十六話
頭上から迫り来る聖銀の戦棍、それを大剣の柄で受け、イリーナの首筋に手刀を入れようとして、ティオの細剣に阻まれる。
その刃にはトリカブトの毒が塗られており、一太刀貰っただけで致命傷になるだろう。
追撃をかわすべく、さらに距離を取った俺に対してアリシアとターニャの魔術が襲い掛かる。そのタイミングと角度は絶妙にずらしており、どちらかを避ければ、もう片方に当たるという実に息のあった連携である。
止むを得ず、威力に勝るアリシアの火球を避け、ターニャの光刃を大剣で弾く。
さらにそれと同時に前方へ転がるようにして身を投げる。一瞬前まで俺の頭があった場所をイリーナの戦棍が通り過ぎていた。
いったいどれほどこんな攻防を繰り返しただろうか、彼女達の攻撃は時と共に鋭さを増し、それに対してこちらの疲労は確実に蓄積されている。
このままではあと数合も打ち合わないうちに彼女達の刃は俺の体を貫くだろう。だから、
「おいティオ、まさかお前まで俺に見てもらえない、なんて理由で戦ってるんじゃないだろうな」
せめて、言葉で注意を引く。これで気が逸れてくれれば万々歳だ。
「まさか、俺はただ一度お前と本気で戦ってみたかっただけだよ。俺だって鬼人族の一員だからな、ずっと『最強』のお前と全身全霊を込めて戦いたかった」
・・・この戦闘民族が、時と場所を考えろ!
「イリーナやターニャ、アリシアはどうなんだ?俺に見てもらいたいのが理由みたいだが、これ以外にもなにか方法があるんじゃないのか?」
「・・・ギーラ、それ本気で言ってる?」
「まったくよ、今まであたしたちがどれだけ苦労してきたか、わかって言ってるの?」
女性陣に掛けた揺さぶりの言葉は、呆れたような、素の彼女達の声で返される。
・・・どうやら、俺の鈍さはそこいらの鈍感難聴なギャルゲー主人公クラスであったらしい。
「さあ、年貢の納め時だな、ギーラよ。観念してアタシたちのものになるがいい!」
妙に生き生きとした表情で宣言するイリーナ、その表情が、彼女の言葉を本心からのものであることを証明していた。
・・・・・・止むを得ない、か。
この次に控えている『魔王』ファルナを相手にする以上は避けたかった最後の手段。
剣を大上段に構えて彼女達の攻撃を誘う。もし、彼女達の攻撃が俺の予想と少しでも違っていたら、そこで終わりである。
「そうか!とうとう覚悟を決めたか!ならば、アタシの全力、受けてみるがいい!」
「・・・・・・いくよ、ギーラ」
「さあ、あたしの一撃を受けきれる?ギーラ君」
「俺の渾身の一突き・・・凌いでみろ!!」
思い思いの言葉と共に、みんなの渾身の一撃が迫る。
イリーナの防御を考えない一振りが俺の肩口から袈裟懸けに振り下ろされ、
アリシアの炎の鞭が胴を薙ぎ、
ターニャの小剣を持っての体当たりを真正面に見据え、
ティオの電光石火の如き突きが喉笛に迫る。
ああ、全部俺の予想通りの攻撃だ!こちとら、伊達にお前らの幼馴染やってる訳じゃねえんだよ!
