十四話
「おおおおおぉ!!」
気合と共に振り下ろされた大剣が目の前の夜魔を唐竹割りにする。
戦闘が始まってまだ十数分しか経っていない。
それなのに戦況は最悪の方向に向かっていた。
ティオとターニャ、アリシアは数体の夜魔に取り付かれ、動きを封じられている。
夜魔の主な攻撃は『くすぐり』で、これは相手の心を狂気に引き込む効果がある。
今はまだ耐えているようだが、時間の問題だろう。
イリーナも数体の夜魔を相手に奮戦しているが、ゴム質の皮膚を持つ彼ら相手に戦棍の打撃は効果が薄く、苦戦しているのが見える。
かといって、俺の前にいるのはそれの倍以上の数の夜魔たち、彼女らを助けに行く余裕は無い。
(どうする・・・どうする!?)
必死で考えを巡らすものの、この状態では打てる手など何も無い。せめて、反魔力結界が切れれば不動火界咒で焼き尽くせるのだが、未だに、切れる様子は無い。
なにか、なにかこの状態を動かすような変化があれば・・・!
自分でも期待などしていなかった状況の変化、だがその変化は意外にも向こうからやってきた。
「へーえ、ないとごーんとのみんなをあいてにたたかえるなんて、おねえちゃんがいってたとおり、すごいんだ」
その言葉と共に、周囲にいた夜魔たちが一斉に距離を取る。
どこか舌足らずな女性の声、その口調は幼い少女のようであるが、声自体は成熟した女性のものである。
現れたのは、腰まで伸ばした亜麻色の髪と紫の瞳、豊かな肢体を露出度の高い黒一色の、いわゆるボンデージファッションに身を包んだ美女。
そして、何よりも特徴的なのは背中から生えた二対四枚のコウモリの翼とヤギを思わせる二本の角。さらに手に持つ漆黒の直剣。
コウモリの翼とヤギ、あるいはヒツジの角というのは悪魔族の特徴の一つである。
だが、二対四枚の翼となると心当たりは一人しかいない、その手に持つ漆黒の直剣もその推測を後押しする。
・・・しかし、それでもこの本人がこの場にいるというのは信じられず、偽者であると仮定して声を掛ける。
「ありがとうね、お嬢ちゃん。ところでアンタは何者だ?そんな『魔王』ファルナみたいな格好をして、彼女のファンかなにかかい?」
そうなのだ、この世界で二対四枚のコウモリの翼を持つものは『魔王』ファルナのみ、それは俺の“三本角”と同様に半ば以上に伝説となっている、圧倒的強者の象徴でもある。
またその手に持つ漆黒の直剣も、その特徴は彼女の愛剣、魂喰らいに合致する。
だが、『魔王』ファルナはこの数百年姿を見せず、生存は疑問視されていたはずで、仮に生きていたとしてもこんな所にいるはずが無い。無いのだが――、
「むー、なにをいってるのよ、ふぁるなはふぁるなだよ。あなたたちは、ゆーじぇすのこどものこどものこどもの・・・ずっとこどもでしょ!ちゃあんとしってるんだからね!」
胸を張り、得意げな顔で宣言する彼女。普通に考えれば、妄言だと相手にもしないだろう。
それでも非常識すぎる現実が、かえって真実味を持たせていた。その内側から感じられる圧倒的な魔力も『彼女が伝説の戦士である』、という言葉に現実味を持たせている。
「それでアンタが伝説の『魔王』ファルナだとして、なんでこんな所にいるんだ?ここは一応ノーリリア・・・、アンタの弟の国で、この洞窟は海賊どもの拠点の筈なんだが」
「ふぁるなはね、りゅうじんさまにあいにいくの。むかーしむかしに、ふぁるなやゆーじぇすをたすけてくれたりゅうじんさまにありがとうっていいにいくの。りゅうじんさまのせかいにいくには、このどうくつのちからをつかうのがいちばんだって、おねえちゃんがおしえてくれたんだ」
竜神様・・・?お姉ちゃん・・・?
また訳のわからない人物名が出て来たものである。
『竜神様』というのはノーリリア建国王ユージェスの名と一緒に出てきたことから、おそらくは有史以前に彼女らに関わった何かだろう。竜神様の世界と言っているからには多分異世界の存在・・・、旧神や旧支配者の可能性もあるな。
彼女の実年齢に似合わぬ幼さや、突飛な行動も旧支配者と関わった影響で、狂気に引きこまれたというのなら納得できる。
だが、『お姉ちゃん』という存在の見当がまったく付かない。
洞窟の力、というのは多分地下を流れる龍脈のことだ。だが、この世界では龍脈の力を利用出来る技術を持っているのはノーリリアのみ。
グーノフォードが研究しているという話は聞いたことが無いし、俺たちの技術が盗まれたにしても、その事実を気付かせずに持ち帰るのは不可能なはず。
いや、その『お姉ちゃん』とやらは俺たちのことを詳しく知っているような口ぶりであった。なら、知らないうちに侵入を許していたのか?
