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風纏う者  作者: 峰子
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第4話『月の探索人』

 ルーズァとルビーンズは十二歳になっていた。

 ルビーンズが森で迷って以来、ルーズァは森に行く時にはルビーンズを連れて行くことにしている。アジュがアリベンティスの家を訪れることもあったが、彼は生来人見知りな性質なのか、訪れるのは人々が家路を急ぐ夕方の時間帯だ。夕刻なら帽子を目深に被っていれば人の中に紛れることが出来る。

 そしてその日、アジュはアリベンティスの家の夕食に呼ばれていた。

 アリベンティス家のハーブの群生を潜って裏口の戸を叩く。


「いらっしゃい、アジュ兄ちゃん!」


「ルビー」


 少女らしくなったルビーンズにアジュは僅かに微笑みかけた。家の灯りが日に焼けたように見えるその面を明るく照らす。


「今ちょうど準備が出来たところなのよ。上がって」


「いつものことだけど、ルビーは戸を叩く音だけで俺だってわかるんだな」


「ふふ、そうね。アジュ兄ちゃんの戸の叩き方は覚えちゃったわ。こう、トントン、ってね」


「そんなに変わった叩き方をしてるか?」


「微妙なリズムなのよ」


 アジュから上着と帽子を受け取ると、それを玄関脇のコート掛けに掛ける。


「お、アジュ!……いらっしゃい」


 奥の部屋からルーズァが慌てたように顔を出した。アジュの隣のルビーンズの姿を見て小さく溜息をつく。


「ああ」


「またルビーに先を越されちゃったなぁ…」


 ルビーンズは笑った。


「前は俺を取られたってやきもち妬いてたくせに、今じゃ一番懐いてるんだもんな」


「それは子供の頃の話でしょ~?」


 口を尖らせてルビーが頬を染める。


「いや、今でも子供は子供だ」


「もう、アジュ兄ちゃん!」


 ルビーは今度はぷっと頬を膨らませた。アジュはルビーの百面相にまた少し笑う。長い付き合いで、アジュはこういう笑い方をするのだとルーズァもルビーも知っていた。あまり開けっぴろげに笑う性格ではないようだ。


「あら、アジュ君来たの?いらっしゃい」


 台所からエリナ=リアとナラが顔を出した。


「お邪魔します」


 アジュはちょっと頭を下げた。エリナはそれに微笑んだが、ナラはぷいっとそっぽを向く。


「ナラ姉ちゃん?」


 不思議そうな顔をしてルビーが首を傾げた。

 ナラの不機嫌の理由は、先日アジュが訪れた時、剣術勝負で勝ち逃げされたことにある。

 ナラはアジュよりひとつ年上だった。これまで同じくらいの年のどの少年にも剣術で負けたことはないのに、アジュにだけは何度やっても勝てないのだ。相手は風騎士なのだから仕方ない、とはナラは納得できない。


「アジュ!明日は裏庭でもう一度剣術の勝負をするぞ!」


「…受けて立とう」


 アジュはこう見えてナラに負けないくらいの負けず嫌いだ。彼の言葉には闘志が見え隠れしていた。


「さーて、ごはんごはん…。あ、アジュ君。来たね。いらっしゃい」


 カレルがすきっ腹を抱えながら書斎から出て来た。


「お邪魔してます」


 ルーズァやルビーと連れ立って居間へ行くと、エリナ=リアとナラが用意した芳ばしい香りの夕食が食卓に並べられていた。


「あ!ミートパイだ!」


 メインに据えられた好物を見て、ルーズァが嬉しそうに声を上げる。


「ふふ、アジュ君も好きでしょ?」


 エリナ=リアは笑って食卓についた。アジュの無口な舌の代わりに腹の虫が答えてまたエリナの笑いを誘った。エリナの料理の腕前は極上である。甘いものが苦手なアジュだったが、彼女の作ったものはクッキーだろうとケーキだろうと何でも食べられた。


「いただきます」


「いただきまーす!」


 祖父のシドも食卓につき、一同が揃ったところでルーズァとアジュが真っ先に手を伸ばしたのはミートパイだ。

 エリナ=リアの作るミートパイはセージやローズマリーなどのハーブが効いていてとても美味しい。アジュの好物のひとつだった。

 しかし、満足そうにミートパイを頬張るアジュを見てもっと満足そう、というか、得意げな顔をしたのはナラだった。


「今日のミートパイは私の手製だぞ」


「え!?ナラ姉ちゃんの!?」


「お前のお祝いの時にも作ってやったことがあったじゃないか」


ルーズァが素っ頓狂な声を上げるので、ナラはちょっとムッとした。


「ナラ姉ちゃんすごーい!お母さんの味と全然変わらないよ!」


 ルビーが驚嘆の声を上げると、一転、ナラは笑う。愛嬌はないが、愛想はアジュより断然ある。

 笑っていれば美少女なのに。アジュは思う。年が近いせいか、ナラは何かというとアジュと張り合おうとするのだ。証拠に、今もどうだとばかりにアジュに向かって胸を張る。アジュはどう反応したらよいかわからず、小首を傾げた。


