第5話『旅芸人』
旅芸人の一座が来るとなってから、街はちょっとしたお祭り状態になった。家々が玄関先に花飾りをぶら下げて、街は普段よりも華やかに彩られる。
ルーズァの街は宿屋が一軒あるのみで、規模は然程大きくない。宿屋と言っても、この街を利用する商隊はいつも決まっているので、旅人であろうと見知った顔がほとんどだ。
旅芸人と言えば、異国の匂いのする見たことのない人間。そして彼らは魔法のような技を披露して夢を見せてくれる。これが歓迎せずにいられようか。
「あ!来た!!」
街道の先を待ち遠しく見つめていたルーズァが声を上げた。途端、街道には人が集まり始め、我も我もと街道の先を見晴るかす。
その人波を割り、人々の歓迎の声に迎えられて一座は街にやって来た。
ルーズァとルビーンズは初めて見る旅芸人の一座に手を取り合って歓声を上げる。
「すごい!」
「きれーい!」
見事な羽飾りを付けた白馬が引く馬車からは、慈母のように優しく微笑む歌姫が手を振っていた。街の人々は一生懸命になってそれに手を振り返す。
歌姫の歌声に合わせてどこからともなく飛び出してきたのは、同じ装飾の七色の衣裳を着た七人の踊り子たち。皆ルーズァやルビーと年が変わらないように見える。まるでボールのようにあちこちに元気に飛び回り、くるくる回ったり、街の人々と握手をしたりする。
熱狂の中、金と赤で彩られた長いマントを羽織った道化師が一羽の鳩を空に放った。かと思うと、それはくす玉となって箒星のような軌跡を描いて弾け、ひらひらと紙吹雪が舞い散った。
その一枚を手に取ると、『ドルイド一座 明日正午より開演』と流麗な文字で書いてある。
「ドルイド一座だよぉ!!西の国のそのまた先から遥々やって来た魅惑の一座!不思議で美麗な妙技の数々をとくとご賞覧あれ!!」
わあっと歓声が上がった。
すると、一座の周囲をあっという間に花々が覆い尽くし、隆盛を誇る。そこだけ何十年もの時間を飛び越えてしまったかのように人々は錯覚した。かと思えば次の瞬間には地面にはらはらと花弁を落とし街道に色鮮やかに降り積もった。
人々が驚きと感動に言葉を失っていると、ひとりの少女がぴょこんと頭を下げる。今の技は彼女が起こしたものだったのだ。頭のてっぺんに結んだ髪を揺らして、街の人々に元気いっぱいに手を振る。
見たこともない技の数々に、とりわけ彼女に、人々は惜しみない拍手を贈った。それに優雅にお辞儀をした一座の道化師は、拍手をもう一度ねだって笑いを誘うのだった。
華やかな一座の中ひとりだけ、歌姫の隣に、地味な黒いローブを頭からすっぽりと被った女がいた。年の頃はわからないが、若くもあり老いているようにも見える。隣にいる歌姫の華やかな装束と相俟って、まるで死神のようだ。
その不思議な雰囲気の女からルーズァは目を離せないでいた。すると、彼女がその視線に気付いてルーズァを振り返る。ローブの奥にあった瞳は何とも不思議な色をしていて、金色のようでもあり銀色のようでもある。細めた目に光をとりどりに取り込んで、宝石のように輝いた。
「お兄ちゃんたら」
ルビーンズに袖を引かれて我に返る。
「女の人のことをそんなにまじまじ見るものじゃないわ。失礼よ」
「そんなつもりじゃなかったよ」
「そんなつもりじゃなくても、駄目なの」
「なんでだよ」
「なんでもよ」
ルビーンズは時々こうしてルーズァにはわからないことでへそを曲げる。双子と言えどもわからないことは思ったよりたくさんあるらしい。
溜め息をついて、去って行く一座をまた振り返ってみたが、あのローブをまとった女がどのあたりにいるのか、もう遠目からではわからなかった。
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一座を見送った後、その足でルーズァとルビーンズは≪風の森≫に来ていた。一座の来訪がどれだけ素晴らしかったか、自分たちに感動を与えたか、身振り手振りも交えて説明した後、揃ってその一言で話を締め括った。
『すごくきれいな一座だった!』
目を輝かせてそれを聞いていたのはサルトーニである。
「ああん、あたしも見たかったー!」
本当に悔しそうに言った後、なぜか彼女はアジュの首に両腕を巻き付ける。アジュは思いっ切り渋面になった後、渾身の力を込めてサルトーニから身を引く。
「サル姉ちゃんもルイ兄ちゃんも一緒に観に行くんでしょ?」
