最強の諏訪部を相手に、どこまで食い下がれるか…………
ん?勝てるとは思わないのかって?
いやあ、無理だろ、いくらなんでも。
「いいぞ!攻めろ攻めろ、お嬢!」
「行け、やれ、殴り殺せッ!」
「ふぁいとだよ!りゅうじんさまー!」
外野の無責任な無責任な声援を余所に、イリーナの攻撃は鋭さを増していく。
だが、それ以上に速く、諏訪部はイリーナの太刀筋の癖を見切り始めていた。
イリーナの攻撃の中に時折混ざる、予備動作を完全に消した――『無拍子』の一撃。
人間の反応速度を上回るが故に、理論上は防ぐことも避けることも出来ない一撃。
さらにイリーナはまだ安定して『無拍子』の一撃を放てない為に、逆に不意打ち気味に放たれるそれを防ぐのは至難の業である……はずだった。
その『無拍子』の攻撃を放たれる前に反応し、避け始める諏訪部。
つい数十秒前までは避け切れなかったイリーナの攻撃を、いま彼は完璧に避けきっていた。
間違いなく自分とイリーナの位置関係、そして彼女の体勢と魔力の流れから次の一撃を予測し、対応しているのだろう。
こうなれば後は時間の問題、イリーナも諏訪部を相手に良く頑張った……と、俺が思い始めたその瞬間、イリーナが意地を見せた。
胴を狙った横殴りの一撃、今までに何度も避けられた一撃は、今までと同じ様に避けられ――
「『雷撃』よ!」
イリーナの放った雷撃が彼女の周囲で轟音を立てて荒れ狂う。その雷撃は大海竜程度ならば一撃で屠れるであろう強力なものだ。
そして間髪入れずに追撃を加える、彼女の持つ戦棍には極限まで圧縮された魔力が込められ、その一振りは大陸獣すら容易く肉塊に変えるだろう。
――――だが、この諏訪部真澄という男の力は、大海竜や大陸獣などと比べ物になりはしない。
荒れ狂う雷撃が収まった後、そこ在ったのは顔色一つ変えずに迎撃の態勢を整えた諏訪部の姿。
彼の身体は金色に輝く魔力に覆われ、イリーナの雷撃を容易く防ぎきっていた。
諏訪部は己の身の内に留めていた魔力を開放しただけ、それだけであるのに、彼の魔力は俺の『太陽落とし』さえも防ぎきる、絶対の防御壁へと変わっていた。
そんな諏訪部に対して大上段から戦棍を振り下ろすイリーナ。失策であると悟っても、ここで攻撃を止めるのは失策以下の下策である。
ならば全力の一撃を放つだけ、と戦棍にはさらに限界を超えた魔力が流し込まれ、振り下ろされる。
しかし諏訪部は、その一撃を後ろ回り捌きで軸をずらしギリギリで、しかし確実に避ける。
そこから左手でイリーナの右袖を、右手は奥襟を掴み、彼女の身体を前方へと引き出した。
イリーナが前方へとつんのめり、爪先立ちになった瞬間を逃さず、そこからさらに己の身体を反転させ、右足を彼女の股に差し込み跳ね上げる、跳ね腰気味の内股を一閃!
彼女の身体は高々と宙に舞い上がり、背中から強かに叩きつけられる。文句なし、『一本』!