「確かに美味いが、俺は元々料理は出来んぞ」


 もとより争う土俵が違うのだ。


「そんなことはわかってる!ただお前が美味そうに食べるならそれでいいんだ!」


 アジュは驚いて目を丸くした。ナラは自分の失言に気付いて耳まで顔を赤くする。凍ったように動きを止める一家の視線が刺さるように痛かった。


「ち、違うぞ!これはそういうのじゃないからな!言葉の綾だ!」


 それにはアジュは無表情で頷く。


「わかった」


 一言そう言ってミートパイをまた頬張る。歳相応に少し頬を染めるくらいの愛想があってもいい、とは思わない。彼の愛想の無さでナラは難を逃れたのだから。咳払いをして居住まいを正した。

 アジュにしてみれば、ナラの誤解を与えがちな迂闊な口振りも負けず嫌いもとっくに了解している。負けず嫌いで男勝りな彼女は、何かしらアジュに勝てるものを見つけたいのだろう。そして、うっかり勝利を確信して喜んだ。アジュはそう納得していた。しかして、料理の腕では当然及ぶべくもないのはこのミートパイの味で明らかだ。うまい、と唸らざるを得なかった。


「本当にナラは料理の腕が上達したよね」


 カレルが笑いを噛み殺して言った。


「教えてる先生がいいのよね?」


 褒められて、エリナは上機嫌に娘に笑い傾けた。生みの母の天真爛漫な仕草にナラは苦笑する。


「エリナはカレルと会う前は料理学校の先生をしてたんだと」


 シドもミートパイを満足そうに頬張った。


「へぇ、そうなの?」


ルーズァが興味を引かれたように目を輝かせる。


「ふたりはどうやって恋人同士になったの?」


 ルーズァとルビーンズは身を乗り出して聞いた。四人の子供たちは皆興味深そうにエリナとカレルを見つめている。色恋事に興味を示す年頃になったか、とエリナは内心微笑んだ。


「旅芸人が来てるのを一緒に観に行こうってお父さんが誘ってくれたのが始まりなのよ」


 嬉しそうなエリナ=リアにカレルも頷いた。


「懐かしいねぇ」


「旅芸人って何をするんだ?」


 アジュの疑問にカレルが答える。


「動物を操って火の輪くぐりをさせたり、珍しい生き物を見せたり、人が宙を舞うような出し物もあるよ」


「私は知っていたぞ」


 ナラはまたアジュに向けて顎をそびやかした。


「あたし、知ってたけど見たことない」


「俺も」


「お前たちがまだ小さい時に来たきりだからな。私も子供の頃だったから、実はよく覚えては……」


 しまった、とナラが口を押さえた時には遅かった。こっそりアジュとは反対の方に視線を泳がせる。ふ、と小さくアジュが笑った。ナラは悔しさのあまり耳まで真っ赤になって歯噛みするしかなかった。己の口の迂闊さが心底恨めしい。