ルビーンズがねだるように声を掛けると、ルイリュールは少し困ったように黙って目を伏せた。その仕草をサルトーニが翻訳してくれた。
「そう思ったんだけどぉ、何せ結構な大人数になるじゃない?シドもカレルも大変じゃないかしら?」
「父さんたちなら迷惑だなんて思わないよ。元々そのつもりらしいし」
「そうそう。一緒に行こうよー。ねえ、ルイ兄ちゃん」
ルビーンズが駄々をこねてルイリュールの袖を掴んで揺さぶる。ルイリュールは言葉を発することなく苦笑いを浮かべていた。旅芸人は観たいが、人の前に出ることに慣れていないルイリュールは気後れしているのだ。
「サル、お前が迷惑をかけるような行動をしなければいいんだ」
いつの間にかまた絡み付いていたサルトーニの腕を逃れながらアジュが言う。渋面は続いていた。
「あらー、あたしったらアジュに迷惑なんてかけてたかしらぁ?」
言うとサルトーニはわざとらしくアジュの肩にしな垂れかかった。
「今、まさに大迷惑だ」
サルトーニの身を押し退けて言う。サルトーニはアジュがそういった反応を返すのが楽しくて仕方ないらしい。きゃらきゃらと笑い声をあげてまたアジュにしがみつく。
「サルトーニさん、悪ふざけが過ぎますよ」
ルイリュールが冷静に言う。彼の糸のように細い目は何故かいつも笑っているように見えて愛嬌を感じさせる。アジュに負けないくらい愛想のない物言いでも、これならば損をすることもないのだろう。
ルイリュールはアジュの顔を覗き込むと、サルトーニに片手でストップをかけた。
「サルトーニさん、アジュさんの渋面が当社比一.五倍です」
ルイリュールの言葉を無視してサルトーニは更にアジュに寄り添った。渋面は更に渋くなっていく。ルイリュールは小さく諦めのため息をついた。
「ちょっと変わった芸人もいてさ、真っ黒なローブを被ってて、若いんだか年寄りなんだかわかんねぇの。何の出し物やる人なんだろうな」
場の空気を変えようと陽気に言ったはずだったが、ルビーンズがルーズァをじっとりと睨んでいることに気が付いた。
「だからさっきから何なんだよ、その目は」
「お兄ちゃんたら女の人に見惚れてたのよ」
ルビーは口を尖らせてルイリュールに言った。ルイリュールは迂闊にもルビーンズとルーズァに挟まれた位置に座っていた。双子の小さなけんかに巻き込まれた形になったルイリュールは、口を挟むことも出来ず、ふたりに向けておろおろと行き場のない両手を上げる。
「見惚れてたとかじゃないだろ、あれは」
「見惚れてたじゃない。そりゃ、あの歌姫さんはとってもきれいだったけど!」
「それはお前の勘違いだって!俺が見てたのは隣の真っ黒な人の方!」
「やっぱり見てたんじゃない」
「ちょっと気になってただけだよ」
「なによ、それ」
「いや、ただ、ほら…どんな人なんだろうと思って?」
「あらー、ルーズァ君も女の人にそんな興味を持つ年頃になったんだー?」
アジュにしな垂れかかるというよりはもはや負ぶさっている体勢でサルトーニがにんまり笑った。
「ちょ、話ややこしくしないで、サルトーニ。本当にそんなんじゃねぇから。あと、アジュの顔がすげえから」
「サルトーニさん…言い回しが年寄りくさいです」
「なんですってぇ!?」
とうとうアジュの背中から身を乗り出すサルトーニ。
「いいからお前はいい加減降りろッ!!」
アジュの渋面が怒気を孕んで、とうとう火山が噴火した。アジュはここまでよく我慢したのである。サルトーニはアジュの背中から勢いよく転がり落ちた。
「いったぁい!」
可愛らしいトーンで言ったが、誰からも心配する言葉もなく、唯一ルイリュールだけが駆け寄って来て残念そうに首を振った。
「サルトーニさん、サルトーニさんに可愛い路線は無理があります」
「あんたはあたしに文句付ける時だけよく喋るのね!?」
「…そんなことはありませんよ。ね、アジュさん」
目だけが笑っているような大真面目な顔がアジュを振り向いた。
「お前たち、普段からこんなことやってるのか?」
相性がいいんだか悪いんだかよくわからないこのタッグのチームワークはどうなっているのだろうかと、不安になるアジュだった。
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翌日の正午近く、アリベンティス一家は一座を見るために街の広場に来ていた。広場は人でごった返し、どこを見ても知り合いに行き会った。