ちなみに本来の武道の、俺や諏訪部にとっての『一本』とはすなわち、“相手を完全な死に体にした”ということ。つまり、“殺すつもりならば殺せる”という状況を作ることである。
そして物心が着いて以来、俺に挑み続けているイリーナはその事をよく理解しており、地面に叩きつけられた状態で観念したように降参を宣言した。
「お疲れー、相変わらず鬼だな。相手は女の子なんだから、もうちょっと手加減しろや」
当然のように決勝進出を果たし、息一つ乱さぬ諏訪部にそう声を掛ける。
「なに言ってんだ、手加減なんかしたら今後十年は根に持たれるわ。……彼女は、そんな人間だろう?」
それに対し、どこか懐かしい人間の面影を追うような、少し遠い目をして諏訪部は答えた。
その言葉を聞いて、地面に大の字になって息を荒げるイリ-ナの姿に、はるか昔に時空の狭間へと消えたかつての友の姿を思い出す。
…………ああ、諏訪部も彼のことを思い出したか。確かにイリーナは、アイツと同じ種類の人間だ。ただひたすらに素直で真っ直ぐで、己を磨くことしか考えない。
勝負にこだわり、負ければ大泣きするくせに、わざと負ければ烈火のごとく怒り出す。
『学園』九期生の一人、一刀流の剣士・藤原刀弥。
俺や義彦の新陰流と、藤原の一刀流。共に徳川将軍家の指南役を勤め、鎬を削りあった二流派それぞれの使い手として、当然お互いに対抗心を持ち、技を競い合った一人である。
血の滲むような努力の末、わずか十二歳で一刀流の達人と呼ぶに相応しい技量を手に入れた彼も、はるか昔に時空の狭間に呑まれて、その生死は未だに知れない。
だが、生きているにせよ、死んでいるにせよ、彼の在りかたが変わることは無いだろう。
もしも彼がまだ生きているのなら、今この時もどこかで剣を振るっているのだろうし、死んでいたとしても、彼は最後の時まで剣を握り締めていたに違いない。
「男か女かの違いだけで、ああまで思考パターンが似てるとマジで他人とは思えんな。刀弥のやつ、ひょっとして彼女に転生してるとか考えられねえか?」
「勘弁してくれ、イリーナは俺の婚約者でもあるんだぞ。どんな罰ゲームだ、それは」
「いや、最近はTSってジャンルもメジャーになってきてるわけだし、散々有莉翠に掛け算のネタにされたお前なら平気だろ」
ちょ、おい、やめろ!黒歴史を思い出させるな!!
…………『学園』九期生の一人、幻想使い・一ノ瀬有莉翠。
自らの想像した物を魔力で編み上げ、実体化させるという地球でも反則級の特技を持ち、頭の回転も速く、九期生の中では委員長的な立場の彼女であったが……その、なんだ、腐っていた。主に頭の中が。
その特技の訓練と趣味を兼ねて、幼等部の頃より絵ばかり描いていた彼女であったが、彼女の心は何時の頃からか腐界に飲まれ、九期生の男性のほとんどが掛け算という名の毒牙に掛かっている。
ちなみに、その最大の被害者は俺と義彦で、諏訪部は『女の子にしか見えない、それじゃあ萌えない』と毒牙から逃れていた。この卑怯者が。
「大将!負けんな!」
「まだ勝ち負けを賭けてない奴はいるか?そろそろ締め切るぞ!」
ん?ああ、準決勝の第二試合――親父とルシール伯爵の試合、もう始まってたのか。
世界に名立たる『剣鬼』フォルムスと、『剣聖』ルシールの一騎打ち。
戦士を自認するものならば、何があっても見届けたい一戦だろう。実際に文官はともかく、武闘派と呼ばれる人たちは一言も喋らず、固唾を呑んで見守っている。
……が、多分理解は出来てない。
