十三話
グーノフォード魔人連合王国、ノーリリア王国本島の南方に約三〇〇〇キロの地点に浮かぶ、グリーンランド程の大きさの島を中心にした群島国家であり、我が国の目下最大の敵対国である。
建国当時は黒い森の名の通り、昼なお暗い森林が広がっていたが、この数百年の環境破壊により、今では国土の大半が荒地に変わっており、見る影も無い。
政治形態は各魔人族の族長達の合議制であるが、名目上の頂点として齢九〇〇年を超えて未だに生き続ける建国王にして悪魔族の女王・『魔王』ファルナを掲げている。
もっとも、魔剣・魂喰らいを振るい、万を超える敵を殲滅したと伝えられる彼女もこの数百年の間は姿を見せておらず、その生存は疑問視されているのだが。
ノーリリアに次ぐ長い歴史を持ち、ノーリリアの建国王とされている『鬼王』ユージェスがファルナの義弟であったとの伝説があるため、それを根拠としてこの数百年の間ノーリリアに服従を求めている。
・・・・・・弟のものは姉のもの、姉のものは姉のものって、それいったいどこのジャイ〇ン。
ここ十数年ほどは睨み合いで終わり、本格的な戦争にはなっていなかったのだが、最近ノーリリア南方の海域を荒らす海賊船がグーノフォードの私掠船であるという情報が入ってきたのだ。・・・ロロリオ商会の情報網、半端ねえ。
ちなみに私掠船とは“国営の海賊”であり、地球で言うなれば、処刑台で「ある場所に財宝を隠している」と叫び、さまざまな物語のモデルになったキャプテン・キッドや、その戦功により貴族に叙せられ、フランス海軍の艦艇名として名を残すジャン・バール、イギリスにとっての英雄であり、スペインにとっての悪魔フランシス・ドレイクなどがいる。
無論、私掠船とは立派な通商破壊であり、敵対的軍事行動であるのだが、実際に船を襲っているのはトカゲの尻尾な傭兵ばかりで、グーノフォード本国は未だシラを切り続けている。
そこで俺たちは、私掠船どもを根絶やしにするべく、その本拠地を探しに島々を捜索しているのだ。・・・ただ遊んでただけじゃあ無いからな、そこの所は誤解の無いように言っておく。
そして、先ほどその結果が出たようである。
「鍾乳洞?」
現在の時刻は日没直後、星が輝きだした頃に帰ってきたオウカとキッカは、俺の言葉に頷く。
「正確に言えば海蝕洞でございます」
「この島の南端の岩場に存在する巨大な海蝕洞、その奥よりおよそ三〇〇人ほどの存在が確認できました」
「種族は二〇〇人ほどが半魚人、そのほか人族、悪魔族などが合わせて一〇〇人ほど」
「ただ、半魚人や悪魔族どもの様子が普段とは違います。うまく言葉には出来ないのですが・・・なんというか、澱んだ邪気のようなものを感じます」
なるほど・・・その状態なら考えられるのは、なんらかの魔薬が第一候補だな。
この世界の魔術は言霊に魔力を乗せるという性質上、長期間効果を持続させるのが難しい。
その欠点を克服するためにはいくつか方法があるのだが、特殊な薬草や魔獣の内臓など、魔力を溜めやすい素材を触媒として作る魔法薬が一般的である。
その種類は多岐に亘り、回復薬や魔力回復薬のような日常でも使われるものばかりではなく、魔薬と呼ばれる、効果も高いが依存性や副作用の極めて高い危険物も存在する。
・・・確か魔薬の中には死人作りという名の、服用者を生きた屍に変える代わりに、巨人とも殴り合いが出来るような怪力を発揮させるものがあったはず。
他にも超人的な力を発揮する代わりに、数ヶ月から一年ほどで服用者を廃人に変える地獄への切符などが代表的だ。
多分、その類似品か改良品といったものだろう。
まあ、どんなに強化されようが関係ない。洞窟の中に居るというのなら、その洞窟ごと対・幽霊船で使った、『太陽落とし』で吹き飛ばすだけである。
だが、俺のその言葉に二匹は渋い顔をする。