結局、シドは「子守りなんてしてられるか」とばかりに気が付いたら姿を消していて、同伴の大人はカレルとエリナ=リアのみである。
「思ったより人が多いな。みんな、迷子にならないように」
カレルが広場を見回した目で子供たちの人数を確認する。
「ナラ、ルーズァとルビーと手を繋いであげて」
エリナの言葉に首肯して、ナラは弟と妹を振り返った。
「ほら、ルーズァ、ルビー、ちゃんと手を繋ぐんだぞ」
ナラが差し出した手をルビーンズは素直に取ったが、ルーズァは嫌そうに首を振った。
「やだよ、そんな小さい子供みたいなの!」
「お前みたいなチビッ子が人混みに紛れたら見つかんなくなるだろうが」
ルーズァは同じ年頃の子供達と比べても小柄だ。大人たちも多く来ているこの広場で迷子になったら、そうそう見つからないだろう。さらりと気にしているところを指摘されてルーズァは意地になった。
「うっせー!ナラ姉ちゃんとは絶対手なんか繋がないからな!」
「あらー?じゃああたしと繋ぐー?」
サルトーニが嫌がらせのようににこやかな顔で手を差し出した。ルーズァは赤くなって反駁する。
「な、何言ってんだよ!サルトーニとなんてもっとやだよ!」
「ルーズァくん、可愛い反応するのねー!キュンとしちゃった!」
笑って言いながら抱きつく先は何故かアジュである。サルトーニは人懐こい性格だが、アジュに対するスキンシップはとりわけ頻繁だった。
根が優しいアジュはそれを徹底的に拒否することが出来ず渋面になるばかりなのである。
サルトーニやルイリュールと初めて会うカレル、エリナ、ナラは最初はその様子に驚いていたが、ルーズァが「いつもこんなもんだよ」と平然と言ってからはそういうものなのだとむしろ微笑ましく見守るのみだった。
「サル、人前で馴れ馴れしくするな」
アジュの言葉ばかりが鋭い。だが、サルトーニはそんなことではへこたれない。
「…ルイ、お前の相棒だろう。何とかしてくれ…」
「許嫁のアジュさん以上に適任はいないと思うんですが」
低く唸ってアジュは黙り込んだ。
「それってどういうこと!?」
アリベンティス一家の歩みを止めたのは、宿屋の娘、ディアナの素っ頓狂な声だった。一家だけでなく、広場に集まった人の幾人かも彼女を振り返っている。
「この人がアジュの許嫁ですって!?」
あからさまな敵意を向けられたサルトーニは目を丸くした。それからにやりと艶に笑う。
「あら、いつかの森の迷子ちゃん。今日も迷子?」
「なっ…失礼ね!失礼な人ね!!」
「ディアナ、今日はひとりなの?」
エリナが周りを見回しながら言った。
「お母さんと一緒に来たわ!でもお母さんが迷子なのよ!」
「それってお前が迷子なんじゃん」
「うるさいわね、ルーズァなんてチビのくせに!」
「チビって言うな!!」
ルーズァは理不尽な雑言に歯を剥いた。ディアナはルーズァに噛み付いた後、勢いもそのままにまたサルトーニに噛み付き始める。
「あなたなんかアジュに似合わないわ!アジュにはもっとおしとやかで可愛い子の方が似合うんだから!絶対!絶対よ!!」
「で?あなたの方があたしよりおしとやかで可愛いって言いたいのかしら?」
ディアナは言い返しかけて、アジュの姿を見て彼がいることを思い出したらしく、恥ずかしいやらサルトーニが腹立たしいやら、顔を真っ赤に染めて苦し紛れに言い放った。
「ア、アジュだって嫌がってるじゃない!!」
それにはアジュは思わず頷いた。そうだ。誰かにそれを言って欲しかった。
「アジュは奥手なだけよ」
アジュは黙って勢いよく首を振る。
「ほら、首振ってるじゃない!あなたなんか大嫌いだって!」
アジュはぎょっとして手をぱたぱたと振り否定の意を示した。何もそこまでは言っていない。
「大嫌いを否定したわね?じゃあ意味は反対ね!あたしのことが大好きね!!」
サルトーニは笑いながらアジュにしがみつく。ディアナは素早く割って入り、噛み付かんばかりの勢いでふたりを引き離した。毛並みの逆立った猫のようなディアナの様子にサルトーニは思わず噴き出し、彼女の頭を撫で回した。
「んはは!かーわいー!この子かわいー!!」
「馬鹿にしたわね!馬鹿にしてるわね!!」
キーッ!っとディアナが更にヒートアップした時、高い音を上げて青空に花火が上がった。
正午である。一座の開幕だ。
ディアナの騒ぎに気を取られていた人たちがはっと我に返り、チケットを買うために足を速める。