両者の戦いは彼ら元々の技術に加え、さらに俺から盗んだ古流の技術を自分に合うように魔改造したものの応酬であり、改造される前の形を知らない彼らでは、何故そのような動きが出来るのか分かるはずがない。
彼らの目には、ふと気が付いたら剣が振り抜かれていた、瞬きをした瞬間に別の場所に移動していた、などと見えていることだろう。
「ねえギーラ君、ちょっと解説してくれない?何がどうなってるのか、ぜんぜん分らないわ」
おい、ターニャよ、お前もか。……まあ、戦闘担当でもない彼女に、あれを理解しろ、というのも無理な話ではあるが。
そうだな、じゃあまずは基本の説明から――
「では実況はわたくし、宮内庁陰陽部『八瀬童子』の序列一位、諏訪部真澄が」
「ファッキン!ガッデム!!アスクヒム!!!なんだ、コラ!ふざけんな、エー!……アァイム、ギーラ!!」
「解説はギーラ王子にお越し頂いております。王子、よろしくお願いいたします」
「あ、はい、よろしくお願いします」
…………完璧に定番のネタをやり終え、無言で親指を立てあう俺と諏訪部。
うん、いきなり振られた時は頭の中が真っ白になったが、幼児の頃から幾度と無く繰り返してきた定番ネタは、身体が覚えているものだ。
まさか、頭で考えるよりも先に口が動くなどとは思わなかった。
「よし、次は“時は来た"をやるか!」
「懐かしいな、『悪のカリスマ』、まだ現役でやってるのか?」
「ああ、半引退状態だがな。『破壊王』と『超世代の旗手』が鬼籍に入って、『ダイナミックT』と『オレンジクラッシュ』が引退。『デンジャラスK』もリングに上がる気は無いみたいだし、『悪のカリスマ』と『ナチュラル・ボーン・マスター』には『鉄人』みたいに七十四才まで現役でいて欲しいもんだな」
「いや、流石に無理だろ、それは……」
「なに言ってんだ、『グレート・テキサン』、『テキサス・ブロンコ』の兄弟は二人とも七十才超えて現役だし、『仮面貴族』だって時々リングに上がってるぞ」
なに?また現役復帰したのか?『テキサス・ブロンコ』。つーか、お兄ちゃんの方もまだ現役だったんだ……。いや、それを言ったら『仮面貴族』だってもう七十才をとっくに超えてるはずだろ?
半端ねえな、あの世代のプロレスラー…………
そんな事を考えつつ、思わず呆然とする俺の脳天に手のひらが置かれ、そのまま握力に任せて締め上げられる!
ぅおお!?脳天締め(ブレーン・クロー)!?なんつーマイナーな技を!!
「ギーラ君?い・い・か・ら、解説を、しなさい」
はい、やります。……ガチで怖いので、そんな夜叉のような顔で睨むのは止めてください、ターニャさん。
「えーと、あの足の裏に車輪が付いてる様な動きが脱力初動な。前方とか斜めとかに倒れるのに合わせて足を出すから、予備動作が小さくて動き始めが捉えにくい」
「今のふと気付いたら移動してたってのは縮地だな。静止状態から一瞬でトップスピードに加速するから目が追いつかない」
「なに!?燕返し!?あー、振り降ろしから切り上げの連携のことな。その繋ぎ目を無くして、一動作でやるのがコツ。やるな、親父」
ふむ、こうして見ると、親父もルシール伯爵も相当な腕になってるな。
二人には悪いけど、ぶっちゃけ何年か前までは、剣鬼(笑)剣聖(笑)みたいに思ってたが、わずか数年でここまで上達されると、その戦闘センスの高さに驚くばかりである。
やっぱ、この世界における元々の剣術が、基本『思いっきり剣を振って切り捨てる、剣の振り方は各々の自由』であることが諸悪の根源な気がする。