そんな疑問は尽きないが、どうやら、これ以上考える時間は無さそうである。
「それでね、あなたたちのちからをつかえば、もっとかんたんにあいにいけるんだって!だから、おとなしくつかまってちょうだい!」
言葉と共に周囲の夜魔が一斉に動きだす。だけどな、今までただ無駄話をしていた訳じゃあない!
『解除せよ!』
発せられた言霊と魔力が、反魔力結界を打ち破る。話の最中に体内で高密度、高純度に練り上げておいた魔力を使っての力技。
だいぶ不恰好な解決方法だが、この際そんな事は気にしてなどいられない。
「『魔王』ファルナ!その首、このイリーナが頂戴する!!」
叫び声と共にイリーナがファルナに向けて戦棍を振り下ろす。
俺と同じように、話の最中に魔力を練り上げていたのだろう。並みの城壁程度ならば一撃で砕くような、圧倒的魔力を込めた戦棍がファルナの頭上に迫り――、
「もう、だめだめだよ。おとなしくつかまってくれないと」
彼女はその一撃を、あろうことか素手で受け止めていた。
「なっ!?」
「えいっ」
驚きに動きの止まったイリーナと、気の抜けるようなファルナの声。
だが、そんな声とは裏腹に重く、鋭い拳がイリーナのみぞおちに打ち込まれ、彼女の動きが止まる。
「イリーナ!!」
必死に彼女の元へと駆け寄ろうとするが、迫り来る夜魔の群れが邪魔をして、向かうことが出来ない。
「ふっふーん、きじんぞくがよにんもいれば、いけにえにはじゅうぶんだよね。そこのさんほんつののかれはあぶなそうだから、ここでころしちゃって、じゃああとはよろしくね」
そう言い残し、イリーナを担いで奥へと去っていくファルナ、ぐったりとして動かなくなったティオたちも夜魔に担がれ、運ばれていく。
「待て、待ちやがれ!手前ら!!」
必死の思いで剣を振るうが、絶え間なく襲い掛かる夜魔を相手に飲み込まれそうになる。
止むを得ず、大きく後退して距離を取り、
『遮れ』
魔力障壁を発動、これで数秒の時間は稼げるはず。後は、
―― ノウマク サラバ タタ ギャテイ ビャク サラバ ボッケイビャク サラバ タタ ラタ センダン マカロシャダ ケン ギャキ ギャキ サラバ ビキナン ウンタラ タ カンマン ――
不動火界咒を発動、目の前に迫る夜魔の群れを焼き払う。
だが、この十数秒でみんなの姿は闇に溶け、俺は彼女たちを見失っていた。
「畜生が・・・!」
悪態をつきながらもファルナが去った方向へ走り出す。だが、
「おやおや、そんなに焦らなくても良いではありませんか殿下。ただいま最後の仕上げの真っ最中、ここで焦っては全て台無しですよ」
そんなことを言いながら、彼女が、三つ目族のメイド、アルラが姿を現した。
なんで彼女がここにいる?
彼女は現在ノーリリア本島で雑務をさせていたはず・・・
あれ?具体的に何をさせていた?そもそも、彼女は何時から働いていた?
その事に気付き、背筋に冷たい汗が流れる。目の前の女性は確かに俺専属のメイド、アルラなのに彼女と一緒に過ごした記憶が無い。
「貴様が『お姉ちゃん』か・・・多分、グーノフォードの情報部員って所か?ずいぶんと好き勝手やってくれたな」
慎重に声を掛ける。目の前に立ってなお、殺気も敵意も感じられない。だが、そんな彼女に対して俺の本能は最大限の警鐘を鳴らしていた。それこそ、あの『魔王』ファルナなど足元にも及ばないような、圧倒的な力の差があるだろう。
「いいえ、私は彼女の『お姉ちゃん』それ以上でも、それ以下でもありません」
・・・どういうことだ?この場で嘘をつく必要など無い。だが、グーノフォードの関係者でもないなら何故ファルナの側にいる?
・・・・・・いやまて、ファルナはなんて言った?『竜神様に会いに行く、竜神様の世界に行く』と、言った。世界を渡る大魔術など、聞いたことも無い。
そして、お姉ちゃんから竜神様の世界に行くには龍脈の力を使うのが一番だと聞いた、とも言っていた。龍脈の利用はともかく、なんで世界を渡る魔術を知っている?
「あは、あはははは、アハッハハハハハハハはハハハはHAは!!」
混乱する俺を見ながらアルラが嗤う。燃える様な三つの紅蓮の瞳に妖しく、冒涜的な狂喜を込め、小麦色の肌を晒して嗤い続ける。
・・・燃える三眼?
・・・アルラ?
・・・ナ・・・イ、ア・・・ルラ・・・?
「うわあああああああああ!!」
その事に気付いた瞬間、渾身の力を込めて斬りかかる。
「なんで・・・なんで貴様がここに居る!?這いよる混沌!!!」
心のうちから湧き上がる根源的な恐怖を意地で振り払い、声を掛ける。
そんな俺を彼女は、這いよる混沌はその三眼に、お気に入りのカブトムシでも見るような、実に背徳的かつ狂気的な愉悦を込めて見下ろしていた――