「しかし、その洞窟の直下には巨大な龍脈が流れております」
「高威力の大規模魔法は龍脈を乱す恐れがございます」
「具体的な影響としては、海流の変化による異常気象などが起きるでしょう」
「今後を考えるのなら、止めたほうがよろしいかと」
「また、あの洞窟は最低でも十数キロの奥行きを持ち、幾つかは地上にも繋がるわき道がありました」
「奴らの長の生死を確認出来ない戦術は愚行と思われます」
マジかよ・・・だったら一回引いて、正規の軍を呼んでくるか。
海上を封鎖しておき、入り口から煙で燻して洞窟から追い出す。地上に出る煙の位置から抜け穴の位置を特定、地上に逃げた連中の山狩りをしつつ、海上に出てきた相手は沖合いから弓と魔術で狙撃ってところかな。
私掠船などといっても、その実態はただの海賊、ぶっちゃけ連続強盗犯そのものである。そんな奴らに遠慮は要らない。戦士としての名誉ある戦いも、死も与えてやる義理などない。
ただただ、害虫を駆除するように殺戮するだけだ。
よし、そうと決まれば早速本島に戻って、援軍の要請を――、
―― そんな、味気ないことをされてどうするのですか。ここは殿下自ら『学友』のみなさまと洞窟に向かい、海賊どもを征伐するべきでしょう ――
・・・・・・・・・いや、援軍を呼ぶ時間がもったいないな。ここは俺自らみんなと一緒に洞窟に強襲をかけて蹴散らすべきだろう。
いくら魔薬でドーピングをしようが所詮は海賊、俺たちの敵では無いはずだ。
そうと決まれば話は早い、すぐさま明日早朝の内に強襲を掛ける為の準備を整える。
なにか・・・なにか得体の知れない違和感を感じながらも、気のせいだと誤魔化して、俺は寝床へと潜り込んだ。
「これはまた・・・見事な風景だな」
海賊どもの拠点である海蝕洞、その入り口に居た見張りを射殺してから小船で侵入し、中の光景を一瞥したイリーナがため息を漏らす。
海蝕洞とは、波による侵食で崖に作られた洞窟のことで、地球のそれとして有名なものに、イタリアの『青の洞窟』などがある。
この海蝕洞も大きさ以外はそれに酷似しており、神秘的な碧い輝きが一面を照らしていた。
「海賊なんかが、この光景を毎日見ていると思うと、ちょっと頭にくるね」
イリーナの感想に、そう返事を返すターニャ。
うん、結果論だが『太陽落とし』で洞窟ごと吹き飛ばさないで本当に良かった。後は、ここに巣くう海賊どもを駆除するだけ、駆除が終わったら改めて観光といこう。
(ご主人様、前方約二〇〇メートル先に、敵影が二つございます)
(臭いからして、おそらくは人族、船の見張りと思われます)
索敵を命じていたオウカとキッカからの念話が届く。
そして彼女達の言葉の通り、前方になにやら海賊船らしき大きな船影が岩壁に繋がれているのが見える。俺には感知できないが、その上には見張りが立っているのだろう。
敵の数は、たかが三〇〇!ここは一つ景気づけを兼ねて派手に行こう!
『燃えろ!』
俺の言葉と共に魔力が膨れ上がり、純白の炎が敵の船ごと見張りを焼き尽くす。
「相手は所詮ただの海賊、幽霊船に比べりゃ雑魚だ!さっさと蹴散らして遊びに行くぞ!」
『応!!』
俺の激に勇ましい答えを返す一同。だが、俺の見通しの甘さをその数時間後に痛感することになるとは、この時は予想だにしなかった。
『貫け』
魔力のブーストを得た短剣が凄まじい勢いで投擲され、最後の一人の喉笛に突き刺さる。
「・・・ずいぶんと少ないな?」
そうなのだ、船が燃やされているというのに、小船で駆けつけ、あるいは岩壁を降りて集まってきたのは僅か数十人。その全てが人間族で、主力であるはずの半魚人も悪魔族もいない。
奥のわき道から山へ逃げたとしても、船を失った以上は袋のねずみになる事はわかっているはず、主力がまったく姿を見せないのは不自然だ。
ならば、罠?