そうでなければ俺から盗んだ新陰流……というか、古流剣術の技術を消化、吸収、発展させてここまでに磨き上げるような戦士が、あんな雑な剣を振るっていた訳がない。
“武術”という概念がまだまだ未熟であった、この世界の背景を無視して考えていた自分に反省である。
俺がそんな思いと共に見守る中、二人の戦いは激しさを増し、試合というよりも死合に近いものへとなっていく。
ルシール伯爵の振るう、刃引きしたはずの剣が親父の全身鎧を切り裂き、親父の持つ、身の丈を超える巨大な木剣が大地を抉る。
当たれば良くて大怪我、悪ければ命を落としかねない一撃を放ちつつ、 両者は一進一退の攻防を繰り広げる。
そして、その拮抗が崩れたのは偶然であった。
二人が剣を交える中、たまたま西日が射す位置にルシール伯爵が居た、たまたまつばぜり合いの最中に雲が晴れた、勝敗を分けたのは、ただそれだけの事であった。
ルシール伯爵が逆光に視界を奪われ集中が途切れたその瞬間に、親父は体を入れ換え肩から体当たりに行く。
つま先ではなく踵で踏み切る古流武術の体使い。これもまた、親父が俺から盗んだ技術の一つである。
親父の体重が確か80kg弱、そして着ている真鋼の全身鎧が約30kg。真鋼に覆われた合計110kgの肉塊がルシール伯爵の身体を吹き飛ばす。
そして吹き飛ばされたルシール伯爵が起き上がろうとした瞬間、その喉笛に木剣の切っ先が突きつけられた。
「うん、いい勝負だった」
「ああ、やるな二人とも。……これならわざと負けても不自然にはならんな」
は?ぼそりと呟かれた諏訪部の一言に、思わず眉を寄せる。
「いや、ここで俺がフツーに勝っちまったら、まとまる物もまとまらないだろ?だから、てきとーに善戦して、ほどほどで負けようか、と」
その言葉を聞き、親父の勝利に沸くノーリリア貴族達の顔を見回す。
ああ、たしかにこれで諏訪部が勝ったら、実力を疑うものは居なくても、しこりは絶対残るよなぁ……
だいたい、この大会の開催理由が諏訪部を俺の副官として認めさせるものだし、ダスティア侯爵とイリーナに完勝するような相手の実力を認めない人間が居るとは思えない。
ならばここは善戦の末に親父に敗れたほうが、後々のことを考えれば良さそうな気もする。……が、
「お前はそれで良いのか?片八百長とはいえ、最強のお前に黒星が付くんだぞ?」
そう心配事を口にする。
十二才でヨグ=ソトースの落とし子を撃退して以来、常勝無敗が当然であったこの男が、こうもあっさりと敗北を受け入れれるのだろうか。
「かまわんかまわん。元々、千枝ちゃんせんせーを助けたり、一般市民を守るために修行してたら、何時の間にか最強になってた、て感じだしな。白星だ黒星だのにこだわる気はねえよ」
ならば良いのだが……、俺自身の心がなんかモヤモヤしてるのは、たとえ八百長でもコイツが負けるのを見たくないのが原因だろう。
そんな俺の複雑な思いを余所に、諏訪部は親父の前に足を進め――、
…………おい親父殿、なんで木剣から真剣に持ち替えてるのだ?
しかもあの剣は、この前に俺が親父の誕生日祝いに贈った剣――苦心の末に精製した玉鋼を使った、両手剣の形をした日本刀、とでも言うべき一本である。
「いいかお前ら、もし俺が死んだら次の国王はギーラだ、後見人はトライドがやってくれ。またこの戦いは戦士としての尋常の勝負である。もし俺がこの男に殺されたとしても彼を恨んだり、遺恨を残すことは許さん。これはノーリリア国王、フォルムス・ブル・ゴーン・ルーク・ノーリリアとしての勅命である」
おーい、親父ー?いきなり何を言い出すのだ?