「うわ…ちょっと!」
「ルーズァ!」
ナラの伸ばした腕がルーズァに届くことはなく、彼はあっという間に人波に呑まれた。
「ちょ、うわ、た、た…」
抵抗も虚しく、ルーズァの身体は小芋のように人波に洗われる。
「ヤバい!これ迷子とかいうレベルじゃねぇ!」
うっかりすると大人たちに踏み潰されてしまうかもしれない。改めて身の危険を感じたが、かと言って何が出来るわけでもなくルーズァは無力にも広場の中央、一座のテントまで運ばれた。
テント前で、チケットを買い求める客と、いい席を取ろうと我先に駆け出した客の流れが割れ、何とか人波から転がり出たルーズァは心身ともにすっかり疲弊していた。
「…すげぇな、これ…街中の人が観に来てんのか…」
人混みを後にして、ルーズァは家族と合流するために歩き出す。もうあんな危険な思いをするのはごめんだと人混みを避けて歩いていると、一座の天幕の裏手に出た。
天幕の中ではもう一座が開演しているらしい。派手やかな音楽と人々の歓声が聞こえた。
「…みんな中にいるのかなぁ…」
舞台の裏手からなら客席にいる家族も見えるかもしれない、と思い立ったルーズァは猫のような動作で天幕の中に入った。
「これ」
「うわー!」
不意にかけられた声に心臓が飛び出そうなほど驚いた。
「…これ、坊。大事ないか」
ルーズァの声に驚いた様子もなく、声の主は囁くように言う。声の主を見上げると、昨日の黒いローブの女だった。彼女は青白い肌の中にきらきらと輝く瞳を浮かべてルーズァを覗き込んでいる。
「だ、大丈夫…です…」
言うと、彼女は歯を見せてにっこりと笑った。
(…あれ…?)
一瞬、彼女の口元に牙があるように見えた。本当に一瞬の笑顔だったので、ルーズァの目の錯覚かも知れない。
「迷子、かえ?」
ルーズァは頷きかけて思い留まる。あれほどナラに言われておきながら、自分はまんまと迷子になっているのだった。
「………か、家族が………」
ルーズァの口から出たのは先程のディアナと全く同じ言い訳だった。
「ほほ、坊、面白い子よな。どれ、わらわが家族の居場所を占ってやるかのう」
「占い師さん?」
「秘密じゃ」
にんまり笑った彼女の口元には、やはり見間違いではない牙があった。それに目を瞠ったルーズァに、彼女は言う。
「坊、わらわが怖いかえ?」
「怖くはないけど…」
「このように人を噛み殺せそうな牙があるのに?」
今度は彼女はからかうようにわざと牙を見せて笑った。
「悪い人じゃないと思う」
「ふむ、左様。悪い人ではないな」
彼女は言葉の問答を楽しみながら、ローブの懐から大きな水晶を取り出した。青白い手をかざすと、水晶が妖しい輝きを見せる。
「悪い人ではないが、いい人でもない。わらわは人ではないからの」
「えー?」
変なことを言う人だ、とルーズァが内心思った時、水晶に影が過ったように見えた。
「ふむ…坊、家族はこの広場の東でそなたを探しておるぞ」
「見えるの?」
ルーズァは彼女の手の中にある水晶を覗き込んだ。
「そなたになら見えるかも知れぬの」
言われてしばらく水晶を覗き込んでみたが、ルーズァにはただの大きな水晶にしか見えなかった。
「俺には何にも見えないよ」
首を捻っていると、彼女が小さくため息をつく。
「わらわの探しているものが坊なら、と思ったのじゃがな…」
彼女はルーズァの頭をひとつ撫でて言う。
「坊、ここでわらわと会うたことは秘密じゃぞ」
「なんで?」
「わらわは人ではないからじゃ。約束を違えるなら、そなたの妹を食らいに行くぞ」
「ルビーを!?」
途端に険しい顔になったルーズァに彼女は今度は口元を隠して笑った。
「ほほ、冗談じゃ」
もうひとつルーズァの頭を撫でて、言い聞かせるように言う。
「約束じゃ。わらわが人ではないことは誰にも言うでないぞ。決して」
覗き込んできた瞳に何か恐ろしいものを感じて、ルーズァは黙って頷いた。
「では、お行き。家族はまだ坊を探しておるよ」
「うん…さよなら」
ルーズァの言葉に彼女は意味ありげに笑って言った。
「また、な」
ルーズァはなるべく彼女を振り返らないようにして走り出した。
早くみんなを見つけたいのもあったが、あの黒いローブの女から少しでも早く遠ざかりたかった。
「また、じゃ。そなたとはまた会うことになると占いの卦に出ておるよ」
彼女の言葉は走り去るルーズァの耳には届かなかった。