イリーナの戦棍を間合いを詰めて威力を殺し、
アリシアの炎の鞭を大剣で切り落とし、
ターニャの体当たりを体を捻って急所を外し、
ティオの突きは他の何にも優先して避ける。
そして出来た一瞬の空白、その空白を使って真言を唱える。
―― オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン ――
真言密教の教主、大日如来を筆頭とした五智如来の光明を祈願する光明真言。
平安時代から加持、祈祷に読誦されてきた、あらゆる罪障を除滅するとされる真言は、如来の後光を召喚し、彼女たちの心を蝕む混沌の種を完全に消滅させていた。
「はあ・・・はあ・・・はあ・・・」
無意識のうちに荒くなる呼吸を必死になって抑える。
俺の体にもたれかかるようにして、安らかな顔で倒れているイリーナたち。この様子なら、後遺症の心配は要らないな。
だが、俺の左肩はイリーナの戦棍によって赤く腫れ上がり、おそらくヒビが入っている。この肩では、もはや剣は振れない。さらに脇腹にはアリシアの炎の鞭を切り落とした時に当たった先端部分が、焼きごてを当てたような火傷を作っている。
そしてなによりも、下腹部の刀傷。ティオの突きを避ける為に、そっちまで気を回せなかった、ターニャの小剣の一撃。肝臓を抉られることは避けたものの、おそらく内臓に達するほどに深いものである。
「あれえ?あなた、なんでみんなをころさないの?」
そんな俺を見下ろし、不思議そうに聞いてくるファルナ。むしろ、なんで不思議なのか聞きたいな。
「こいつらは俺の仲間だからな、仲間を護るのは当たり前だろう?」
「でも、それじゃあ、りゅうじんさまにあえないよ?あなたもりゅうじんさまにあいたいんでしょ?」
そう言って彼女は頭上を示す。先ほどまでの空間の歪みは穴へと変わり、その先には、暗闇に閉ざされるべき夜空を煌々と照らす電気の明かりが、色鮮やかな店のネオンが、ビルの窓から溢れる光が、『俺』の、義威羅の見慣れた、東京の夜景が映っていた。
東京スカイツリーが堂々とそびえたち、その後ろに見える黒々とした森は皇居だろう。かすかにレインボーブリッジらしき橋も見える。
その光景に、その煌々とした夜景に、こらえきれない望郷の念がこみあげる。
あの街のどこかに、義彦が、諏訪部がいる。彼らだけじゃない、『学園』の恩師でもあり、もう一人の母代わりだった信田先生も、『義威羅兄ちゃん、遊んで!』と俺の後ろをついて回っていた後輩の沙奈ちゃんも、留美子ちゃんも、虎太郎も、あの街のどこかにいるのだろう。
『大混乱期』はまだ終わっていない、みんなはまだあの街で戦っている。その戦力はいくらあっても足りないはずだ。義威羅には及ばないとはいえ、この体でも並みの一流くらいの実力はある、十分みんなの助けになれるだろう。
だが、その景色を見つめる俺の体に掛かる確かな重み、イリーナの、ターニャの、アリシアの、そしてティオの姿に、俺は故郷との別れを決意する。
「ああ、会いたいな。だけどな、今の俺にとっては、こいつらの方が大事なんだよ」
その言葉がよほど意外なものであったのか、ファルナの表情が僅かに歪む。
「うそよ、だってあなたは、りゅうじんさまのおともだちなんでしょ。すぐにしんじゃうにんげんなんかより、りゅうじんさまのほうがだいじじゃないの?」
「嘘じゃあないさ、だって諏訪部も、そして義彦も強いからな、心も、体も、魂も。だからあいつらには俺がいなくても大丈夫だけど、こいつらは違う。こいつらには俺が側にいてやらないといけない。なによりも、護るべき仲間を放って行ったら、今度こそ友達の縁を切られちまう」
「ああそうなんだ、じゃああなたはいらない。りゅうじんさまには、ふぁるなひとりであいにいく」
そう言って腰の直剣を抜く、剣の銘は魂喰らい、斬った相手の魂を、あるいは魔力を吸い取り、己のものにする伝説の魔剣。
一度でもその刃を受ければ、俺の魂は魔力に変換され、彼女のものになるのだろう。
「さよなら」
その言葉と共に刃が振るわれる。その速さはまさに神速、達人といわれる使い手ですら、その刃の前には己が斬られた事すら気付かないだろう。
・・・だがな、さっきの俺の言葉の何が気に入らなかったのか、太刀筋が大きすぎるし、何より粗い。古流剣術の使い手としちゃあ、そんな予備動作が丸見えの一撃なんざ当たるほうが難しいわ。
こいつとの勝負のために、必死で体力と魔力を温存していた俺が馬鹿みたいじゃねえか。
彼女の一撃を紙一重の余裕を持って避けると、肩の痛みを無視し、左の掌を彼女の左胸――、心臓の上に押し当てる。
無論、ここからが本番である。
―― ノウマク サンマンダ バ ザラダンカン ――
修験者としての基本ともいえる不動明王咒、それによって生み出された炎を右の掌に集め、さらに右の掌底を左手の甲の上から叩き込む!
「・・・え?」
ファルナの間の抜けた声が響く。
古流柔術諸派に見られる『掌底重ね打ち』、本来ならば鎧武者を“鎧の上から”衝撃を徹して倒すための技であるが、それを応用して不動明王の神力を直接、彼女の中へと送り込む。
おそらくは数百年もの間、根を張り続けていただろう混沌の種を焼き尽くされ、憑き物の落ちたような顔で倒れこむファルナ。
俺はそれを確認すると、もう一度、最後にもう一度だけ頭上に広がる東京の夜景を見上げ、頬に流れるものを感じながら口にする。
「さよなら、元気でな、みんな」
苦楽を、そして生死を共にした仲間に別れを告げる。
そして、俺の意識は再び闇へと落ちて行った。