親父の唐突な宣言に俺の頭の中で疑問符が舞い踊る。俺だけじゃない、周囲の人間もまた混乱している様子がありありと分かる。
だが親父はそんな俺たちを無視して諏訪部へと向き直り、ゆっくりと口を開いた。
「スワベマスミ……あんたの話はギーラから聞いてる。『最強』『戦神の末裔』『人間にして竜神たるもの』なんていうご大層な二つ名や、ルシール伯領の硝子の崖を作ったのが、あんただって事もな」
その言葉に周囲から先ほどとはまったく違ったどよめきが起きる。
半径数十kmに渡って真球の形に抉り取られ、表面は硝子状に変化している『硝子の崖』。
その摩訶不思議な光景は、世界の七不思議の一つとして世の学者達の議論の種になっている。
……まあ、その正体はこの世界の時間で九〇〇年程前に、諏訪部の本体が邪神と戦った際の余波によるものなのだが。
「そんなあんたにとっちゃあ、俺たちなんか羽虫と変わらない存在かも知れないが……俺たちにも意地ってものがあるんでな」
そう言うと親父は剣を構える。その構えは俺がよく知る構えである……が、同時に親父が知っているはずがない構えであり、俺は思わず目を疑った。
「……おいギーラよ、あれはお前が教えたのか?」
驚きを隠そうともしない諏訪部の声、それに俺は首を横に振る。
「いや俺じゃあない。おそらく、親父が自力で辿り着いたものだろうよ」
その構えは剣道でいう“右八相の構え”に似ていた。だが、身体を大きく斜めに開いたその構えは、古流の剣を学んだものならば、こう答えるだろう。
―― 肥前兵法タイ捨流、甲段の構え ――と。
肥前兵法タイ捨流、すなわち“体”を捨て、“待”を捨て、“太”を捨てて、“対”を捨てる、肥前出身の剣客・丸目蔵人が創始した剣術である。
伝承によると、彼は京都で新陰流開祖・上泉信綱に弟子入りし、数年の後には疋田景兼らと共に新陰流四天王の一人に数えられる程の使い手になったいたという。
新陰流の印可を受け、九州地方における新陰流の指南役であったが、上泉信綱の死後、新陰流に独自の工夫を加えて『タイ捨流』を創始する。
その最大の特徴は、袈裟切りに特化した独特の構えと蹴り技、目潰しなどの体術を組み合わせた技術体系であり、特にその袈裟切りは、後に薩摩の東郷重位が『天真正自顕流』の技と組み合わせ、かの『薩摩示現流』を生み出す礎となったものである。
そのように日本で古流を学ぶものならば知らぬものはいないこの構えだが、異世界の住人である親父がそのことを知るはずが無い。
つまり、俺から盗んだ新陰流の技法を下敷きに、己の工夫と改良を加え、この構えに辿り着いたのだろう。
新陰流四天王とまで呼ばれた剣豪の導き出したものと同じ答えを出すというのが、簡単なことであるはずがない。
新陰流の動きを、俺の動きを目に焼きつけ、起きている時は四六時中思い返し、夜の夢の中では幻影の俺と刃を交える。
間違いない、俺が前世の記憶を持っていることを打ち明けてからの七年間、一日たりとも欠かさずにそんな生活をしていたのだ。
おそらくは、俺の話す、地球の達人と何時の日か戦う、そのために。
「ギーラ、悪いが八百長の話は無しだ。あと、勢い余ってお前の親父さんを殺すかも知れんが、その時は許せ」
親父の構えを、その瞳に宿した決意を見て取り、諏訪部が口を開く。
彼もまた、古流の武術を納めた武術家である。あの目をした剣客を相手に手加減をする事は、たとえ相手を殺すことになろうとも、決して許されない侮辱であると知っている。
そして、それは俺もまったくの同感である。
「ああ、しょうがねえな。……ただ戦士として、世界中に自慢できるような戦いにしてくれよ」
「当然だ」
諏訪部はそういうと魔力を練り始める。
それは俺が今までやっていたものとは根本から違う種類のもの、己の魔力を呼び水に世界に満ちる魔力を吸い上げ、高純度、高濃度に精製していく。
その光景は、まるで世界中の魔力が頭を垂れ、自らの王の下に馳せ参じるかのようである。
「…………うそ、なにあれ……信じられない」
その光景を呆然と眺めながらアリシアが呟く。なまじ魔力の扱いに長けるが故に、彼のやっていることが、いかにとんでもないことか理解出来てしまうのだ。
魔術に精通する者たちが呆然と見つめる中、わずか数秒でこの世界に存在する魔力の大半を取り込んだ諏訪部が言霊を発する。
「我は、宮内庁陰陽部『八瀬童子』が序列一位、諏訪部真澄!
信州諏訪の国津神、日ノ本第一大軍神、タケミナカタが末裔にして、豊葦原の中つ国、瑞穂の国の防人なり!
皇祖神アマテラス、戦神ハチマン、フツヌシ、タケミカヅチ、我が祖タケミナカタも御照覧!
