古代史のすゝめ
いきなりマニアックな話題で申し訳ないんですが、みなさん、「古風土記」ってご存知でしょうか。あいやいや、ご存じなほうが不思議なくらいですので説明させていただきますね。奈良時代のころに編纂されたという地理書で、朝廷の命令によって作られたものとされてます。当時の国ごとに地域の特産物や地名などをまとめさせたもので、当時の人々の精神風景を知るいい史料となってます。
で、この古風土記なんですが、「解」という形式で作られている、という説が有力です。解というのは当時の書類の形式のことで、下級の役人が上級の役人へと送る報告書のことです。つまり、奈良にいる上級役人が「お前らの地元の地理を報告せえ!」と命令して、地元の下級役人が「はい、じゃあ謹んで報告させてもらいます」という風に作られた、というのが今の学説なわけです。
けれどですね、実は、古風土記が「解」で書かれたという根拠はそう多くありません。そもそも、古風土記は残存が少ない史料です。現物はゼロ。写本だって五か国分しか残っていません。その残っているうちの一つに、明らかに「解」形式で書かれているものがあり、ほかの国の風土記写本にもそういう痕跡がある、という例が見受けられるので、「たぶん解で一斉に書かれたのだろう」と学者さんたちは考えているのです。
でも、これ、かなり乱暴な推定ですよね。
当時、日本に国は五十以上ありました。おそらく古風土記はその五十余か国すべてが提出したはずです。なのに、せいぜい五か国分、十パーセント以下の風土記で比べて、「きっと解で書かれているんだ」と断定しちゃってるわけです。もしかしたら、失われた古風土記は全く別の報告形式だったかもしれないじゃないですか。
(マニアックなことを言うと、もしもすべての風土記が「解」で書かれていたとするなら、当時の中央と地方の間には強固な命令系統が存在したことになり、もし逆に形式がバラバラだとしたら、当時は案外ルーズな社会だったと想像できるわけですね)
と、長々と書いちゃいましたが、この古代史の古風土記に対する取扱いっていうのが、古代史という学問の面白さとむずかしさを示すいい例なんです。
古代史を見ていると、かなりフリーダムな論考が出回っています。
たとえば「聖徳太子非実在説」とか、「王朝交代説」とか、あ、邪馬台国論争なんかもそうですね。
かくいうわたし、学生時代は考古学と近世日本の思想史を専攻していたのでぶっちゃけ門外漢なんですが、門外漢ゆえに見えるものもあります。
近世史の場合、古代史みたいな大胆仮説を述べづらい空気があるんです。どういうことかというと、江戸時代を主に扱う近世史では、お殿様から侍から商人さんから職人さんから、はたまた農村でも文書が書かれていました。江戸時代ってとんでもない文治の時代で、それこそ村での諍いは当方で解決させました、みたいな報告書を殿様に上げたりしています。
史料の残存がはんぱないんですね。
なので、日本近世史を勉強しようと思ったら、まずは文書の整理からはじめて、続いてそのおびただしい文書を分析する必要があります。きわめてジミーな作業なんですね。そして、浮かび上がってくる結論というのも、やっぱりジミーだったりするわけです。
さて、翻って古代史です。
そもそも古代史だと、使える材料がそう多くありません。たとえば邪馬台国を例にとれば、中国の史書・三国志の魏について書かれた部分の、「魏と仲良くしていた東の国々」というコラムにのっかっている記事(「魏志倭人伝」)くらいしかないんですね。なので、その史料をこねくりまわすしか手はないわけです。まあ、実はこういう場面に活躍するのが考古学なんですが、総じて文献史学と考古学は相性が悪いので、考古学の成果は無視されるか、あるいは都合のいいところだけ拾い食いされる傾向にあります(逆もしかり)。とにかく、史料が少なすぎるので、その論者さんの願望とか想像とか独創なんかが結構紛れ込んでしまうみたいです。というわけで、邪馬台国論争はあれやこれやの百花繚乱状態なわけですね。
でもこれ、裏を返すと、派手なことも言い放題ですし、大胆仮説も作りやすいのです。
いや、別にわたしは古代史界隈をバカにする意図はありません。むしろ、「派手なことが言えていいなあ」と思いながら見ています。
たとえば「聖徳太子非実在説」。聖徳太子の事績の一部は捏造であり、実在した厩戸王にその事績を仮託されたのだ、というのがその骨子ですが、それを非実在って言っていいんだったら、大岡越前だって非実在にできちゃうはずなんですが、今のところそういう意見は出てきません。やっぱり、そういうことが言えるのは古代史という学問が持っている、いい意味でのおおらかさだと思うのですよ。
邪馬台国論争なんかですと(その参加人口が多いこともあって)、時折相手陣営をアジるような言動をする方がいらっしゃり、門外漢としては「何それ怖い」と思いながら見ることもしばしばなんですが、なんだか、そういう方は古代史っていう学問を誤解なさってるんじゃないかなあ、とも思えます。古代史っていう学問はもともとがいい意味でルーズで大風呂敷を広げやすい、そしてそこにロマンがある学問なのですから、いろんな意見があってしかるべき、というか、面白いことを言ったもん勝ちみたいなところがありますからねえ。
こう、なんていったらいいんですかねえ。
誤解は承知の上で書きますが、古代史っていうのは、歴史学の中では一番クリエイティブな分野の研究なんじゃないかなあ、というのがこの稿でのわたしの結論です。だからこそ面白いですよ、と胸を張って言えるところでもありますね。