だが、罠を仕掛けるというなら他にやりようがいくらでもあるだろう。いつ来るかわからない敵に備え、こんな風に船を沈めて、さらに数十人の兵士を無駄死にさせる意味が無い。
心の中では首を傾げつつも、この状態で指揮官が不安を表に出すわけにはいかない。表面上は平静を装い指示を出す。
「俺とイリ-ナで前衛をやる、ティオ、ターニャ、アリシアは後衛を頼む、オウカとキッカは先行して偵察を、異常があったらすぐに知らせてくれ」
(なんか状況が不自然だ、くれぐれも慎重にな)
(かしこまりました、ご主人様)
(承知いたしました、ご主人様)
オウカとキッカに念話を送り、俺自身もゆっくりと岩壁の上に登る。
『照らせ』
明かりを灯し、伏兵が居ないことを確認して、岩壁の上に作られた道を進むが、それにつれて違和感が増していく。
最初のボタンを掛け違えたかのような嫌な感じ、なにか大事なことを見落としているはずなのに、それが分からない。
そんな不安を抱えながらも、引き返すわけにもいかず、奥へ、ただ奥へと向かう――
・・・・・・どれほど歩いただろう、洞窟内の水は既に引き、道はゆるい登り坂になっている。
前方からは生ぬるい風が吹き、この先が地上に続いていることを示していた。
「いないねー」
ターニャが気の抜けた声を漏らす。
そう、ここまでに出会った敵は最初の数十人のみ、それ以外には見張りすら立っていない
(『敵襲があった場合は引いて、体勢を立て直す』なんてマニュアルでも有るのかね)
それならまだ、分からんでもない。
だったら、どの辺りで部隊を再編成して、どこで襲撃を掛けて来るか、地形を頭に浮かべようとして――、
・・・あれ?俺は何で、地形の下調べもしないで強襲を掛けてるんだ?
その事に気付いて愕然とする。地形の把握は戦術の初歩の初歩、これをしないで戦うというのは、目隠しをしながら戦うようなものである。
そもそも、どんな仕掛けがあるか分からない敵の拠点にわずか五人で強襲をかけるなど、正気の沙汰ではない。
専門の訓練を積んだ破壊工作員や、ダンジョンの探索を本業とする冒険者ならまだしも、俺たちはそちらに関してはズブの素人である。仕掛けられた罠の種類も、解除の方法も分からない俺たちではブービートラップがあったら対処が出来ない。
引くぞ――、
そう言葉にしようとした瞬間にオウカからの念話が届く。
(ご主人様、前方より敵襲!半魚人と悪魔族の混成部隊、数は二〇〇!)
ちっ、こんな時に!
(撤退する!お前らもすぐに戻って来い!)
(申し・・わ・・・これ・・・反魔・・・結界)
(実体・・・維持・・・不可・・・念・・・も)
途切れ途切れの報告を最後に彼女らの気配が消える。
その一瞬後、俺たちを包み込む力場に気配が消えた理由を悟る。
「反魔力結界!ターニャ、ランタンを点けて!まずは、光源の確保を!」
「え・・・あ、うん!」
光源になっていた光球が消滅し、ヒカリゴケの発する微かな光の中でターニャに指示を出す。
反魔力結界、その名の通り術者あるいは触媒となる魔術具を中心に、あらゆる魔術を無効化させる力場を生成するものであり、その難度は最高クラス。
オウカとキッカはこれの範囲内に巻き込まれ、俺とのつながりが断たれたため、一時的な休止状態に追い込まれたのだろう。
しかし、この術は必要とする魔力があまりにも膨大な為、持続時間が短いのと、効果範囲が狭いのが欠点である。
(つまり、敵の狙いは短期決戦、物量にものを云わせた強襲。この襲撃さえ凌げば――)
などと、甘い考えでいた俺は、目の前に現れた軍勢におもわず目を疑う。
「夜魔!?なんでこんな所に!?」
見間違うはずもない、黒い肌、コウモリの羽、牛に似た尻尾と角、何よりも特徴的なその顔の無い頭部。
それはまぎれも無く、クトゥルフ神話に登場する魔物、夜魔であった。
敵襲の中身は半魚人と悪魔族だったはず――、そうか、変化の術か!
普段は変化の術で半魚人や悪魔族に擬態していたのが、反魔力結界で解除され、その正体を現したのだろう。
こいつらが何故こんな所に居るのか、なんでこの世界の術を使えるのか、クトゥルフ神話体系の神話生物に疑問を持つのは無駄というものである。
そう心に走る動揺を無理やり抑え、迎撃の体勢をとる。
「こいつらの十八番は精神攻撃だ、何が起きても心の準備だけはしておいて!」
我ながら無茶なことを言うな、と思いながら大剣を構える。
夜魔が何故いるのか、俺は何故こんな無謀な強襲を仕掛けたのか、それらを考えるのは後回し。
まずは、この襲撃を凌がなければ、そこで終わりである。
―― こんな所で終わらないでくださいな、これはまだまだ前哨戦。私の書いた絶望のシナリオはこれからが本番ですよ ――
どこか、はるか心の奥から、そんな声が聞こえた気がした。