日の本が兵の戦いを!!」
これは“名乗り”。まだ彼が自らの力に振り回されていた幼少期、制御できない力を全て出し切るための自己暗示。
成長し、己の力を完全に制御下に置いた後も「これを言わなきゃ気合が入らん」と、大一番の時には口にし続けた言葉である。
その言葉を言い終えると共に、諏訪部が取り込んだ魔力が爆発的に膨れ上がる。
ただ彼が“そこに居る”。それだけで世界が軋み、台風のごとき暴風が吹き荒れる。
「お、らああああああああぁ!!」
そんな中で、空間がひび割れ、大地が裂ける中で、親父は渾身の一太刀を振るう。
完璧に近い『無拍子』、そして全身の力を余すことなく剣に伝えたその一撃は、地球の達人と比べても、なんら遜色はない。
…………だがそれでも、それでも、この諏訪部真澄という男を前に、その一撃は蟷螂の斧に過ぎなかった。
親父も気付きはしなかっただろう。親父の一振りは、諏訪部が魔力の圧力を操作し、誘い込んだ一振りであったことに。
あらかじめ予測していた親父の踏み込みに合わせ、諏訪部は縮地で懐に潜り込む。
そのまま諏訪部は左手で親父の右袖を掴み、右手は腰に抱きつくようにして添える。
そして体を捻り、親父の体を腰に乗せて投げ捨てる!
『大腰』
柔道の創始者、嘉納治五郎が『浮腰』と共に得意とした技であり、多くの柔道家が最初に学ぶ柔道の基本技。
……そう、これは諏訪部が初めて学んだ技。つまり、これこそが彼が最も長い時を掛けて磨き続けた、必殺の投げである。
一瞬の後、まるで隕石が落ちて来たような轟音を立てて、親父の体が地面に叩きつけられた。
真鋼の鎧は大きく凹み、口からは血の泡を吹いている。叩きつけられた衝撃で全身の骨は砕け、その内臓もズタズタになっているのだろう。
これは間違いなく致命傷である。――しかし、まだ、死んではいない。
―― ノウモ バギャバテイ バイセイジャ クロ ベイルリヤ ハラバ アラジャヤ タタギャタヤ アラカテイ サンミャクサンボダヤ タニヤタ オン バイセイゼイ バイセイジャサンボリギャテイ ソワカ ――
俺の唱えた薬師如来の大咒、東方浄瑠璃世界の教主たる、医薬の仏の真言によって呼び出された瑠璃色の光が、親父の体を照らす。
仏の最高位たる如来の力を宿した聖なる光は、死の一歩手前であった親父の体を時を巻き戻すかのように癒していく。
「……え?」
「なに間抜けな声を出してんだ?親父には、まだまだやって貰いたいことがあるんだ、簡単に死んでもらっちゃ困る」
死んだ、と、そう確信した重傷が一瞬で治り、混乱する親父にそう声を掛けた。
「相変わらずお前も反則だよな、薬師如来咒の効果って本来は病気の治癒だろ?なんでそれで怪我が治るんだよ」
「逆に聞こう、なんで治らないと思うんだ?怪我も病気も、“生老病死”で考えれば同じだろうに」
「そりゃ、そうだげどさぁ……」
まったく諏訪部も半神半人のくせに頭が固い。お前のご先祖様なんか名前からして水神なのに、最初に文献に出てくるのは龍田風神としてで、さらにいつの間にか軍神になってて、最近じゃあ農耕神やら商売の神やらの属性を後付けされてるというのに。
まあ、それはそれとして、さっさと後始末をしてしまおう。
「お前ら、ぼーっとしてないで、表彰式の準備をしろや。優勝は諏訪部真澄、文句がある奴はいるか?」
俺の言葉に我に返ったように動き出す観客一同、その中には、目の前の光景が信じられぬように呆然としていた、ダスティア侯爵やトライド叔父さんの顔も見て取れた。
……むぅ、諏訪部の実力を見せるって事には成功した。幸いにして親父も死んでない……が、みんな諏訪部の実力にドン引きしてる。