「そう言えば、今度この街にも来るらしいぞ、旅芸人の一座が」


 シドの言葉に子供たちの目は輝いた。


「ほんとに?」


「ああ、宿屋の言うことだから間違いはないだろうよ」


 シドは研ぎ屋のジンダのところに雑談をしに行った折に、宿屋の主人から直接聞いたのだという。


「観に行きたい!」


「どんな出し物があるんだ?」


「旅芸人か…」


 子供達それぞれの反応に、エリナ=リアは明るく笑って言った。


「じゃあ、行ってみましょうか?」


 ルーズァとルビーンズが諸手を上げて歓声を上げた。そのまま双子らしく息の合ったハイタッチ。


「アジュ君はどうかな?お父さんはいいって言ってくれそう?」


 カレルに訊かれてアジュは思案顔をした。ルーズァと関わるようになって街によく来るようになったとはいえ、風騎士は本来人目を避ける種族のはずである。

 ここ数年は『あのこと』があって以来、ルーズァの傍近くにいる必要があるだけだ。


「駄目、とは言わないと思う…けど、聞いてみる」


「楽しみだね!」


 ルビーはもうアジュは一緒に行くものだと決め込んでいるらしい。もし万が一行けなかったら、ルビーンズは悲しむのだろうな、とアジュは思った。


「…ああ」


 アジュはルーズァが差し出してきた拳に拳を軽くぶつけて答える。ルーズァもアジュは行くものと決め込んでいるらしい。

マリウは役目とは別にアジュが度々アリベンティス家を訪れるのを喜んでいる風でもあるから、多分大丈夫だろう。

 明るくそう思いながらアジュは負けず嫌いの作った美味しいミートパイに再び手を伸ばした。








________________________________________








 アジュは帰るなり早速マリウに事の経緯を話した。


「ほう、旅芸人とな」


「行ってきてもいいでしょうか?」


 指を組んだり解いたりしながらマリウの言葉を待った。


「いいとも」


 思っていた通り、マリウは笑顔で快諾した。アジュの顔が親しい者にだけわかる明るさを見せた。普段表情に乏しいアジュには珍しい変化である。


「せっかくの機会であることだし、サルトーニやルイリュールも連れて行ってやるとよい」


「サルトーニも…ですか?」


途端、表情が萎れて引きつったように見えた。


「なんだ、嫌か?そなたの許嫁であろう」


 『許嫁だから嫌なんです』とはアジュは言えない。この縁組はマリウ自ら行ったものなのだ。

 サルトーニのことを嫌っているわけではないが、昔からスキンシップの多い彼女はアジュにとって苦手な部類である。だが、マリウにはそんなことは言えない。


「…………わかりました」


 アジュは先程の輝く表情はどこへやら、渋々承諾した。その様子が年相応に幼く、マリウは思わず笑ってしまった。


「そなた、ルーズァに少し似て来たの」


「どういう意味です」


「いやいや、深い意味はないよ。ふと、そう思ってな」


 笑いを引っ込めてアジュの目を見る。素直に感情を表すようになったのが嬉しかった。本来、子供の頃にこそその豊かさは発揮されるはずだったが、彼は生真面目な性格ゆえにそれを押し殺す風であった。アジュがマリウの前で寛いで感情を表すようになってきたのは、ルーズァと出会ってからのここ数年のことである。

父子仲が悪かったわけではないが、それまではマリウの長としての立場と、それに気を遣うアジュの生真面目さがほんの少しすれ違っていた。

だからこそ、マリウはアジュの変化が嬉しい。


「さあ、サルトーニとルイリュールを呼んできておくれ。ふたりはこのところ頑張ってくれていたでな、旅芸人を観に行くのはご褒美にしてやりたいのだよ」


「わかりました」


 アジュは静かに礼をしてその場を辞した。


(…我ながら息子に甘いとは思うが…)


 あの表情を見せられると、どうにも弱い。

 冷たい印象を与えてしまいがちなあの無表情の下には、あんなにも子供らしい素直な顔が隠れているのだ。マリウはアジュの子供らしさを見つける度に相好を崩してしまう。

 今更親馬鹿になれることをマリウは喜んでしまっている。


「長、サルトーニです。お呼びでしょうか」


「ルイリュールも一緒です」


「…入りなさい」


 マリウは表情を引き締めてふたりを招いた。サルトーニとルイリュールは続く勧めに応じてその場に坐す。


「今回はいかがであった?」


 端的な言葉だったが、ルイリュールは己が呼ばれた意味を解して首を振った。


「あと一歩のところで逃げられました」


「そうか…」


「申し訳ありません。私たちの力が及ばず…」


 マリウが言い淀んだのを落胆と取ったサルトーニとルイリュールは深く頭を下げる。


「いや…」


 マリウは、六年前、この≪風の森(タブ・ミシィ)≫に現れた狼の話を思い出していた。当時、狼の狙いが判然としない以上、それほど多くの人材を投入するわけにはいかなかった。ルイリュールは若いながら味方の姿を隠形させる《姿くくりのまじない》が出来たため、尾行調査にはうってつけの人材であった。そしてサルトーニの素早さは里でも評判だった。今では里で一、二を争う実力を誇る。技と機動力。当時も今もこの探索の適任は里にはふたりを於いてなかった。

この六年間というもの、ルーズァの護衛をアジュに任せ、サルトーニとルイリュールのふたりには狼の行方を追わせていたのだ。

 だが、あと一歩のところでいつも煙に巻かれるのだという。そのつかみどころのなさはさながら朧月のようだった。姿を変幻させる月の性質を持つ≪(イムヒ)≫の一族の軌跡を追うことは生半なものではない。


「ほんに、≪(イムヒ)≫の者らは何を考えておるものか…」


 意図も目的もはっきりとはわからない。ただ、何かを探るようにルーズァの周りに現れてはまた姿を消す。見守っているようでもあるし、監視しているようでもある。≪(イムヒ)≫の者たちもルーズァの力を測りかねているということだろうか。


「六年間見て来て、どうやら危害を加える気はないらしいということだけはわかるのです」


「うむ、それは私もそう思う。しかし、≪(イムヒ)≫に関しては決して油断は出来ぬ。ふたりには引き続き≪(イムヒ)≫の動向の監視を頼みたい」


「はい」


 ふたりは畏まって頭を下げた。


「ところで、街に旅芸人が来るそうな」


「……?」


 マリウの突然の話題の転換にふたりは揃って小首を傾げた。


「アリベンティス一家も見物に行くという。人出が多いではアジュも難儀をするだろうゆえ、手伝いついでに見物して来るとよいぞ」


 サルトーニとルイリュールの輝く目を見て、マリウはアジュにそうしたように可笑しそうに笑った。

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