さーて、どうしよう。これから彼らには、諏訪部の部下として働いてもらわねばならないのだが、こんな人間関係で仕事が上手く回るとは思えない。
これでは、諏訪部に仕事の大半を丸投げして楽をする、という俺の計画が丸潰れである。
とりあえず、対策として思いつくのは一つだけ。上手く行くかどうかは分からないが、他に方法を思いつかない以上、やるしかないよなぁ。
「じゃあ、表彰式を始めるぞ」
全ての準備を済ませ、みんなの前に顔を出す。
だが、彼らの顔に浮かんだのは困惑の色。諏訪部でさえも、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
まあ、みんなと諏訪部じゃあ、驚いてる理由は違うだろうが。
「殿下……?その格好は?それに、腰の剣は見たことの無い形ですが……なんでそんな物を?」
「ギーラ……なんで袴なんて着てるんだよ。どこから持って来た、そんなもん」
「これか?『袴』っていう異国の伝統衣装だ、そんでこの剣は『日本刀』っていうものな。あと諏訪部よ、袴を着る理由なんて、足捌きを隠す以外に着る理由があるか?」
別に隠すことでもない。両者の質問に、正直に答える。
「うん、袴を着てる理由は分かった。で、その腰の刀、ちょい見せろ。………………なあ、俺の目が確かなら、これ『同田貫』の古刀に見えるんだが」
「そりゃあ『同田貫』の古刀だからな、お前の目がおかしくなったわけじゃあないぞ」
『肥後同田貫』、現在の熊本県を中心に活動していた刀工の一群であり、個々の銘を刻むことは少なく、一般に『同田貫』といえば、彼らの作った刀全てを指す。
その特徴は、美しさとは無縁の無骨で実用性重視の戦場刀である、ということ。
一般に日本刀の価値とは、美術品としてどれだけ美しいか、が第一となるために刀剣界からの評価は低いが、俺たちのように刀を実際に使う人間からしてみれば、まさに命を預けるに足る、最高の相棒である。
ちなみに、この袴と同田貫、アマテラス様からの報酬として『地球の物を年に一定量まで、タームチュールに持ち込める』という権利を貰っており、それを使って取り寄せたものである。
「さあ諏訪部よ、第一回ノーリリア最強決定戦の優勝賞品『ギーラ・ブル・フォルムス・ルーク・ノーリリアへの挑戦権』受け取ってくれるな?」、
俺の言葉に周囲の人間が息を呑み――、そして爆発した。
戦士であることを自認する騎士から、争いごとには向かないと、書類仕事に精を出す文官までもが目を輝かせ、こちらを見ているのが分かる。
『三本角の魔王』ギーラと、先ほど信じられない実力を見せ付けた諏訪部の戦い。
彼らにしてみれば、『最強』対『最恐』、あるいは『天才』対『怪物』とでも言うべきカードである。
「受け取るのは良いがな、お前が相手じゃ手加減は出来んし、八百長なんぞで戦いを汚すこともできんぞ」
「いらねーよ。ノーリリアの王太子として、勝ちを譲ってもらう、なんて出来るわけが無いだろ。そして、これで俺とお前の実力が互角だと証明できれば、回りも引くことはあるまい」
そういうことである。いかに諏訪部がバケモノじみた実力を持っていようが、目の前の分霊の力は、彼にとっての九才児相当。
俺自身も、義威羅であった頃に比べればずいぶんと弱体化しているが、今の諏訪部が相手なら勝機はある。
これで俺が勝てれば、『やはり、ウチの大将が最強』で落ち着くし、俺が負けても実力はほぼ互角だと解れば、周囲もとっつき易くなるだろう。
「なるほどな、じゃあ、始めるか!」
そして諏訪部は再び“名乗り”を挙げる。
――今ここに、後の世において『竜鬼の戦い』と呼ばれ、伝説となる戦いが始まった。
申し訳ありません、終わりませんでした
完結編は来週中には投稿できたら、いいなぁ……